第二章 護衛騎士 6
ルカがゲラタムに異動して三日が経つ。その間ルカはレナードと共に街の見回りに出たり、魔獣の討伐に参加したりとリュリアガにいた頃と変わらず過ごしていた。メイはメイで各地の守護精霊と連絡を取ったりフォビドに向かうための準備をしたりと忙しく、会うのは食事時だけ。その食事の時間も今は随分賑やかなものになっており、今朝もメイは女性騎士達に囲まれていた。流行りの服や化粧品の話、果ては恋バナまで。年相応の話題で盛り上がるメイを、ルカは離れた席から微笑ましい気持ちで見守っていた。
盈月狼教団の信徒である騎士や用務員のおじいさんにもメイは親身に接しており、支部の敷地内に入り込んだ精霊達の遊び相手までしている。エフィが止めに入らなかったら、延々とパルクールめいた追いかけっこをしていたかもしれない。
そんな賑やかな日常の中でも、界蝕光の輝きは増している。魔具が不調を来したり壊れたりする頻度が増えているが、幸いにも人間に健康被害は出ていない。サングラスをかけて外出する者が増えたくらいだ。
今日ルカに与えられた仕事は地下倉庫の片付けだった。何年も放置されていると鋼鉄の魔女に聞かされていたが想像以上にひどく、目当てのコンテナボックスを探すのに苦労した。中身が何か鋼鉄の魔女は教えてくれなかったが、大方備品を詰め込んでいるのだろう。
一日の業務を終えたルカは大浴場に来ていた。普段は貴賓室の浴室を利用しているのだが、広い風呂に入ったらどうかと鋼鉄の魔女が提案してくれたのだ。部外者だからと遠慮していたルカを気遣ってか、大浴場にはルカしかいない。普段この場所を利用している騎士達は、今頃近くの銭湯に行っているのだろう。申し訳ないと思う反面、正直ありがたかった。まだルカはこの支部に馴染めていないし、彼等も気まずいに違いない。湯船に肩まで浸かりながらルカは鋼鉄の魔女に感謝した。それから露天風呂もあると彼女が言っていたことを思い出す。せっかくだから、そっちにも入ろう。ルカは体を起こし
「はぁ……。いいお湯だった……」
満足げな声と共に露天風呂に繋がる引き戸が開く。姿を見せたのは――
「あれ、ルカじゃん。ちょうどよかった。お前に話があるんだ」
髪を頭の上でまとめたエフィだ。首にかけたタオルが胸を隠し、引き戸を通るために畳まれた腰羽が上手い具合に下半身を隠している。そこまで見てしまってからルカは慌てて目を閉じて顔を逸らした。
「……何やってんの、お前」
不思議そうに言いながらエフィが近づいてくる。霊光の動きでそう判断したルカはこの窮地をどう切り抜けるかを必死に考えたが、無慈悲にもエフィは湯船に浸かってきた。しかもルカの隣に。濡れた腰羽がルカの腕や顔に触れ、かと思えば「へー、結構いい体してんじゃん。日々の鍛錬の賜物ってやつ?」とか言いながら小さな手が無遠慮に体を触ってくる。ルカは必死に心を落ち着かせた。
「……エフィさん。今すぐ出て行ってください」
「あ? なんで?」
不機嫌な声に気圧されそうになったが、ルカは「ここ、男湯ですよ」と伝える。なんとなく、エフィが片眉を上げたようにルカは感じた。
「……お前さ、ぼくを女の子だと思ってる……?」
「は?」
精霊相手に失礼な声を出すルカに、エフィは愉快そうに笑った。
「あはっ! 何か期待してるなら悪いけど、ぼくは男だよ」
「期待なんて少しも――えッ、……? 貴女が男なんて、嘘ですよね……?」
「確かめてもいいよ?」
「ッ!?」
「馬鹿な顔してないで早く目ェ開けろよ。それとも、ぼくの指で開いてほしい?」
間違いなくそれ以上のことをしてくる声だ。混乱しながらも覚悟を決め、ルカは恐る恐る目を開けた。まず見えたのはエフィの顔だ。ルカと目が合うと彼女は邪悪に笑い、少しずつ湯船から立ち上がる。細い肩に平らな胸、くびれた腰に――!?
「……………………」
放心するルカにひひっと笑い、エフィは湯船に浸かり直す。ルカは見たものを頭から必死に追い出した。
エフィは、男。騙されて――いや、エフィは自分が女だとは一度も言っていない。ルカが勝手にそう思っていただけだ。
「……えっと……どうして女の子の格好を……?」
「可愛いぼくが可愛い服を着たらもーっと可愛くなるからだよ?」
可愛らしく小首を傾げるエフィ。ルカは曖昧に頷いた。
「話ってなんですか?」
気を取り直して話しかける。湯船で膝を抱え、エフィは「正式な契約」と口にした。
「こないだフロースに言われたんだってね。フォビドに来るならそうしろって」
「はい。けど、僕とメイさんはちゃんと契約していますよね?」
ルカが疑問を口にすると、エフィはジト目を向けてきた。察しの悪さに呆れているようにも見え、ルカは「違うんですか?」と重ねて問う。エフィはやれやれと溜め息を吐いた。
「メイとルカの契約はちゃんと結ばれているよ。ルカが依存する形でね」
「依存……?」
怪訝に呟くルカに、エフィは片眉を上げた。
「……おかしいって思わなかったの? レギルナスで霊光を使ったのに、いつもみたいな疲れを感じなかったんでしょ? 昨日も元気に魔獣討伐から帰ってきたし」
それに関して、契約の恩恵なのかとルカはレナードに訊かれていた。ルカもそうだと思っていたが、エフィの言葉から察するに――
「絆霊者の代償を、全部メイさんが負担してるってことですか……!?」
「契約した瞬間からね。レギルナスはちょっと遠いから、正確に観測できてないけど……。あれだけの霊光使ったら、リュリアガのときみたいになってるはずだよ」
意識が途切れそうになるほどの激痛に、高熱と倦怠感。暴走するリュールを止めようとしていたとき、ルカの体はそういった苦痛を耐えず感じていた。ゲラタムを訪れた日、そして昨日もルカは魔獣相手に霊光を使っている。その代償すべてを、メイが受け止めていた……?
「……っ」
思えばルカがレギルナスに行くと言ったとき、鋼鉄の魔女は躊躇っていた。あれはメイからルカを離すことを躊躇ったのではない。ルカが霊光を使えば、その代償すべてがメイに行くと鋼鉄の魔女は知っていたのだろう。
「じゃあ、エフィさんがメイさんにくっついていたのって……」
胸を深く抉られるような痛みを感じながらルカは問う。エフィは軽い調子で答えた。
「ぼくの霊光をメイにあげてたの。少しはマシになると思ってね」
楽観的な考えをしていた己にルカは猛烈な怒りを感じた。護衛騎士を続けられることに浮かれて、代償がないことを契約の恩恵だと勝手に決めつけて、その結果メイを苦しめている。教えてくれなかったから、なんて言い訳は通用しない。疑問に感じた時点でメイに訊けば済む話なのだ。それを怠ったのだからメイが苦しみ続けることになった責任はルカにある。護衛騎士以前に騎士としてあるまじき怠慢だ。
騎士達に囲まれて食事をしているときも、精霊達と遊んでいるときも、応接室でフロースと話していたときも苦痛は絶えずメイを苛んでいたはずだ。それでも彼女は笑顔を絶やさず、弱音を吐くことなく気丈に振る舞っていた。本当は、倒れそうなくらい辛いはずなのに。
これ以上ルカを巻き込みたくないとメイは言っていた。メイに依存する状態の契約のことを黙っていたのもそれが理由だろう。短期契約というのもその一つに違いない。数日間の契約関係だから、ルカを心配させるようなことは伝えたくなかった。その心遣いはメイが優しい少女であることの証左で、しかしルカには悲しく、そして寂しく感じられた。
ルカはメイの負担ではなく、彼女を助ける力になりたいのだ。遠慮することなく頼って欲しいし、弱いところを見せてもいいのだと信頼されたい。出会って数日しか経っていないから難しいかもしれないが、ルカはメイの護衛騎士なのだ。メイのためにすべてを捧げる覚悟はとっくにできている。
これ以上メイに苦痛を押しつけることはできない。ルカはエフィを真っ直ぐ見つめた。
「エフィさん、教えてください。どうしたらメイさんと正式な契約を結べるんですか?」
「メイのために、なんでもする覚悟はある?」
「あります」
「即答かよ」
くすくす笑うと、エフィはそっとルカの耳元に顔を寄せ――
「――ッ!?」
「あれ、聞こえなかった? だからメイとセッ」
ルカは素早く耳を塞いだ。それがよほど面白いのか、エフィは肩を揺らして笑う。
「照れてる? でもこれ、メイと正式な契約を結ぶための立派な方法だよ? メイのためになんでもする覚悟があるんじゃなかったの? 嘘つくと幽界でバンシーに噛まれちゃうぜ?」
幽界の守護精霊の名を口にし、「がおー!」とおどけるエフィ。可愛らしい仕草だが、ルカはそれどころではない。エフィが口にした正式な契約を結ぶ方法が、追い払おうとしても頭に居着いてしまった。
「えッ、……いや、あの……っ。他の方法は……」
「えー? そんなのないよぉ?」
無邪気に否定するエフィ。ルカは頭を抱え――ふと、フロースの姿が思い浮かんだ。
正式な契約のことを最初に言ったのはフロースだ。メイを守るためなら霊光の侵蝕をも受け入れる彼女が、だ。いくらメイのためであっても、衛士採用試験に落ちるような新人騎士と肉体関係を持つようなことは言わないはず。仮にルカが試験に合格した優秀な騎士だったとしてもフロースは黙っているだろう。エフィはないと言ったが、メイと正式な契約を結ぶ方法は他にもあるはずだ。
エフィの目をじっと見つめる。彼は「バレちゃった?」と悪びれもせずに舌を出した。
「エフィさん……!」
「そんなに怒んないでよ。お前だって男なんだし、エロい話は大好きでしょ?」
今はそういう話をしているのではない。ルカが睨むと、エフィはくすくす笑った。
「きみの血をメイに飲ませて。それでちゃんとした契約になるから」
「……嘘じゃないですよね?」
「あはっ! そんなに心配なら、両方ぼくで試してもいいよ……?」
からかう声だが、目は本気だ。丁重にお断りして、ルカは急いで大浴場を後にした。




