13.蛇と猪と剣
木々の隙間から差し込む光が徐々に細くなり、森の空気はひんやりと肌を刺すように冷たくなっていく。現世の森とは明らかに違う、世界そのものが放つ不気味な気配をビリビリと感じていた。一歩進むごとに、心臓の鼓動が耳の奥でうるさく響く。
前を歩いていたルナが、不意にピタリと足を止めた。
「——リンくん、来たよ」
ルナの視線の先、生い茂る草むらがざわざわと大きく揺れ、その巨体が姿を現した。
絶句した。僕の太もも、いや足の胴体よりも遥かに太い、鱗に覆われた大蛇。長さは僕ら二人を縦に並べたよりも長い。じっとその魔物を注視すると、脳内に冷徹な文字が浮かび上がる。
【デッドリーアナコンダ】
解説:強力な締め付けと巨大な牙を持つ大蛇。不用意に近づいた者を瞬時に捕食する。
「ひっ……!」
喉の奥が引き攣る。あの兎とは比べ物にならない化け物だ。
しかし、ルナは怯えるどころか、不敵な笑みを浮かべて腰の剣を引き抜いた。
「ふふん、見ててねリンくん!」
アナコンダが、鎌首をもたげて凄まじい速度で飛びかかってきた。その大口がルナを丸呑みにしようとした――その刹那。
キィン、と澄んだ金属音が響いたと思うと、次の瞬間にはアナコンダの巨体が綺麗に真っ二つになって地面に転がっていた。
「へ……?」
あまりの早さに、僕の目は完全に置いていかれた。ルナはケラケラと笑いながら剣を鞘に収める。
「なーんだ、こんなのスキルや魔法を使うまでもないよ!」
彼女にとっては朝飯前なのだろう。でも、見ているこっちは心臓が止まるかと思うほどヒヤヒヤだった。安堵の息を漏らそうとした僕に、ルナは悪戯っぽく微笑みながら人差し指を突きつけてきた。
「よし、じゃあ次はリンくんの番ね!」
「えっ!? いやいやいや、無理だって!」
断固拒否しようとした矢先、今度は前方の茂みが激しくなぎ倒された。
現れたのは、尋常ではない大きさの牙が顔から過剰成長したかのように突き出た、巨大なイノシシだった。
【ワイルドボア】
解説:発達した牙を持つ凶暴な魔物。その突進は強固な盾をも粉砕する。
「ほらほら、行った行ったー!」
ルナはニコニコとした満面の笑顔で、僕の背中を容赦なくポンと押した。
「ちょ、まっ……!」
足がすくむ。絶対にレベル1の人間が単騎で戦っていい相手じゃない。けれど、引き返す道はなかった。ワイルドボアの赤い目が僕を捉え、地面を激しく蹴り始める。
死への恐怖が脳裏をよぎった瞬間、僕は必死の思いで腰の『騎士剣』を引き抜いた。
その瞬間――不思議な感覚が身体を突き抜けた。
以前、ただの乾いた木の枝を握った時よりも、遥かに洗練された、無駄のない構えを自然と取っている自分がいた。足の重心、脇の締め方、剣の重さを指先まで完璧にコントロールできている感覚。これが、僕のステータスにあった『剣術』のスキルがちゃんと発動されているような感覚だった。
「グルゥウウウ!」
ワイルドボアが猛烈な速度で突進してくる。凶悪な牙が目の前に迫る。
僕はビビりながらも、身体の奥底から湧き上がる衝動に身を任せ、思い切り剣を斜め上へと振り抜いた。
ガキィンッ!
激しい衝撃を覚悟して目を瞑ったが、手元に残ったのは驚くほど軽い手応えだけだった。
恐る恐る目を開ける。
僕の目の前には、首が綺麗に切断され、勢いよく地面を転がっていくワイルドボアの巨体があった。切り口から鮮血が噴き出すことはなく、それは記憶にある兎と同じように、淡い白い粒子となって空気中へと溶けるように消えていく。
呆然とその光景を眺めていると、僕の視界の端にふわりと鮮やかな文字が浮かび上がった。
【LEVEL UP】
「……あ、上がった」
思わず声が漏れた。
駆け寄ってきたルナが、僕の手を掴んでブンブンと振り回しながらはしゃぎ立てる。
「すごーい! リンくん、ナイス一撃! 今のでレベルが上がったよ! 全体的なステータスも2くらい底上げされてる! やっぱりリンくんには才能があるんだよ!」
ルナの弾んだ声を聞きながら、僕は自分の手のひらを見つめた。
ただの大学生だった僕が、自分の力で、この危険な世界の魔物を打ち倒した。腹を突き破られたあの日の恐怖を、ほんの少しだけ塗り替えることができたような気がした。
じわじわと胸の奥から湧き上がる高揚感。僕は剣を鞘に収め、ルナの笑顔を見つめながら、異世界での初めての勝利の味を、深く身体に噛み締めていた。




