第4話 訓練所と天照!?
裏の訓練場では、女の人が地面に数字を書いていた。
細い棒を片手に、しゃがみ込んでいる。
横には杖と、小さな砂時計。それから、板に留めた紙の束。
剣は見当たらない。
場所を間違えただろうか。
「あの、訓練を受けたいんですけど」
彼女は顔を上げると、俺の両手を見た。
「今日登録した人?」
「はい」
「よかった。今すぐできる?」
「え?」
「訓練。今から始められる?」
「あ、はい。お願いします」
答え終わる前に、彼女は立ち上がっていた。
「私はリナ。冒険者としては、あなたよりちょっと先輩。今日はここの教官担当ね」
「ジャズです。よろしくお願いします」
リナは紙に名前を書き、砂時計をひっくり返した。
早い。
挨拶と同時に、何かが始まった。
「先に言っておくけど、私、魔法使いだから。教えられるのは魔法だけ」
「……双剣士なんですけど」
「そう。じゃあ、近づけない相手にも攻撃できると便利ね」
「それは、そうですね」
そうですね、と答えてしまった。
俺は確か、剣を習いに来たはずだ。
「双剣士でも魔法は使えるんですか?」
「使えるわよ。職業の得意不得意と、使えるかどうかは別。魔力はある?」
「表示には、ありました」
「なら、まず試せる」
リナは訓練場の端にある的を指さした。
丸い板の中心に、白い布が貼ってある。
「今日はあれに光を当てるところまで。ちゃんと覚えて帰ってね」
「初めてでも、できますかね」
「覚えてもらわないと困るの。習得の確認が取れないと、今日の指導料が出ないから」
なるほど。
俺の成長と、この人の給料がつながっているらしい。
「……頑張ります」
「ええ。私も頑張る」
そこは妙に、信用できた。
リナは杖を拾うと、さっき地面に書いていた数字の横に立った。
「数字は得意?」
「得意ってほどでは……」
「魔法は数式が大事なの。感覚だけで出せる人もいるけど、それで説明されたって困るでしょ」
「まあ、はい」
「だから、同じ結果を出せるように、使う魔力と形と届かせる距離を決める。適当に全部つぎ込まないこと」
数字。
美容師だった、と説明することばかり考えていたけれど、店の経営もしていた。
売上、経費、予約の枠。
材料をどれだけ使って、どれだけ残るか。
毎日、数字と付き合ってはいた。
できれば見たくない数字も、かなりあった。
「……決まった量を、どう配分するか。そういう話なら、少しは」
「じゃあ話が早いわね」
リナは地面に、三つの丸を描いた。
「これは計算を説明するための図ね。実際に魔法を使うたび、地面に書く必要はないから」
一つ目の丸に、棒の先を置く。
「使う量を決める」
二つ目。
「散らさず、形を保つ」
三つ目。
「狙ったところまで運ぶ」
言葉は分かった。
分かったけれど、それで手から光が出るかと言われると、かなり遠い。
「魔力って、どうやって出すんですか」
「まず、見て」
リナが的へ杖を向けた。
「アマテラス」
杖の先に白い光が集まった。
細く伸びた光が、的の中心を打つ。
ぱちん、と乾いた音がした。
白い布に、小さな焦げ跡がついていた。
「……おお」
本当に出た。
荷車のときも、登録のときも、不思議なことは起きていた。
それでも、目の前で光を撃たれると、また別だった。
手品なら、仕掛けを見つけたくなる。
今は、仕掛けがないことのほうが恐ろしい。
「今のは光を集めて撃つ攻撃魔法。弱く調整してあるけど、人には絶対向けないこと」
「はい」
リナは俺の隣へ来た。
「右手を出して。的に向けて、指は軽く開く」
「杖は?」
「最初の練習なら、なくてもできる。手の先に小さく集めるところからね」
言われたとおりにする。
リナが自分の手を俺の手の横に並べた。
彼女の指先に、今度は小さな光がともる。
「体の中から、一気に押し出そうとしないで。少しずつ、ここへ移す感じ」
俺は自分の手を見た。
何も出ない。
少し待った。
やはり、出ない。
「……移すものが見当たらないんですけど」
「最初はそう。登録したとき、体の中で何か感じなかった?」
「熱い感じは、ありました」
「じゃあ、それを思い出して」
胸から、腕へ。
肘から、指先へ。
さっきクリスタルに触れたときの感覚を追う。
急に、手のひらがむずむずした。
「お?」
「そのまま。強くしない」
何かが、腕の内側を通っている。
気づいた途端、もっとはっきりさせたくなった。
力を込める。
指の間で、白いものがちらついた。
そして消えた。
「今、出かけました?」
「出かけて、散った。集める前に量を増やしたから」
「ああ……」
リナが地面の最初の丸を棒でたたく。
「使う分だけ出す。残りは体に置いておく」
「全部使う必要はないんですね」
「最初の練習で空にしてどうするの。続きができないでしょ」
それは、よく分かった。
手元にある金を、最初の仕入れで全部使うようなものか。
売れるかも分からないのに、棚だけいっぱいにしても仕方がない。
まず、試せるだけ。
失敗しても、次がある量で。
もう一度、手を向ける。
さっきの感覚を探り、少しだけ指先へ送った。
小さな光が浮いた。
爪の先ほどの、大きさだった。
「止めて。量はそのまま」
息を止めた。
「呼吸はして」
「はい」
光が揺れた。
大きくしようとすると、端がぼやける。
慌てて抑えると、今度は消えかける。
妙だった。
触れるものではないのに、指先で細いものを扱っているような感覚がある。
どこが広がって、どこからこぼれているか。
目で追うより先に、手のほうで気づく。
ハサミを動かすときも、ずっと刃先を見つめているわけではなかった。
指に返るわずかな感触を頼りに、開く幅を変えていた。
同じではない。
でも、余計な力を抜いて、必要な分だけ動かす感じは、知っている。
広がりかけた光の端を、そっと内側へ寄せた。
光が丸くなった。
「……そこで保てる?」
リナの声が、少しゆっくりになった。
「たぶん」
「たぶんじゃなくて、三つ数えて」
数えた。
一つ。
二つ。
三つ。
まだ、ある。
リナは紙に何かを書き込んだ。
「いいわ。次は飛ばす。ただし、遠くまで届かせようとして、量を増やさないこと」
「同じ量で?」
「ええ。今日はあの的まで。広げず、細くまとめる。さっき私が撃った形を思い出して」
的を見る。
けっこう遠い。
手元の光は、頼りないほど小さい。
もっと大きくすれば届きそうな気がした。
けれど、それでさっきは散った。
使う量は、決めた。
だったら、届かせるほうを工夫する。
光を細く。
先を、的の中心へ。
リナの実演を頭の中でもう一度なぞった。
「形が決まったら、さっきの名前を唱えて。最初は、それを発動の区切りにするとやりやすいから」
名前。
さっきは、光が出たことに気を取られていた。
俺は手を伸ばしたまま、口を開く。
「アマテラス」
白い光が、指先を離れた。
細い線が的へ伸びる。
中心から少しずれたところで、小さく弾けた。
布の端に、茶色い点が残った。
俺は手を下ろせなかった。
「……出た」
「出たわね」
リナは的と俺の手を見比べ、紙に大きく印をつけた。
「命中。出力は小さいけど、最初なら十分。もう一度同じようにできれば、習得の確認も――」
彼女の声を聞きながら、俺はさっき口にした言葉を、頭の中で繰り返していた。
アマテラス。
光の魔法。
元の世界にも、似た名前があった、という程度ではない。
天照大神。
日本の神話に出てくる、太陽の神だ。
「あの」
「何?」
「今の魔法の名前って、誰がつけたんですか」
リナのペンが止まった。
「誰って……昔からそう呼ぶけど」
「何かの神様の名前だったり、します?」
「魔法の由来の話? 私は式と使い方を習っただけだから、そこまでは」
彼女は少し考え、紙の端に何かを書いた。
「気になるなら、協会の資料を聞いてみたら? でも先に、もう一回ね。確認がまだだから」
「……はい」
手を上げる。
さっきとは違う理由で、胸が落ち着かなかった。
偶然かもしれない。
こちらの言葉が、俺に分かる名前へ置き換わっているだけかもしれない。
けれど、もし違ったら。
ほかの魔法にも、元の世界の神話と同じ名前があるのだろうか。
雷なら、ゼウスとか。
そんな名前まで見つかったら、とても偶然では片づけられない。
自分がなぜここにいるのか。
調べようにも、何から探せばいいのか分からなかった。
でも今、初めて、確かめたいものができた。
「ジャズ。光、散ってる」
「あ、すみません」
指先へ意識を戻す。
まずは、もう一度。
この魔法を、自分で使えるようにする。
その名前を調べるのは、それからだ。
帰る方法なんて、あるかどうかも分からない。
それでも。
何もなかった道の先に、小さな目印が一つ立った気がした。




