第7話 大逆罪(後編)
審問の間の石の床で、伯爵様が顔を上げた。
「印章は、私の書斎から一度も出ておらぬ」
「証拠はある。そして、証人もいる」
宰相が手を上げた。
傍聴席の前列から、一人の男が立ち上がった。
仕立てのいい外套。白いものの混じった金髪。指にはめた大粒の翠玉が、窓の光をぎらりと返した。
モルゲンロート侯爵だった。ヴェロニカ様の父親。
侯爵は、ゆったりとした足取りで証言台へ進んだ。途中、膝をつかされた伯爵様の横を通るとき、ほんの一瞬、足を止めて見下ろした。
「私は、この密約が交わされた場に居合わせました」
侯爵は、胸に手を当て、よく通る声で言った。
「先月、伯爵の北の別邸でのことです。伯爵はエーレンフェルトの使者と会い、この手紙に印を押しておられた。私は縁談のご相談に内々にうかがっていて、偶然、その場を見てしまったのです」
侯爵は、そこで声を詰まらせてみせた。指で目頭を押さえる。
「今日まで黙っていたのは、娘の縁談の相手の家だったからです。娘の幸せを思うと、どうしても口を開けなかった。父親の弱さを、どうかお許しください」
「なんとご立派な」
「娘より国を取られたのだ」
傍聴席から、同情の声が上がった。
伯爵様の顔から、血の気が引いた。
「モルゲンロート。貴殿は、何を。先月、貴殿は北へなど来ておらぬ。王都の、貴殿の屋敷で、縁談の酒を酌み交わしたではないか」
「おや。覚えておられないとは」
侯爵は、悲しげに首を振った。
「伯爵、もうおやめなさい。見苦しい。ご家族の前で、これ以上、嘘を重ねるものではない」
その目は、少しも悲しんでいなかった。口もとに、うっすらと、ヴェロニカ様と同じ形の笑みが浮かんでいた。
「貴様」
伯爵様が立ち上がろうとして、騎士に肩を押さえつけられた。石の床に、膝が打ちつけられる音がした。
「静粛に」
宰相が、乾いた声で言った。
「伯爵。口を慎まれよ。罪人の声に、もはやこの場で値打ちはない」
傍聴席が、どっと沸いた。笑い声さえ混じっていた。
私は、ジークベルト様の横顔を見ていた。
あの方は、侯爵を見ていなかった。侯爵の向こう、傍聴席の奥を見ていた。
つられて、私もそちらを見た。
柱の陰に、薄いヴェールをかぶった若い女が立っていた。顔は見えない。ヴェールの端から、蜂蜜色の髪がひと筋だけこぼれていた。
ヴェールの下で、口の端が、すうっと持ち上がった気がした。
人の波が動いて、その姿はすぐに見えなくなった。
宰相が、手紙を卓に置いた。
「密約の手紙。伯爵家の魔力の込められた封。そして、その場に居合わせた証人。三つがそろった。これ以上、改めることはない」
伯爵様が口を開きかけた。宰相は、それを見もせずに続けた。
「罪は、確定した」
審問は、半刻もかからずに終わった。
宰相は、羊皮紙を一枚、手に取った。
「判決を言い渡す」
審問の間が、しんと静まった。誰かが、ごくりと唾を飲む音まで聞こえた。
「ヴィンターハルト伯爵家当主、ならびにその妻、長男ジークベルト、次男ユリウス」
一人ずつ名が読まれるたびに、宙に金の聖字が浮かび、燃えた。
「ならびに分家を含む一族。伯爵の弟とその妻子、従兄弟とその妻子、その父母、その孫、乳飲み子に至るまで。あわせて、二百八十七名」
二百八十七。
その数が、高い天井に跳ね返って、落ちてきた。
傍聴席の誰かが、短く喉を鳴らした。笑っていた人たちの顔から、笑いが消えた。
「乳飲み子まで」
「三百人近いぞ」
「村ひとつ分じゃないか」
ささやきが、さざなみのように広がった。
分家の若い奥方が、悲鳴を上げた。先月、子を産んだばかりの人だった。
「お慈悲を! あの子はまだ、名前もついていないのです! お慈悲を!」
騎士が奥方の口を手で塞いだ。宰相は、羊皮紙から目を上げなかった。
「家で飼う使い魔もろとも、ことごとく死刑に処す」
宰相は、一度言葉を切った。
「刑の執行は、三十日後とする。それまでのあいだ、罪人はその魔力を、王家に捧げるものとする」
魔力を捧げる。牢の中で毎日、魔力を絞り取られるということだ。三十日のあいだ、一族の魔力は、王家の結界や魔道具を動かすために使われる。死ぬ日まで、骨の髄まで使い尽くされる。
塔で器として育った私には、それがどういうことか、よくわかった。
「以上。連れていけ」
宰相の声には、天気を告げるほどの重さもなかった。
奥様が崩れ落ちた。隣の伯爵様が、縛られた腕で支えようとして、縄に引き戻された。分家の従兄弟の一人が、声を上げて泣きだした。泣き声は次から次へと伝わり、審問の間は、二十人の嗚咽で満たされた。
ジークベルト様は、まっすぐ前を向いていた。泣きもせず、叫びもせず。ただ、縛られた拳だけが、白くなるほど握りしめられていた。
第二王子殿下が、肘掛けから手を下ろした。退屈な芝居が終わったときのように、小さくあくびをした。
「長かったね。昼食に間に合うかな」
隣の貴族が、声を立てて笑った。
屋敷に戻ると、門に王家の封印が貼られていた。
使用人たちは、全員その日のうちに暇を出された。ノエラは荷物をまとめながら、何度も私の手を握った。
「アマリア、あなたも一緒に来なさい。私の田舎なら、しばらく隠れていられる」
「いいえ」
ノエラは何か言いかけて、やめた。私の顔を見て、わかったのだと思う。
「死なないでね。お願いよ」
ノエラが門を出ていったあと、屋敷には、王家の役人と兵士だけが残った。財産を書き出して、すべて王家のものにするためだ。
私は、庭の植えこみの陰から、それを見ていた。
役人の長が、帳面を閉じた。それから、兵士たちに向かって言った。
「伯爵家にいる生き物は、家畜一匹残らず処分せよ」
大逆の家からは、人も、馬も、犬も、生きたものを何ひとつ残さない。この国の古い決まりだった。
ただの馬や犬に見えても、魔力を宿し、家の使い魔になっているものがいる。そういう獣は、主を救おうとして人に襲いかかったり、主を失って荒れ、手のつけられない災いになったりする。だから、見分けのつかないものも含めて、すべて始末する。
「鶏も、犬も、残すなよ。猫の子一匹でも見逃したら、お前らの首が飛ぶ」
兵士たちが槍を手に、厩舎のほうへ歩きだした。
クロは、今朝から厩舎の梁の上にいる。




