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『成長条件は、自分で探せ。~異世界の食堂から始めるレベルアップ~』  作者: ジャズ


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第10話 知らないから聞いている



昼の煮込みには、肉が入っていた。


昨日も入っていた気がする。

でも今日は、数えられるくらい落ち着いて食べていた。


三つ。


一つは少し大きい。


最後に残すことにした。


「先生のところは、どうだった?」


マルタが、水差しを置きながら聞いた。


「知らないことが、増えました」

「教わってきたんだろう?」

「教わったら、その先にもあるって分かって」


匙を動かす。


「三つほど先の町に、図書館があるって聞きました」

「ああ。国の図書館だね」

「知ってるんですか」

「行ったことはないよ。そっちから来る客もいるからね」


俺はパンを飲み込んだ。


「そこまで行く馬車って、この町から出てます?」

「協会で聞けば分かると思うよ。荷を運ぶのと、人を乗せるのじゃ、話も違うだろうし」


協会。


昨日はコアを売りに行った。

今日は道を聞きに行く。


同じ建物でも、用事が変われば、まだ知らない使い方があった。


「じゃあ、午後に聞いてきます」

「脚を引きずって出発するんじゃないだろうね」

「今日は、聞くだけです」

「それならいい」


最後に残した肉を、匙ですくった。


そのとき、隣の卓から声がした。


「図書館?」


顔を向けると、男が一人、こちらを見ていた。


三十くらいだろうか。

革の上着を椅子の背にかけて、片脚を通路へ投げ出している。

卓には、食べ終わった皿があった。


「はい」

「お前、昨日、赤いスライムを持ち込んだやつだろ」


俺は匙を止めた。


「……そうですけど」

「協会で聞いたよ。受付で座り込んでたって」


椅子を勧められたんだ、と訂正しかけた。


訂正して、何になるだろう。


男は俺の腰へ目をやった。


今日は剣を一本だけ下げていた。

リナのところへ行くのに、丸腰も落ち着かなかったからだ。


「スライムでそんな目に遭って、今度は本か」

「調べたいことがあるので」

「本で強くなるつもりかよ」


男が笑った。


何がおかしいのか、少し遅れて分かった。


俺が、だ。


「外は、読んだとおりに動いてくれねえぞ」

「それは、昨日よく分かりました」

「だったら先に腕を上げろよ。知らねえことばかりで出歩かれちゃ、周りが迷惑する」


胸のあたりが、固くなった。


昨日、帰ってこられたのは、運もあった。

受付の女性にも、リナにも心配をかけた。


そのことは、分かっている。


分かっているところへ言われると、言葉が深く入ってきた。


「だから、まず聞こうと思って」

「怖くなっただけだろ」


男は、水の入った杯を傾けた。


「怖いなら、ここで皿でも洗ってろよ」


*


腹が立った。


さっきまで、肉を最後に残して喜んでいたのに。

今は、口の中に味が残っていない。


怖い。


それは、そうだ。


火を吹くスライムがいる草地へ、今日もう一度行けと言われたら、断る。


でも、だから何も考えていないわけではない。


言い返そうとして、いくつかの言葉が浮かんだ。


皿洗いしかできない人間だと思うな。


俺は、元の世界では——。


そこで、止まった。


店があった。

働いてくれる人がいた。

一つの店だけを見ていればいい時期は、もう過ぎていた。


数字を見て、人と話して、決めてきた。


その記憶を、今、使おうとしていた。


お前が思っているより、俺は。


そこまで考えて、手元を見た。


匙を握る指。

昨日、鍋を運んだ手。

皿を洗って、泊めてもらった手。


俺は、何を言い返すつもりだったんだろう。


皿洗いしか、の「しか」は、どこから来た。


「お皿、空いてますか」


トマの声がした。


男の卓の横に立っている。

両手で盆を持っていた。


男は返事の代わりに、皿を押した。


卓の端まで滑った皿を、トマが慌てて受け止める。


俺は思わず腰を浮かせた。


汁が、盆に少しこぼれただけだった。


トマは皿を重ね直して、厨房へ向かった。

歩く速さは、さっきと変わらなかった。


俺は、浮かせた腰を椅子へ戻した。


この食堂で、昨日の俺は食べさせてもらった。


今日も、温かい飯が出てきた。


そのために誰かが鍋を見て、皿を運んで、洗っている。


俺だって、その一つをやった。


それを、あの男より上に立つために、自分から下へ置きかけた。


胸の奥にあった怒りが、少し形を変えた。


消えたわけではない。


何に腹が立っているのかが、ようやく分かった。


*


「怖いですよ」


男が、こちらを見た。


俺は匙を皿へ置いた。


「昨日、死ぬかと思ったので」

「だったら——」

「だから、知らないことを聞きに行くんです」


声は、思ったより普通に出た。


怒鳴らなくても、隣の卓には届いた。


「腕を上げたほうがいいのも、そのとおりだと思います。今日は先生にも言われました」


男は、少し顎を上げた。


俺は続けた。


「でも、ここの仕事を馬鹿にする話は、別でしょう」


食堂の奥で、鍋の蓋が鳴った。


男が眉を寄せる。


「別に、そこまで言ってねえよ」

「皿を洗うのも、必要な仕事です。俺はそれで、昨日ここに泊めてもらいました」


口に出して、少しだけ恥ずかしくなった。


偉そうに言っている俺も、さっき間違えかけたばかりだ。


だから、そこから先は言わなかった。


男は俺を見ていたが、やがて鼻を鳴らした。


「面倒くせえやつだな」


硬貨を卓に置き、上着を取る。


立ち上がる拍子に、椅子が大きく鳴った。


俺の身体が、少し固まった。


殴られたら、どうする。


そんなことを考えた自分にも腹が立ったが、男はそのまま扉へ向かった。


「本、落として泣くなよ」


最後まで、何が言いたいのかは分からなかった。


扉が閉まった。


俺は、息を吐いた。


脚より先に、肩が疲れていた。


*


「冷めるよ」


マルタが言った。


俺は皿を見た。


最後の肉が、まだ匙の中にあった。


口へ運ぶ。


うまかった。

少し、冷めていた。


マルタは男の卓から硬貨を集めた。


「すみません。食事中に」

「椅子も皿も飛んでない。十分だよ」


十分の基準が、少し怖かった。


「よく、ああいうことを言う人なんですか」

「自分より弱そうなのを見つけるとね」


マルタは空いた杯を持った。


「ただ、道が危ないってところは、本当だよ」

「はい。それは、聞きます」


何もかも間違っていたわけではない。


だから、最初は言い返せなかった。


でも、道が危ないことと、俺が何をしても駄目だということは、同じではなかった。


トマが厨房から戻ってきた。


盆は、拭いてあった。


「皿、持ってっていい?」

「ああ。ありがとう」


俺は食べ終えた皿を、取りやすいところへ寄せた。


トマが重ねる。


その手元を見ながら、俺は言った。


「さっき、危なかったな」

「うん。でも割れてない」

「そうだな」


トマは少し笑って、皿を運んでいった。


俺も立ち上がろうとして、脚の痛みを思い出した。


今日は、忙しい。


身体のあちこちが、それぞれ違う用事で俺を止めてくる。


椅子に座り直したところで、ふと表示が気になった。


意識を向ける。


筋力でも、敏捷でもなかった。


【精神 3】


朝、リナのところで見た数字は、二だった。


三。


もう一度、確かめる。


変わらない。


嬉しい、と思うより先に、不思議だった。


言い合いをしたからか。


何かに気づいたからか。


あるいは、まったく別の理由なのか。


さっきの男へ、お礼を言う気にはならなかった。


そこは、はっきりしていた。


表示を閉じて、今度こそ立った。


*


午後の協会は、昨日ほど混んでいなかった。


受付の女性が俺を見る。


「今日は、お怪我のほうはいかがですか」

「脚は痛いですけど、大丈夫です。今日は外へ行かないので」


言うと、彼女の表情が少し和らいだ。


「ご相談ですか?」

「はい。三つほど先の町にある、国営の図書館へ行きたくて。そこまでの馬車について、聞きたいんです」


女性は棚から、一枚の紙を出した。


「こちらの町ですね」


書かれた名前を、俺は覚えようとした。


彼女の指が、紙の上を動く。


この町。

次の町。

その先。


朝、リナが指でたどった道に、今度は町の名前がついていった。


「乗り場は東門の内側です。ですが、どの馬車も図書館のある町まで行くわけではありません。行き先と、途中で乗り換えが必要かを確かめてください」


俺は頷いた。


「お一人で向かわれる予定ですか」

「まだ、そこも決めていません。護衛がついている馬車って、ありますか」


「あります。商隊と一緒に動く乗合便ですね。空席があれば乗れますが、出発日は荷の都合でも変わります」


すぐ出る。

安く行く。

安全に行く。


全部を一度に選べるわけではないらしい。


女性は、今出ている予定を確認してくれた。


「こちらの便なら、片道で銀貨二枚です。道中の食事と宿泊は、別になります」

「……片道」


帰りも、ある。


当たり前のことを、運賃の前で思い出した。


手元に残っているのは、銀貨五枚と銅貨二枚。


往復だけで、ほとんどなくなる。


図書館へ着いたあと、泊まる場所もいる。

調べ物が一日で終わる保証もない。


俺は、紙の上の道を見た。


さっきより、遠かった。


でも、何も分からなかったときとは違った。


「図書館は、誰でも入れますか」

「利用の条件までは、こちらでは確かめられていません。必要でしたら、そちらから来た商人や御者に聞けるか、当たってみます」

「ありがとうございます。まず、分かってることだけでも助かります」


女性は乗り場への道を、もう一度教えてくれた。


俺は出発の申し込みをせずに、受付を離れた。


*


掲示板の前で、足を止めた。


昨日は、スライムのことしか見ていなかった。


今日は、別の紙も目に入る。


町の中で荷を運ぶ仕事。

倉庫の整理。

店の手伝い。


その横に、草地での採集と、魔物の討伐。


俺は、荷運びの紙を読んだ。


今の脚でやる仕事ではなかった。


剣も、まだ習うことがある。

魔法も、落ち着いた場所で練習したほうがいい。


金を稼ぐ。

身体を戻す。

できることを増やす。


やることを並べると、今日中に旅へ出ない理由は、十分あった。


図書館へは、行きたい。


それは変わらなかった。


俺は紙から目を離し、協会を出た。


帰る道は、もう分かる。


宿の扉を開けると、マルタが卓を拭いていた。


「馬車は?」

「ありました」

「いつ行くんだい」

「もう少し先にします」

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