第三章 深紅の巡礼 4
魔獣の血肉と湿った土が混ざり合う山道を騎士達が進む。統率の取れたその動きは美しく、かつて聖域フォビドを巡礼した信徒達を彷彿とさせた。
ルカと共に特務部隊の中程に位置するメイはそれとなく周囲を探り、魔獣の気配がないことに小さく息を吐く。先程の件で、魔獣達は警戒状態に入ったのかもしれない。
エフィのサプライズ後、フォビド中腹に位置する登山鉄道の駅舎、その上空五メートルほどの場所で停止した弩級型を迎えたのは地面を埋め尽くさんばかりの魔獣の群れだった。無数に輝く赤い目は殺意と憎悪に滾り、距離があるにもかかわらずメイは強い恐怖を感じた。それは騎士達も同じだったのかもしれないが、彼等は勇敢だった。真っ先に動いたのは魔鎧型の壱號と弐號で、彼等は降下しながら魔獣の群れに機銃を撃ち込み、着地の直前に大剣を横薙ぎに振るう。斬撃、そして大剣型の魔具から放たれた魔力が魔獣達を蹂躙する頃には特務部隊も地上に降りており、安全が確保されるまでそう時間はかからなかった。
鋼鉄の魔女の合図を受けてメイはルカに抱えられる形で地上に降り、負傷者の手当をしてから出発して今に至る。このまま何事もなく頂上に辿り着ければいいけど。メイはそう願い、そんな願いを嘲笑うかのように地響きが聞こえた。音は次第に近くなり、そして速度を増している。先頭を進む鋼鉄の魔女が止まれのハンドサインをすると騎士達は警戒をより一層強め――音の正体が、赤い霧を裂いて現れた。
巨大な魔獣だ。家屋ほどもある巨躯は硬い鱗に覆われ、分厚い前後肢の先には鋭い爪。長く太い尻尾は適当に動かすだけでも獲物を仕留めるに違いない。ぎょろりとした赤い目は酷薄のみを宿し、薄く開いた口からは肉を裂き潰すための牙が覗いていた。あんなものに噛まれたら。そう考えるだけで怖気がした。
ドラゴン。メイの脳裏にその名が浮かび、すぐに消える。見た目は少しだけ似ているが、あの希少上位種がフォビドにいるはずがない。目の前にいるのは――
「ほう、〈蜥蜴〉の変異個体か。珍しいな」
鋼鉄の魔女が呟いた、その瞬間。鮮やかな剣閃が奔り、〈蜥蜴〉の右前足が切断された。
「総員戦闘用意!」
騎士剣片手に号令をかける鋼鉄の魔女。発砲音が〈蜥蜴〉の悲鳴を掻き消し、無数の弾丸がその体を穿った。弾雨から逃れようと〈蜥蜴〉は必死に藻掻き、長い尻尾を無茶苦茶に振り回す。丸太ほどもある尻尾は岩や低木だけではなく騎士達をも叩き潰そうとしたが、それも壱號に切断されるまでのことだ。〈蜥蜴〉は大口を開けて悲鳴を上げ、その口目がけて楕円形の小型魔具が投げ込まれた。
即座に投擲魔具が破裂する。仕込まれていた無数の破片が〈蜥蜴〉の口腔と喉に突き刺さり、砕けた魔力核に宿る魔力が炎へと姿を変えた。
体内を焼かれる激痛に〈蜥蜴〉はのたうち回り、やがて倒れ伏すと動くのをやめた。だが変異魔獣を仕留めたことに喜びの声を上げる者も、警戒を解く者も誰一人としていない。赤い霧の向こうから、同種の〈蜥蜴〉が数十体の魔獣を従えて現れたからだ。
「怯むな! だが油断もするな!」
鋼鉄の魔女の声は銃声に埋もれ、それを〈蜥蜴〉の咆哮が掻き消す。すると焼け焦げた魔獣の死骸が急速に崩れていき、不気味に蠢きながら新たな塊を作り始めた。
「まずい……!」
焦燥に駆られた声と共にルカが抜剣する。特務部隊もこれから起こることを察知したのだろう。数人がルカと同じように標的を変えた。
だが、遅い。霊光と弾丸が破壊したのは、肉塊の前に立ち塞がった〈熊〉達だった。飛び散った霊光粒子が肉塊に触れるが浄化には至らず、再度肉塊を狙おうとしたルカ達に魔獣が飛び掛かる。彼等が魔獣の相手を余儀なくされる間に顫動する塊は〈熊〉の死骸をも取り込んで増殖していき、やがて二十を超すと一斉に産声を上げた。
痛い、苦しい、助けて、と。生まれたばかりの〈人形〉達が悲痛な声で叫ぶ。恐怖と罪悪感を呼び起こし、心を蝕むおぞましい嘆きだ。メイのように悲鳴を上げそうになった者はいないが、ルカも特務部隊もこの嘆き声に苦しめられている。鋼鉄の魔女でさえ眉間に皺を寄せるほどだ。応戦する騎士達に精彩はなく、魔力を介して鋼鉄の魔女と繋がっている魔具達の動きもどこか鈍く見えた。
この状況を打破するには〈人形〉と彼等の材料である魔獣の死骸を一体残らず浄化する必要がある。メイは〈人形〉達に意識を向け――
「ルカさん!?」
光の霊光をまとった剣が振るわれる。その輝きは先程以上に強く、一拍遅れて放たれたメイの霊光よりも眩しいほどだった。
白と金の霊光が〈人形〉と彼等を守る魔獣を一体残らず浄化する。僅かに残った死骸と地面に染み込んだ血をも綺麗に消し去ると霊光は騎士達の頭上で弾け、降り注ぐ光輝が魔獣達の体を焼いた。何体もの魔獣が悲鳴を上げ、小型魔獣が痙攣しながら絶命した。
だが、霊光の影響を受けなかった魔獣もいる。メイは一体の〈熊〉と目が合い、その毛むくじゃらの体が突進の姿勢を取るのを見た。
「っ、メイさん危ない!」
叫ぶと同時にメイの手を引いて〈熊〉の攻撃を避け、身を翻して銃口を向けるルカだったが、不意にその体がふらつく。あれだけの霊光を使って反動が起きないはずがない。一時的にルカの痛みを負担していたメイには、彼が今どれほどの激痛と倦怠感に苛まれているのかが容易に想像できた。ルカが体勢を立て直すより早く〈熊〉が動き
「えっ?」
メイがそんな声を漏らしたのは、〈熊〉の体が突然真横に吹き飛んだからだ。〈熊〉は〈猿〉や〈鹿〉を巻き込みながら近くの岩に激突し、深く抉られた横腹を上に向けて痙攣している。その下では顔だけを覗かせた〈鹿〉が同情を誘うような鳴き声を発していたが、即座にその頭を革靴が踏み潰した。
「どうして貴方が……」
メイが呆然と呟くと、〈熊〉を倒した長躯が静かに振り返る。青いはずの左目が、赤に染まっていた。
「ご安心を。貴女方の邪魔をしに来たわけではありません」
いつものように淡々とした口調で答えると、カルロはメイに会釈した。かと思えば彼の姿が消え、銃撃音に激しい打撃音が混ざる。魔獣達が怯えるのを感じながらメイはルカを見上げた。彼は強い疑念の宿った――殺意すら感じる目でカルロを睨んでいた。メイの視線に気づくとその暗い色は消えたが、顔は訝しげなままだ。
「……彼のこと、信じていいんでしょうか?」
次々に魔獣を屠っていくカルロの姿は彼の言葉通りメイ達の邪魔をしに来たようには見えない。セシルがいないことは気がかりだが――
「メイ。負傷者の治療を頼む」
数名の騎士を連れた鋼鉄の魔女に話しかけられてメイは思考を切り替えた。ルカも同じなのだろう。足元を駆け回る蜘蛛型から弾倉を受け取ると、彼は鋼鉄の魔女の隣に並び立った。
「少年よ。彼のことは気になるだろうが、今は魔獣に集中したまえ」
「――了解」
◇
斬られ、あるいは撃たれた魔獣から噴き出る血にも魔力が含まれており、それが周囲に充満する赤い霧を更に濃いものへと変えていく。メイとエフィの加護があるにもかかわらず頭痛と吐き気がし、ルカは込み上げてくるものをどうにか抑え込んだ。
高濃度魔力の影響を受けているのは特務部隊も同じだ。だが彼等はルカよりも動けているし、メイに治癒の精霊術をかけてもらった騎士達も次々に戦線に戻っている。しっかりしろと己を奮い立たせ、ルカは〈猿〉の鋭い爪を銃剣で弾いた。長躯がふらついた隙に銃弾を撃ち込み、その後ろから襲いかかってきた〈兎〉の額にも発砲。少し狙いが逸れたが、魔獣は脳漿を撒き散らしながら後方に吹き飛んだ。
「……ッ」
霊光を使用した代償は容赦なくルカの全身を蝕んでおり、一歩動いただけで意識が遠退きそうになる。使い慣れた剣も銃も重たく、湿った地面に倒れたらよく眠れそうだと、そんなことまで考えてしまった。
「辛いのなら下がっていろ」
と、いつの間にか隣に立っていたカルロが話しかけてくる。ルカはその顔を睨むが、カルロは表情一つ変えない。真横から飛び掛かってきた〈兎〉を見向きもせずに片手で縊り殺し、醜態を晒す騎士をただじっと見下ろすだけだ。実力差をまざまざと見せつけるような姿に強い苛立ちが湧き、ルカはリロードを返事代わりにした。
「絆霊者の代償は、相当なものだと聞き及んでいるが」
「うるさい」
拗ねた子供みたいな声が出た。カルロは尚も無言でルカを見ていたが、短く息を吐くとその姿を消す。ルカは危うく舌打ちしそうになった。悔しいが、代償でまともに動けないのは事実だ。騎士達の邪魔になるくらいなら、メイの傍で大人しくしている方がマシだろう。
だが、退くことはできない。ここで休んでしまえば、それこそ護衛騎士に相応しくない軟弱さを晒すことになる。ルカは呼吸を整えて突撃銃を構え直した。
「ルカさん落ち着いて。貴方なら大丈夫です」
騒がしい戦場の中だというのに、メイの美しく澄んだ声はよく聞こえた。気力が湧くのを感じながらルカは頷き、〈猿〉の喉笛に銃剣を突き刺したまま引き金を引く。銃剣を素早く引き抜いて銃口を上に向けると、急降下してきた〈鳥〉が串刺しになって醜い声を吐き出した。
頭から魔獣の血を被るのは最悪の一言に尽きるが、この場に身綺麗な騎士など一人もいない。深紅色の騎士服を更に赤く染め、騎士達は魔獣を屠り続ける。二体の魔鎧型が左右から〈蜥蜴〉の横腹に大剣を突き刺すと、苦悶の咆哮を上げる口腔に鋼鉄の魔女の魔法――無数の赤黒い杭が殺到して爆発した。
ふらついた巨躯はしかし、地面に倒れることなく踏み止まる。口から火の粉と黒煙をこぼし、赤い瞳を憎悪に濁らせる〈蜥蜴〉の姿は悪竜めいており、その足元では〈人形〉が顫動している。気持ち悪い光景にルカが眉をひそめると、〈蜥蜴〉に変化が起きた。
ぼごりと音を立てて体の内側が持ち上がり、鱗を引き裂いて生まれた頭部が咆える。身を捩りながら伸びた新たな〈蜥蜴〉も同じようにぼごぼごと膨れ上がり――影が、蠢いた。
生まれたばかりの〈蜥蜴〉の頭が千切れる。醜悪な悲鳴は〈蜥蜴〉本体のもので、その片目を貫いてぶら下がる人物は、振り回されながらも器用に〈蜥蜴〉の頭に移動した。
「すぐに楽にしてあげる」
熱を帯びた声と〈蜥蜴〉に絡みつくしなやかな足。愛しげに頭を撫でる姿は恋人と戯れているように見えるが女の――セシルの両手は血肉に汚れている。おびただしい魔力をまとった右手が勢いよく振り下ろされると、堅い鱗と骨に守られた頭部に穴が空いた。
悲鳴を吐き出しながら巨躯がのたうち回る。その四肢に〈人形〉が潰され、逃げ惑う魔獣を長い尻尾が叩き潰した。巻き込まれないようにルカ達は距離を取り、跳ね飛ばされた魔獣の死骸を壱號と弐號が大盾で弾く。〈鹿〉の頭部を手で払いのけると、鋼鉄の魔女は閉じた瞳をセシルにじっと向けた。魔女に見つめられたセシルは怯えるでもなく、思い出したように〈蜥蜴〉に刺したままの右腕を捻った。
巨躯を痙攣させながら〈蜥蜴〉が倒れ伏す。その直前に〈蜥蜴〉の頭部から飛び降りたセシルは赤い両目を爛々と輝かせ、血肉に汚れた右手に舌を這わせている。毛繕いする猫を彷彿とさせる仕草だが、とても正気とは思えない。ルカは嫌悪感に眉をひそめ、そんなルカをセシルはうっとりとした様子で見つめて手を振ってきた。
「ご協力感謝する、カルロ殿とセシル殿。これは補佐官殿の指示か?」
ルカをセシルの視線から遮るようにして立ち、鋼鉄の魔女が問う。騎士達の奮闘によって魔獣の数は減り、のたうち回った〈蜥蜴〉に殺された魔獣も多い。逃げ出した魔獣が何体かいるが、無理に追う必要はない。束の間の休息が得られた今、訊きたいことがあるなら訊くべきだ。負傷者の元に駆け寄っていくメイもフロースのことが気になるのだろう。金瞳がカルロとセシルを交互に見た。
「ふふっ、違うわ。フロース様、私とカルロには待機命令を出していたから。きっと貴女達の実力を信じてくださったのでしょうね」
「嬉しい限りだな。では、君達は何故ここに? どんな命令にも忠実に従うのが君達だと聞いているが」
いつまでも鋼鉄の魔女の背中に隠れているわけにはいかない。兇血獣は苦手だが、魔獣討伐に協力してもらったのは事実だ。礼の一つでも言うべきだろう。ルカは鋼鉄の魔女の隣に立ち、先程と変わらずうっとりとした様子のセシルを見た。
「受けた恩は返さないと。相手が命の恩人なら尚更でしょう?」
蠱惑的に微笑み、かと思うとセシルは軽やかな足取りでルカの方へ近づいてくる。抜剣しそうになるのはどうにか堪えたが、ルカは半ば無意識に一歩下がった。
「あのときはごめんなさい、絆霊者」
謝罪し、深く頭を下げるセシル。この兇血獣に殺されかけたときのことを思い出すと本当に許していいのかともう一人の自分に問いかけられているように感じるが、許すと決めたのだ。ルカは頷き、セシルに顔を上げるよう促した。
「もう気にしてませんから。けど約束してください。もう二度と、メイさんを悲しませるようなことはしないって」
赤い双眸がメイを見る。騎士達を治療するメイを見つめる瞳は観察しているようでもあり、慈しんでいるようでもあった。
「……そうね。わかったわ、絆霊者。貴方に誓うわ。小指は必要かしら?」
本気で言っているに違いない。ルカは「いりません」と即答した。それから言うべきことを言っていないことに気づき、セシルをじっと見る。彼女は幼子のように小首を傾げた。
「さっきは、その……。ありがとう、ございました」
セシルが何を思ってルカに手を伸ばしてきたのかはわからないが、その手はカルロに掴まれる。不服そうなセシルの襟首を掴んで後ろに下がらせると、彼はじっとルカを見下ろした。
「すまなかった」
この男に謝られるとは微塵も思っていなかった。そもそも何に対しての謝罪なのかわからない。あまりにも予想外のことにルカはぽかんと呆けることしかできなかった。そんなルカを心配そうに見つめつつ、メイが疑問を口にする。
「フロースは?」
「フロース様は別ルートで移動中よ。この場所はあの方にも馴染み深い場所だから、」
セシルの声を遮るように咆哮が響き渡る。ルカは咄嗟にメイを背後に庇って周囲を見渡した。姿はまだ見えない。だが魔獣達が赤い霧の向こうにいるのは確かだ。
「……空気の読めない子達ね」
不機嫌にセシルが呟くと、赤い霧から魔獣達が現れた。〈蜥蜴〉のような変異個体はいないが、フォビド中の魔獣がこの場に集ったと感じさせるほどの大群だ。無数の殺意の塊に押さえ込んだはずの恐怖心が身じろぎし、ルカの全身を支配しようとする。ルカがそうならなかったのは側に立つメイの存在、そして不意に聞こえた風切り音のおかげだ。鋼鉄の魔女が放った魔法かとルカは思ったが、どうやら違うらしい。彼女も魔獣を相手取りながら音の正体を探るように首を巡らせていた。
「ルカさん、あれ……」
金瞳を宙に向けながら呟くメイ。ルカも彼女の視線の先を追い、風切り音の正体を見た。
鈍色に染めた流線型の機体に回転翼を戴き、横腹には羽根と刃のエンブレム。後部座席のドアは開いており、そこから身を乗り出す人物にルカは目を見開いた。
「エヴァン!? それにメリナまで……! なんでここに……」
ルカの声が上空にいる彼等に聞こえたかはわからない。だが、親友が頼もしい笑みを浮かべたという確信がルカにはあった。
『こちらリュリアガ支部のフォスターとアプフェル! これより貴隊に加勢する!』
少しハウリングした声が魔力の弾丸と共に降りてくる。的確に魔獣を撃ち抜くそれはエヴァンのものであり、内側から魔獣の体を食い破るのはメリナの魔法。頼もしい助っ人の登場にルカの心は沸き立ち、だが困惑は残ったままだ。
「少年。君の友人達は、刃風会の遊覧飛行ツアー中にたまたま我々を見つけたそうだ」
インカムに手を当て、そう説明する鋼鉄の魔女は苦笑している。そのツアーをルカは知っているが、こんな飛行ルートがあるとは思えない。ユーフォリアでさえ危険なのだ。フォビドに近づくなんて無茶振り、誰かが刃風会に無理強いでもしない限りは……。
ふと、弩級型の甲板でスマホをいじっていたエフィをルカは思い出した。彼はあのとき、刃風会にエヴァンとメリナをツアーに招待するように指示を出していたのかもしれない。粋な計らいとは少々言いにくいが、この魔獣の数だ。エヴァンとメリナが加勢してくれるのはありがたい。二人は優秀な騎士と魔法使いなのだ。弾む気持ちを少しだけ抑え、ルカは剣の柄を握り直した。
「今日は驚きの連続ですね」
呆気に取られた様子のメイだがその顔には笑みが浮かんでおり、声も明るい。ルカは飛び掛かってきた〈兎〉を斬り伏せながら「ほんと、驚かされっぱなしですよ」と返した。
『おっと』
エヴァンの声にルカは上空を見上げる。高所から一方的に攻撃されることを嫌ったのか、〈鳥〉の集団がヘリコプターに襲いかかっていた。咄嗟に剣に霊光を込めるルカだったが、そこで彼は弾き飛ばされる〈鳥〉を見る。霊光の加護だ。リュールが……いや、これは――
「「ルカー!」」
元気いっぱいな姉弟の声がルカの名を呼ぶ。淡い輝きがヘリコプターの尾翼の辺りに発生し、クレアとクレル、そしてホテルの窓の外からルカを見ていた精霊達が姿を現した。彼等は〈鳥〉に「あっちいけ!」と言いつつルカに手を振ってくる。大口を開けて吠える〈熊〉目掛けて剣に込めたままの霊光を放ち、ルカはクレアとクレルの名を呼んだ。
「ハンバーガーのお詫びをしなきゃって、クレルと考えてたの! そしたら」
「エヴァン達がお出かけするって言うから手伝うことにしたんだ! こっちの二人は――」
「楽しそうだから一緒に来ちゃった! けどここ、なんか変な感じする~! 早く帰りなさいって怒られてるみたい! 帰んないけど!」
溌剌とした風の精霊の言葉に、その腕に抱えられた地の精霊がうんうん頷く。ルカは後部座席にいるエヴァンとメリナを見た。
『どうしてもって聞かないんだ。チビ達を泣かせたくねぇし、ツアー中は何が起こるかわかんねぇからな。来てもらうことにしたってわけだ』
『この子達のおかげで助かっているよ。帰りの燃料も心配しなくていいし』
褒められたことがよほど嬉しいのだろう。クレアとクレルはふにゃふにゃと笑い、感情に呼応して輝く光輪と光翼から霊光粒子が大量に降り注ぐ。驟雨を彷彿とさせるそれはリュールに比べると弱いが、霊光は霊光。魔獣達は痛みに嘆き、あるいは苛立ち、〈人形〉が喘鳴を枯らす。風の精霊の腰羽と地の精霊の尻尾からも霊光が降っており、赤い霧を晴らして血と魔力で汚れた土を浄化した。
「あ、そうだ。これ、ルカにプレゼント!」
クレアが言うと剣が――光の霊光で構成された二振りの剣がルカの傍に突き刺さる。弩級型でリュールにもらったものよりは小さいが、ありがたい贈り物だ。それぞれの柄を掴むと剣は淡く輝き、霊光となってルカの体を巡る。ほんの少しだけ、疲れが取れた気がした。
「ありがとう!」
言いながらルカは突撃銃を撃つ。特務部隊、そして頼もしい増援によって魔獣の数は確実に減っているが、魔獣は際限なく湧いて出る。油断せず焦らなければ殲滅は可能だとルカは信じており、しかしいつまでも魔獣の相手をするわけにもいかない。ルカとメイの最終目的地はフォビドの山頂だ。
「メイ、そして少年よ」
逸る気持ちを抑えてルカがリロードしていると、壱號と弐號を連れた鋼鉄の魔女が傍に来た。少し離れたところで彼女の剣が宙を舞いながら魔獣を切り刻んでおり、それとは別にいくつものドローンが魔獣を攪乱している。本当に器用だなと感心しつつ、ルカはメイと共に鋼鉄の魔女の言葉を待った。
「頂上までの最短ルートは覚えているな?」
メイが金瞳を向けた先には腐食した木の板――山頂までの距離と、初心者向けと書かれた看板がある。魔獣達が邪魔で近づけないが、事前の作戦会議で通ることを決めた道だ。
「うん。あの道を真っ直ぐ行って、右に曲がるんだよね?」
メイの言葉に鋼鉄の魔女が頷くと、壱號と弐號が寸分違わぬ動作で大剣を構えた。魔力が宿ると同時に赤黒く染まった刃が振り下ろされ、道を塞ぐ魔獣達が肉塊と化す。顫動する肉塊は今も降り注ぐ霊光によって浄化され、醜悪な悲鳴が新たに響き渡ることはなかった。
「ここは我々に任せて、君達は先に行きたまえ」
右手を掲げながら鋼鉄の魔女が言うと、その手に騎士剣が舞い戻った。調子を確かめるように軽く振り、その度に放たれる魔力の刃が魔獣を切り刻む。インカムを繋いだままだったのだろう。上空から『それ、俺が言おうと思ってたのに』とエヴァンの声が降ってきた。
「ははっ、それはすまなかった。だが指揮権は私にあるのだ。わかってくれたまえ」
『了解です、鋼鉄の魔女。ところで、山頂までのお供は必要でしょうか?』
「道中に魔獣がいないのは確認済みなのだよ」
どうやって、というルカの疑問はすぐに解消される。微かな駆動音を響かせながら、あちこちからドローン型の偵察魔具が飛んできたからだ。彼等はいずれも飛んでいるのが不思議なくらい損傷していた。戦いに巻き込まれて壊れたのかとルカは考えたが、ドローン部隊に偵察型はいなかったはず。ルカの視線を受けると、鋼鉄の魔女はにこりと笑った。
「フォビド中に散らばっていたが、なんとか回収できたのだよ」
数日前、鋼鉄の魔女がフォビドに向かわせた魔具達だ。映像を見る限りすべて飛行不能なほど壊れていたはずだが、そのすべてに鋼鉄の魔女は魔力を繋いだのだろう。魔具の様子と鋼鉄の魔女の口ぶりで察したのか、『え、すご……』とメリナが呟いた。彼女の声は微かに震えていた。それが感情によるものなのかハウリングによるものなのかは定かではないが、ルカは畏敬の念を込めて鋼鉄の魔女を見る。メイも同じような顔をしていた。
「帰るときはみんな一緒だ。君達が戻ってくるまで我々はここで待つ。だから安心して行ってきたまえ」
一掃したはずの魔獣は鋼鉄の魔女が話している間に増えていた。しかし彼等の悪意がメイとルカに向くより早く二つの黒い影が蠢き、深紅色の騎士達が魔鎧と共に勇猛果敢に突撃する。上空からの援護は増し、温かな霊光が道を照らすように降り注いだ。
メイとルカなら、必ずやり遂げてくれる。そう信頼してくれているからこそ、鋼鉄の魔女を初めとした面々はこの場を引き受けてくれたのだろう。彼女達の期待には必ず応えなければならない。ルカ、そしてメイは強く頷いた。
「「いってきます!」」
メイとルカの声は揃い、どちらからともなく手が繋がれる。互いの手を強く握り締めながら、導師と護衛騎士は山道を駆け抜けた。




