14.可愛い神さま
森の奥へ進むにつれて、木々の密度はさらに増し、足元のシダ植物が衣服に擦れる音が静かに響く。僕はいつまた別の魔物が飛び出してきてもおかしくないと、右手をいつでも剣の柄にかけられる位置に置き、周囲の様子を油断なく警戒しながら歩いていた。
そんな僕の緊張が伝わっているのかいないのか、隣を歩くルナは相変わらず軽い足取りで、時折道端の草花を眺めたりしている。ふと、彼女がこちらを振り返り、悪戯っぽく微笑みながら話しかけてきた。
「ねえねえ、リンくん。君ってさ、私の『現人神』のことについて、全然聞いてこないんだね?」
「え?」
予想外の問いかけに、僕は歩調を緩めた。
「あー……。そもそも、あんまり気にしてなかったな」
正直にそう答えると、ルナは目を丸くしてちょっと驚いたような顔をした。けれど、すぐに可笑しそうにふふっと静かに笑う。
「普通はもっと驚くか、畏れ多くてまともに話せなくなるものなんだけどねー。本当に不思議な人だよリンくんは」
「そう言われると、逆に僕も気になってきたよ」
僕は苦笑しながら、歩みを止めずに彼女の横顔を見た。
「そもそもさ、ルナって何の現人神なの? 街の人たちもみんなすごく驚いてたし」
待ってましたとばかりに、ルナの顔がパッと輝いた。彼女は人差し指を天高く突き上げ、胸を張って大袈裟な身振りを交えながら語りだす。
「ふふーん、よくぞ聞いてくれました~! この世界のすべてを動かしていると言っても過言ではない、世界最大宗教『セレスティア教』! その神話に出てくる、天より降臨して世界を救ったという黒髪黒目の女神、セレスティアそのものなのだよ~!」
セレスティア教。やはりあのケニーさんも口にしていた宗教のトップということだろうか。神話の神様そのものと言われても、さすがに現実味がなさすぎてそんなことあるかと内心でツッコミを入れてしまう。
けれど、大袈裟に自慢してみせる彼女の姿は、どう見ても偉大な神様というよりは、お気に入りの玩具を自慢する子供のようだった。
「そうなんだ。……まぁ、本当にそうだとしたら、ずいぶん親しみやすい神様だね」
僕が肩をすくめてそう反応すると、ルナは一瞬、きょとんとしたように動きを止めた。
「親しみやすい……私が?」
「うん。だって、夜中に人の部屋に忍び込んできて、一緒に冒険行こうって駄々をこねる神様なんて、他にはいないでしょ」
理由は何故だか分からない。けれど、僕のその言葉が、ルナにとっては信じられないほど嬉しかったようだ。彼女の大きな黒い瞳が、今までにないほど柔らかく、そして温かい光を帯びて潤んでいく。
「――あはは! そうだね、確かにそうかも!」
ルナは大きく笑うと、距離を詰めてきて、僕の腕をツンツンと突きながらちょこまかとちょっかいをかけてきた。
「よーし、そんなに親しみやすいって言ってくれるなら、現人神様が特別に何でも一つ、リンくんの願いを叶えてあげちゃおう! さあさあ、何が望み? 言うてみ、言うてみ!」
「ちょ、ちょっとルナ、危ないから歩きながら突っつかないでって……!」
距離感の近い彼女にドギマギしながら、僕は不器用にはぐらかす。
ルナが僕の腕をツンツンと突っついてくるのをいなしながら、僕は改めて彼女の姿を盗み見た。
確かに、彼女の見た目は普通の人とは思えない。艶やかな黒髪、吸い込まれそうな黒い瞳。完璧に整った顔立ちはどこか神秘的で、驚くほどスタイルが良い。…それに、胸も、お、大きい。
でも、この世界に来てからたくさんの人を見てきたけど、黒髪黒目の人間なんてルナ以外に一人も見たことがないし、もう一つ決定的な違和感があった。
『現人神』。
その言葉は、僕が元いた世界、日本の言葉だ。この世界の住人たちがその単語を口にしていることに、僕はどうしても奇妙なズレを感じてしまう。まさか、ルナも僕と同じように――。
そんな疑問が脳裏をよぎった、まさにその時だった。
「グゥオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
鼓膜が震え、周囲の木々から一斉に鳥たちが飛び立つほどの、とんでもない声量の鳴き声が森の奥から轟いた。凄まじい地響きが足元から伝わってくる。
僕が恐怖で身を硬くしたのとは対照的に、ルナの顔がパッと輝いた。彼女はこれ以上ないほどの満面の笑顔を浮かべ、腰の剣に手をかける。
「あ! 来た来た! 今日のメインディッシュのくまちゃん! よーしリンくん、さっさと倒しに行くぞ~~!」
「えっ、ちょっと、待ってルナ――!?」
叫ぶ間もなく、ルナは楽しそうに声を弾ませながら、凄まじい速度で鳴き声の主の方へと駆け出してしまった。
「おい、置いてかないでくれ!!」
僕は慌てて騎士剣の柄を握り直し、彼女の白と金の背中を追って、がむしゃらに走り出した。




