2.兎と雷光
予定ではゆっくり挿絵を入れる予定ではあります。
※本当に予定、多分、出来たら、やれたらやります…
僕はぼんやりと生前の記憶を辿っていた。
大学生だった僕は、確か誰かと大学へ向かっていたはずだ。賑やかな街並み、アスファルトの照り返し。そして--突如として視界を塗り替えた、大型トラックのヘッドライト。
衝突の衝撃。その瞬間の冷たさ。
「……あれ?」
誰と歩いていたんだろう。
記憶の糸を手繰り寄せようとした瞬間、脳の奥に砂嵐のようなノイズが走った。鋭い頭痛が僕の思考を強制的に中断させる。
隣で笑っていた誰かの顔。明るい声。それらが霞んで、まるで古いフィルムのように色褪せていく。
「まあ、いっか。思い出せないし」
僕は肩をすくめ、視界を切り替えた。悩んでも仕方ない。ここは夢にまで見た異世界なんだ。過去より今だ。
ガサリ、と茂みが大きく揺れた。
飛び出してきたのは、僕の太ももほどの大きさがある、毛むくじゃらの白いうさぎだった。しかし、その額には鋭利な1本の角が生えている。
赤い目をしたその獣は、赤い瞳を爛々と輝かせて僕を威嚇した。
「ふっふっやはり存在するんだ、魔物!」
僕は恐怖よりも先に、抑えきれない興奮を覚えた。
さっき枝を振ったときの感覚がある。あれがあれば大丈夫だ。僕は拾った木の枝を正眼に構え、重心を落とす。心の中で『剣の技』のイメージを構築し、うさぎの首筋を狙って踏み込んだ。
枝は、無情にもポキリと鈍い音を立てて折れた。
「は?」
呆然とする僕の手元には、短い断片だけが残っていた。
そうだ、これはただの乾いた枝だ。剣じゃない。殺傷力なんてあるはずがない。
うさぎは角を突き立てたまま、怒りに震えて突進してきた。
「や、やばい!」
避けようとした足がもつれ、反応が遅れた頃には遅かった。衝撃が僕の鳩尾を真っ直ぐに突き抜けた。身体が宙を舞い、背中から地面へ叩きつけられる。
息が止まる。視界が白く明滅する中、腹部に鈍い痛みが走り、熱い何かが服を濡らしていく感触があった。
「あ……が、アぁ……っ!」
腹に手を当てると、掌が真っ赤に染まった。血だ。
冗談じゃない。死ぬ。こんな、名前も知らないうさぎに突進されただけで、僕は死ぬのか?
痛い、痛い、痛い、死にたくない!
脳がパニックで悲鳴を上げ、目の前が真っ暗になる。
折れた枝を突き立てられたうさぎが、低く唸りながら、僕の血の匂いに釣られてゆっくりと距離を詰めてくる。
「こんなはずじゃない…!僕の物語はこんな馬鹿みたいな死に方で終わりたくない…!」
死の恐怖が心臓を握りつぶしそうになる。
僕の思考は極限まで加速し、視界の端に何かが映り込んだ。
すがるように視線を向けると、そこには無機質な文字が浮かび上がっていた。
Name:リンドウ リン
lv:1
HP:18/20
MP:20/20
Experience:0/200
【skill】
・剣術
・無詠唱
・観測者
【magic】
雷魔法
・ライトニング
「……ライトニング……?」
かすむ意識の中で、僕はその文字を読み上げた。
僕は魔法が使えるのか……?
いや、そんなことはどうでもいい。一本角を生やした凶暴なうさぎが、返り血を浴びた顔で再び僕を睨みつけている。その短い後ろ足が、次の突進に向けて地面を激しく蹴り始めた。
来る。次を喰らえば、確実に死ぬ。
僕は必死に右手を伸ばした。血に濡れた指先が激しく震える。照準もうまく定まらない。けれど、迫り来る死の恐怖が、僕の体の中に眠っていた未知の回路を強引にこじ開けた。
「ライトニング……ッ!」
震えた口で叫ぶ。
その瞬間、視界が真っ白に染まった。
僕の指先から、バチバチと激しい音を立てて青白い稲妻が迸る。それは一直線に空気を切り裂き、こちらへ跳躍してきたうさぎの脳面へと直撃した。
バリバリという肉の焼ける嫌な音と、激しい閃光。
直撃を受けたうさぎは、空中で激しく感電して身体を硬直させ、そのまま勢いよく地面へと転がった。痙攣を繰り返すその身体から、次第に力が抜けていく。
やがて、うさぎの輪郭がぼやけると、それは光の帯を伴った白い粒子へと変わり、空気中に溶けるようにして完全に消え去った。後に残ったのは、焦げ付いた土の匂いだけだった。
「はあ…っ、はあ……っ」
息が絶え絶えになりながら、張り詰めていた糸が切れたように僕は横へ倒れ込んだ。
勝った……のだろうか。
しかし、安堵している暇は一秒すらなかった。
「ッ熱い、!痛い…!」
脇腹に手を当てると、ドクドクと拍動に合わせて熱い液体が溢れ出し、指の隙間から地面を濡らしていく。傷口が焼けるように熱いのに、身体の芯は急速に冷えていく感覚。
僕はもう一度、目の前に広がるステータスに視線を走らせた。
Name:リンドウ リン
lv:1
HP:9/20
MP:20/20
Experience:80/200
【skill】
・剣術
・無詠唱
・観測者
【magic】
雷魔法
・ライトニング
刻一刻と、命の数値が削り取られていく。
画面をどれだけ凝視しても、僕の持つスキルや魔法の欄に「ヒール」や「回復」といった文字は見当たらない。この世界に来て、見た目が変わって、技が使えてあんなにワクワクしていたのに、全てが急速に暗転していく。
「嫌だ……、死にたくないッ!」
僕は涙で歪む視界の中、血に染まったお腹を必死に両手で押さえた。
このままここで倒れていたら、次の魔物が来たら終わりだ。そうでなくても、失血死する。
僕は震える膝を無理やり動かし、地面を這うようにして立ち上がった。白い服が自分の血を吸って赤く染まっていく。
誰か、誰でもいい。
助けてくれ。
僕はもつれる足を引きずりながら、薄暗い森の中をがむしゃらに駆け抜けた。行く先なんて分からない。ただ、生きるために、死への恐怖から逃れるために、前へと進むしかなかった。




