48句 玉響の燦爛
翌朝、憩は鏡の前で身だしなみを整えていた。
スタンドカラーのブラウスに、淡い桃色の着物、白茶色の袴。
昨日、姉の和と選んだ組み合わせだ。
「千歳さん、かわいいって言ってくれるかな……」
不安になり、鏡に映る自らの姿をもう1度確認する。
和に結ってもらった編み込みのお団子ヘアに、母の形見である銀の華奢な簪が光る。
くるっと回り全身を確認すると、簪がちりんと静かに揺れた。
「……これで、大丈夫かな」
同じ頃、千歳も自室で鏡と向き合っていた。
スタンドカラーのシャツに、千草色の着物、鈍色の袴。
普段は耳の高さで結っている髪も、今日は低めの位置で肩に流すように結っていた。
「……服、細小波さんに選んでもらったけど」
今まで、自分の見場なんて気にしたことがなかった。
特務部隊に所属してからなんて尚更だ。
隊服さえあれば、着る物にも困らない。
……だけど、あの子の前ではかっこよくいたいって、そう思うんだ。
「……行くか。憩を待たせたくないし」
千歳は着物の襟を整えると、逸る気持ちを抑えつつ部屋を後にした。
「千歳さん、おはよう!」
「……おはよう、憩」
千歳が屋敷の玄関へと向かうと、憩は既に用意を済ませ待っていた。
……かわいい。
着物と袴の淡い色の組み合わせが、春のような憩そのままだと思った。
「……すごくかわいい、髪も編み込みにしたの?」
「う、うん。千歳さんがかわいいって言ってくれたから……」
俯くように、憩は僕から目を逸らす。
……何それ。理由がかわいすぎる。
感情が顔に出そうになるが、どうにか押さえ込む。
かっこわるい姿は見せたくない。
「……そっか、ありがとう。
とっても似合ってる、すごくかわいいよ」
「あ、ありがとう……!
千歳さんも今日は袴なんだね」
「……うん、憩と出かけるから」
僕のその言葉に、憩の目が一瞬見開く。
金色の瞳が真っ直ぐに僕を捉えると、憩はにっこりと微笑んだ。
「えへへ、私と出かけるからかぁ……。
そのために着物と袴、用意してくれたの?」
「……僕、隊服以外持ってなくて」
「ありがとう、準備してくれて。
すごく似合ってる、とってもかっこいい!」
憩のその言葉に、世界から音が消えた。
聞こえるのは、自分のうるさい心臓の音だけ。
見えるのは、目の前で微笑む愛おしい子だけ。
「お前ら、いつまで見つめ合ってんだー?」
そんな千歳の意識を引き戻したのは、漣だった。
2人を茶化すかのように、いつも通りニヤニヤとしている。
違う点といえば、紺青色のスーツに身を包み、朱色のネクタイをしていることだ。
「漣様、おはようございます!」
「おはよう憩! やっぱりお前は袴だよな!
ほら、寒凪も袴にしてよかっただろー?」
「……助かった、ありがとう」
本当に助かった。
昨日、細小波さんが一緒に来てくれなければ、間違いなくスーツを選んでた。
やっぱり、憩を幼い頃から知っているだけはある。
少しだけ……妬けた。
「ごめんなさい! お待たせしました!」
パタパタと、夕梨が階段を駆け下りてきた。
淡い黄色のワンピースと、髪に結ばれた萌黄色のリボンが、その動きに合わせてふんわりと揺れる。
「あ! 夕梨さん、おはようございます!」
「憩ちゃん、おはよう!
今日もとってもかわいいね!」
「夕梨さんも、とってもかわいいです!
そのワンピース、すごく似合っています!」
肩まである夕梨の髪も、和の手によってハーフアップに編み込まれている。
淡い色味でまとめた憩が春なら、夕梨さんは夏みたいなだと千歳は思った。
「おいおい、夕梨!! お前、めっちゃかわいいな!!
お人形さんみたいじゃねえか、すげえ似合ってるよ!!」
「ありがとう! 漣さんもとってもかっこいいね!
隊服もよかったけど、スーツとっても似合ってる!」
夕梨に褒められ、漣の顔はだらしなく緩んでいる。
……気持ちはわかるけど、その顔はさすがにどうなの。
普段から威厳のない人だけど、今日は飛び抜けてない。
「んじゃ、出発するか!」
「私、お兄様に挨拶してきます!」
「……僕も一緒に行くよ」
「じゃあ、俺は車回しとくな! 夕梨も一緒に来るか?」
「うん! じゃあ、私たちは先に出てるね」
2人が出るのを見送ると、千歳と憩は書斎へと向かった。
コンコンコン
「どうぞ」
「失礼いたします。
お兄様、おはようございます」
「……旭さん、おはようございます」
旭は既に書斎に籠り、仕事を始めていた。
もちろん、かわいい妹の見送りは手を止めてするつもりだった。
「おはよう。もう出発なのかい?」
「はい! お土産買ってきますね!」
「ありがとう。楽しんでくるんだよ。
千歳、悪いけれどみんなをよろしくね」
本来であれば、漣に頼むべきことではあるが無理だろう。
おそらく、夕梨と出かけられることで頭がいっぱいだ。
それでも車を出してくれるだけありがたい。
憩が安全に、屋敷から目的地に向かえるのだから。
「……はい。では、いってきます」
「行って参ります!」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
嬉しそうに手を振りながら出ていく妹を、同じように手を振りながら、旭は愛しそうに見送った。
「あ! 朔夜、おはよう!」
「おはよ、いこ」
朔夜が書斎へ向かっていると、廊下で2人と出会した。
「……おはようございます」
「おはよ。今日は隊服じゃねぇんだ」
「……はい。出かけるので」
「へぇ、お前もそういうの気にするんだな」
服なんか、別になんだっていいだろ。
つーかそんな格好で、いこのこと護れんのかよ。
「……憩はお洒落してくれると思ったので。
僕もそれに、きちんと応えたいと思いました」
「お洒落って……」
いこはいつも、ブラウスに葡萄色の羽織を合わせる。
ずっとその格好だったから、それが好きなんだと思ってた。
だけど今日は、ブラウスにきちんと着物を合わせてる。
明らかに俺と出かけるときよりめかしこんでやがる。
……なんで寒凪なんだよ。
そこは、俺の場所なのに――。
「あのね、朔夜!
お姉様、朔夜とお出かけするのすごく楽しみにしてるよ!」
「そうかよ」
「私がお姉様の服選んだの!
だから、きっと朔夜もイチコロだよ!」
「あー、はいはい」
嬉しそうに話しかけてくるいこの目を見られない。
その表情を引き出してるのが、俺じゃなく寒凪だってわかってるから。
「甘味処に行くんでしょ?
この間ね、みつ豆の果物が枇杷といちごだったんだよ!」
「だからなんだよ」
「……お土産、朔夜の分も買ってくるから!」
「別にいらねぇよ、そんなもん」
「……そうだよね! わかった!」
いこが楽しそうにすればするほどイライラする。
歳が近いから、趣味が合うから、だから寒凪なのか?
俺の方がずっと側にいるじゃねぇか!!
こんな奴に、いこの何がわかんだよ――!!
「……憩、もう行こうか。細小波さんたち待ってるよ」
「そうだね! じゃあ……いってきます」
不機嫌さをあからさまに出す朔夜の前から、そそくさと憩は立ち去る。
静まり返った廊下には、朔夜と千歳だけが残された。
「お前も早く行けよ」
「……ちゃんと目を見て、話してあげてください」
「あぁ? んなことお前に関係ねぇだろ」
「……そうですね。では、失礼します」
んなこと、なんでお前に言われなきゃなんねぇんだよ。
全部、全部……、お前のせいだろうが――!!
「チッ……、朝から腹立つなぁ……」
ガシガシと頭をかくと、朔夜は書斎へと姿を消した。
「漣様、お待たせしました!」
「おう! 気にすんな!
夕梨が隣に乗ってるから、お前らは後ろなー」
「ありがとうございます!」
「寒凪、先乗ってくれ!
憩、前に足滑らせてるからよー」
「……わかった」
千歳は先に車に乗り込むと、憩に向けてスッと手を差し出す。
「……危ないから、手貸して?」
「あ、ありがとう……」
そっと乗せられた小さな手を取り、グイッと引き寄せる。
その勢いで、憩の身につけていた簪がちりんと音を立てた。
「よし! じゃあ出発すっかー!」
「わーい! 漣さんお願いしまーす!」
「……憩、顔赤いけど大丈夫?」
「だ、大丈夫!! 大丈夫だよ!!」
「……そう。つらくなったらちゃんと教えてね?」
「う、うん!!」
「よし! 博物館に向かって、出発!!」
漣の掛け声とともに、車は博物館に向かって走り出した。
「よーし、着いたぞー!!」
「わー! 大きいね!!」
「千歳さん!! 着いたって!!」
「……うん。車だと結構近く感じるね」
博物館の中へ入ると、そこそこ人がいた。
混雑はしていないが、思っていたよりも賑わっている。
「夕梨、逸れると怖えからよ」
「あ、ありがとう漣さん……」
漣はスッと夕梨の手を取る。
恥ずかしそうにしながらも、夕梨もキュッとその手を握り返した。
……すごいな、細小波さん。自然に手を繋いだ。
僕も繋げたら嬉しいけど……。
「いいなぁ、夕梨さん……」
「……えっ」
「あ、いや、えっと……」
自分の口から出た言葉に驚いているのだろう。
憩は恥ずかしそうに、手を握ったり開いたりしている。
……どうしよう。すごくかわいい。
細小波さんが、どうにかなっちまいそうだぜ!
って、言う気持ちがなんだかわかる気がする。
「……僕たちも、手繋ごうか」
「き、聞こえてた……?」
「……いいなぁ、夕梨さんってやつ?」
「やっぱり聞こえてたんだ!!」
突然の大声に、客の視線が一斉に2人へ向く。
千歳はぺこりと頭を下げると、憩を連れて端へと避けた。
「……憩、博物館だから大きな声はダメだよ」
「ご、ごめんなさい……」
「……ううん、ごめんね。僕が意地悪したから。
細小波さんたちみたいに、僕も憩と手を繋ぎたい」
「わ、私も……。千歳さんと、手を繋ぎたい……!!」
……かわいい、耳まで真っ赤だ。
そんな憩の姿を、通りすがりの客たちはジロジロと見ている。
……勝手に見るな。
これ以上、こんなかわいい姿を他人に見せたくない。
「……手、触るよ?」
コクコク、と憩は首を縦に振る。
小さな手を取ると、また先にキュッと握られた。
その手を包み込むように、ゆっくりと握り返す。
「……じゃあ、行こうか」
「よ、よろしくお願いします!」
「……ははっ、また敬語になってるよ」
ようやくこちらの2人も、博物館デートがスタートした。
あいつら、大丈夫か?
夕梨のことで頭がいっぱいで、逸れちまった。
「漣さん、どうかした?」
「いや、あいつら大丈夫かなって」
「大丈夫だよ、寒凪さんが一緒にいるから!」
そうだ、憩には寒凪がついてる。
それに、今日は邪魔しねえようにするって決めたんだったな。
「そうだな! 夕梨、楽しいか?」
「うん! ありがとう、連れてきてくれて」
漣の隣で、夕梨は満面の笑みを咲かせる。
その顔が見れるなら、もう毎日でも連れてきてやるよ!!
「他に、行きたいとこあったら言えよ?
俺がどこでも連れてってやるからさ!」
「えへへ、ありがとう。
私、カフェーで仕事しててよかったなぁ」
「ん? なんでだ?」
「漣さんと出会えたから」
正面を向いたままそう淡々と答える夕梨の顔は、少し大人っぽく見えた。
「確かになー、潜入なかったら会ってねえもんな!」
「……鈍感なの?」
「うん? 誰が? 寒凪か?
あいつは鈍感っていうよりは……」
「もう、違う!
私は漣さんのことが好きなの、わかった?」
は……? 俺のことが好き……?
俺!? 俺でいいの!? え? 俺だよ!?
「おいおい、マジかよ!!」
博物館内に、漣の大声が響き渡った。




