23句 春嵐
「憩、ちょっと休憩にしようか」
「はい!」
巡回班の3人が掃除をしている頃、旭と憩の2人は剣術の稽古をしていた。
「大丈夫かい?」
「はい! 私、お兄様と稽古ができてとっても嬉しいです!」
目の前で嬉しそうに笑う、愛しい妹の頭を撫でる。
両親が死に、僕が特務部隊を、和が芸花魁を目指すようになってから、憩は1人閉ざされた屋敷の中で過ごしてきた。
もちろん、使用人たちや指南役はついていたが、彼らが憩に接するのは仕事だからだ。
唯一、憩の専属である矢桐さんは、情を持って接してくれているが、それでも仕事として繋がっているだけ。
だから、お祖父様に連れられてやってきた朔夜に、愛情を求めるのは自然なことだった。
「ごめんね、今まで寂しい思いをたくさんさせたよね」
「お兄様のせいではありません。
それに、今は一緒にいてくれるではないですか」
にっこりと笑う憩に、心がじんわりと温かくなる。
和と2人で決めた。この笑顔を護るためならなんでもすると。
神子だとかそんなのは関係ない。大事な大事な妹だ。
「これからはずっと一緒だよ。朔夜も漣も千歳も一緒だ。
もう絶対、寂しい思いはさせないし、1人にもさせない」
「はい、ありがとうございます。
私も、みんなの力になれるよう精進いたします」
頑張らなくていい、ただずっと護られていてほしい。
そんな言葉をグッと飲み込む。
「うん。期待しているからね」
そんな、思ってもいない言葉を伝えるのだった。
「さて、午後から潜入もある。先にお風呂に入っておいで」
「でも、お兄様が先に入られた方が……」
「ううん。憩が先に行っておいで」
「わかりました! すぐに入ってまいります!」
「ゆっくりでいいからね」
そろそろ3人が戻って来てもおかしくはない時間だ。
汗をかいている姿なんて見せたくはないだろう。
もちろん、誰かさんが覗いたりしないよう、ガードする意味もあるが。
「……戻りました」
旭が書斎へ入ろうとしたタイミングで、千歳が帰ってきた。
「おかえり、お疲れ様。巡回はどうだった?」
「……申し訳ありません。
1箇所しか回れませんでした」
「何かあったのかい?
それに、千歳しか見当たらないけれど」
2人は書斎のソファへと腰掛ける。
千歳は、屯所での出来事と、2人が宿舎でシャワー浴びてから帰ってくることを伝えた。
「なるほど。やはり目が届いていないとそうなるか」
「……白銀が結成して、まだ数日です。
それでこの状態だと、正直先が思いやられます」
「その通りだね。巡回は、今後も定期的にしよう」
四門が指揮系統から抜ければ、こうなることはだいたい予想がついていた。
これまでは、総司令から東門である自分に、自分から他の四門に、四門から各領土の屯所に、という流れで指示が下りていた。
しかし、四門が本部のある東領に集結している今、総司令から直接各屯所に、文のみで指示が下りている。
これでは目の届きようがないし、隊士たちが手を抜くのも、もはや必然だ。
「……もしかして、最近総司令が不在なのも」
「おそらく、東領外の巡視に行っているんだと思う。
さすがお祖父様だ、この状況も想定内ということだね」
「……申し訳ありません、管理が行き届いておらず」
「千歳が悪いわけじゃないだろう?
それに、僕の管轄である東領でさえこの状態なんだ、致し方ないことだよ」
やれやれと首を振る。
本部から目と鼻の先にある屯所でさえこれだ。
西領、さらに遠方にある北領や南領は、悲惨な状態であることは容易に想像できる。
旭と千歳は同時にため息を吐いた。
バンッ!!
「お兄様! お風呂どうぞ!」
書斎の扉を勢いよく開けながら、憩が入ってくる。
まさか千歳が帰ってきているとは思わず、ノックもなしだ。
「憩、行儀が悪いよ」
「も、申し訳ございません……。
お兄様も、早くお風呂を使いたいかと思いまして……」
「その気持ちは嬉しいけれど、今は千歳や漣も一緒に住んでいるんだ。
普段から身なりやマナーには気をつけないとダメだろう?」
「はい、仰る通りです……」
旭に叱られ、憩はあからさまにしゅんとしていた。
「……シャワー浴びてきたの?」
「はい……。
ご無礼を働き、申し訳ございませんでした」
「……大丈夫だよ、気にしないから」
「じゃあ、僕もシャワーを浴びてくるよ。
千歳、悪いけれど憩の相手をよろしくね」
「……わかりました」
旭が書斎を出ていくと、2人だけになる。
憩は定位置にちょこんと腰掛けた。
「千歳さん、おかえりなさい! 巡回お疲れ様でした!」
「……うん、ありがとう。憩は稽古どうだった?」
「久しぶりにお兄様を独り占めできて嬉しかったです!」
それは稽古と関係ないのではないか、と思ったが、憩は嬉しそうにしている。
「……そっか、それはよかったね」
「はい! あ、そうだ! 千歳さん、ちょっと来てください!」
憩は立ち上がると、千歳の腕をグイッと引っ張る。
「……待って、どこに行くの?」
「私のお部屋です!」
「……昨日も言ったけど、それはダメだよ」
「大丈夫です!
中に千歳さんが入らなければいいんですよね?」
「……どういうこと?」
「いいから来てください!!」
千歳は意味もわからぬまま、憩に連れて行かれるのだった。
「えっと、今から本のタイトルを読み上げます!
気になるものがあったら、教えてくださいね!」
「……ねぇ、これどういう状況?」
千歳は憩の部屋の前で立たされていた。
部屋の中がダメなら、部屋の前ならいいだろうということだ。
が、扉が開け放たれているため、中は丸見えである。
「今日も潜入ありますよね?
そのときに本を持っていったら楽しいかと思いまして!」
「……そういうこと。
でも僕はいいよ、憩は好きなの持っていきなよ」
自分まで一緒になって楽しむわけにはいかない。
憩には普通にしててと言ったが、潜入は仕事だ。
「千歳さんは選んでくれないのですか?」
千歳の返事に、憩は寂しそうな表情をする。
「……持っていくかはわからないけど、今書斎で読むならいいよ」
「本当ですか!?
千歳さんが気になるものがあればいいのですが……」
「……憩は普段、どんな本を読むの?」
「漢文が好きでよく読みます。
あとは小説や古文、短歌も読みますよ」
憩は千歳が好みそうなものを何冊か、本棚から取り出す。
「……そうなんだ。だから教養が深いんだね」
「千歳さんには及びません。
それに、私はお姉様のおこぼれで学んでいただけですし」
「……お姉さん、和さんだっけ」
「はい!
お仕事で忙しく、千歳さんはお会いになっていませんよね?」
憩は本を選び終わると、抱えて部屋から出てくる。
随分と大量に選んだようで、前がほとんど見えていない。
「……うん、まだ会ったことないかな」
千歳は返事をしながら、憩が抱えている本を受け取ろうとした。
「いえ、自分で運びます!」
「……危ないからダメ。前見えてないでしょ?」
「ですが、私がたくさん選んだので……」
「……じゃあ、代わりにこれ持ってて」
千歳はポケットから昨日と同じ短歌集を取り出し、憩に渡す。
「……それ、僕の大事な物なんだ。
だから、落とさないようにしっかり持っててね」
千歳は憩から大量の本を預かると、書斎へと向かった。
「戻りました」
「帰ったぜー!!」
2人が挨拶すると、パタパタと足音が近づいてくる。
憩の専属である矢桐だった。
「漣様、朔夜様。
おかえりなさいませ、任務お疲れ様でした」
「おう! ありがとな!!」
おかしい。朔夜は瞬間的にそう思った。
いつもなら、いこが誰よりも先に出迎えてくれるのに、と。
「朔夜様、憩様でしたら書斎にいらっしゃいます」
「そうですか、ありがとうございます……」
「なんだよー!
出迎えがないからって拗ねんなよなー」
「うるせぇんだよ」
「はいはい、早く書斎に行こうぜー!」
朔夜は不満を抱えながらも、漣と書斎へと向かう。
そこへ、ちょうど風呂上がりの旭が合流した。
「2人ともおかえり。随分な有様だったんだってね」
「すごかったぜ!! 超汚くてよー!!」
「うん、千歳から聞いているよ。
その話も兼ねて、明日からの行動を考えないとだね」
旭は困ったように笑う。
ふと、朔夜の表情が暗いことに気がついた。
「どうしたんだい朔夜。何かあったかい?」
「憩の出迎えがなくて拗ねてんだよ」
「はぁ!? 違ぇよ!!」
「憩が? それは珍しいね……」
憩が朔夜を出迎えないだなんて、体調でも悪いのだろうか?
「書斎にいるって言ってたよなー」
「書斎ってことは、千歳といるのかな」
旭の言葉に、朔夜の眉間にシワが寄る。
昨日から何かおかしい。
朔夜の胸はザワザワとした違和感に包まれていた。




