52句 泡影の恋煩い
「ただいま戻りましたー!!」
「……戻りました」
昼食を終えた憩と千歳は屋敷に帰ってきていた。
漣と夕梨はデートを続けるようで、2人を降ろすと再び出ていった。
「お兄様、書斎にいるのかな?」
「……どうだろうね、見に行ってみようか」
帰宅の挨拶をしようと書斎を確認するが、旭の姿はない。
「いないね。お部屋にいるのかな?」
「憩様、千歳様、おかえりなさいませ。
旭様でしたら、ぼたん様とお出かけになりましたよ」
旭を探し、屋敷を歩き回る憩に矢桐が声をかけた。
「お兄様が、ぼたんさんとですか?」
「はい。お昼すぎにお出かけになりました」
「そうですか……。ありがとうございます」
お兄様も、お昼ご飯を食べに行ったのかな?
買ってきたお土産を渡したかったけど、仕方ないかぁ……。
残念そうに肩を落とす憩に、矢桐は微笑みかける。
「すぐにお戻りになられると思いますよ。
お2人は、ご一緒にお過ごしになりますか?
お飲み物はいかがいたしましょう」
「千歳さん、どうする?」
「……本読むか、何かする?
それとも、それぞれ部屋で過ごす?」
本当は一緒に過ごせたら嬉しい。
でも、憩は疲れてるかもしれない。
……なんて、ずるいよな。憩に選ばせてる。
「せっかく一緒にいるから、一緒がいいな!」
「でしたら、居間にお茶をお持ちしますね」
「ありがとうございます!」
「……ありがとうございます」
「いいえ、では失礼いたします」
ぺこり、と2人に頭を下げると矢桐は立ち去る。
それを見届けると、憩はくるっと振り返った。
「じゃあ、居間に行こっか!」
「……ごめんね、憩」
「うん? どうしたの?」
「……本当は、一緒に過ごしたかったんだ。
それなのに、部屋で過ごすって選択肢を出した」
情けなくて、憩の目を見れない。
……僕は本当にずるい。卑怯者だ。
憩はたくさん気持ちを伝えてくれてるのに、僕はずっと逃げてる。
「千歳さんは優しいから、私が疲れてるかもって思ってくれたんでしょ?
でも、今度は千歳さんの気持ちを教えてくれると嬉しいな!」
「……うん、ごめんね。
じゃあ、居間で一緒に過ごそうか」
「うん! 博物館の話と動物園の話する!」
「……そうだね。たくさん話をしよう」
千歳の言葉に、憩は顔を綻ばせる。
博物館で縮まった距離そのままに、2人は仲良く居間へと向かった。
「なぁ、まだかかんのか?」
「仕方ないじゃない! どっちにするか悩んでるの!」
「はぁ……。どっちでもいいよ……」
一方、朔夜と和は未だ甘味処にいた。
和がお土産を決めきれず、ずっと悩み続けているのだ。
「やっぱり、桜餅にしようかしら……」
「はぁ!? 豆大福かおはぎじゃなかったのかよ」
「だって、春限定って書いてあるのよ?」
「2つで悩んでる奴が3つに増やすなよ」
「もう! だって気になるんだもの」
ムキになりながら答える和に、朔夜は呆れたようにため息を吐く。
こいつはどんだけ優柔不断なんだよ……。
「じゃあ3つとも買えばいいだろ?
それならあいつらも好きなの選べるし」
「たしかにそうね! ありがとう朔夜くん」
そんな朔夜の反応に対し、和の顔はパッと明るくなる。
ったく、いこは即断即決だから本当真逆の姉妹だな。
旭は……、迅速果敢か?
ふっ、と朔夜は思わず笑みがこぼれる。
「何笑ってるのー?」
「面白ぇ兄妹だなって思ってよ」
「あら、嬉しいわぁ」
「いや、褒めてねぇからな。
ほら、買ったならさっさと帰るぞ」
和が抱えていた甘味の包みを、朔夜がスッと受け取る。
さりげない優しさが、和の心にじんわりと染み渡った。
「もう……、そういうこと平気でするんだから……」
「あぁ? なんだ?」
「なんでもないわよ。
また、こうやって朔夜くんとデートしたいわ」
「……考えといてやるよ」
「あら、嬉しい!」
隣を歩く朔夜の横顔を、和は静かに見つめる。
その顔は、憑き物が落ちたように穏やかだった。
……よかった、朔夜くんが吹っ切れたようで。
大量の甘味とともに、2人は屋敷へと戻るのだった。
「さて、服も買えたし食事にしようか。
ぼたん、何か食べたいものはあるかい?」
「えっと……」
旭が運転する車で、2人は帝都を巡っていた。
後部座席には、旭がぼたんへ贈った服が大量に積まれている。
「遠慮してしまうかい?」
「……すみません」
「謝る必要はないよ。
苦手な物や食べられない物はあるかい?」
「いえ、一般的な物でしたら特には……」
「わかった、ありがとう。
それなら、相楽行きつけのトンカツ屋なんてどうかな?」
きっと、下手に洋食店に連れていくよりも、和食に誘った方が馴染みがあるはずだ。
それに今日のお礼も兼ねて、少しいい物をご馳走したい。
旭にはそんな考えもあった。
「トンカツ……」
「ごめん、苦手だったかい?
それなら、美味しい湯豆腐のお店もあるよ」
「湯豆腐!?」
ぼたんの大声が車内に響き渡る。
トンカツのときと、明らかに食い付きが違う。
湯豆腐、好きなんだろうか。
それなら、こちらにした方がよさそうだ。
「うん。湯豆腐にしようか」
「あ、その……、すみません……」
申し訳なさそうに、ぼたんは俯いている。
己がとった行動に、己が1番驚いているのだろう。
しかし旭は、ぼたんが心を開いてくれたようで嬉しかった。
「湯豆腐、好きなのかい?」
「……はい。家でも、よく食べていたので。
それにトンカツは、贅沢だと思いますし……」
そんなことを気にしていたのか。
ビフテキと騒ぐ漣に、少し見習ってほしいくらいだ。
「そんなこと、気にしなくていいんだよ。
でも、今日のところは湯豆腐にしておこうか」
「はい、湯豆腐でお願いします!」
なんだか、声も表情もいつもより明るい。
心なしか嬉しそうなぼたんを横目に、旭は車を走らせるのだった。
「ねぇ、どこに行くのー?」
「デートって言ったら、海だろ!!」
「海! 貝殻落ちてるかなー」
漣は夕梨を隣に乗せ、車を走らせていた。
千歳と憩も誘おうかとも思ったのだが、漣もそこは男だ。
せっかく想いが通じ合ったのだから、2人で過ごす時間が欲しかった。
「貝殻拾ってどうすんだ?」
「飾るんだよ! 埴輪の隣がいいかなー」
「すげえ組み合わせだな……」
既にレイアウトを考え始めた夕梨に、漣は苦笑する。
デートして思ったけど、結構変わった子だよなー。
まあ、そんなところもかわいいんだけどな!
ちらっと隣を見ると、夕梨と目が合った。
「ねぇ、漣さんはどうして特務部隊に入ってるの?」
「なんだ? 急に」
「だって、すごく危険なお仕事じゃない?
相手にするの、人じゃなくて吸血鬼なんでしょう?」
旭から許可を得て、夕梨にも特務部隊の仕事内容と、憩の血のことは伝えてあった。
しかし、自身がなぜ特務部隊に所属しているか、という理由は話していなかったし、話す気もなかった。
夕梨の問いに、漣は前を見つめながら静かに口を開く。
「……俺さ、姉貴がいるんだよ。
すんげー優秀な人でさ、俺はいつも比較されてたんだ」
「男なのに、って?」
「そうそう。長男なのに、女に負けるとは何事だー!!
って、毎日毎日言われんだぜ? クソだろ、あんな家」
漣は前を向いたまま、特に表情も変えず淡々と答えた。
俺は自分の家が心底嫌いだ。
名家だかなんだか知らねえけど、親父もお袋も姉貴もクソうるせえ。
俺は絶対、あんな家に戻らねえって決めてんだ。
人の価値を勝手に測るような、あんな家なんか……。
ハンドルを握る手に、無意識に力が入る。
「漣さんも、いろいろ大変だったんだね」
「もう2度と帰らねえって決めてっからいいんだ!
特務部隊に入ったのは……、ほら! モテそうだろ?」
「そうだね! 特務部隊って名前だけでかっこいいもんね!」
「だろ!? もうこの話はおしまいな!」
「うん! ありがとう!」
これ以上は話したくない。
そんな漣からの圧を、夕梨は感じ取っていた。
モテそうだから、と嘘を吐いて、自身の心を守っていることにも。
「うん? 夕梨、どうした?」
「海、楽しみだなぁって思って!」
「お! 楽しみか! 夏になったら、みんなで遊びに来ような!」
明るく振る舞っている裏で、この人は何を抱えているのだろう。
私に、それを教えてくれる日は来るのだろうか……。
そんな不安を見せまいと、夕梨はひまわりのように笑う。
「うん! かわいい水着買わないとね!」
「水着姿の夕梨なんて見たら、俺どうにかなっちまいそうだぜ!!」
「何それ、おじさんみたい!」
車内が2人の笑い声に包まれる。
この笑顔が、いつまでも見られますように――。
漣の横顔を見つめながら、夕梨はそう願っていた。
「ねぇ、動物園にはゾウもいるかな?」
「……いるんじゃないかな」
「じゃあ、これ! トラは?」
「……トラもいると思うよ」
憩と千歳は居間のソファに並んで座っていた。
肩を寄せ合い1つの図鑑を2人で眺めながら、動物園へ思いを馳せる。
「早く動物園行きたいね!」
「……そうだね。次の休みに行こうね」
「うん! 次も漣様と夕梨さん来るかな?」
「……どうだろうね」
憩の問いにそう答えたが、正直2人で行きたい。
もちろん、細小波さんや夕梨さんが嫌いなわけではない。
でも……、好きな子と2人だけで過ごしたいと思ってもいいじゃないか。
細小波さんたちだってきっとそうだから、2人で出ていったんだ。
それにさっき、今度は気持ちを伝えるって約束した。
「……ねぇ、憩。
僕、今度は憩と2人だけで行きたい。
4人も楽しかったけど、今度は2人で行きたいんだ」
隣に座る憩の目をしっかりと見つめながら、千歳は想いを伝えた。
彼女は金色の瞳を見開くと、今度は嬉しそうにその瞳を細めた。
「えへへ、嬉しい……。
私もね、千歳さんと2人で行きたかったの」
「……そうなの?」
「うん。博物館、2人でまわったでしょ?
千歳さんといるのがすごく楽しくて、ずっとこの時間が終わらなければいいのに、って思った」
「……憩も? 僕も、同じ気持ちだったよ。
ずっと、この時間が続けばいいのにって思った」
「そっかぁ……。千歳さんも同じ気持ちだったんだ……」
足をパタパタとさせながら、憩が頬を染める。
その横顔があまりにも可愛くて……、でもそれと同時に、真っ黒い感情が僕を支配していく。
どうして、僕だけを見てくれないんだろう。
どうして、この子には杣さんがいるんだろう。
どうして、もっと早く出会うことができなかったんだろう。
……そんなこと、考えたって何も変わらないのに。
グッと、奥歯をきつく噛み締める。
「千歳さん? どうしたの?」
黙ってしまった千歳の顔を、心配そうに憩が覗き込む。
綺麗な金色の瞳と目が合うと、僕の顔が映り込んでいた。
……その瞳に映るのは、僕だけがいい。
そんな醜い考えが、頭をよぎる。
この気持ちが独占欲なんだと、僕はそのとき初めて知ったんだ。




