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『成長条件は、自分で探せ。~異世界の食堂から始めるレベルアップ~』  作者: ジャズ


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2/12

第2話 ここはどこ? 


「行くのは、腹に何か入れてからにしな」


 通りの向こうへ向きかけた俺を、マルタが引き戻した。


「その手で剣なんか握ったら、夕方には匙も持てなくなるよ」


 手のひらを見ると、皮がむけていた。

 見た途端、痛みがはっきりした。

 さっきまでは、そんな余裕もなかったらしい。


 食堂の椅子に座ると、トマが深皿を運んできた。

 肉と豆の煮込みに、厚く切ったパン。


「熱いからね」

「鍋を運んだから知ってる」

「そっか」


 トマが少し笑った。

 俺も笑って、匙を持った。


 一口食べる。

 塩気と、煮崩れた豆の甘みがした。

 腹に温かいものが落ちていく。


 そこで、ようやく思った。


 待て。

 俺は、何をしているんだ。


     *


 ついさっきまで、戦い方を習うつもりになっていた。

 荷車が迫ってきて、身体が動いて、文字が出た。助かった。少し強くなった。

 その勢いで、次のことまで決めようとしていた。


 だが、昨日まで俺が握っていたのは剣じゃない。

 鋏だ。


 美容室の予約表を見ていた。

 明日は休みだと思った。

 そこまでは、覚えている。


 そのあと、店を出たか。

 車に乗ったか。

 家に帰ったか。


 思い出そうとすると、そこで途切れる。

 事故の記憶も、誰かに呼ばれた記憶もない。

 眠ったのかどうかさえ、はっきりしなかった。


 匙を置いた。


 窓の外では、木の車輪が石畳を鳴らしている。

 向かいの建物には、見慣れない文字の看板。

 歩く人の服も、街並みも、外国の古い映画みたいだった。


 それなのに、会話には困っていない。


「マルタ」

「今度は何だい」

「俺が倒れてたとき、近くに誰かいた?」


 マルタは布を水に浸す手を止めた。


「私が見つけたときは、あんた一人だったよ」

「物音とか、変わったことは?」

「裏口を開けたら、人が転がってた。それで十分変わってるけどね」


 それはそうだ。


「……その前のことが、うまく思い出せなくて」


 マルタは俺の顔を見た。

 さっきまでの勢いで何か言いかけて、やめた。


「頭も打ったのかい?」

「痛くはないんだけど」

「無理に歩き回るんじゃないよ。まず、その手を出しな」


 差し出した手を、濡らした布が拭った。

 しみる。

 夢なら、そこまで丁寧にしなくていい。


 傷のないところを見る。

 指の付け根に、長年あったたこがない。

 手首の古傷もない。


 俺の手は、こんなに若くなかった。


 記憶が抜けているだけでは、説明がつかない。


「ジャズ、こっちの手も」


 呼ばれて、反射的に顔を上げた。


 その名前もだ。


 俺は、別の名前で生きていた。

 なのに今朝は、聞かれるままにジャズと答えた。

 今も、自分が呼ばれたとわかる。


 他人の服を着せられたつもりでいたら、ポケットの位置まで知っていた。

 そんな気味の悪さがあった。


     *


 手当てが終わり、マルタが厨房へ戻った。

 俺は食べかけの煮込みを見つめた。


 ここがどこか。

 どうやって来たのか。

 この身体は何なのか。


 考えることが多すぎる。

 せめて、確かめられるものから確かめたい。


 さっきの文字。

 あれは、もう一度見られないのか。


 荷車のあとに出た、自分の名前を思い浮かべた。

 レベル1。習得技能、1/3。

 その続きを見ようと、意識を向ける。


 視界の端に、薄い枠が浮かんだ。


「……出るのかよ」


 今度は、短い通知ではなかった。


【ジャズ】

【レベル 1】

【HP 18/24】

【MP 8/8】


【筋力 7】

【耐久 6】

【敏捷 8】

【器用 28】

【魔力 4】


【習得技能 1/3】

【〈力の誘導〉】


【固有能力】

【〈万象の編み手〉】

【詳細を閲覧する条件を満たしていません】


 俺はゆっくり匙を置き直した。


 名前の次に、知らない言葉が並んでいる。

 いや、見覚えはある。

 ゲームでなら。


 HPは体力だろうか。

 減っているのは、手の傷のせいか、鍋と荷車でへばったせいか。

 MPが魔法に使うものだとしたら。


 魔法。


 煮込みの湯気の向こうで、厨房の火が揺れた。

 急に、知らない場所へ来たという実感が重くなった。


 しかも、器用だけ高い。

 他が一桁なのに、そこだけ二十八。


 包帯の巻かれた指を、一本ずつ曲げる。

 鋏を動かす感覚は思い出せる。櫛で髪をすくい、指で挟み、長さをそろえる手順も。

 若返ったらしい手に、仕事の感覚は残っていた。


 これが数値に出ているのか。

 そう考えると、少しだけ腑に落ちた。

 もちろん、二十八がこの世界で高いのかは知らない。

 厨房のトマが五十だったら、俺はただの早とちりだ。


 筋力は、今日二回上がった。

 それで七なら、最初は五だったことになる。

 鍋が重かったのも、無理はない。


 ただし、鍋を何回持っても上がらなかった。

 皿を速く洗っても、何も起こらなかった。

 何をすれば成長するのか、わかったつもりになるには早い。


 視線を下へ移す。


 〈力の誘導〉。

 荷車の向きを変えたときに出た名前だ。

 あの動きを、次もできるということか。

 名前がついただけで、練習が要らなくなるとは思えなかった。


 その下。


 〈万象の編み手〉。


 ずいぶん大きく出た。

 俺は今、包帯のせいでパンをちぎるのにも苦労している。


 意味を知ろうとしても、表示は変わらなかった。

 条件とは何か。その説明もない。


 習得技能は一つ。

 固有能力は別の欄にある。

 違いがあるらしい、ということしかわからない。


 結局、確かめる前より疑問が増えた。


     *


「冷めちまうよ」


 マルタの声で顔を上げた。


「難しい顔して、豆をにらんでるけど」

「豆より、もう少し大きい問題で」

「腹が減ってると、何でも大きくなるもんさ」


 言われて、残りを口に運んだ。

 うまかった。

 こんな状況でも飯はうまいのかと思うと、少しだけ肩の力が抜けた。


「さっきの、剣と盾の建物。あそこは何をするところ?」

「冒険者組合だよ。仕事の仲立ちや、街道の情報なんかを扱ってる。剣の扱いを教える人間もいる」

「街の外のことも、聞ける?」

「道や村のことならね。どこか行きたいのかい?」


 答えようとして、止まった。

 帰りたい場所はある。

 だが、地名を伝えて通じるのか。

 そもそも、道がつながっている場所なのか。


「まず、自分がどこにいるのか知りたい」


 マルタは何も笑わなかった。


「ここはベルカの街だよ。それも覚えてないのかい」

「……聞き覚えがない」


 口に出すと、胸のあたりが冷えた。

 マルタは少し考えてから言った。


「組合で地図を見せてもらいな。何か思い出すかもしれない。受付には私の宿から来たって言えばいい」

「助かる」

「わからない書類には、すぐ名前を書くんじゃないよ」


 急に、知っている種類の注意になった。

 それは覚えておこう。


     *


 空になった皿を重ね、立ち上がった。


 いきなり強くなって、何でもできる気がしたわけではない。

 荷車は止められなかった。

 今も手は痛い。


 ただ、目の前で数字が増えて、自分にも何かできると思った。

 それが、この場所のことまでわかったような気にさせていた。


 実際には、街の名前を一つ知っただけだ。


 帰る方法を探すにしても、ここで暮らすにしても、まず知る必要がある。

 金のこと。仕事のこと。街の外で、何に気をつければいいのか。

 そのうえで、身を守る方法を覚えたい。


「行ってくる」

「暗くなる前に戻りな」


 マルタが、洗った皿を拭きながら言った。


 戻る先がある。

 そう思えただけで、外へ出る足が少し軽くなった。


 通りを渡る。

 剣と盾の看板が、風に小さく鳴った。


 扉の前で、一度だけ自分の手を見た。

 包帯の下にあるのは、知らない若者の手だ。

 それでも、何を確かめるかを決めるのは俺だった。


 まずは、話を聞こう。


 俺は石造りの建物の扉を押した。

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