45句 花篝
千歳は、ゆりを連れて玄関を目指していた。
「……おかしい」
連れてこられたとき、たしかここは通路だったはずだ。
ここを通って、あの煌びやかな部屋へ連れていかれた。
僕の勘違いだったか?
そんな通路は跡形もなく、漆喰が塗られた白壁があるのみだ。
「……逆側、だった?」
窓から外に出られないかとも考えたが、廊下の窓にも部屋と同じように鉄格子が嵌められている。
隙間から入ってきたのだろう。
電燈の周りをひらひらと蛾が舞っているのが、影の動きで見てとれた。
「あの、大丈夫ですか?」
「……すみません、不安にさせて」
「いえ、私は大丈夫です!
こっちが壁ってことは、玄関は向こう側ですね!」
「……そうですね。向こうに行きましょう」
来た道を戻り、反対側を目指す。
ゆりさんが明るい人でよかった。
……こういうとき、旭さんならどうするかな。
僕は細小波さんみたいに遠距離型でも、杣さんみたいに近距離型でもない。
偵察や潜入はできても、戦闘には不向きだ。
口を割らせるのは得意なのに……。
「……憩」
思わず、会いたい人の名がこぼれる。
「恋人さんですか?」
「……えっ」
「ほら、名前呼んでましたよね!」
「……いや、そういう関係では」
「そうなんですか?
でも、寒凪さんの大切な人なんですね」
大切な人……。
それは間違いない。
憩が僕をどう思っていても、僕にとって憩は春陽だ。
「……はい。恋人になれたら嬉しいです」
「いいですね、素敵です!」
本当に、恋人になれたら嬉しいな。
僕にそんな資格があるか、わからないけど。
……早く憩に会いたい。
パーン!!
どこからか聞こえた銃声で、現実へと引き戻される。
おそらく撃ったのは細小波さんだろう。
しっかりしないと。ゆりさんもいるんだ。
ふぅ、と小さく息を吐き、気を引き締める。
「な、なんか音がしましたよね?」
「……銃声ですね。僕の仲間だと思います」
「銃!? 何かあったってことですか!?」
「……すみません、今はなんとも言えません」
「そ、そうですよね……。
わからないですもんね……」
ただ、細小波さんが銃を撃ったということは、眷属か吸血鬼が現れたのは間違いない。
銃声は1発だけだった。
僕を運んできた眷属は2体。
つまり、現れたのは吸血鬼本体か……?
「……少し急いだ方がいいかもしれません」
「わ、わかりました!」
果てしなく続くようにも思える廊下の先を目指し、2人は再び歩き出した。
「お! やっぱり憩の言うことは本当だな!!」
漣はニカッと笑うと、構えていたハンドガンを腰へと戻し、自らがトドメを刺した眷属の亡骸を隅に寄せる。
白壁に見えていたものは、壁に擬態した眷属だった。
それがいなくなったことで、塞がれていた道が露わになる。
「そうか、奴らは人以外にも擬態できるのか。
憩、信じてあげられなくてごめんね」
「いえ、上手く説明できなくてすみません……」
「じゃあ、先に進もうぜ! 寒凪が待ってるぞ!」
「はい……!!」
兄なのに、信じてあげられなかった。
漣の方がよっぽど憩のことを信じている。
今まで、人に擬態している姿しか見てこなかった。
だから、まさか壁に擬態しているなんて、考えてもみなかった。
妹を信じられないどころか、制止するなんて……。
「お兄様、先に進みましょう……?」
「そうだね。千歳を探さないと」
今は自分の行動を悔いている場合ではない。
露わになった道を進むと、両側に扉が並んでいた。
長い廊下のその先は、どこまでも続いているように見える。
「すんげー長そうな廊下だなー」
「これ、1部屋ずつ見ていくんですか?」
「残念だけれど、それほど時間はない。
とりあえず、見えている範囲で構わないから、扉を叩いて様子を伺ってくれるかい?」
「わかりました」
「おう! 任せろ!」
「憩は少し休もう」
「私も、もっと頑張ります……」
「ダメだよ、ほら一旦座ろう。
水も飲んで、そのままだと倒れるよ」
平気だと笑う憩を無理矢理座らせる。
本当は歩くのもつらいはずなのに、無理に笑って心配をかけないようにしている。
相変わらず体温は高いし、汗の量もすごい。
「今も、頭は痛いのかい?」
「少し痛いのですが、平気です……」
「他に痛いところはあるかい?」
「いえ、大丈夫です……」
「そっか、無理はしないんだよ」
愛おしい妹の頭を撫でると、にっこりと微笑まれた。
無理はするな。
そんなことを口では言いつつ、誰よりも無理をさせているのは僕自身だ。
和がかわいく結った髪も、汗ですっかり崩れてしまっている。
「この範囲には誰もいないみたいです」
「俺の方も誰もいなかったぞー」
「わかった。2人とも、ありがとう」
先に進むため、旭は憩の手を取り、立ち上がるのを手伝う。
ふらついてはいるが、誰かに助けを求めることもなく、しっかりと自分の足で立っている。
「すみません、お待たせしました……」
「んなこと、気にすんな!」
「いこのペースでいいからな」
「よし。じゃあ、先に進もう」
4人は、さらに続く廊下の先を目指して歩き出した。
「なあ、部屋の数多くねー?」
「んなこと俺に言われたって知るかよ」
廊下に連なる部屋の扉を漣と朔夜は叩きつつ歩き、その少し後ろを旭と憩が並んで歩いていた。
「憩、大丈夫かい?」
「はい、私は大丈夫です……」
隣を歩く憩から前方へ視線を戻すと、うっすらと浮かび上がる人影が目に入った。
咄嗟に憩を背に隠すと、漣と朔夜が陣形を取る。
「お兄様……?」
「大丈夫だよ、ちょっとそこにいてね」
影の持ち主が敵か味方か、この距離では判断できない。
相手が敵だった場合、ここで戦闘になる。
何があっても、憩だけは護らなければ。
妹の体温を背に感じながら、旭はグッと目を凝らす。
ジャラッ……
「千歳さん……?」
「うん? 千歳?」
「音が、聞こえませんか?」
「音? そんなのどこから……」
ジャラッ……
「千歳さんだ!!」
「憩!! 待つんだ!!」
旭の背後から、勢いよく憩が飛び出す。
まずい!!
伸ばした手は空を掴むだけで、その背には届かない。
早く追いかけないと。
千歳である確証がないのに……!!
「いこ!!」
「おい! 憩!!」
2人の制止も虚しく、憩は人影に向かってグングン走っていく。
「憩!!」
必死に追いかけるが追いつけない。
それどころか、どんどん憩が小さくなっていく。
あんな状態なのに、とんでもない速さだ。
相手が千歳ならいいが、そうじゃなかったら……。
旭は不安で張り裂けそうな気持ちを抱えたまま、憩の背を追い続けた。
絶対、絶対千歳さんだ……!!
千歳さんが持っている、チェインの擦れる音が聞こえた。
少しずつ、影の持ち主と距離が縮まっていく。
やっぱり、やっぱりあの後ろ姿はそうだ……!!
「千歳さん!!」
「……憩!?」
ドンッ!!
突然現れた憩に驚く千歳の胸に、追突するかのようにそのまま飛び込んだ。
「千歳さん!! 無事でよかった……!!」
「……憩、心配かけてごめんね」
自分の首に回された腕に応えるかのように、千歳も憩の背中へ腕を回し、ギュッと抱きしめる。
「千歳さん、冷たくて気持ちいい……」
「……憩は熱いよ。こんなに無理したの?」
隊服越しなのに、ものすごい熱気を感じる。
お揃いだった髪型も、すっかり崩れてしまっていた。
「憩!!」
「……旭さん」
「千歳!!
よかった……、無事だったんだね」
「……はい。ご心配をおかけしました」
「危険な役目をお願いして、申し訳なかったよ」
「……いえ。ここに辿り着けましたし」
やっぱり、旭さんはすごい人だ。
作戦もだけど、この状態の憩を連れてくる覚悟がすごい。
本当ならこんな無理、させたくないはずなのに。
「それで、どうしてそういうことになっているんだい?」
しまった。憩を抱きしめたままだった。
嬉しくて、思わず抱きしめ返してしまったけど、お兄さんの前でするべきことではない。
「……すみません」
「いや、ちょっと羨ましかっただけさ。
憩、そのままだと千歳が動けないから離れようか」
旭が声をかけるが、憩からの返事はない。
「……憩、大丈夫?」
千歳も声をかけるが、またしても返事はない。
「あ、この子眠ってますよ!」
「……眠ってる」
「はい、すごく気持ちよさそうに眠っています!」
「……どうしましょう。熱も出てますよね」
かなり無理をしたんだろう。
できれば、このまま眠らせてあげたい。
「僕としては、千歳がよければこのまま眠らせてあげてほしいんだけれど、どうかな?」
「……僕も同じように思ってました」
「ありがとう、じゃあ頼むね」
「……はい」
抱きついたまま眠ってしまった憩を抱え上げる。
……軽い。
あんなに食べてるのに。
どれだけ身体に負荷をかけて、力を使ってるんだろう……。
「ところで、こちらの女性ってもしかして……」
「旭ー!! 急に走って先に行くなよ!!」
「いこ、大丈夫でしたか!?」
全ての部屋を確認し終えた漣と朔夜も合流する。
「ごめん、大丈夫だよ。
千歳を見つけて走っていってしまってね」
「……お疲れ様です」
「いこ、寝てんのか……?」
「……はい」
「チッ……、落とすなよ」
「お前に会いたくて、憩すんげー頑張ってたからな!!」
僕なんかのために……?
こんなに、無理しなくていいのに。
思わずグッと腕に力が入る。
「あ、あの……。漣さん?」
皆の会話が終わるのを待っていたゆりが、ひょこっと千歳の背後から顔を出す。
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆりちゃん!!
無事だったのか!? よかったー!!
助けに来るの遅くなってごめんな!!」
「ううん。ありがとう!
寒凪さんがね、教えてくれたの。
漣さんが私のこと心配してくれてるって。
それを聞いて、すごく嬉しかったの!」
「嬉しかった!? マジかよ!!
俺はその言葉が嬉しすぎて、どうにかなっちまいそうだぜ!!」
淡く頬を染めながら嬉しそうに話すゆりを見て、漣はガハハと豪快に笑ってみせた。
「うるせぇから、そのままどうにかなってくれよ……」
「まぁまぁ、これで全員揃ったね。
千歳は、主とは会えたのかい?」
「……いえ、会えたのはゆりさんだけです」
千歳も会えていないのか。
これだけ探しても見つからないということは、既に姿をくらましている可能性も高い……。
「そうか。僕たちも見つけられていないんだ。
この先へはもう行ったのかい?」
「……いえ、今向かってるところでした。
旭さんたちが来た方向って、壁でしたよね?」
「眷属が壁に擬態してたんだよ!!
それを憩が教えてくれたから、ここに来れたんだぜ!!」
「……だから銃声は1発だけだったのか」
「とりあえず、詳しい話は後にしよう。
朔夜、一緒に来てくれるかい?
千歳と漣は、憩とゆりと待機」
「もちろんです」
「……了解」
「おう! 任せろ!」
「うん。じゃあ朔夜、先に進もうか」
旭の言葉に、朔夜はこくりと頷いた。
廊下の終わりは、4人と別れてからすぐに訪れた。
漆喰で塗られた白壁には似つかわしくない重厚な扉。
そこには【書斎】と書かれたプレートがぶら下げられている。
「いかにも、って感じですね」
「じゃあ、開けるよ」
カチャ
ドアノブの音は、扉の見た目に反して軽い。
中へと入り、辺りを見渡すが誰もいない。
カフェーと同じような、鬱々とした空気だけがそこに漂う。
あるのは書類や本の山だけだ。
「チッ……、ハズレですかね」
「いや、確かにここにいたんだろう。これを見てごらん」
旭は、職務机に置いてあった紙を朔夜へと手渡す。
【白銀のみなさん、楽しいひとときをありがとう。
木の上から、柱の陰から、そして光の隙間から、
みなさんの活躍を覗き見させていただきました。
また、どこかでお会いできることを願って……】
「ふざけやがって!! クソが!!」
ガンッ!!
朔夜は職務机へ蹴りを入れる。
そんな湧き上がる怒りを表すかのように、机に置かれていた書類が舞い上がった。




