櫛隠し
これは僕が趣味でやっているフィールドワークで聞いた、とある土地の昔話です。話してくれたのは、話を聞いた当時で93歳だったエツコさん。そんな年齢には見えないくらい、元気で可愛らしい方でした。そんなエツコさんが、幼少期を過ごした集落での話だそうです。
集めた話は伝聞調ではなく物語として書いているので、少し読みにくいかも知れませんがご容赦ください。
エツコが暮らしていた集落は貧しく、まるで集落全体が家族のように、お互いに支え合って暮らしていた。
その集落には、とびきり美人として評判のミチという娘がいた。ミチは美しいだけでなく気立てもよく、エツコのことも実の妹のように可愛がってくれた。
畑仕事も嫌がらずに両親を手伝う働き者で、嫁の貰い手には困らないだろうと噂されていた。いや、ミチほどの器量なら、こんな集落ではなく都会の金持ちに見初められたって不思議ではないと言われていた。
ミチは美しい顔立ちだったが、それ以上に人の目を引くのは彼女の豊かな黒髪であった。
まるで夜空の黒で染め上げた絹糸のような美しさ。その髪をほどけば、目を奪われぬ男などいなかった。ミチの黒髪は集落中の女の憧れだった。
しかしミチが18歳になった秋、彼女には異変が静かに忍び寄っていた。
集落の女の子たちに針仕事を教えていたミチの表情はどこか冴えない。エツコはいつもより笑顔が少ないミチを心配して、どうかしたのかと声をかけた。
ミチは力なく笑って、「ありがとね、エッちゃん」とだけ言った。
元気がない理由をミチは教えてくれなかったが、エツコはその理由を集落の子どもから聞いた。
「ミチ姉ちゃん、”櫛隠し”にあってるんだよ」
「”櫛隠し”って妖怪の?」
「そう、俺の父ちゃんが言ってたんだ。毎日髪の毛が抜けるんだって」
「そんなの、私だって毎日抜けるよ? それも妖怪の仕業なの?」
「違うよ。いっぱい、髪の毛が抜けるんだ。それが”櫛隠し”の仕業」
「ミチ姉ちゃんの黒髪、なくなっちゃうの?」
「そんなの、分かんないよ」
エツコは、”櫛隠し”については半信半疑だった。
しかし、日が経つにつれ、ミチはやつれていき、豊かだった黒髪は艶を失い、その毛量を減らしているように見える。
それはエツコだけでなく、集落の全員が感じていたことだった。
これまではミチの美しさや嫁の行き先を噂していた人々は、ミチの髪が”櫛隠し”に奪われていると噂し合った。
そうして冬がやって来て、集落が年を越す準備を進めていたある夜、ミチの家の方から悲鳴が聞こえてきた。
エツコの父が様子を見に出かけ戻ってきたが、父は口を重く閉ざして何も語らなかった。
子どもたちを寝かせると、父は声を潜めて、母にミチに起きた異変について語った。エツコは寝たふりをして、ふたりの会話を聞いていた。
何かあったのかと、集落の男たちがミチの家に行くと、ミチは自分の髪を掴み「いるの……、いるの……!」と半狂乱で叫んでいた。
畳に座り込んだミチの周りには、ミチのものとおぼしき黒髪が大量に落ち、ミチの頭はまるで刈り取られたようにまばらに髪が生えているだけだった。
その姿は、かつての美しさの欠片もなく、痩せこけた老婆のようだった。
結局その後、ミチは臥せったまま起き上がることもなく、春を迎える前に亡くなってしまった。
ミチの両親は無惨になった娘の姿を集落の人々の目から隠すように埋葬し、ミチの死に顔を見た者は誰もいなかった。
夏の頃にはミチの名前が集落の者の口に上ることもなくなった。
エツコにはそれが、寂しく思えた。
エツコさんは、ミチさんのことを誰かに覚えていてほしいと、僕にこの話をしてくれました。
話に出ていた”櫛隠し”とはどんな妖怪なのかと聞いてみると「姿なんてもんは伝わってないけどね。きれいな髪の娘に嫉妬して、髪ばかりか命も奪う妖怪だよ。まぁ、女の妖怪だろうね」と言っていました。
エツコさんの口調には少し怒りが滲んでいました。ミチさんのことを、本当の姉のように慕っていたからこそ、理不尽に命が奪われたことが悔しかったのでしょう。




