クレナシの日
秘境駅を訪ねるのが、俺の趣味。
誰もいないけど、人の生活をわずかに感じさせる駅舎を見るのが好きなんだ。あと、駅の周辺を見て回るのも好き。ちょっとした冒険気分が味わえる。
だからこの間の秋の連休にも、出かけてきたんだ。
これは、そのときに体験した話。
山陰地方のとある秘境駅に行ったんだ。
不思議なくらい静かだった。人の気配を感じない。でも、民家はぽつぽつとあったし、生活感はあったから空き家ってわけでもなさそうだった。よっぽど耳の遠い老人が住んでいるのか、窓を閉めていてもテレビだかラジオだかの音が漏れている家もあった。
妙だったのは、どの家の玄関にも草で編んだ飾りがぶら下がってたことだ。
楕円形の輪の中に、何かの葉っぱで丸く編まれた飾りが入っている。楕円の上側にだけ、編み込まれた細長い草が何本か飛び出している。
俺にはその飾りが、目のように見えたよ。
その飾りがぶら下がっていることに気が付いてからは、その飾りが妙に目についた。いちいち調べようと思ったわけじゃないけど、全部の家についてたんじゃないかな。
なんだか、見つめられているみたいで居心地が悪かった。
俺の足は、その飾りの目から逃れるように山の方に向かっていた。
それで、周りに木々が増えてきて、集落と山の境目の辺りまで来たときに、木々の間で何かがしゃがんでいるのが見えたんだ。
何だ、あれ? 人か? 体調でも悪いのかな?
そう思って、俺はそのしゃがんでいる人に近付いたんだ。
近付いてみて、そのしゃがんでいる人の異様さに俺の背筋は凍りついた。
それは人の形をしていたけど、皮膚が灰色だった。服は着ていない。
そいつの傍らには、獣の骨があった。獣の頭蓋骨には角があったから、鹿だったんじゃないかなと思う。
その灰色のやつは、鹿の肋骨の骨を、必死にしゃぶっていた。骨を這う舌は、異常なくらい長かった。
目の前の光景に、俺は思わず後ずさったんだ。
そのとき、足元にあった石がこすれあって、ジャリって音を立てた。
ヤバいって思った。
案の定、灰色のやつは音に気が付いて、俺の方に顔を向けた。その顔には、目がなくて、本来目があるところは暗い空洞になっていた。
目がないのに、俺は「目が合った!」と思ったよ。
俺の方に顔を向けたまま、やつは立ち上がった。口元がニヤァと笑って、長い舌がずるりと口の中に引っ込んでいった。
俺は逃げた。
とりあえず駅まで逃げて、早くこの場所を離れなくちゃ。いや、電車なんていつ来るかわからないぞ。じゃあどこに逃げればいいんだよ! って思いながら逃げた。
秘境駅の電車なんて、1時間に1本も来ないなんて当たり前だ。
もう、絶望的な気分だったよ。
そのとき、一軒の家からおじいさんが出てきて「早く、こっちだ!」って俺を招き入れてくれた。
俺が転がり込むようにしてその家に入ると、おじいさんは外に向かって何かを投げて、玄関を閉めた。
走りすぎて呼吸が整わない俺の背中を、おばあさんがずっとさすってくれた。俺は玄関の土間にへたり込んだまましばらく動けなかったし、おじいさんも険しい表情をして玄関の向こう側を睨んでた。
少しして、何かが玄関の前を歩いているような音が聞こえてきた。俺はあの化け物が追いかけてきたんだと思って、息を飲んだ。
しばらく玄関の外で足音がしていたけど、やがてその足音は遠ざかっていった。音が聞こえなくなると、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
おじいさんとおばあさんは、俺を居間に通してくれて、お茶も出してくれた。
おじいさんは「今日は”クレナシの日”だから、うちに泊まっていけ」と言った。そんな日を聞いたことはなかったけど、さすがに知らない人の家に泊まるのは気が引けて、俺はすぐに帰りますって言ったんだ。
そしたら「クレナシが出る日は、外に出ると危ない。クレナシは人の骨を舐めたがる」って言われた。そのクレナシっていうのが、あの灰色の化け物のことなんだって分かったよ。
結局、俺はその家で一晩お世話になることにした。
おじいさんの話によると、クレナシは昔からこの地に住んでいて、人でも、神でも、獣でもない存在だそうだ。血が通わない灰色の肌をしているから「紅なし」で「クレナシ」と呼ばれている。
このあたりの伝承では、骨に染み付いた記憶を舐め取ることで、存在を保っているそうだ。
クレナシは一年に一度、11月1日に人の骨を求めて山から下りてくる。
自分自身に瞳がないからか、目のモチーフを嫌うらしい。だから、このあたりに住む人は11月1日になると”眼守”と呼ばれる飾りを草で編んで玄関にぶら下げるそうだ。
玄関を閉める前におじいさんが投げたのも、眼守だったそうだ。
そんな話を、夕食の席で聞かされた。実際にクレナシを見はしたけど、にわかには信じられない話だった。
長くこの土地に住んでいるふたりも、実際にクレナシを見たことはないと言っていた。玄関越しにその気配を感じたのも初めてだと言っていた。
おばあさんが「とても怖かったよ。あれと目が合ったら、死んだ後に骨を食われるって言うからね」と言って震えていた。
こんなことがあったもんだからさ、今後、秘境駅に行くのも少し躊躇しちゃうよね。
まぁ、こんな体験をすることなんて、そう何度もあるわけじゃないだろうけどさ。
もし、山の方に行くことがあったら、少し気を付けた方がいいかもな。




