51句 杣 朔夜
いこが、もう戻ってこない……?
和の言葉に、朔夜は憩と出会った日を思い出していた。
もう、6年も前だ。いこと初めて会ったのは。
その日は、俺の家族の命日でもある――。
俺の家は、杣の名に恥じない山の中にあった。
木こりの父と、優しい母。そしてかわいい妹の日鞠。
豊かな山の恵みに助けられ、4人で幸せに暮らしてた。
吸血鬼なんていなければ、日鞠もいこと同じ16歳になってたはずなのに……。
あの日俺は、日鞠に頼まれて甘味を買いに行ってた。
普段、わがままなんて言わない子だったから、麓の町にある、老舗の和菓子屋まで買いに行ったんだ。
夕方山に戻ると、いつもならまだ木を切っている父の姿がなかった。
珍しい、今日はもう帰ったんだろう。
風呂敷に包まれた高い甘味を抱えて、俺は意気揚々と家の戸を開けた。
パキッ……ポキッ……
何かが折れる音。
暗い家の中で揺れる影。
むせ返るような生臭い鉄の匂い。
……一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
暗闇に目が慣れてくると、頭を斧で割られた父と、腹に穴の空いた母が床に転がっているのが目に入った。
――家の中に、何かいる!!
父と母はもうダメだと、その姿から嫌でも認めるしかなかった。
そうだ、日鞠……!! 日鞠はどこだ……!!
無事なのか……!?
辺りを見渡すが、それらしき姿は見えない。
ガシャン!!
思わず、持っていた甘味の包みを落としてしまった。
『なんだー? いいところだったのに……』
影の持ち主は、俺に気づくとゆっくりと振り返る。
人のような、それでいて人でない何かが、俺に話しかけた。
『ま、こんなところに住んでる奴の血なんて、こんなもんだよなぁ。あーあ、不味いったらありゃしねえよ……』
ドサッ!!
不満気なそいつに、何かを投げられた。
足元に、木の枝のような物が転がっている。
……なんだ、これは。
暗闇に目が慣れてきたとはいえ、なんだかよくわからない。
『お兄ちゃん、助けて!! 痛いよ!!
って、泣いてたぜー? なあ、お兄ちゃん』
楽しそうに笑うそいつの言っていることがわからなかった。
これが……、こんな枝みたいなのが、日鞠だって言うのか……?
違う……、これは、日鞠なんかじゃない……。
そうだ!! 絶対違う!!
枝のようなそれを拾い上げると、生温い何かでぬるっとしていた。
落としそうになりながらも、必死にそれに顔を近づける。
ほら、よく見てみろ……!!
これは枝だ! うちにはたくさんあるじゃねぇか!!
目を凝らしてよく見る。
その枝のような物には、見覚えのある小花柄の布が張り付いていた。
これは、日鞠がお気に入りの……。
「違う……、違う……!!
こんなの……、日鞠じゃねぇ……!!」
『ぎゃはははははははは!! あー、楽しい!!
生娘なのに、不味いのだけは勘弁だけどなー!!』
耳障りな声で不愉快な言葉を並べるクソ野郎。
憎い、醜い、汚い、殺す――。
その言葉以外、俺の中から消えた。
「テメェ、ぜってぇぶっ殺してやる!!」
怒りに任せ、武器も持たずにそいつに飛びかかる。
だが、木を切る以外なんの力も持たない俺は、血溜まりに足を滑らせ思いっきり転んだ。
『ぎゃはははははははは!! 本当に面白い兄妹だな!!
楽しませてもらったお礼に、同じところに送ってやるよ!!』
見たくもないクソ野郎の顔がどんどん近づいてくる。
そうだ。俺1人生き残ったって意味がねぇ……。
もう、何も考えたくない――。
そう思い、目を閉じた。
パーン!!
『ちくしょう!! あ゙どぢょ゙っ゙どだっ゙だの゙に゙……!!』
「漣!! 心臓を刺すんだ!!」
「了解!! 任せとけ!!」
なんだ……? 何が起きた?
這いつくばっている俺の頭上を、何かが通ったのだけはわかった。
「キミ、大丈夫かい? ケガは?」
「俺は平気です……」
黒い軍服を着た軍人に腕を引かれ、身体を起こされる。
彼は俺の前に膝をつくと、深々と頭を下げた。
「よかった……。
到着が遅れてしまって申し訳なかった……」
別に、この人が悪いわけでもないのに。
その人はとても辛そうな、苦しそうな顔をしていた。
「旭!! そいつ無事だったのか!?」
「うん。彼は大丈夫そうだよ」
「そうか! 悪いが、こっちはもう……」
「あの、日鞠がいないんです!!
10歳の女の子、妹で、どこかにいるはずなんです!!」
旭、と呼ばれた人の軍服を掴み、必死に頼み込んだ。
違う。あんな枝みたいなの、日鞠なわけねぇんだ!!
「……すまない。助けてあげられなくて」
「いや、どこかに隠れてるはずで……!!」
絶対、絶対どこかに日鞠はいるはずなんだ!!
そうだ、絶対どこかに……。
「本当に申し訳ない……。
僕たちが未熟だから、助けてあげられなかった……」
「そんな……、俺だけ生き残ったって……」
俺が……、町まで買いに行かなければ。
そうすれば、日鞠だけでも守れたかもしれないのに……。
ポタポタと、涙がこぼれ落ちる。
「おいおい、そんなこと言うなよ!!
お前の家族は生き残ってほしかったんだよ。
だから、お前を転ばせたんだと思うぜ。
お前があのまま立ってたら、撃てなかったんだからよ」
そんな綺麗事……、嬉しくない。
1人でどうやって生きていけって言うんだ!!
誰もいない。
1人で、なんのために生きていくんだ……。
日鞠を、大切な妹を守れなかった俺なんかが……!!
「ねぇキミ、家に来ないかい?」
「おい、旭!! 本気で言ってるのか!?」
「もちろん。ここには置いておけないだろう?
それに、憩の話相手にもなってくれそうだ」
「相楽の爺さんに、確認しなくていいのかよ」
「もちろん、お祖父様が決定したように話は通すさ」
「お前、本当に抜け目ないよな……」
「僕の名前は相楽 旭、こっちは細小波 漣。
キミの名前を聞いてもいいかな?」
これが、俺と相楽家との出会いだった。
家族を襲ったのが吸血鬼だと知って、特務部隊に何がなんでも入ってやるって思った。
帝国がどれだけ奴ら存在を隠そうが、被害にあった人たちの痛みは隠せない。
それでも、明るみにならない奴らのことなんて、誰にも信じてなんてもらえないけどな……。
家族を亡くし、生きる気力を失った俺の前に現れたのが、10歳になったばかりのいこだった。
「はじめまして、相楽 憩と申します。
相楽家の次女です。以後お見知りおきください」
まだガキだってのに、こんな挨拶をするもんだから、やっぱり育ちのいいお嬢様は違ぇなと思った。
俺たちみたいなのとは、住んでる世界が違う。
……そう、思ってたのに。
それはそう振る舞うように作られた姿で、俺の前では普通の10歳でいてくれるいこが、たまらなく愛おしかった。
「朔夜! あのね!」「朔夜! 聞いて!」
「朔夜! お腹すいた!」「朔夜! 髪結って!」
「朔夜! ありがとう!」「朔夜! 大好き!」
真っ直ぐに俺の目を見て伝えてくれる言葉に、その笑顔に、その存在に、俺はたくさん救われた。
いこだけが、俺の唯一の光だった――。
相楽の屋敷で世話になり始めて、1年が経ったある日。
俺はいこの神子の血について、爺さんから聞かされた。
今はまだ幼い子供だから護り抜けるが、あと5年も経てば屋敷で囲うのも難しくなる、と。
いこの性格的にも、屋敷で大人しくしてるわけがない。
だから俺は、いこが16になるまでに力が欲しかった。
今度は絶対奪われないために、強くなりたかった。
日鞠を護れなかった分も、いこは絶対護り抜く。
たとえ少しの間離れることになっても、必ずまた隣でいこを護る盾になる。
俺なんかを拾ってくれた旭や爺さんに報いるためにも。
そう思って、ずっとずっと側で護ってきたのに――。
「朔夜くん。
もう憩ちゃんは、護られるだけの子じゃないの。
私たちが、道を用意してあげる時期は終わったのよ」
「もう……、いこにも俺は必要ないのか……?」
「それは違うわ。
憩ちゃんが、朔夜くんにそんなことを言ったことがある?」
……ない。1度も。
今日もいこは、俺に笑顔を向けてくれてた。
和の服を選んだこと、甘味処のこと、土産のこと。
俺が向き合ってやれなかっただけで、いこは一生懸命、俺に話しかけてくれてた。
俺はいこを護りたかったはずなのに、ずっといこに笑っていてほしかったはずなのに、いつの間にか寒凪にイラついて、寒凪に取られた気がして、寒凪に負けたくなくて……。
今のいこを見ることができず、変わらずに俺を、俺だけを必要としてくれるいこを求めてた。
そもそも、俺と寒凪の役割は違ぇのに。
勝手に同じ位置にいるって……いや、違ぇな。
いこの選択に、俺以外が入るのが嫌だったんだ。
本当なら、自分で選び始めたことを喜んでやらなきゃいけない立場なのに――。
「俺、いこのこと好きだ。大好きだ。
でも、寒凪がいこに思ってる好きとは違ぇ」
「あら、そうなの?
今の憩ちゃんにドキッとしたりはしないの?」
「いや、まぁ正直するときはあるよ……。
かわいいとは思うし、ガキだとも思ってねぇけど。
ほら、その……、口づけしてぇとか、んなこと思わねぇからさ……」
和の目を見れず、朔夜は節目がちに答える。
何を言わされてんだよ、俺は……。
つーかこんなこと、本人の姉に言うことじゃねぇだろ!!
「あらあら! 私そこまでは聞いていないわよー?」
「はぁ!? じゃあそういう聞き方すんじゃねぇよ!!」
「へぇ、憩ちゃんとはしたいと思わないのねぇ。
なんだかそれもそれで、複雑な気分だわ……」
「いや、仕方ねぇだろ?
なんか、そういう大切じゃねぇんだよ……」
いこのことは好きだ、大好きだ。
俺の命なんて簡単にかけられるくらい好きだ。
でも、そういう対象かと聞かれたらそれは違う。
そんな、個人的な欲の対象になんかできねぇよ。
「そうなのね、それは意外だったわぁ。
憩ちゃんにしか、そういう気持ちが湧かないのかと思っていたから」
「湧いたことねぇよ……。
そんな不純な動機があったら、一緒にいられねぇだろが」
「ふふっ、たしかにそうねぇ。
そんな動機で側にいたら、お兄様に消されるものね」
和はくすくすと肩を揺らし、楽しそうに笑っている。
が、冗談抜きで本当に消される。
旭も和も、いこに害をなすものには容赦ない。
「和、ありがとな。俺やっと向き合えた気がする」
「どういたしまして。ねぇ、おはぎも食べていいかしら?」
「はぁ!? 全部半分も食ってねぇのにふざけんな!!」
「だって、残ったら食べてくれるんでしょう?」
「はぁ……。はいはい、どうぞ食ってくださいな……」
「やった! ありがとう朔夜くん!」
嬉しそうに、半分以上残された甘味を全て渡される。
せめて半分は食えよ……。
本当にふざけた女だが、こいつのおかげで気づけたことは多い。
「ったく、白銀にも買って帰るか」
「いいわね! そうしましょう。
……ねぇ、朔夜くん」
「今度はなんだよ、豆大福もか? 勝手に食えよ……」
「違うわ、ちゃんとした話よ」
「寒凪の邪魔すんなって?」
「違うって。もう、こっちを見てよ」
なんだよ、まだ説教されんのか?
もうあいつらのことは邪魔しねぇし、なんなら2人まとめて俺が護ってやるっつーの。
「はいはい、なんだよ」
しつこく声をかけられ和を見ると、珍しくソワソワしている。
なんだ……? 便所か?
その割には顔が赤いような気もすっけど……。
「あのね……、その……」
「手洗いならさっさと行ってこいよ」
「違うわよ! 失礼ね!
もういいわ、また今度にするから」
むっとした顔で、ぷいっと顔を背けられた。
「はぁ? なんだよそれ……」
「もういいの!!」
「はいはい、わかったよ……」
なんでキレてんだ? よくわかんねぇ女だな……。
不機嫌になってしまった和に疑問を持ちながらも、朔夜の心にかかっていた霧は、確かに晴れ渡っていた。




