第7話 大逆罪(前編)
騎士たちは、玄関の扉も蹴破った。
鎧の音が廊下を埋めつくした。使用人たちの悲鳴。犬の吠える声。割れる花瓶。私は寝間着の上に上着をはおり、短剣を腰に差して、廊下へ飛び出した。
「何なの、何が起きてるの」
「王家の旗よ! 騎士団が」
「逃げろ、裏口だ!」
「裏口も塞がれてる!」
小間使いたちが泣き叫びながら、廊下を右へ左へ逃げまどっていた。途中、扉を開けかけたユリウス様に「部屋から出ないで」とだけ言い、ジークベルト様の寝室へ走った。
寝室の前の廊下で、あの方はもう剣を手にしていた。白いシャツの上に濃紺の上着を引っかけただけの姿で、寝乱れた銀髪が額にかかっていた。
「下がっていろ」
「若様の前に立つのが、影の務めです」
言い終わらないうちに、廊下の向こうから騎士の一団が現れた。先頭の男が羊皮紙を広げる。
その瞬間、廊下の宙に、金色の聖字が浮かび上がった。王家の命令だけに使われる、神殿の聖なる文字だ。一字一字が燭台の火よりも明るく光り、壁に並ぶ代々の当主の肖像画を白く照らした。
先頭の男は、執行官だった。その声に合わせて、宙の文字が一行ずつ燃えるように輝いていく。
「ヴィンターハルト伯爵家当主、ならびにその一族。大逆の罪により、王命をもって捕縛する。一族は、ことごとく処刑とする」
ジークベルト様の剣先が、わずかに下がった。
大逆罪。
王家に背いた者に下される、この国でいちばん重い罪だ。裁かれるのは本人だけではない。当主も、その妻も、子どもたちも、ひとり残らず首を落とされ、胸の魔核まで砕かれる。魔力も血も、この世に何ひとつ残さないためだ。爵位も、領地も、屋敷も、王家に取り上げられる。家そのものが、この国から消される。
「何かの間違いだ。父上が、王家に背くはずがない」
「申し開きは、審問の場でなされよ。もっとも」
執行官は、宙の聖字を見上げて鼻で笑った。
「申し開きが通った大逆の家など、聞いたこともないがね。北の雪狼も、今日で毛皮だ」
騎士たちがジークベルト様を囲んだ。私は短剣の柄を握った。
この人数なら、あの方を逃がす隙をつくれるかもしれない。
「アマリア」
ジークベルト様が、私を見ずに言った。
「やめろ。剣を抜けば、それこそ反逆の証になる」
私は柄から手を離した。
あの方は自分で剣を床に置き、両手を差し出した。縄がかけられる。騎士の一人が、わざと縄をきつく締め上げた。あの方の顔は、少しも歪まなかった。代わりに、私の手首に、焼けるような痛みが半分走った。
廊下の先から、伯爵様と奥様が連れてこられた。奥様は髪をほどいたまま、蒼白な顔で夫の腕にすがっていた。そのあとから、ユリウス様。寝間着のまま、裸足だった。
「兄上!」
「黙っていろ、ユリウス。何もするな」
ユリウス様は唇を噛んで、黙った。それでも、通り過ぎるときに、私のほうを振り返った。
騎士の一人が、私の腕をつかんだ。
「この女は」
「影でございます」
そう答えたのは、家令だった。
「若様の影です。姓はございません」
騎士は手元の羊皮紙を確かめた。
「一族の名簿に、名はないな。放せ。影など、主がいなくなれば野良犬と同じだ」
影には姓がない。だから、家の一族の数に入らない。罪人の一族として、捕らえられることもない。
私の腕は放された。
主が縄をかけられて連れていかれるのを、私は廊下に立ったまま見送った。
その夜、私は王宮の地下へ忍びこんだ。
審問を待つ罪人は、王宮の地下牢に留め置かれる。認識阻害の術をまとって裏庭を抜け、地下へ続く石の階段の入り口までたどり着いた。
一段目に足をかけたとき、まとっていた術が、ほどけるように消えた。
王家の牢には、魔術を封じる結界が張られている。中では、誰も魔力を使えない。罪人が魔術で逃げ出さないように。外から魔術で助け出されないように。
ここから先は、影の体ひとつで行くしかなかった。私は交代の衛兵の足音に自分の足音を重ねて、階段を下りた。
いちばん奥の牢に、ジークベルト様がいた。
両手を縄で縛られ、壁の鉄の環につながれていた。上着は取り上げられ、シャツの襟もとが裂けている。燭台の明かりの届かない暗がりで、あの方は目を開けていた。
「若様」
鉄格子の前で暗がりから出ると、あの方の目が、わずかに見開かれた。
「アマリア。どうやって」
「錠は、針金で外せます。魔術は使えませんが、北の門の衛兵は、一刻ごとに交代します。今なら」
「逃げない」
短い答えだった。
「ここで逃げれば、罪を認めたことになる。父上も、母上も、ユリウスも、その場で首を落とされる」
私は、錠に伸ばした指を止めた。
「お前は、屋敷の者ではない。姓もない。今のうちに、どこへでも行け」
「影は、主のそばを離れません」
「主の命令が聞けないなら、影ではない」
あの方は、何か言いかけた。そのとき、階段の上から、衛兵の足音が近づいてきた。
「行け」
私は壁の窪みに身を押しこみ、息を殺した。衛兵の灯りが、私の爪先の手前で止まり、引き返していった。
それから五日、私は毎晩、王宮の地下へ通った。あの方は、二度と口をきいてくれなかった。私はただ、鉄格子の外の暗がりに座って、夜が明ける前に帰った。
五日後、王宮の審問の間で、伯爵家の審問が開かれた。
私は影の服の上に古い外套をはおり、フードを深くかぶって、傍聴を許された人々の中にまぎれこんだ。黒髪は紐ごと襟の中へたくしこんだ。
審問の間は、人であふれていた。貴族も、商人も、物見高い町の者も、立ったまま肩を押しあっていた。
「北の雪狼が、隣国と通じていたんですって」
「前から怪しいと思っていたのよ。国境の軍なんて、いつ寝返ってもおかしくないもの」
「首が何十も並ぶらしいぞ。こりゃあ見ものだ」
「ねえ、侯爵令嬢との縁談はどうなるの?」
「なくなるに決まってるでしょう。お気の毒なヴェロニカ様」
高い天井の下、正面の玉座は空だった。陛下はお出ましにならず、代わりに王の名代として宰相が座っていた。灰色の髭を短く刈りこんだ、痩せた老人だった。目は、乾いた石のように動かなかった。
その脇の席に、第二王子フェルディナント殿下の姿があった。
初めて間近に見る殿下は、穏やかな顔をしていた。肘掛けに頬杖をつき、ときおり隣の貴族に何かささやいては笑っている。
縄をかけられた一族が、中央に引き出された。
伯爵様、奥様、ジークベルト様。ユリウス様の姿はなかった。成人していない子は、審問の場には出されない。別の牢に入れられているのだと、あとで知った。
そのうしろに、分家の人たちが続いた。伯爵様の弟君とその奥方、従兄弟たち、その連れあい。あの夜、分家の屋敷にも、同じように騎士団が向かっていたのだ。
二十人ほどが、審問の間の石の床に、膝をつかされた。本家と、分家それぞれの当主の家の者たちだった。分家の子どもや年寄り、遠い縁者たちは、王都のほかの牢に入れられていると聞いた。
明るい場所で見るジークベルト様は、あごに無精ひげが伸び、頬が少しこけていた。汚れたシャツ一枚だった。それでも、薄い氷の色の瞳だけは、まっすぐ正面を見ていた。
証拠として掲げられたのは、一通の手紙だった。
「伯爵家の当主が、北の隣国エーレンフェルトの将軍に宛てた密約である。北の国境の砦を明け渡す代わりに、隣国の後ろ盾を得て、王家に兵を向ける、と記されている」
宰相が、手紙の末尾を高く掲げた。
赤い蝋に、雪狼の紋章がくっきりと押されていた。
伯爵家の印章だった。
傍聴席が、どよめいた。膝から力が抜けそうになった。あの夜、雪狼の溝に残っていた、赤い蝋。
「でたらめだ」
伯爵様が声を張った。
「私はそのような手紙を書いた覚えはない。筆跡を改めていただきたい」
「筆跡は書記の手によるもの。だが、封は貴殿のものだ」
宰相は、手紙の封蝋を指で示した。
「封の魔力は、すでに神殿の魔術師があらためた。この蝋には、ヴィンターハルト伯爵家の魔力が込められている。貴殿の家の印章でなければ、この封はできぬ」
貴族の家の印章には、その家の血に伝わる魔力が込められている。押せば、蝋にも同じ魔力が残る。ほかの家の者には、決してまねができない。
ほかの家の者には。
この国には、ひとつの習わしがある。親しい者どうし、信頼しあう者どうしは、自分の魔力を込めた飾りを贈りあう。指輪や首飾り、髪留め。家族や、恋人や、将来を誓った相手に贈るものだ。
もし、ジークベルト様が、ヴェロニカ様にそんな飾りを贈っていたなら。
縁談の話が出てから、あの方は何度か、ひとりで宝飾店に足を運んでいた。何を買ったのか、私は知らない。顔合わせの日、ヴェロニカ様の胸もとで揺れていた、小さな銀の飾りが目に浮かんだ。
ヴェロニカ様なら、ジークベルト様の魔力で、封ができてしまう。
背すじが冷えた。




