第5話 その魔法の名前もっと
「もう一回ね」
リナが的を指さした。
白い布の端には、俺がつけた小さな焦げ跡がある。
さっきまで、自分の手から光が出るかどうかも分からなかった。
今は、もう一度出せと言われている。
一回できると、次からはできる人として扱われるらしい。
なかなか厳しい。
右手を上げる。
使う量を決めて、指先へ少しずつ送る。
小さな光がともった。
散らさず、細く。
的の中心まで。
「アマテラス」
光が飛んだ。
的のすぐ下で、地面の砂が小さく跳ねた。
「あ」
「届いたけど、外れたわね」
「さっきより、飛んだ気はします」
「的はさっきと同じ場所よ」
もっともだった。
リナは紙に短い線を引いた。
成功の印ではなさそうだ。
「あの、今のも記録するんですね」
「するわよ。何回やって、どこで失敗したか分からないと、教え方を変えられないでしょ」
「なるほど」
「それから、あとで『一回当たっただけでしょう』って指導料を減らされたくないし」
なるほど、も二回目になると重みが違う。
もう一度、手を上げた。
けれど、指先に光を集めると、さっきの名前がまた頭に引っかかった。
アマテラス。
知りたいことが、増えてしまった。
「リナ先生」
「先生?」
「教えてもらってるので」
「そう。じゃあ、先生の言うとおり、手元を見て」
「はい。あの、先生はほかに、どんな魔法が使えるんですか?」
リナは俺の指先を見てから答えた。
「スサノオとか、ツクヨミとか。よく使うのはその辺ね」
光が消えた。
「……どうしたの」
「いえ。ちょっと」
アマテラスだけではなかった。
スサノオ。
ツクヨミ。
神話に詳しいわけではない。
それでも、その並びは知っている。
一つなら聞き間違いかもしれない。
三つ続くと、さすがに聞き流せなかった。
「その魔法って、誰でも覚えるものなんですか」
「誰でも、ではないわね。私はそっちが得意だったから」
「そっち?」
「高天原系統」
また、知っている言葉が出てきた。
高天原。
声には出さず、頭の中で漢字を当てた。
この世界に来てから、分からないことばかりだった。
なのに、魔法の名前だけ妙に分かる。
分かるせいで、余計に分からない。
リナが地面の数字を足でならした。
空いたところに、大きな丸を一つ描く。
「アマテラスも、スサノオも、ツクヨミも、この系統の術。私は教わったら比較的すんなり身についたの」
「全部、光が出るんですか?」
「違うわよ。さっき見せたアマテラスは光で攻撃する術。スサノオは風を起こすし、ツクヨミなら相手の見え方に干渉する」
同じ系統なのに、できることは違うらしい。
「じゃあ、何が同じなんですか」
「術の組み立て方。魔力の通し方や、式の組み方に共通するところがあるの。だから一つ覚えると、次も理解しやすいことがある」
リナは大きな丸の中に、小さな丸を三つ描いた。
「ただし、同じ系統でも得意不得意はある。アマテラスが使えたからって、全部すぐ使えるとは思わないこと」
「そこまで都合よくはないんですね」
「あなた、まだ的に一回しか当ててないからね」
きちんと数えていた。
俺は地面の図を見下ろした。
系統ごとに、共通するやり方がある。
その中でも、一人ひとり得意なものが違う。
そういう話なら、少し分かる。
同じ技術を教わっても、最初から手になじむ人もいれば、何度も練習する人もいた。
一つできるようになった途端、別の動きまでつながることもある。
「俺も、その高天原系統と相性がいいんですか?」
「可能性はあるわね。初めてで、光をあそこまでまとめられたし」
リナは的を見た。
「ただ、私が先に教えたのがこれだった、というだけかもしれない。ほかを試さないうちに決めつける気はないわ」
「ほかにも、系統があるんですね」
「もちろん」
彼女は大きな丸の隣に、もう一つ丸を描いた。
「たとえば、西の海の向こう。アルセア王国では、オリュンポス系統を教えるところが多いって聞くわね。ゼウスとか、ヘルメスとか」
俺は、リナの顔を見た。
出てきた。
さっき、頭の中で考えていた名前が、本当に出てきた。
「ゼウスって、雷の?」
「知ってるの?」
「……名前だけ、聞いたことがある気がして」
リナは少し首をかしげたが、その先を聞こうとはしなかった。
「だったら、それで合ってる。ヘルメスは移動を助ける術が有名ね。私はどちらも使えないけど」
「その国の人しか使えないんですか?」
「そんなことはないわよ。こっちの出身でも向こうの術が得意な人はいるし、逆もある。ただ、近くに教えられる人がいれば、習う機会は増えるでしょう」
生まれた場所だけで、決まるわけではない。
けれど、土地ごとに広まっている系統はある。
日本の神話と、ギリシャの神話。
別々の名前が、この世界でも別々のまとまりになっている。
偶然と呼ぶには、少しずつ形がそろいすぎていた。
「南の交易路を来る人だと、シヴァなんて術の話もするわね。あれはまた別の系統」
「……シヴァ」
「気になるなら、詳しい人を探すことね。私は使えない魔法を、知った顔で教えるつもりはないから」
リナは棒を置き、砂時計を確認した。
俺のほうは、聞きたいことが増える一方だった。
それぞれの土地へ行けば、何か分かるだろうか。
どうして名前が共通しているのか。
誰かが、俺と同じように向こうから来たのか。
「あの、その系統って、魔法だけの話ですか?」
リナが顔を上げた。
「魔法だけじゃないわよ。武器を使う技にもある」
「剣にも?」
「ええ。剣に魔力を通す技とか、踏み込みを助ける技とか。そっちは武器の教官に聞いたほうがいいけど」
思わず、何も持っていない左手を見た。
剣と魔法は、別々に覚えるものだと思っていた。
少なくとも、俺の中では。
この世界では、どこかでつながっているらしい。
「双剣士の技も、その系統に関係するんですか?」
「ものによるわね。職業で使えるようになる基本の技まで、何でも一つの系統に入るわけじゃない。それに、名前がついていても伝わり方が違う技だってあるわ」
リナは地面に描いた丸を、棒の先で軽くたたいた。
「今日は、こういうまとまりがあるって覚えるだけで十分。最初から全部覚えたって、使えなければしょうがないでしょ」
それから、的を指さした。
「あなたの今日の課題は、あれ」
「……はい」
「世界中の魔法の話をする前に、二回目を当てましょう」
世界は急に広がったのに、俺の課題は同じ場所に立っていた。
白い布。
中心からずれた、焦げ跡一つ。
今の俺が自分で確かめられるのは、そこまでだ。
右手を上げる。
「さっきより強くしなくていい。まず、同じ量」
「はい」
使う量を、一定にする。
さっき外れたときは、届かせたいと思うあまり、最後に腕を押し出していた。
指先の向きまで下がったのだろう。
リナの実演では、そんな動きはなかった。
形を作ったら、送り出す。
手で投げるわけではない。
小さく集めた光を、細く伸ばす。
「アマテラス」
光が的に当たった。
ぱちん、と音がした。
布の下のほうに、二つ目の焦げ跡ができた。
「命中。今、何を変えた?」
「腕を動かさないようにしました」
「そう。魔力で飛ばすのに、手で投げようとしてたのね。次も同じように」
続けてやろうとすると、今度は光がまとまらなかった。
指先で白くほどけて、消える。
「急がない」
「すみません」
「謝る分の息で、一回落ち着いて」
息を吐く。
店で新人に、焦らなくていいと言っていた自分を思い出した。
言うほうは簡単だった。
もう一度。
量を決める。
細くまとめる。
向きを確かめる。
今度は当たった。
その次も、中心からは外れたけれど、板には当たった。
光を散らさず、決めた形のまま的へ届ける。
繰り返すうちに、指先で探っていた感覚が少しずつはっきりしてきた。
そのとき、視界の端に文字が浮かんだ。
【魔力が1上がりました】
「……魔力、上がった」
鍋を運んだときは、筋力だった。
今度は、魔力。
ただ魔法の名前を知るだけではなく、自分で魔力を動かして練習することが、成長につながるらしい。
最初は、魔力を出すだけで精いっぱいだった。今は、形を保って飛ばせる。
ただ回数を重ねただけではなく、できなかったことが一つできるようになった。
「何かつかめた?」
「さっきより、まとめる感じが分かってきました」
「じゃあ、その感じを忘れないうちに、もう一回」
手を上げる。
増えたからといって、使う量まで増やす必要はない。
さっきと同じ量を、同じ形に。
「アマテラス」
光が板を打った。
今度は、狙った中心に近い。
続いて、もう一つ表示が浮かんだ。
【技能〈アマテラス〉を習得しました】
俺は動きを止めた。
「……習得って、出ました」
「出た?」
リナがこちらへ一歩近づいた。
「アマテラス、ですね」
「よし」
今日いちばん、はっきりした声だった。
彼女は紙に何かを書き、砂時計を横に倒した。
まだ少し、砂が残っている。
「お疲れさま。これで今日の目標は達成ね」
「先生の指導料も?」
「ええ。お互い、得るものがあったわね」
正直な人だった。
「でもあなた、習得は早かったわね。器用さが高いんじゃない?」
「はい。ほかより、だいぶ」
「魔力も、細かく扱う必要があるから。光を散らさずまとめられたのは、その器用さが助けになったんでしょうね」
手先が器用でも、最初は何も出なかった。
けれど、動かす感覚が分かってからは、確かにやりやすくなった。
「じゃあ、これを繰り返せば、魔力もどんどん上がるんですか?」
「使えば鍛えられるけど、慣れたことだけ繰り返していると、伸びは鈍るわよ」
「同じ練習だけじゃ、だめなんですね」
「無駄にはならない。ただ、精度を上げるとか、違う距離で使うとか。今の自分に難しいことへ挑むほうが、伸びやすいの」
リナは的を指した。
「強い魔物との戦いで、大きく伸びる人もいる。でも、危ない相手の前に立てば、それだけで強くなるわけじゃないからね。生きて帰ってこないと」
「そこは、大事ですね」
「いちばん大事」
初めて握ったハサミと、毎日使うようになったハサミ。
同じ一回でも、そこから覚えることは変わっていった。
魔法も、似たところがあるのかもしれない。
まずは、ちゃんと当てる。
慣れてきたら、少し難しいことを試す。
それなら、次に何を練習すればいいかも分かる。
ステータスを開くと、技能の欄にアマテラスが増えていた。
双剣士になったときに使えるようになった双刃連撃とは別に、練習して覚えた魔法が、そこに並んでいる。
指先を見た。
さっきまで何もできなかった手で、光が撃てる。
そのことは、素直にうれしかった。
「次は、もっと強く撃てるようになりますか」
「なるわよ。ただし、一回の威力を上げたら、何回撃てるかも変わる。的に安定して当てる練習もまだ必要ね」
「配分の続きですね」
「そう。全部、一度に増やそうとしないこと」
リナは紙をまとめ、杖を拾った。
「高天原系統をもう少し試すのは、それからでも遅くないわ。せっかく一つ覚えたんだから、まずはちゃんと使えるようにしなさい」
高天原。
オリュンポス。
それから、まだ名前も聞いていない系統。
知りたいことは、訓練場に来る前より増えていた。
でも、ただ分からないだけではなくなった。
誰に聞くか。
何を調べるか。
そのために、何ができるようになればいいか。
少しずつ、順番をつけられそうだった。
「リナ先生」
「今度は何?」
「次の訓練も、お願いできますか」
彼女は紙の裏を返した。
そこには、いくつもの数字と名前が並んでいた。
「空いてるのは、この時間ね」
もう予約表が出てきた。
俺は剣を習いに来たはずだった。
気づけば、次の魔法の授業まで予約しようとしている。
けれど今は、その寄り道の先を、もう少し確かめてみたかった。




