第1話「飯代を稼いだら、筋力が上がった」
第一話 まずは朝飯を
目を開けると、天井の隙間から青空が見えた。
雨の日は困るだろうな。
最初にそう思った。次に、ここはどこだと思った。
狭い部屋に木のベッドが一つ。壁には剣が掛かっている。ずいぶん凝った宿だ。
起き上がって、自分の手を見た。
若い。
指の付け根にあった仕事のたこも、手首の古傷も消えていた。
「……どうなってる」
昨夜の記憶がない。
美容室の予約表を確認したところまでは覚えている。明日は休みだから、誰にも会わずに過ごそう。そんなことを考えていたはずだ。
扉が勢いよく開いた。
「起きたか。生きてるなら下りてきな」
大きな洗濯籠を抱えた女が立っていた。
「すみません、ここは?」
「私の宿。あんた、裏口で倒れてたんだよ」
「それは、ご迷惑を」
「迷惑はこれからさ。泊まり賃、払える?」
ポケットを探った。
財布も携帯もない。
「働いて返す形でも?」
「話が早くて助かるよ」
女は初めて笑った。
*
一階は食堂だった。
暖炉に火が入り、鍋から肉と玉ねぎの匂いがする。
窓の外を馬車が通った。
その横を、耳の長い男が歩いていく。
俺は窓に近づいた。
男が帽子を脱いで頭をかく。耳は頭と一緒に動いた。
「何見てんだい」
「ちょっと、現実の確認を」
「確認できたら皿を洗って」
できてはいないが、皿は洗える。
俺は袖をまくった。
「名前は?」
「ジャズ……です」
答えてから、首をひねった。
今まで使っていた名前とは違う。それなのに、口から自然に出てきた。
「私はマルタ。そっちの痩せたのがトマ」
「痩せたのって紹介やめてよ」
かまどの前で、赤毛の少年が振り返った。
十五、六歳だろうか。自分の胴ほどある鍋を、布越しに持ち上げようとしている。
「それ、二人で持った方がいい」
「平気。毎朝やってるから」
平気という人間ほど、腰の使い方が危ない。
鍋を置く場所を空け、俺は反対側の取っ手を握った。
重い。
腕が震え、底が台にぶつかった。
「せーの、でいくぞ」
どうにか運び終えると、視界の端に文字が出た。
【筋力が1上昇しました】
「……は?」
「何?」
トマが俺を見る。
「いや。今、何か見えなかったか?」
「鍋の底の焦げ?」
「それは俺にも見える」
文字は、目をこすっても消えなかった。
*
試しに、空の鍋を持ち上げた。
さっきより軽く感じる。
元の場所へ戻し、もう一度持つ。
何も出ない。
五回繰り返したところで、マルタに止められた。
「鍋と仲良くなったら、こっちも頼むよ」
運ばれてきた皿は、二十枚以上あった。
能力の検証より先に、労働だった。
洗い桶は二つ。汚れた皿と洗った皿が同じ場所に積まれている。トマはその間を何度も往復していた。
「ここ、入れ替えていいか?」
「どうして?」
「その方が歩かなくて済む」
皿を受け取る場所、洗う場所、乾かす場所を順番に並べた。
前の仕事でも、道具の置き場所にはうるさかった。忙しい日に鋏を探す時間ほど、腹の立つものはない。
トマが一枚洗い、隣へ置く。
「あ、本当だ」
俺も作業に戻った。
しばらくして、また文字が出た。
【段取りを改善しました】
【敏捷が1上昇しました】
洗っていた皿を止めた。
重い鍋を運んで筋力が上がる。
仕事の無駄を減らして、敏捷が上がる。
だったら――。
皿を、さっきより速く洗ってみた。
一枚、二枚、三枚。
変化なし。
急いだせいで泡が袖に入っただけだった。
「何やってんの?」
「自分でも整理してるところ」
ひとまず、繰り返すだけでは駄目らしい。
*
昼前、通りから悲鳴が聞こえた。
顔を上げると、窓の外で荷車が動いていた。
馬のいない荷車だ。
坂を下りながら、積んだ薪をがたがた揺らしている。
その先に、小さな女の子がいた。
落とした林檎を拾おうと、しゃがみ込んでいる。
「危ない!」
声より先に身体が動いた。
裏口を飛び出し、女の子の腕を引く。
間に合った。
けれど、荷車はそのまま食堂へ向かっていた。開いた扉の前で、トマが立ちすくんでいる。
俺は荷台の横木をつかんだ。
腕に衝撃が走る。
止まらない。
靴底が石畳を擦った。
【筋力が不足しています】
「知ってる!」
真正面から止めようとするな。
俺は身体を横へずらし、横木の片側を引いた。
車輪が曲がる。
荷車は食堂の扉をかすめ、脇に積まれた藁袋へ突っ込んだ。
薪が崩れる音がして、ようやく止まった。
俺はその場に座り込んだ。
手のひらが痛い。膝も笑っている。
【筋力が1上昇しました】
【技能〈力の誘導〉を習得しました】
文字の下に、新しい表示が開いた。
【ジャズ レベル1】
【習得技能 1/3】
【技能を3つ習得すると、次の成長段階を選択できます】
次の成長段階。
俺はその一行を、もう一度読んだ。
「ジャズ!」
マルタが駆け寄ってきた。
「怪我は?」
「手が少し。あの子は?」
女の子はトマの後ろで、林檎を胸に抱えていた。泣いているが、立っている。
息を吐くと、急に腹が鳴った。
マルタが俺の腕を肩に回した。
「まず飯だね。そのあと手当て」
「泊まり賃は?」
「今日のぶんは、もう十分働いたよ」
支えられて立つ。
食堂の入り口には、薪が一本転がっていた。
朝は鍋一つ、まともに運べなかった。
今も荷車を止める力はない。
それでも、少し変わった。
「なあ、マルタ」
「何だい」
「この街で、戦い方を教えてくれるところはあるか?」
マルタは俺を見て、それから通りの向こうを指した。
石造りの建物に、剣と盾の看板が掛かっていた。まずは




