第25話 聖騎士の誕生
叙任の朝、王都じゅうの鐘が鳴った。
王宮の鐘楼から、大神殿の塔から、下町の小さな礼拝堂から。四年前、処刑の日に一人ずつの死を数えたのと同じ鐘が、今日は休みなく、晴れた空いっぱいに鳴り響いていた。
王宮の門の前には、夜明けから人が押し寄せていた。
「神前決闘で、七回斬られて血の一滴も出なかったっていう、あの」
「罪人上がりの聖騎士様だとよ」
「罪人じゃない、無実だったんだ。神様がそう決めなすった」
「あたしは最初から、あの家は濡れ衣だと思ってたよ」
四年前、同じ口で罪人めと罵っていた人たちだった。
広間の中は、絹と宝石で埋まっていた。天井から下がる燭台に、何百もの灯がともり、壁の金の装飾が、まぶしいほどに照り返していた。
「一度、大逆罪で滅びた家は、戻せぬ」
玉座から降ってきた王の声は、広間の石の柱にあたって、低く響いた。
ジーク様は、赤い絨毯の上に片膝をついたまま、動かなかった。
再審で、伯爵家の罪は晴れた。けれど、取り上げられた爵位も、領地も、北の屋敷も返ってはこない。王が一度下した裁きを、王みずから覆すことはできない。それが、この国の決まりだという。
貴族の列から、ささやきが漏れた。
「やはりな。爵位なしでは、ただの平民だ」
「哀れなものだ。せっかく無実が晴れても」
「だが、神は、そなたを選んだ」
王の声が、ささやきを断ち切った。
王が手を上げると、白い法衣の大神官が進み出た。手にした杖の先で、金の鈴が澄んだ音を立てた。
「神前決闘において、ジークベルト・ヴィンターハルトは七たび斬られ、一滴の血も流さなかった。神殿は、これを神の加護のしるしと認める」
広間が、どよめいた。
聖騎士。
神殿が「神の加護を受けた者」と認めた騎士のことだ。この国に、今は三人しかいない。爵位とは別格で、王族の次に重んじられ、王の前でも剣を帯びることが許される。王都に屋敷が与えられ、その屋敷は聖騎士邸と呼ばれる。
伯爵にはなれなかった。そのかわりに、伯爵よりも上の席を与えられた。
大神官が、ジーク様の右手を取った。手の甲の「罪人」の印の上に、手のひらをかざす。白い光があふれた。光が引いたあと、ジーク様の手の甲は、なめらかな肌に戻っていた。
私は、手袋の上から、自分の右手を握った。私の印は、消えない。
大神官が、ジーク様の肩に白い外套をかけた。背に、金糸で太陽の紋が縫い取られている。外套の下の濃紺の上着には、銀糸の雪狼。滅びた家の紋だ。三晩かけて私が縫った。
ジーク様は立ち上がった。冬の月のような銀髪を、もう黒い布では隠していない。前髪をうしろへ流し、まっすぐ前を見ていた。
「この剣を、神と陛下と、亡き父の名に捧げます」
よく通る声だった。
拍手が、広間の天井まで駆けのぼった。貴婦人たちが、扇の陰でため息をついた。
「なんて美しい方」
「聖騎士様、まだお独りなんですって」
「うちの娘を、ぜひ」
さっき「ただの平民」と言った男が、いちばん大きな拍手をしていた。
私は広間のいちばん後ろで、手袋の手を重ねて立っていた。
加護の正体を、私だけが知っている。
あの日の七つの傷は、まだ一つも塞がっていない。拍手が鳴るたびに、服の下で肩の包帯がこすれた。誰も、柱の陰の私を見なかった。それでよかった。
広間の向こうで、ラーベン子爵だけが、白いひげの奥からこちらを見ていた。
七日後、私たちは麦わら亭を出た。
「行っちまうのかい。寂しくなるねえ」
女将が、エプロンで鼻をかんだ。
「あの魂の抜けた男が、聖騎士様とはね。あんたが毎朝かゆを作ってたからだよ。忘れるんじゃないよ、聖騎士様に」
聖騎士邸は、王都の北の丘の上にあった。灰色の石の館に、門から玄関まで、葉を落とした菩提樹の並木が続いている。
玄関の前で、ジーク様はノエラを振り返った。
「今日から、お前が侍女頭だ。屋敷の女たちは、お前が選べ」
ノエラは返事をしなかった。
かわりに、隣にいた私を抱きしめた。
「あなたが、いちばん」
そこで声が詰まった。ノエラは私の肩に顔を押しつけて、子どものように泣いた。傷のある肩だった。私は、痛いとは言わなかった。
伯爵家の老執事ハインツも、噂を聞いて田舎から戻ってきた。玄関で、ジーク様の前に深く頭を下げ、長いあいだ顔を上げなかった。
「生きて、もう一度、若様にお仕えできるとは」
カスパルには、従者の服が用意されていた。紺の上着に、小さな銀の雪狼。
「これ、ほんとにぼくの?」
「お前は、私の従者だ。私を最初に騎士と呼んだのは、お前のほうだろう」
カスパルは上着を胸に抱えて、廊下の端から端まで走っていった。十二になっても、走り方は変わらなかった。
「見習いの見習いじゃなくて、本物の従者だ!」
その日の夕方、ジーク様は私を二階へ連れていった。
廊下の突き当たり、ジーク様の寝室の隣に、小さな部屋があった。窓に生成りのカーテンがかかり、寝台には新しい麻の敷布が敷いてある。小さな鏡台と、衣装箪笥。
「お前の部屋だ」
「影は、主の部屋の戸口で」
「もう戸口で寝なくていい」
ジーク様は窓を開けた。冷たい風と一緒に、菩提樹の枝の匂いが入ってきた。
「婚礼の支度が整うまで、ここを使え。整ったら、隣へ移ればいい」
私は手袋の上から、左手の薬指を握った。手袋の下で、細い銀の輪が指に食いこんだ。
鏡台の鏡に、灰色のお仕着せの私が映っていた。うなじで結んだ黒髪の結び目に、指が勝手にのびていた。
その夜、屋敷が寝静まってから、私は庭へ出た。
大きな屋敷には、守りの結界が要る。敵意を持った者が塀を越えれば、すぐにわかるように。古い館の結界は、何年も前に切れていた。
塀の石に、手のひらを当てた。
胸の奥から、魔力を引きだす。注げば注いだぶんだけ、石は淡く光って、隣の石へ光を渡していく。
暗い窓ガラスに、私の顔が映った。灰色の瞳の縁に、細い銀の輪が浮かんでいた。
塀を一周したとき、空が白みはじめていた。
結界は、毎晩注ぎなおさなければ薄れていく。誰に頼まれたことでもない。誰にも言わなかった。
翌朝、クロの足に小さな手紙を結んだ。
『ユリウス様へ。兄上は、聖騎士になられました。もうすぐ迎えに行けます。第二王子のことが片づいたら』
クロは私の指を軽くついばみ、北の空へ飛んでいった。
書き付けのことを、ジーク様はあれから一度も口にしない。私は、私のやり方で調べるつもりだった。
ジーク様が聖騎士として初めて外へ出たのは、それから五日後のことだった。王宮へ挨拶に行き、夕方には戻るという。
「夕食は、あのスープがいい。骨のやつだ」
「骨は、この屋敷の台所にはございません」
「では、買ってこい」
ジーク様は笑って、白い外套をひるがえした。
日が暮れても、戻らなかった。鍋の中で、スープが煮つまっていった。
夜も更けたころ、門の外で蹄の音がした。
私は灯を持って玄関へ出た。ハインツが扉を開けた。
白い外套のジーク様が、立っていた。
腕に、誰かを抱いていた。
垢じみた灰色のぼろ布にくるまれた、女だった。素足が泥で汚れ、もつれた髪がジーク様の腕からこぼれていた。灯を近づけると、その髪は、蜂蜜のような金色をしていた。
女が、ゆっくり顔を上げた。
若葉の色の瞳。口もとに、小さなほくろ。
ヴェロニカ様だった。




