閑話 素材(ジークベルト)
あの男は、棺の中を、狩りの獲物を見るような目で見ていた。
北の領地にいたころ、冬になると、狩人たちが森で仕留めた魔獣を屋敷の裏庭に運んできた。牙の長さを測り、角の重さを量り、皮を剥ぐ前に、どこにどれだけの値がつくかを言い合う。私は子どものころ、それを見るのが好きだった。
あのときの狩人たちと、同じまなざしだった。
「悪くない。これだけの魔力を宿した骨は、そうは出ない。魔術の素材として、塔の一年分の値はつく。頭蓋は触媒に、指の骨は杖の芯に」
魔塔主は、棺の縁に指をかけて、骨の太さを指の幅で測っていた。娘を見てはいなかった。見ていたのは、骨の色と、そこに残った魔力の名残だった。
灰色の目の縁に、細い銀の輪が浮いていた。
あいつの目にも、あった。下町の宿で、夜ふけに売り物の灯りの石へ魔力を注いでいたとき。魔力を使うときにだけ、ほんの一瞬。私は、それを一度も尋ねなかった。影の目の色など、気にとめる理由がなかった。
「七年も隣にいて、それにも気づかなかったか。何を見ていた」
何を見ていたのか。私は、ヴェロニカを見ていた。
隣で、若い男が身を乗り出した。魔塔主をそのまま若くしたような顔だった。灰色の目が、熱にうかされたように潤んでいた。
「約束どおりだね、ネフェリア」
男は、棺の中に向かって、やさしい声でそう言った。恋人に話しかけるような声だった。
「死んだら、遺体は私にくれると言っただろう。返事はなかったけど、いいよね。胸の骨は、私にください。二つの核が根を張っていた跡は、骨に残るはずです。やっと開ける」
やっと。
その言葉が、耳の奥で鳴りつづけた。
この男は、いつから待っていたのか。あいつが生きているうちから。あいつの胸を開く日を、こうして、うっとりと。
あいつは、こういう家で育ったのか。扉に背を向けて眠れない、と一度だけ言ったことがある。下町の宿で、私が理由を聞くと、癖です、と笑ってごまかした。
姉だという女は、自分の指先を切ってみせ、あいつの回復核が自分の中にあると言った。あいつが、私を救うためにそれを差し出したと。
「背中の鞭の痕、まだあった?」
女は、楽しそうに笑った。
あった。私は知っている。今は、私の背中にある。
手の甲の印。曲がった二本の指。背中の、盛り上がった赤い筋。私はそれを、影の稽古が足りないせいだと叱った。見苦しいから手袋をしろ、と言ったこともある。
正妻だという女が、敷居の向こうで扇を揺らしていた。
「床に膝をつくのがお上手ね。元の聖騎士様。拾った犬と、拾われた犬。お似合いだわ」
元の、聖騎士。
神殿の石の上に落ちた白い外套が、目に浮かんだ。誰かの投げた萎れた花が、背中に当たった感触も。偽物だ、と叫ぶ声。四年、自分の剣の腕と、神の加護だと信じてきたものが、ひとつ残らずあいつの体から借りたものにすぎなかった。
下働きの男たちが、棺に手を入れた。
骨が、ひとつずつ、白い布にくるまれていく。手際がよかった。仕留めた魔獣の牙を、角を、爪を、売り物になるように布で包んで箱に詰めていく狩人と、まったく同じだった。
若い男が、胸の骨だけを自分の手で包んで、懐に抱いた。頬ずりでもしそうな顔だった。
あれは、魔獣ではない。
私の影だ。私の名を呼んだ女だ。私の子を宿していた女だ。
気がつくと、立ち上がりかけていた。腰の剣の柄に、右手が触れていた。
斬る、と思った。
この男も、この女も、扇の陰で笑っているあの女も。娘を魔獣のように値踏みする者たちを、ひとり残らず。
柄を握ろうとして、指が滑った。
左手の小指と薬指は、曲がったまま動かない。右手の甲には、あいつと同じ「罪人」の印が浮いている。この手では、もう、まともに剣も握れない。
魔塔主が、こちらを見もせずに言った。
「やめておけ。今のお前の腕で抜けば、自分の足を斬るのが落ちだ」
若い男が、くすりと笑った。
「父上、この人には、道具の手入れという考えがないんですよ」
喉の奥で、何かが鳴った。
怒りは、行き場をなくして、腹の底で燃えつづけた。燃えて、燃えて、その底に、ゆっくりと、別のものが混じりはじめた。
お前の使い方では、ろくな結果にならなかったな。
使い方。道具の手入れ。
私も、そう思っていた。あいつは影だ。主のための道具だ。よく切れる剣だ。そう思って、七年、そばに置いた。魔核を渡せと言ったときも、金でも屋敷でも、償いはすると言った。値を、つけた。
この者たちと、何が違う。
違うとすれば、この者たちは、少なくとも骨の値打ちを知っている。私は、生きているあいつの値打ちさえ、知らなかった。
剣の柄から、手が離れた。
骨の最後のひとつが、箱に納められた。魔塔主が、棺の底から何かを拾い上げ、私のほうへ放った。
白っぽい、丸い川石だった。
「これはお前の子のものだろう」
石は床で一度跳ねて、私の膝の前で止まった。
私は、それを両手で拾った。
冷たかった。
あいつは、これを胸に抱いて死んでいた。墓掘りの老人が、そう言っていた。指をほどこうとしても、ほどけなかったと。
箱の蓋が閉じる音がした。
怒りは、まだ消えていなかった。けれど、それをぶつける先が、目の前の者たちなのか、自分なのか、もう、わからなかった。




