53句 恋い余る黄昏時
「千歳さん、大丈夫? 具合でも悪いの?」
固まってしまった千歳に、憩は再び声をかける。
心配そうに首を傾げるその仕草も、優しさも、全部僕だけのものになればいいのに……。
「……大丈夫。ごめんね、急に黙って」
「ううん、それは大丈夫だよ!
博物館行ったし、たくさんお話ししたから疲れたよね。お部屋に戻ろっか!」
パタンと図鑑を閉じ、憩がソファから立ち上がる。
どうしよう、このままだと部屋に戻ってしまう。
2人だけの時間が、また終わってしまう。
……嫌だ。もっと一緒にいたい。
「……嫌だ」
その言葉と同時に、千歳は憩の手首を掴んでいた。
細く白いその腕は、少し力を入れたら折れてしまいそうだ。
無意識で女の子に触るなんて、僕はなんて卑しい奴なんだ……。
「……ご、ごめん。勝手に触って」
手を離そうと力を緩めると、その手を憩に取られる。
小さな両手で、僕の右手をキュッと握りしめると、その子は再び隣に腰を下ろした。
「千歳さん、謝らなくていいんだよ。
言ったでしょ? お伺いしなくていいって」
「……それは、そうだけど。
触るのは違うよ、憩は女の子だし」
「ううん。千歳さんなら大丈夫だよ。
それよりも、辛そうな顔をしてるのが嫌だ……」
その言葉と同時に、ギュッと少し強めに手を握られた。
金色の綺麗な瞳が、僕を見ながら不安そうに揺れている。
……やめて。そんなに真っ直ぐ僕を見ないで。
そんなに真っ直ぐ、僕の心に入ってこないで。
憩はずるい。誰にでもそうやって優しいんだ。
今ここにいるのが僕じゃなくても、きっと同じように言うんでしょ?
……醜い、なんて僕は嫌な奴なんだ。
「……ごめん」
「どうしてずっと謝ってるの?」
「……ごめん」
「また謝ってるよ?」
カチャ
「あら! お邪魔だったかしら?」
「お前、だから扉叩けって言っただろうが!」
「そんなに怒らなくてもいいじゃない!」
扉が開くと、和さんと杣さんがこっちを見ていた。
仲がいいのか悪いのか、いつものように騒いでいる。
……杣さん、もう帰ってきたのか。
「お姉様! 朔夜! おかえりなさい!」
憩は握っていた千歳の手をそっと離すと、2人の元へと駆け寄る。
……やっぱり、僕なんかより杣さんなんだ。
「ただいま。博物館、楽しかったか?」
「うん! あのね! おっきな熊がいてね!」
「あら、それはすごいわねぇ」
憩は2人に、身振り手振り熊の説明をする。
そんな無邪気な姿が、余計千歳の心に深く刺さった。
「あと、すごくかわいい埴輪がいて、千歳さんに似てるって言ってもらえました!!」
「あらあら、それはよかったわねぇ」
「嬉しいのか……? それ……」
憩の話を嬉しそうに聞く和と、呆れる朔夜。
そんな様子を、千歳は少し離れた位置で羨ましそうに見ていた。
……憩、すごく楽しそうだ。
じっと3人を見ていると、杣さんと目が合った。
気まずくて、思わず目を逸らしてしまう。
「そういや、甘味買ってきたんだよ」
「甘味!? 豆大福? おはぎ?」
「どっちもあるわよ。あと、桜餅も」
「やったー! お茶淹れてきますね!」
「危ないから走らないのよ」
甘味で頭がいっぱいになっている憩とともに、和も居間を出ていった。
騒がしい2人が出ていったため、居間は静まり返っている。
少し重い空気が漂う中、朔夜が口を開いた。
「なぁ、寒凪」
「……え、僕ですか?」
「他に寒凪いねぇだろうが……」
……なんだろう。叱られるのかな。
埴輪に似てるって言ったから?
それとも、距離が近いから離れろ、か?
「……そうですね。なんでしょう」
「お前、いこのこと好きなのか?」
「……なんですか急に」
「いや、どうなのかなって思ってよ」
……なんだ。やっぱり牽制か。
俺のだから、憩に近づくなって?
そんなの、まだ杣さんに言われる筋合いはない。
千歳はグッと拳を握りしめる。
「……杣さんこそ、どうなんですか」
「俺? 俺は、その……」
「……好き、なんですよね」
「まぁ、好きだけど。お前とは違ぇからさ」
朔夜は首裏をかきながら答える。
そう、俺の好きは寒凪の好きとは違ぇ。
これをきちんと伝えておきたかったんだ。
俺は別に、お前を認めてないわけじゃねぇんだよ。
いこを大事にしてくれるなら、それでいいんだ。
「……僕とは違う」
――お前とは違う。
まるで鈍器で殴られたかのように、その言葉が千歳の頭にズキンと響く。
……それは、僕とは過ごしてきた時間が違うってこと?
お前なんかが入れるような隙間はないってこと?
お前なんかより俺の方が憩のことを知ってるってこと?
ギリッと、噛み締めた奥歯が音を立てる。
「そう、俺とお前は役目が違ぇから」
「……役目ってなんですか。
つまり、憩には自分の方が相応しいって言いたいんですか?」
「え? いや、なんでそうなんだよ!! 違ぇよ!!」
「……僕は杣さんが相手でも、負けませんから!」
「いや、俺の話を聞けよ!!」
バンッ!!
「お茶淹れてきたよー!!」
「いこ! もっと優しく扉開けろ、壊れんだろ!!」
「ごめんなさい……」
「あら、うちの扉はそんなに柔じゃないわよ?」
「そういう問題じゃねぇんだよ!!」
「千歳さん、甘味食べよう?」
憩は、立ち尽くしている千歳の手を取ると、ソファへと座らせる。
そして、当たり前のようにその隣に腰をかけた。
その流れで、朔夜と和もソファへと腰をかける。
「……杣さんの隣に座ったら?」
「どうして?」
「……いつも、杣さんの隣だから」
千歳は俯いたまま、言葉を絞り出す。
本当は、当たり前のように隣に座ってくれたのが嬉しかった。
杣さんじゃなくて、僕を選んでくれたのかなって嬉しかった。
憩の取る行動1つ1つに意味を求めてしまう……。
「私は、千歳さんの隣がいいの。ダメ?」
「……ダメじゃないよ、嬉しい」
「よかった! 千歳さんはどれ食べる?」
憩は目の前の甘味に目を輝かせている。
早く食べたいだろうに、それでも僕のを聞いてくれている。
自分より誰かを優先する姿を見るたびに、その相手は僕だけがいいと思ってしまう。
誰かを好きになるということが、こんなに苦しいことならば、本にもそう、きちんと書いておいてほしかった――。
「さぁ、着いたよ!」
車から降りた旭とぼたんは、厳かな屋敷の前に来ていた。
大きな純和風の門戸があり、重厚な雰囲気が漂っている。
「あの……、湯豆腐を食べに来たんですよね……?」
「うん。ここは老舗の豆腐屋でね、水や豆にこだわっているんだ。
湯豆腐以外にも、いろんな豆腐料理が楽しめるんだよ」
「な、なるほど……」
……失敗した。
旭さんが知っている湯豆腐のお店なんて、私が普段食べているような湯豆腐のわけがなかった。
土鍋に昆布と木綿豆腐、あれば長ネギやしいたけ。
それでも、豆腐以外が入れば豪華な方なのに……。
あまりの場違い感に、ぼたんは小さくなっていた。
「そんなにかしこまる必要はないよ。
それに今後は、会食にも一緒に来てもらうことになる。
少しずつでいいから、慣れていってくれると嬉しいな」
「は、はい。頑張ります……!」
緊張した面持ちで、真っ直ぐに旭を見つめるぼたん。
そんな姿に、旭は寂しさを感じていた。
頑張らなくていいのに。ぼたんはそのままで充分なんだ。
とはいえ、今日は湯豆腐を選んでくれた。
少しは近づけたと、そう思ってもいいのだろうか。
「じゃあ、入ろうか。お手をどうぞ、お嬢さん」
旭は柔らかく微笑むと、スッとぼたんに手を差し出す。
普段は面倒だと思うエスコートも、彼女が相手だと、させてほしいとさえ思う。
「えっと……」
「手を取ってはもらえないのかな?」
「し、失礼します……」
恥ずかしそうに、ぼたんはそっと手を添える。
遠慮がちに触れるその手は、少し震えていた。
「ありがとう、行こうか」
そんな緊張さえ包み込むように、旭はゆっくり手を握る。
失礼します、なんてエスコートをして初めて言われた。
やはりぼたんは、とてもいい子だな……。
彼女が自らの右腕であることを、誇らしく思った。
「見て! 大きい貝殻あった!」
「よかったなー! 持って帰るのか?」
「うん! あ、これは憩ちゃんにあげようかな!」
漣と夕梨の2人は、海で貝殻を拾っていた。
まもなく日も落ちる時間帯で、キラキラと夕陽が海に反射している。
「夕梨、これはどうだ?」
「わぁ、綺麗だね! ありがとう!」
嬉しそうに貝殻を集める夕梨を、漣は微笑ましい気持ちで見ていた。
子供みたいでかわいいなー。
海来てんのに、海より貝殻だもんなー。
「なあ夕梨。次はどこに行きたいとかあるか?」
「うーん……。山、かなぁ……」
「山!? 山で何すんだ!?」
「葉っぱとか、お花を拾いに行きたいなぁって」
拾う……? 収集癖でもあんのか?
嬉しそうに答える夕梨に対して、漣は理解ができなかった。
正直に、思っている疑問をぶつける。
「なあ、拾ってどうすんだ?
ただ集めてんのか? 葉っぱとか花とか」
「えっと、その、聞いても笑わない……?」
「当たり前だろ?
何かに一生懸命なのはいいことだぜ?」
たとえそれがどんな理由でも、きっと今まで彼女を支えてきたものなんだろう。
そんな漣の思いを知らぬ夕梨は、少し恥ずかしそうに口を開いた。
「あのね、絵を描いてるの……。
お金なかったから図鑑とか買えなくて、自分で描いて図鑑にすればいいんだと思って……」
そう言うと、夕梨は胸元から1冊の小さな手帳を取り出した。
「あの、これ……。見る……?」
「いいのか? 俺なんかが見ても」
「漣さんだから見せるんだよ?」
「そっか、ありがとな!!」
受け取った手帳を開くと、びっしりと綺麗な絵が描かれていた。
葉っぱや花だけではなく、石や虫なんかも描いてある。
絵、1つ1つに細かく説明も書いてあり、本当に図鑑のような仕上がりだった。
「おいおい……、なんだよこれ……」
「や、やっぱり変だよね!! ごめんね!!」
「違え、逆だよ!! 夕梨、お前すげえな!!
めっちゃ絵上手いんだな!! 本当に図鑑みてえだ!!」
「そ、そうかなぁ……」
「マジですげえよ!! 手帳、これで足りんのか!?
帰りに文具店にでも寄って、必要な物買って帰ろうぜ!!」
図鑑を贈ってもいいけど、夕梨はそうじゃねえ。
きっと、絵を描くのも好きなんだ。
だったら、道具を贈った方がきっと喜んでくれる。
「えと、気持ちは嬉しいんだけど、お金が……」
「そんなの気にすんな!! 金なら俺が出すから」
「でも、そこまでお世話になるわけには……」
「夕梨は俺に絵を見せてくれただろ?
そのお返しだから気にしなくていいんだぜ!」
「うーん……」
少し困ったように、夕梨は笑っている。
嬉しいけど、申し訳ないとでも思ってるんだろう。
金のことなんて気にしねえで、好きなだけ描いてくれた方が嬉しいんだけどなあ。
「あ! じゃあさ、描いた絵見せてくれよ!
俺が必要な物を贈るから、夕梨は絵を見せてくれ!
お前の絵、俺もっとたくさん見てみたいんだ」
「……うん、わかった。ありがとう、絵褒めてくれて」
「だって本当にすごかったからな!」
「へへっ、照れるなぁ……。
今日は埴輪を描こうと思ってて。だからポストカードも買ってきたの!」
そういうことだったのか……。
なんだ、それなら俺がもっと買ってやればよかったな。
いや、違えな。また行けばいいんだ。それだけの話だ。
「楽しみにしてるな、埴輪の絵」
「うん!」
暮れゆく夕陽と海が混ざり合うかのように、2人の心もゆっくりと通じ合っていくのだった。
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