閑話 クルセウス王子視点
久し振り過ぎて名前が……………。間違ってたらすみませぬ。
ああ………愛しきあの方は、今頃何をなさっておいでだろうか?
ここはアジュール王国、王城のクルセウス王子の居室。
クルセウスの心を捕らえて放さない、儚げで美しい方………………そう、隣国のマブーレ王国の公爵令嬢にして至宝、イトリィーリャ・グロース・ローゼンバーグ嬢に思いを馳せていた。
イトリィーリャ嬢を初めて見たのは、クルセウスが十三歳の頃で、今から三年前のことであった。マブーレ王国へと視察に向かった時であった。
マブーレ王国の自然豊かな土地や、それを治める王の手腕などについて学び、次の日にはアジュールへと帰る……という日であった。
少しだけゆっくり出来る時間を設けたクルセウスは、王城自慢の庭園にのんびりと散歩をする事にした。
クルセウスが庭園の草花を眺めながら歩いて居ると、急に頭上の木の枝がガサガサと大きく揺れ始めた。
そして背後からマブーレの兵士が、突如として現れて酷く焦った表情でクルセウスの方に走りよって来た。
「も、申し訳御座いません!この庭園に………その、あの、ええっと………そう!何者かが侵入した模様でして、危険ですので直ちにお部屋へお戻りを!!」
兵士は言葉に詰まりながらも、必死に訴えてくるのでそこまで危険な輩が侵入したのかと、クルセウスは恐々としながらも、兵士の言葉に従い庭園から出る事にしたのだが、またも頭上の木の枝が、先ほどよりもいっそう激しくガッサガッサと揺れ動いた。
と、そこから何かが勢いよく落ちてきて、兵士の後頭部に直撃した。
スッコーーーーーーーーーーン!!!
見事なクリーンヒットであった。
「ぐがっ…………………あぐっ…………」
痛みに倒れ込む兵士の横に落ちていたのは、なんと果物のバナナであった。
どうやらこれが当たったらしい。
「ふんっ!王城を護る兵士の癖に、この程度も避けられんのか………情けない!」
頭上から吐き捨てる様な声が聞こえて来たのだが、なんとその声はまだ幼い、それも少女の声であった事にクルセウスは驚いたのであった。
「む?もう一人おるな………………っと、兵士では無いな…………どこぞの貴族の小倅か?」
謎の声が訊ねてきた。
本当は「無礼者っ!」と、誰何せねばならなかったのだが、クルセウスはその声に頷く事しか出来なかった。
「…………ならば致し方ないな。バナナを投げ付けるのは止めてやろうぞ。はっはっはっ!そなたは自身の身分に感謝するのだなっ!!」
そう偉そうに言い放つと、木の上の不振人物はガサガサと音を立てながらも、凄いスピードでこの場を去って行ったのであった。
随分と身軽なのだな。流石は王城に忍び込む不振人物、武器もバナナであったし、まるで野生の猿の様であった。
「……………っ………痛っ………」
ぼんやりと消えた人物へと思いを馳せていたのだが、その声でクルセウスは現実に引き戻される。
「ああっ………驚きで忘れてしまっていたが、大丈夫か?今他の者を呼んで参るから、辛抱してくれ!」
クルセウスはそう言うと小走りで人を呼びに向かったのであった。
***
暫くして庭園はにわかに騒がしくなった。
クルセウスが呼んだマブーレの兵士にはとても感謝された。
後頭部にバナナが直撃した兵士も、頭に大きなコブが出来ているだけで、命に別状は無かった事には安堵した。
しかしクルセウスは先ほどの猿の様な人物の事が気になっていた。
その場に居合わせた他の兵士にもその人物の事を伝えたのだが、何故だか皆一様にシドロモドロと言葉を濁したのであった。
あの猿には何か重大な秘密でもあるのだろうかと、クルセウスは考えた。
兵士たちは危ないから早く部屋へと戻るようにと言っていたのだが、クルセウスはもう少しこの庭園であの猿を捜してみる事にした。
広大な庭園内を上を見ながらフラフラしながら歩いていると、樹木の根に躓いて転んでしまい、手の平や膝を擦りむいてしまった。
「いたた………………ふぅ………」
痛みを堪えて立ち上がると、クルセウスは少し冷静になった。
アジュールの王子ともあろう者が、他国の王城の庭で猿捜しとは…………と。
「そろそろ部屋に戻るか。明日には帰国せねばならないのだから」
ポツリとそう溢すと、クルセウスは来た道を引き返し始めた。
痛む手足を我慢して庭園を半分ほど戻って来ただろうか。
その時、チャプンチャプン……という音が近くで聴こえて来る。
それは水音であり、近くに水源があるということであった。
水音が魚が跳ねる音にしては大きい事に気付くと、もしや先ほどの猿かと思いこっそりと木々の間から音のする方へ歩み寄った。
しかしそこに居たのは、猿などでは到底無かった。
美しい銀糸の長い髪がキラキラと月夜に栄え、その病的なほど真っ白な肌は真珠の様に光輝いており、スラリと細い手足は繊細で触れたら折れてしまいそうな儚げな美少女であった。
―――――――――――――――――――う、美しい。
クルセウスは生まれて初めて恋をした。一目惚れであった。
泉の畔で足を水に浸すその横顔は、憂いを含んでおり、その切なげな瞳がより一層彼女を人ならざる者の様に見えた。
クルセウスがぼんやりと少女に見惚れていると、遠くから人の呼び声が聴こえて来た。
「姫様ぁ~!どちらにおいでで御座いますかぁ~?」
「イーリャー!ぼ、僕の可愛いイーリャー!!そろそろ邸に帰ろうよーう!」
「そうだぞ帰るぞ~!てか、帰っちまうぞー?今夜はお前の大好きな肉料理なんだぞーーー!!出て来ないなら俺が食っちまうぞーーー!!!」
その声に反応する様に、少女は泉から足を出すとそのまま声のする方へと走り去ってしまったのであった。
クルセウスはと言うとその後直ぐには動けず、余りにも長時間王子が戻って来ないため、庭へと捜しに来た侍従たちに発見されて連れ戻されたのであった。
そしてクルセウスは自国に帰国した後で初恋の少女について何者であったかを調べさせた。
手がかりは、捜していた人物たちが叫んでいた言葉にもあった。
姫様、イーリャ、そして幼いながらも恐ろしいまでのその美貌。
マブーレ王国で、姫様と言われる令嬢は現在一人だけであり、名前がイーリャであるのは国王の弟の娘で、ローゼンバーグ公爵の一人娘であるイトリィーリャ・グロース・ローゼンバーグ嬢だと直ぐに断定できた。
その上、あの美貌と血統なので、許嫁が既に居るかと思われたが何故かおらず、そして何やら変わり者であるという噂も出てきた。多分だがこの変わり者という噂のお陰であの美貌の少女には許嫁が居らぬのだと察した。
年頃なのに彼女は夜会には一切出ておらず、夜会に出てくるのは決まって二人の兄たちだけであった。
爺や周りの者たちは、イトリィーリャ嬢をお嫁さんにしたいと言うクルセウスにずっと否定的であったが、ラッキー(不謹慎)な事にシャープナー帝国がルミナスへと侵攻したため、危機感を覚えたアジュール王国とマブーレ王国は同盟する事になったのだ。
最初は妹をマブーレ王国の王子に嫁がせる話が出たのだが、妹が頑なに拒否したため、妹に甘い父王はその計画を断念し、結局はクルセウスの正室にイトリィーリャ嬢をもらう事になったのであった。
クルセウスが庭園で彼女を見かけて恋をし、求婚して了承された話は直ぐに両国に広まった。
恥ずかしいやら嬉しいやらで、ニヤニヤが止まらないクルセウスであった。
彼女が噂通り変わり者でもどうでも良い。彼女が近くに居てくれるならば、それだけで幸せだと思うクルセウスであった。
オマケ【この時のイーリャ】
「やれやれ……最近はとみに危機意識が低下しておるなぁ、この城の兵士は」
嘆かわしき事だとばかりに、切なげな表情で木の上から弛んだ表情の兵士たちに視線をやるイーリャ、十二歳であった。
「他国が攻め込んで来おったらひとたまりもないぞ、こんな城。我の様な未熟者ですら簡単に忍び込めたのだからなぁ………」
しかし忍び込んだのは良いのだが、直ぐに家の者にはバレてしまい現在イーリャは公爵家の手の者と、王城の一部の兵士たちに追われていた。
「あっ!隊長!?姫様を発見しましたっ!」
「何ぃ?どちらに居られた?壺の中か?机の下か?」
「違いますよっ!」
隊長と呼ばれた男が検討違いな場所を捜しているのを部下であろう兵士が指摘している。
「あちらですっ!!!」
兵士の指がピタリとイーリャに向けられる。その指を追って隊長と呼ばれた男とイーリャの視線が合う。
「ひっひっひっひっひっひっ………………」
笑っているのか、それはそれは気持ちの悪い引き笑いであった。
「ひっひっ…………姫、姫様ぁぁぁぁぁぁ~!??」
どうやら叫ぶ前兆であったらしい。
その大声に周りの兵士も集まって来てしまった。
イーリャは軽く舌打ちをすると、身軽に近くの木に飛び写り猿の様な素早さで逃げて行く。
「なっ!あっちは庭園の方向だぞ?まずい!あの広大な庭園に逃げ込まれたら捜すのは至難の技だぞ?お、追えっ!!追うのだっ!!」
だらけきった城の兵士なぞには捕まらん。
イーリャは縦横無尽に庭園の木の上に飛び乗り追っ手を撒いていたのだが、途中で一人の兵士に追い付かれてしまった。
悔しかったので、手近にあったバナナの木から果実をもぐと、兵士に向かって勢いよく投げ付けたのであった。
投げたバナナは見事に兵士の後頭部に直撃してしまった。少し不味いかな?とは思ったが、イーリャとしては大して力をいれていない、それもバナナに当たって倒れるなど、兵士としては軟弱過ぎるにもほどがあった。
怒りにまかせてつい、兵士への文句が口から出てしまったのだが、誤算があった。
倒した兵士の横にもう一人居たのだ。
こいつにもバナナの一撃を………と、思ったのだがどうやら兵士ではなく、貴族の小倅の様である。
直ぐに判別出来たのは、その小倅の格好がセルジュ兄上たちが着る様な上等な服であったからだ。
貴族は弱くても致し方が無い。むしろ護ってやらねばならない存在だ。奴等はそれほどにか弱いのだ。
イーリャだとて貴族………それも最上位なのだが、自身にはまったく当て嵌めて考えないところがすでに脳筋であった。
まあ良い。貴族はほっといてまずはこの場から逃げよう。
先ほどのように木々を飛び写りながらその場から逃げ去ったイーリャであった。
しばらくすると段々と辺りは暗くなり、もうどの兵士も木の上に居るイーリャには気付かなくなって来た。
あっちこっちへ逃げ回ってのどが渇いたイーリャは、先ほど木の上から見付けた泉へと軽やかに下り立った。
冷たい泉の水をゴクゴクと飲むと、のどは潤ったが今度はお腹がグウギュルと豪快な音を立てた。
「お腹が空いたな…………。しかし……このままおめおめと邸に戻っても良いものか………うう~ん参ったな」
泉の畔で足を水に浸しながらチャプンチャプンと数回動かしながら、今後どうするかを思案していると、遠くからイーリャを呼ぶ声が聴こえて来る。
おおっ!あの声はザザ婆に、セルジュ兄上とゴーシェ兄上だっ!我を捜しに来てくれたのかっ!
家の……それも兄上たちまで捜しに来てくれたのならば、早々に帰らねばなるまいな。
それに今夜は我の大好きな肉料理だとゴーシェ兄上がおっしゃっておったのだ。
これは楽しみだと、喜び勇んでイーリャは声のする方へと駆けていったのであった。
そしてその後、邸で父にこっぴどく叱られ、夕食も肉ではなく野菜メインの質素な料理に変えられてしまうのだが、この時のイーリャは知るよしもないのであった。




