16.怪樹と『スキル』
帰り道のシンドラーの森は、さっきまでの緊張感が嘘のように穏やかだった。
僕たちは並んで歩きながら、さっきのシンドラーベアーとの戦闘のこと、ルナの規格外な戦闘能力、そしてこれからどんな冒険をしていくかについて、熱っぽく語り合っていた。
道中、何回かモンスターが僕たちの前に姿を現したけれど、今の僕にはレベル4の力と『剣術』の確かな感覚がある。ルナのサポートもあり、剣と魔法を使って危なげなくすぐに討伐することができた。
「ね、言ったでしょ!リンくんには才能があるんだよ!」
「まぁ、ルナが強すぎるおかげな気もするけどね」
そんな風に笑い合いながら進んでいた、その時だった。
気がついた時には、すでに遅かった。
周囲の木々の密度が異常なほど高くなり、陽光が一切届かない、明らかに雰囲気の違う薄暗いエリアへと足を踏み入れていたのだ。
ゾワリ、と背筋に冷たい戦慄が走った瞬間、目の前の茂みから、大蛇のように太く強靭な植物の蔓が、生き物のような猛烈な勢いで飛び出してきた。
「――え?」
声を上げる暇すらなかった。蔓は僕の胴体にガッチリと巻き付くと、凄まじい力で森の奥へと僕を引きずり込み始めた。
「リンくん――ッ!?」
置き去りにされたルナの焦燥に満ちた叫び声が、みるみる遠ざかっていく。
「うわああぁあっ!?」
地面を引きずられ、行く手を阻む大木や岩に身体が何度も激しく叩きつけられる。凄まじい衝撃。全身に打撲と切り傷が刻まれ、鋭い激痛が走る。視界が激しく揺れ、上下の感覚すら失いかけたその先で――僕は「それ」と対面した。
蔓を引き絞っていた本体。
それは、ねじくれた無数の蔓を髪の毛のように伸ばした、おぞましい古い巨木だった。だが何より異常なのは、その幹のあちこちに、人間の頭ほどもある、鋭い牙の生えた「大きな口」が無数に開いていることだった。
【ヴァインロード】
解説:森の深部に潜む肉食の怪植物。捕らえた獲物を生きたまま無数の口で咀嚼し、養分とする。
「ガァアア……ッ!」
無数の口が不気味な音を立てて開閉する。ヴァインロードは、僕の逃亡を阻止するかのように、鋭い蔓を僕の両腕と両足に容赦なく突き刺した。
「がッあぁああああッ!?」
肉を貫く激痛に、脳が焼き切れそうになる。腕と足からどろりと熱い血が流れ落ち、僕の身体は宙に吊り上げられたまま、ヴァインロードの開かれた大口へとゆっくり運ばれていく。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。パニックになりそうな頭で、必死に思考を巡らせる。こんなところで、植物の化け物に生きたまま食われて死んでたまるか。
何か、何か手はないのか。騎士剣は引きずられた衝撃でどこかに吹き飛んでしまっていた。今の僕にあるのは、雷魔法の『ライトニング』だけだ。でも、相手は巨大な植物。雷よりも、もっと効果的な――。
ルナの、あの火の魔法。あの全てを焼き尽くすような、燃え盛る火の玉。あれさえあれば、こいつを焼き払えるのに。
迫り来る死への恐怖の中、僕は心の底から、強く、強くその力を願った。
その瞬間、僕の目の前にシステムログが割り込んできた。
【スキル『観測者』が発動しました】
【対象の術式を本質まで理解しました――火魔法『ファイアボール』を習得しました】
「……ッ!?」
一瞬、激しい困惑が僕を襲った。他人のステータスを見る能力だと思っていた『観測者』の、これが本当の力なのか。
だが、戸惑っている暇は一秒もなかった。ヴァインロードの口が、もう目の前まで迫っている。
「燃えろぉおおおおおッ!!」
腕の激痛を必死に我慢しながら、まだ自由の利く片手を化け物の中心へと掲げた。脳内にある『無詠唱』のスキルを限界まで引き絞り、新しく刻まれた『ファイアボール』のイメージを爆発させる。
瞬間、僕の手のひらから、ルナが放ったものと同じ、猛烈な熱量を帯びた紅蓮の火の玉が射出された。
至近距離で炸裂した炎が、僕を拘束していた蔓を瞬時に焼き払い、ヴァインロードの幹を激しく燃え上がらせた。
「ギィイイイイイアアアアッッ」
悲鳴のような音を立てて化け物がのたうち回る。縛りが解けた僕は、そのまま地面へと激しく落下した。
「はぁ、ゲホッ……!」
腕と足の穴から血が溢れ出る。だが、ヴァインロードはまだ死んでいなかった。激怒した化け物は、炎に包まれながらも、残った太い枝を鞭のようにしならせ、僕の太ももへと容赦なく突き刺してきた。
「ウゥうううあッッ!?」
肉が抉れる鈍い音が響き、僕は痛みで激しい呻き声を上げた。視界の端のステータス画面で、HPが恐ろしい勢いで減っていくのがリアルタイムで感知できる。視界が急速にセピア色に染まっていく。失血死が先か、食われるのが先か。
「クソッ……!ハァ……近づいてきてる。このまま、このまま食われて死んでたまるか。こいつの動きを、一瞬でも止めなければ……!」
あの時、ルナはどうやってこの化け物クラスの動きを止めた。
そうだ、空中から雷の鎖を出して、身動きを封じていた――。
【『観測者』が発動しました】
【対象の術式を本質まで理解しました――雷魔法『ボルトチェイン』を習得しました】
まただ。脳内に直接、力が書き込まれる。
「止まれぇえええええッ!!」
僕は狂ったように叫びながら、すかさず『無詠唱』でその魔法を発動した。
バリバリと空間が鳴動し、虚空から迸った青白い雷の鎖が、ヴァインロードの無数の枝と幹をガチガチに縛り上げる。
「ギギィッ……!?」
完全に動きの止まった化け物を見上げながら、僕は残された全ての力を右手に込めた。
「ファイアボール!!!ファイアボール!!!ファイアボール!!!」
喉がちぎれるほど叫び続けた。MPの残量が一気にゼロへと向かって削り取られていく。意識が遠のくほどの脱力感と引き換えに、手のひらから連射された火の玉が、ヴァインロードの巨体を次々と直撃した。
ゴォオオオオオオオオッ!!!
大爆発を起こし、激しい炎に包まれたヴァインロードは、やがて内側から崩壊するようにして、光の帯を伴った白い粒子へと姿を変えていった。
サラサラと空気中に溶けていくその光を見届けながら、僕はそのまま仰向けに地面へと倒れ込んだ。
もう、指一本すら動かない。
頭の中で、自分のステータス画面がチカチカと明滅していた。
Name:リンドウ リン
Lv:4
HP:12/90
MP:0/102
【Skill】
・剣術
・無詠唱
・観測者
【Magic】
雷魔法
・ライトニング
・ボルトチェイン
火魔法
・ファイアボール
本当に、死ぬ寸前だった。衣服は血と泥で赤黒く染まり、太ももや腕の傷口からは未だに血が流れ出している。
激痛の波の向こうから、急激な睡魔と意識の混濁が押し寄せてくる。薄れゆく視界の中、遠くの草むらをかき分けて、必死の形相でこちらへと走ってくる黒髪の影が見えた。
あぁルナだ。
彼女の綺麗な黒髪が、僕を探して激しく揺れている。
その姿を視界に捉えた瞬間、張り詰めていた糸が完全に切れた。
「よかった……これで、助かる……。ルナにも、何ともなくて、本当によかった……」
僕は安堵の笑みを浮かべたまま、深い、深い闇の中へと意識を手放した。




