66句 青嵐
怒号は、漣へと向けられていた。
声の主は肩で息をしながら、鬼のような形相で彼を睨みつけている。
「お久しぶりですね、細波家の御当主さん」
「父親に向かってなんだその態度は!!」
軽く返す漣の態度が気に入らないのだろう。
漣の父と思わしきその人物は、言葉を続ける。
「お前は昔から出来損ないで、細波の恥晒しだったというのに……。まだ恥を重ねるのか!? もう23だというのにフラフラしおって!!」
「じゃあそんな恥晒しがいなくなってよかったな! じゃ、そういうことで。行こうぜ夕梨」
隣で様子を伺っていた彼女を連れ、漣は父親に背を向ける。
見たこともない娘を連れるその姿に、再び父の怒号が飛んだ。
「お前、その娘はなんだ!!」
「うるせえなー。俺の恋人だよ」
「恋人!? どこの令嬢だ!!」
その言葉に、漣は足を止め身体を父へと向ける。
「それ聞いて、なんか意味あんのか?」
「当たり前だろ!! お前は細波の長男なんだぞ!! 跡取りとしての自覚はないのか!!」
「俺、もう細波じゃねえし」
「はあ!? お前は本当に屁理屈ばかり捏ねおって!!」
親子のやり取りを、夕梨はただ黙って聞いていた。
口を出すことも、漣を庇うことも、今は逆効果だとわかっていた。
「あら漣、久しぶり。素敵な御令嬢をお連れなのね」
夕梨は、冴え渡るような声の主へと視線を向ける。
そこには、燃えるような朱色の髪をたなびかせた女性が立っていた。
「んだよ、やっぱり姉貴も来てたのか……」
この人が、漣さんのお姉さん。
すごく、すごく綺麗な人……。
夕梨は思わず、まじまじと彼女を見つめてしまった。
「ごきげんよう。私は細波 冴、あなたは?」
「お、お初にお目にかかります。浦風 夕梨と申します」
「そう、夕梨さん。仲良くしてちょうだいね」
冴は優しく微笑む。
それにつられて、夕梨も微笑んだ。
なんだ。怖い人かと思ったけど、優しい人だった……。
夕梨が心を許し始めると、冴の朱色の髪が不自然にたなびき始める。
「夕梨!! 姉貴の言葉を信じるな!!」
その様子を見て、漣が2人の間に割入った。
「何? 邪魔をしないでよ」
「姉貴が力を使おうとするからだろ!?」
「持っているものを使って何が悪いの」
さも当然のように話す姉を、漣は睨みつけた。
そんな弟の態度に、冴の顔からは笑顔が消える。
「姉に向かってそんな態度を取るなんて、随分と偉くなったのね」
「あんたはもう姉じゃねえよ。俺は細波には戻らない」
「そう。いつまでそんなことが言えるのかしら。
朱雀の神子の力、知っているわよねえ?」
冴の言葉に、漣の顔があからさまに歪む。
姉貴に力を使われたらやべえ、操られちまう。
だからって殴るわけにもいかねえだろ!?
夕梨まで問題になっちまうよ!!
何か、何かあんだろ……、こういうとき旭なら……。
「……お話のところ失礼します、細波伯爵。
帝国陸軍特務部隊所属、少将の寒凪 千歳と申します」
漣のピンチに現れたのは、後輩である千歳だった。
「いやー、こんなところで吉原一の芸花魁に会えるなんて!」
「あら、私こそ光栄ですわ」
ふふっ、と扇子で口元を隠しながら微笑む和。
そんな彼女を、朔夜は少し離れた位置で眺めていた。
ったく、挨拶に来る目的は和かよ!
次から次へと寄ってくる和ファンに押し流され、彼のパートナーとしての立ち位置はない。
つまり、蚊帳の外である。
つーか和も嫌がれよ!!
なんで楽しそうにしてんだ!!
「チッ……、腹立つなぁ……」
腕を組みながら壁にもたれかかっていると、足音が近づいてくる。
その音は、朔夜の目の前で止まった。
「ごきげんよう。おひとりですの?」
声をかけられ顔を上げると、真っ赤なドレスを身に纏い、微笑みを浮かべる令嬢が立っていた。
「私は――」
「連れいっから」
相手に挨拶する隙も与えない。
彼の対応は、晩餐会での立ち振る舞いとして最悪のものだった。
「なんて無礼なの!? お父様に言いつけてやるわ! 名前と所属を言いなさい!」
「んなこと言われて、教えるわけねぇだろ。バカなのか?」
余計なことは言うな、喧嘩は売るなと和に言っておいて、当の本人がこれだ。
軽くあしらわれ続けた令嬢は、怒りでドレスと同じ顔色になっている。
「バ、バカですって!? 私を誰だと思っているの!?」
「うるせぇな、知るかよ」
「私は子爵家の――」
「あら、杣少将閣下。そちらの御令嬢はお知り合いかしら?」
朔夜に声をかけながら、ゆったりと近づいてくる和。
その姿を見た令嬢の顔からは、どんどん血の気が引いていく。
「あ、あなたのお連れって……」
「あ? こいつだけど」
「こ、こいつ!? 相楽侯爵令嬢に対してこいつだなんて……」
「いや、幼なじみだし」
面倒臭そうに答える朔夜の姿に、子爵令嬢の口は開きっぱなしになっていた。
「朔夜くんたらひどいわ。私を放置して、他の御令嬢と話しているだなんて」
子爵令嬢から解放された2人は、バルコニーに移動していた。
少し肌寒いためか、他には誰もいない。
だからこそ、和もいつもの調子で朔夜に迫っていた。
「別に好きで話してねぇよ」
「でもあの子は、絶対朔夜くんに気があったじゃない!」
「あるわけねぇだろ……」
「絶対あった!!」
頬を膨らませ、むくれる和。
こんなやり取りは、今まで何度もしてきた。
その度に、いつも折れるのは朔夜の方だったが、今日は珍しく口を返した。
「……お前だって、俺を放置してたじゃねぇか」
「それは、ご挨拶をしていただけで……」
「へぇ、その割には随分楽しそうだったけどな」
「別に楽しくなんか――」
「いいじゃねぇか、名前が売れて。また忙しくなるな」
そこまで言うと、和に背を向ける。
なぜこんなに腹が立っているのか、朔夜にはわからなかった。
「朔夜くん怒ってる……?」
「怒ってねぇよ……」
「それなら、どうしてこっちを見てくれないの……?」
「このままでも話はできんだろ……」
2人の間に沈黙が流れる。
ふと、朔夜は背に重みを感じた。
和が彼の背に額を寄せたのだ。
「おい、お前何して――」
「私……、ずっと言いたかったことがあるの……」
「言いたかったこと?」
朔夜は考えを巡らせる。
さすがに幼なじみとはいえ、こいつ呼ばわりはまずかったか?
一応これでも侯爵令嬢だもんな。
社交界の付き合いがあったのかもしんねぇし……。
「私ね、朔夜くんのことがずっと前から好きだったのよ」
「……は?」
予想もしていなかった和の言葉に、朔夜の思考は停止した。




