第2話 十五歳、私は家を捨てた(後編)
姉より七つ上に、兄がいた。ベネディクト。義母の長男で、父の研究室で助手をしていた。
兄は、姉のように私を憎みはしなかった。父と同じだった。興味があるのは、私の核だけ。
廊下で私を呼び止めて、兄はよく私の胸のあたりを眺めた。ある晩、ランプの明かりの下で、兄は私の顎を指で持ち上げた。
「ネフェリア。お前、近ごろ顔色が悪いね。テオドラの毒かな」
心配してくれたのかと思った。兄は、うっとりした顔で続けた。
「もし死ぬときは、先に私に言っておくれ。腐る前に引き取りたいから」
「引き取る、とは」
「遺体だよ。お前が死んだら、遺体は私にくれないか。二つの核がどう根を張っているのか、開いて見てみたいんだ。肋骨を一本ずつ外して、ね。きっと、きれいだろうなあ」
兄の指が、私の胸の上で、肋骨の数をなぞるように動いた。
「ああ、でも、生きているうちに開けたら、もっとよくわかるのかな。父上は許してくださらないだろうけど」
兄は、本気だった。その目が、父と同じ色をしていた。
十三の冬、いつもより強い毒を飲まされた夜があった。三日たっても熱が下がらず、息をするたびに胸が焼けた。
四日目の夜、屋根裏の扉が開いて、父が入ってきた。
父は寝台の脇に立ち、私の上に手をかざした。瞳の縁に銀の輪が浮かび、薄く光る膜が、寝台ごと私を包んだ。守りの障壁だった。
父が私のために魔術を使ったのは、それが初めてだった。
熱にうかされながら、私は父の顔を見上げた。何か言ってくれるのを待った。
「回復核の育ちが、悪くない」
父は私の胸のあたりに目をやって、小さくうなずいた。それから、何も言わずに出ていった。
障壁は、七日で消えた。次の日の夕食に、また毒が入っていた。父は姉を叱らなかった。
あとになって、わかった。核も、限界を迎えるほど強く育つ。毒に冒されるたび、私の回復核は熱の中で、空になるまで癒やしの力を絞り出した。
父にとって、姉の殺意は、娘の回復核を鍛えるのにちょうどいい砥石だった。死なない程度に。
十五歳の春。私は父の執務室に呼ばれた。
父は書類から目を上げずに言った。
「お前の嫁ぎ先が決まった。二つのうちから選ばせてやる」
一つ目は、第六王子の妃。王位からは遠い、病弱な王子だという。
二つ目は、王弟殿下の妾。六十を過ぎた王弟殿下には、すでに妾が七人いるという。
「どちらに嫁いでも、王家はお前の魔力を欲しがっている。せいぜい役に立て」
王家に嫁いだ魔塔の娘は、毎月、決まった量の魔力を王家に納める。結界を張るため、魔道具を動かすため、王族の命を延ばすため。妃と呼ばれようが、妾と呼ばれようが、中身は同じだ。魔力を搾り取られるだけの、器。
塔の子ども部屋で、その話を聞いたことがある。王家に嫁がされた塔育ちの娘が、十年目に、二十八歳で死んだ。最後の数年は、寝台から起き上がることもできなかったという。
「お父様。私は」
「返事は三日後に聞く。どちらを選んでも、値は同じだ」
父はそれだけ言って、また書類に目を戻した。
部屋を出ると、廊下に義母と姉が立っていた。聞いていたのだ。
「王弟殿下の妾になさいな。あの女の子どもには、お似合いよ」
義母が扇を開いて笑った。姉も、楽しそうに肩をすくめた。
「七人目の妾の、さらに下ね。六十のおじいさまの寝台で、毎晩魔力を吸われて干からびるの。早く死んでくれたら、私の縁談もやっとまとまるわ」
姉は、ドレスの裾を私から遠ざけるようにつまんで、通り過ぎていった。
その夜、屋根裏の小さな窓から、私は月を見ていた。
窓ガラスに、青白い顔が映っていた。腰まで伸ばした黒髪だけが、やけに重たそうに見える。細い顎、薄い唇、表情の動かない灰色の目。塔の者たちは陰で、私を「魔塔の人形」と呼んでいた。食事のたびに毒を疑い、満足に食べられた日などほとんどない、やせっぽちの体だった。
どちらを選んでも、死ぬまで器だ。
この家にいても、器だった。
この家で、私の名前を呼ぶ人はいない。
それなら。
私は寝台の下から、古い外套を引っ張り出した。母が研究室に置いたままにしていた、紺の外套だった。裾は擦り切れ、色もあせている。それでも、この家で私のものだと言えるのは、これだけだった。
外套を羽織り、靴を手に持った。
塔の裏手には、下働きの者が使う古い通用口がある。夜中には鍵がかかっているが、私は鍵の場所を知っていた。子ども部屋で一緒だった友達が、そこで働いていたから。
階段を一段ずつ、音を立てないように降りる。心臓がうるさかった。見つかれば、閉じ込められる。そうなれば、もう二度と機会はない。
通用口の鍵が、小さな音を立てて回った。
扉の向こうに、夜の風があった。
振り返らなかった。この塔に、置いていきたくないものはひとつもなかった。
街道に出て、南へ向かった。国境を越えてしまえば、魔塔の手も少しは届きにくくなる。
三日目の夕方、私は国境の川を渡り、南の隣国、ノルトハイム王国の北の端にいた。
足の裏はまめだらけで、持ってきたわずかな銅貨は、もうパンひとつ分しか残っていなかった。それでも、空が広かった。
森の中の道に入ったときだった。
木の陰から、男たちが出てきた。五人。手に剣や棍棒を持っている。
「嬢ちゃん、一人かい」
逃げようとして、背中から突き飛ばされた。地面に倒れる。顔を上げる前に、腹を蹴られた。息ができなかった。
外套のフードがめくれて、髪がこぼれた。
男の一人が、私の外套の裏を見て目を細めた。そこには、小さな刺繍があった。魔塔の魔術師だけが身につける、塔の紋章。
「おい、こいつ、魔塔の娘だぞ」
「本当か。なら、高く売れる」
「北の魔塔に突き返せば礼金、南の奴隷商に回せばその倍だ。どっちにする?」
男たちが笑った。
私は地面に爪を立てた。
魔力なら、人より多く持っている。けれど塔で私が習わされたのは、魔力をきれいに差し出すための術だけだった。身を守る術は、ひとつも教えられなかった。器に、そんなものはいらないから。
逃げてきたのに。
また、売られるのか。




