↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「お前は妾で十分だろう」と言われたので、二十四時間後にこの世を去ります  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/61

第9話 牢の鍵(後編)

 床に落ちた服を拾って身につけ、上着をはおると、背中に布が張りついた。一歩ごとに、焼けた鉄を当てられているようだった。階段を上る。北の最上階まで、百を超える段を数えながら。


 三つ目の踊り場で、足が止まった。


 壁の向こうから、声がした。くぐもった男の声と、乾いた鞭の音。


「罪を認めろ。隣国と通じていたと、ひと言いえば終わる」


 答えはなかった。代わりに、また鞭の音がした。


「強情な若様だ。お前の父親は、もう半分認めかけてるぞ。母親は泣いてばかりだ。お前が意地を張るぶん、家族の苦しみが長引くだけだ」


 尋問室の扉は、わずかに開いていた。すきまから、灯りが細く漏れている。


 ジークベルト様が、柱に縛りつけられていた。


 シャツは剥がされ、背中に赤い筋が幾重にも走っていた。歯を食いしばって、うつむいている。銀髪の先から、汗が床に落ちていた。


「認めない」


 かすれた声が、それだけ言った。


「父上は、王家に背いていない」


 鞭が鳴るたびに、私の背中にも、同じ痛みが半分だけ走った。誓約の第一の段が、律儀に分け前を運んでくる。さっき牢番に打たれた二十の傷の上に、さらに重なっていく。


 あの方の背が、震えていた。


 半分では、足りなかった。


 私は踊り場の壁に背を預けて、胸に手を当てた。


 牢の結界は、外へ放つ魔術を封じる。けれど誓約の糸は、放つ魔術ではない。二年前にすでに結んだ、魂の結び目だ。その結び目を締め直すことまでは、結界にも止められないはずだった。


 角を折ったまま二年、一度も唱えなかった頁の文句は、一字も忘れていなかった。


 第二の段は、影の命を大きく削る。古い書きこみが、まぶたの裏に浮かんだ。


 かまわなかった。


 第二の段。魂の、最後の結び目。


 唱え終えた瞬間、胸の奥の糸が、きつく締まった。


 それから、来た。


 あの方の背中にあった傷が、すべて。焼けるような熱が、背骨に沿って流れこんでくる。私は自分の手首を噛んで、声を殺した。膝が石段に落ちた。視界が白く弾けて、しばらく何も見えなかった。


 扉のすきまの向こうで、尋問官が鞭を下ろした。


「何だ、これは」


 ジークベルト様の背中から、赤い筋が消えていた。打たれた跡が、ひとつも残っていない。


 尋問官がもう一度、鞭を振るった。乾いた音がして、私の背中が裂けた。あの方の肌には、何も起きなかった。


「おい、見ろ。跡がつかん」


「馬鹿な。今、確かに当たったぞ」


「神の加護か」


「大逆の罪人に、神が加護をくださるものか」


「なら、これは何だ!」


 尋問官たちが、顔を見合わせた。ひとりが、胸の前で聖印を切った。もうひとりは、鞭を床に取り落とした。


「今夜はここまでだ。牢へ戻せ。上に報告する」


 あの方は、何が起きたのかわからない顔で、自分の肩越しに背中を見ようとしていた。


 私は石段に手をついて、ゆっくり立ち上がった。背中は、もう痛いのかどうかもわからなかった。


 四半刻のうち、半分が過ぎていた。


 右から三つ目の牢。


 鍵を回すと、重い鉄の扉がきしんだ。


 中は暗かった。石の床に藁が敷かれ、高いところの小さな窓から、月の明かりが細く差しこんでいるだけだった。


「誰だ」


 かすれた声がした。


 奥の壁に、ジークベルト様が座っていた。尋問室から戻されたばかりで、両手首と片足に鉄の鎖をかけ直されている。冬の月の色だった銀髪は、伸びかけて、もつれていた。頬はこけ、あごの無精ひげは影のように濃くなっている。


 それでも、月明かりの中で私を見た目は、少しも鈍っていなかった。


「アマリア」


「はい」


「来るなと書いたはずだ」


「読みました」


「その髪は、どうした」


「邪魔でしたので」


 私は膝をつき、包みを広げた。パンとチーズ。水の入った革袋。傷薬と熱さまし。


「お召し上がりください。毒は入っておりません。私が確かめました」


 あの方は、しばらく包みを見ていた。それから、鎖の音を立ててパンに手を伸ばした。


 一口かじって、飲みこむ。もう一口。食べ方は、屋敷の食卓にいたころと同じように静かだった。けれど手は、わずかに震えていた。


 私は傷薬を手に、鎖の当たる手首をのぞきこんだ。


 鉄の輪の下の肌は、白いままだった。擦り傷ひとつない。


 その代わり、私の手首が、手袋の下でひりついていた。捕らえられた日から半分ずつ分けあってきた擦り傷が、今夜からは全部、私のほうにある。傷薬は、あの方には要らなかった。私は薬の小瓶を包みに戻した。


「父上と母上は」


「別の棟におられます。お会いはできませんでしたが、差し入れは牢番に託しました」


「ユリウスは」


「同じく、別の棟に。差し入れは、託してあります」


 あの方は目を閉じた。


 それから、目を開けて言った。


「ヴェロニカは無事か」


 薬を塗る手が、止まった。


 自分のことでもなく、両親のことでもなく、弟のことでもなかった。最後に、いちばん聞きたかったことを聞いたのだと、声の調子でわかった。


「侯爵家は、何のお咎めも受けておりません。ヴェロニカ様も、ご無事です」


「そうか」


 あの方の肩から、力が抜けた。


「よかった。あの人まで巻きこまれていたら、と思っていた」


 ヴェロニカ様の父親が、審問で偽りの証言をしたことを、ジークベルト様は知っている。その場にいたのだから。


 それでも、よかった、と言った。


「侯爵は、きっと脅されたんだ。あの人は、何も知らない。父親が何をしたかも、きっと知らずに泣いている」


 私は何も言わずに、熱さましの包みを、あの方の膝もとに置いた。


「金はどうした」


 急に聞かれて、顔を上げた。


「牢番は、ただでは通さないだろう。屋敷の金は、すべて王家に取り上げられたはずだ」


「ご心配なく」


「何をした」


「影の務めです」


 あの方は眉をひそめた。けれど、それ以上は聞かなかった。


 背中の傷が、上着の下で脈を打っていた。上着の裏に、じわりと温かいものが広がっていくのがわかった。私は背筋を伸ばし、少しでも楽に座っているように見せた。


 四半刻は、すぐに過ぎた。


「また参ります」


「来るなと言っている」


 私は一礼して、牢を出た。扉を閉め、鍵をかける。鉄の扉の向こうで、鎖の音がひとつだけした。


 階段を下りきったところで、足を止めた。


 裏門の詰め所に、明かりがついていた。誰かいる。


 私は柱の陰に身を寄せた。


 牢番の前に、フードをかぶった女が立っていた。上等な絹の外套。フードの縁から、波打つ蜂蜜色の髪がひと房こぼれている。


 女が牢番の手に、何かを握らせた。


 灯りを受けて、金色に光った。金貨だった。一枚ではなかった。牢番の太い指のあいだから、こぼれ落ちそうなほどだった。


「さっきの影の娘。いい声で鳴いた?」


「それが、ひと声も。つまらねえ女でさ」


「あら、残念」


 女は、くすくすと笑った。広間で聞く鈴の声とは違う、喉の奥で転がす笑い方だった。


 それから、牢番の耳もとに顔を寄せ、何かを囁いた。牢番が、にやにやしながらうなずく。


「へえ、そいつは。お安いご用で」


 女がフードを少しずらした。口もとに、小さなほくろがあった。


 ヴェロニカ様だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。