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3.黒髪の現人神

痛い。頭が割れるように痛くて、お腹が熱くて、冷たい。必死に脇腹を両手で押さえながら、僕はがむしゃらに緑の茂みをかき分けた。銀色の長い髪が茨に引っかかり、自分の血を吸って赤黒く染まっていく。


死にたくない。その一心だけで、もつれる足を前に動かした。どれくらい走っただろうか。突然、視界を塞いでいた木々が途切れ、目の前が開けた。


そこには、固められた広い土の道が延びていた。


「あ…ぁ…、人……?」


僕は煤けた視界で、その光景を凝視した。


腰に剣を帯びた革鎧の男たち。長い槍を背負った大柄な人影。大きな木箱をいくつも積んだ馬車が、パカパカと蹄の音を立てて通り過ぎていく。中世ファンタジーの絵本から飛び出してきたような、本物の異世界の住人たちだ。


助かった。人がいる。街が近いんだ。


「た、たすけて……ください! お願い、します……!」


僕は声を振り絞り、道行く人々に手を伸ばした。


だが、誰も足を止めない。荷馬車を引く御者は僕を一瞥すると、酷く冷淡な目で視線を逸らし、鞭を振るった。すれ違う武装した男たちも、まるで道端の石ころでも見るかのように、僕を避けて通り過ぎていく。


「なんで……っ、誰か、誰でもいいから……!」


出血のせいか、視界が急激に狭くなっていく。焦燥感に駆られ、ふらふらと歩を進めた時、前方を歩いていた数人の男たちの背中にぶつかってしまった。


「あ……ごめんなさ――」


「あぁ? なんだお前。汚ねえ血をつけやがって」


振り返ったのは、濁った目をした大柄な男だった。

男は僕の格好を上から下まで眺めると、鼻で笑った。


「なんだその服。どっかの貴族の奴隷か? ったく、気持ち悪いな。どけ!」


鈍い衝撃が顔面に走った。

男の拳が、僕の頬を容赦なく殴りつけたのだ。

僕は吹き飛び道の端の泥溜まりへと叩きつけられた。


「がはッ……、げほッ!」


口の中に鉄の味が広がる。腹部の傷から、さらにどろりと熱いものが溢れ出た。男たちは吐き捨てるように笑いながら、そのまま歩み去っていく。


泥に塗れたまま、僕は虚空を見つめた。


どこが異世界ファンタジーだ。どこが楽しい物語だ。


ここにあるのは、ただの理不尽で、冷酷な現実だけじゃないか。


やっぱり僕は、あの時、あの横断歩道で死んでおくべきだったんだ。誰だかも思い出せない大切な人の顔が、脳裏でまた白いノイズに消されていく。


じわじわと感覚がなくなっていく身体を横たえ、僕は目を閉じようとした。


その時、道の奥から、ざわざわとした地鳴りのようなざわめきが聞こえてきた。


目を開けると、道の向こうから、一際異彩を放つ巨大な集団が歩いてくるのが見えた。


全員が純白の衣服を身に纏い、整然とした足取りで進んでいく。その中央を守護するように囲む護衛たちは、手にする武器ごとに明確な配色がされていた。大剣や剣を持つ者は鮮烈な赤、杖を掲げる聖職者らしき者たちは深い緑。一目で、それが極めて格式の高い、特別な組織の行列だと理解できた。


そして、その厳かな集団の中心に、彼女はいた。


白と金で彩られた、豪奢で気品溢れるローブ。


風に揺れるのは、僕の知る世界と同じ、艶やかな黒髪。


何よりも目を引いたのは、その黒い瞳だった。大きく、すべてを見通すかのように澄んだ、圧倒的な存在感。僕の世界には絶対に存在しない、息を呑むほどに美しい顔立ちをした女性。


その凛とした姿に、泥の中から見上げる僕の目は、完全に釘付けになった。


行列が、僕の真横を通り過ぎようとする。


彼女の大きな黒目が、一瞬、道の端で行き倒れている僕を捉えた。


-目が、合った。


そう思った次の瞬間、視界から彼女の姿が掻き消えた。


え、と声を漏らす暇すらない。


「ねえねえ、君。面白いスキルと名前だね?」


鼓膜を揺らしたのは、場にそぐわないほど明るく、元気な少女の声だった。


気がつけば、彼女は僕のすぐ隣にしゃがみ込んでいた。護衛の集団を置き去りにして、一瞬で距離を詰めてきたのだ。驚愕で固まる僕の顔を、彼女は覗き込んでくる。


「うわぁ、血がこんなに出て大変そう! よし、助けてあげるね!」


『セイクリッドヒール』


「あ……、ありが……」


言葉が出ない。彼女の手が、僕の血濡れたお腹にそっと触れた。


その瞬間、彼女の手のひらから温かな光が溢れ出し、僕の身体を包み込む。焼けるようだった痛みが急速に引き、傷口の肉が目に見えて塞がっていくのが分かった。


「現人神様――っ! 何をされているのですか!」


遥か後ろに取り残されていた行列から、神官らしき男が血相を変えて大声を張り上げた。周囲の護衛たちも、慌てふためいてこちらへ駆け寄ってこようとしている。


「はーい!」


彼女は緊張感のない声でそう返事をすると、すでに治療を終えたのか、すっと立ち上がった。


お腹の痛みは、完全に消えていた。


呆然と座り込む僕を見下ろし、彼女はいたずらっぽく微笑む。そして、僕の目を真っ直ぐに見つめると、パチンと綺麗にウインクをして、駆け寄ってくる神官たちの元へと軽やかに駆けていってしまった。


「現…人神……?」


僕は、遠ざかっていく白と金の背中を、見つめながら意識を手放した。

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