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第十三話

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 人魚は時折、未来を夢に視ることがあった。

 たくさんの選択肢や可能性で彩られた未来は、何もしなければ視たままが現実となり、取る行動を変えれば違うものとなる。



 ***



 ある日、ウラニスは夢の中で溺れていた男を助けた。陸で生まれたとしても、泳げない魚人などいない。人間の男を間近に見るのはこれが初めてだったが、男が魚人でないことはすぐに分かった。

 夢で視た場所は、海底の洞窟を抜けた先にある。何故あんな場所に人がいたのだろうか。人魚を捕らえようとする人間はそれなりに存在するらしいが、そんな未来は千里眼の能力を持つ他の人魚からも聞いたことはない。考えを巡らせるうちに、先日ヤスミンが話していた人間のことをふと思い出した。

 魅了されていない状態のままなら、逃げ出しても不思議じゃない。ウラニスは男に会いに行ってみることにした。


「こんにちは」

 人魚が生活する場所と違って、ここには乾いた空気がある。申し訳程度についた扉を開けて覗き込むと、男は伏せていた顔を上げた。頬は痩け憔悴した様子だが意識ははっきりしているようで、投げやりな視線をこちらに寄越した。絶望に濁った緑の目からは、魅了の影響の欠片すら感じられない。恐らく、この男が人魚の糧になることはないだろう。

「私の名前はウラニスというの。あなたは?」

「……」

「教えてくれないの? なら、髪が金色だから金色さんと呼ぶわね」

 突然訪ねてきたかと思えば、勝手に話を進めるウラニスを、男は表情も薄いままに眺めている。種族は違えど言葉は通じるようで、彼女が男の名を金色さんと呼んだ瞬間、眉間には皺が寄せられた。

「金色さんは姉様たちの声を聞いて何とも思わなかったの? 狩りの時の姉様は本当に美しいのよ。私ならうっとりしてしまうわ」

「…恐ろしい、の間違いだろう。どれだけ耳触りの良い声をしていても、どれだけ外見が美しかろうとその実は人を食らう魔物じゃないか…お前だってそうだろう?」

「…ふうん。金色さんは魚を食べないの? 考えたことはない? その魚はもしかしたら魚人だったかもしれないし、私たちの眷属だったかもしれないのよ。ねえ、人を食べる者を魔物とするなら、魚人を屠る人間は何と呼べばいいの?」

 人を食らう魔物、そう呼ばれたからといってウラニスが傷つくことはない。ただ、不思議に思うだけだ。海は魚人の住まう国であり、この辺りが人魚の狩場だというのは、人間側にも知らされていると聞いたことがある。魔物とやらに会いたくないのなら、迂回すれば良いだけの話だ。

「海は私たち魚人の故郷よ。住処を荒らされて心が穏やかな者はいないわ。人の(ことわり)を海で説いても、それが一方的なものなら正しいとは言えないんじゃないかしら」

「…お前たちを殺してやりたいよ」

 にやりと口を歪めて笑う男の表情が、泣きそうに見えた。彼の仲間はもういない。皆、姉様たちの糧になった。だが他でもない人魚に同情されることを、男は望まないだろう。

「…そう、また来るわ。金色さんが食べられることはなさそうだし」

「来るなら金色さん、は止めろ。気が抜ける」

 その日からウラニスは、時間があれば男のいる部屋を訪ねた。男の死んだような目が、航海の話の時だけ本来の色を取り戻すのも面白かったし、男が時折零す人間たちの話も興味が尽きない。ヤスミンにせっつかれ王子様の話を聞き出そうとしたウラニスに、男が失笑で返し彼女を怒らせたのは、つい最近のことだ。

 姉様たちはウラニスがそうやって通い詰めることを、どう思っているのだろう。




「良かったわね、金色さん。船を用意してくれるそうよ。それほど大きなものじゃないけど、一番近くの陸地までなら充分だと思うわ」

 ウラニスはスカートの裾を摘みながら、何でもないことのように聞こえるよう気をつけた。

 人魚は普通、服を着ない。それなのに彼女がそんなものを身に付けているのは、目の前の男のせいである。人魚の姿の時はともかくも、人型になった時は人間と同じ格好をしないと、男は視線を向けようともしないし、むっつりと押し黙って口を開くこともない。服を着ることも、それを濡らさないよう部屋まで遠回りすることも、最近では慣れたものだった。

「そう…か。ここから出られるんだな」

「…喜ばないの?」

「いや…。世話になった」

 言葉少なに礼を言う男を見ながら、ウラニスは昨日までの自分がふわふわと泡になっていくのを感じていた。手で掴めば、水と一緒に溶けて消えていく儚い泡。

 人間に魅了されてしまう人魚など、不幸な結果しか呼ばないことは皆知っている。年嵩の人魚から嫌というほどに聞かされる古いおとぎ話は、ここにいる者なら誰だって(そら)んじることができるだろう。

 傷んだ髪を整えてやり、だらしなく伸びた髭を剃れば、男の見た目は見違えるようになった。故郷へ戻れば、すぐに伴侶が見つかる筈だ。男と同じ人間で気立ての良い娘が。




 男が元々乗っていた船は、彼らが捕らえられた時、既に他の魚人たちが持っていってしまっていた。用意されたのは一人でもなんとか扱える程度のこじんまりとした帆船で、狭くはあるが船室も付いている。

 男の見送りをしたいと申し出るウラニスに、指導役の人魚はすぐには許可を出さなかった。ヤスミンや姉様たちの手助けがなければ、この場に立つことは叶わなかっただろう。

 その恩人たちは、何故か後ろで二人のやり取りを息を詰めて見守っている。

「いいのか、船だけじゃなく食料まで」

「もちろんよ。金色さんは人魚の誘惑に勝ったんだもの」

「もう一度名乗りが必要か? ベリル・ルース・カルヴァンだ。変なあだ名はもう止めろ」

 金色さんと呼び続けることで、最後の砦を超えてしまわないようにしていたことが、この男に分からなかった筈はない。気を抜けば唇が震えそうになるのを、ウラニスは必死で堪えていた。

 きっと今日を限りに、彼女の一部は死んでしまうのだろう。そうして後何年かすれば狩りを始める。これからはもう着ることはないだろう服の生地を、彼女はしわになるのも構わず握りしめた。

「 」

 不意に吹いた強い風が言葉を飛ばす。思わず目を閉じ首を竦めると、ふわりとウラニスの体が浮いた。急に高くなった視線に驚く時間もない。瞬く間に船に乗せられた彼女は、何がどうなったのか理解も出来ず、只々、男の顔と仲間の人魚たちを見比べるだけだった。

「ウラニス、あなたもこれで一人前ね」

「あなたがそいつを落としてくれて良かったわ。人魚の魅力が通じないなんて、種族の名折れだもの」

「その男を食べたらいつでも戻ってきて良いのよ?」

「…どういうことなの? ねえ、ヤスミン! 笑ってないで教えてよ」

 ごつごつした岩の入り江で尾びれを跳ねさせるのは、ウラニスの親友ヤスミンである。何も知らない彼女の取り乱しようが面白いのか、先程から岩にすがりついて体を震わせていた。姉様たちは口々に、激励と思えなくもない言葉を彼女に送っている。

「ああ、面白かった。だってウラニス全然気付かないんだもの…! この人がここ最近、ウラニスをくださいって毎日毎日長に頼み込んでたのも知らないんでしょう? 本当なら食べちゃって終わりなんでしょうけど、ウラニスがこの人と船に乗ってるところを視たって、あなたの指導役のサナイエル様が伝えたものだから。もう、話が一気に進んじゃったのよ」

「だって先生、見送りに行きたいって言ったらすごく反対したわ。それにそんなこと一言も…!」

「サナイエル様も心配してたのよ、言い伝えのこともあるし。他にも何か視られたようだけど、それは教えてくださらなかったわ。それともなあに? 王子様からのお誘いは不満なの?」

「そんなこと思うわけないじゃない…でも」

 ウラニスはベリルと一緒に行きたいと思ってはいたが、ヤスミンと離れることを望んでいたわけではない。心構えもなく親友と別れることになろうとは、微塵も想像していなかったのだ。ヤスミンもそれはもちろん理解していたが、湿っぽくなってしまっては別れがもっと辛くなる。そう思ってにやにやとからかうような態度を崩さないように気をつけているのだった。

「…馬鹿ね。私がいつまでも半人前でいるわけないじゃない。すぐにここを出てあなたたちの仲を邪魔しに行ってあげるわ。それまでベリルさんだっけ? 精々ウラニスに身を差し出すのね、悲しい目に合わせたら承知しないんだから。人魚の呪いは恐ろしいわよ?」

「何かあれば遠慮なくそうしてくれてかまわない」

「ヤスミン、姉様、本当にありがとう。私、幸せよ」

「きっと会いにいくわ。それまで元気で」


 感情があちらこちらに動きすぎたせいでウラニスは半ばぼんやりとしたまま、ベリルが帆を張るのを手伝い繋いでいたロープを受け取った。ゆっくりと船は進み入り江が遠くなっていく。霧が船を包み全て隠されてしまっても、彼女は入り江の方を見つめていた。






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