第4話 テスカの秘密
そんなこんなでテスカがロザリーの専属メイドとなって半年が過ぎた。
テスカのドジっ子ぶりは想定以上で、ロザリーは予めそのことを知っていなかったら、未来の自分と同様に早い内からクビを言い渡していただろうなとため息をつく。
しかし、半年も一緒にいるとそれなりに彼女の人となりというのも分かるもので、テスカは基本的には優しく朗らかな少女であった。
ロザリーが他の使用人から嫌がらせのような行為を受けるとすぐさまロザリーを慮り、元気付けようとしてくれるし、だからといってあまりベタベタと引っ付くわけでもない。丁度良い距離感で接してくれるのだ。
業務に支障が出るくらいのドジを除けば寧ろ好ましい人物であるとロザリーは思った。
ロザリーはテスカのことをもっと知ろうと、隙間時間を見つけては彼女に話し掛け、村の出身であること、年頃は十五であること、料理が得意であること……といった情報を少しずつ得ていた。
テスカと親密……かは、まだ分からないが、少なくとも前身はしているだろうと思えるくらいには仲良くなってるとロザリーは自負している。
そんなある夜のこと。
夜中にふと目を覚ましたロザリーは、のどを少し潤そうと水差しに手を伸ばすと中身が空なことに気付いた。
(むむ?あの子ったら、水を入れておかなかったのかしら?)
テスカは確かにドジっ子ではあるが、それは洗濯したシーツを運ぶ途中に何もないところで急に転ぶとか、半年も住んでる筈の屋敷内で迷子になるとかそういった類のものであり、メイドとしての業務自体を忘れたりといったことは意外と今まで無かった。
寧ろ、こういうところの気配りは人一倍出来ていたので、それがされていないことにロザリーは僅かな違和感を覚える。
(……何だか胸がざわつきますわ)
「天啓」を受けてからのロザリーは、時折こういった虫の知らせのようなものを感じることがあった。
未来の自分のとはいえ、死を疑似体験したことでその手のことに敏感になったということなのか。
(……何かがワタクシに警告している。このまま眠っている場合ではない、と)
ロザリーは迷わずベッドから降りると、そのままこっそりと部屋から出た。
真夜中になると廊下の灯りもほぼ全て消していて、目の前は真っ暗であった。夜更かしせずにすぐ就寝するロザリーにとって、この暗黒世界は全くの初めてで、それなりに知っている筈の屋敷の中がまるで別物のように見え、足が竦みかける。
しかし、暗闇の恐怖よりも今は胸のざわつきの方が勝っていた。
(誰にも見つからないようにしませんと……。特にあの叔父叔母にでも見つかったならば部屋から一生出して貰えなくなっても不思議ではないですわね。アンネは……流石に起きてはいないと信じたいですわ)
本音を言えば、せめてカンテラくらいは使いたいところであったが、流石にそれは自らここにいるぞとアピールするようなものでもあるし、その明かりが切っ掛けで誰かが目を覚ます可能性もあるので我慢する。
実はこの時、ロザリーは無意識に闇の力を使い、足音と気配を遮断していたのだが、今の彼女にそれを知る術はなかった。
(……………………)
ロザリーは壁に手を当てると、そのまま壁沿いに進む。何かに触れていないとそのまま闇の中に体が溶けてしまいそうで怖かったからであった。
「天啓」を受けてから一年と半年が過ぎ、成長期の彼女は背も伸び、外見も幼さが抜けてきている。髪も肩より下に来るまで伸びてきていた。とはいえ、やはり、まだまだもうすぐ十二歳の誕生日を控える子供なのだ。
それに何となく胸がざわつくという理由でこうして歩いているため、目的地があるわけでもなく、この暗闇を何処まで進めばいいのかという不安も乗っかかってくる。
ロザリーの心は段々と押し潰されそうになっていた。
(ジュール……)
いつの間にか愛しき執事の名を心の中で呼んでいた。
今、彼は寝ているのだろうか?それとも、執事として夜遅くも仕事をしているのだろうか?
そんなことを考えながら、長い長い時間を掛けたかのように闇の中を歩いていると、遠くの方に微かな灯りが見えた。
何故か、それこそが胸のざわめきの原因であるという確信があった。走り出したい気持ちを抑え、しかし可能な限りの早足でその灯りの方へロザリーは進む。
ある程度まで近付くと、その灯りの正体は燭台の上の小さな蝋燭で、それを持って誰かが静かに歩いているのが分かった。
ロザリーはその人物に見覚えがあった。
(……テスカ?)
普段は雑な三つ編みに纏めているゆるふわな髪を下ろし、瓶底のような眼鏡を外してはいたが、あの薄明かりの中で見えた桃色掛かった髪色と背格好はロザリーの知るテスカと同一であった。そもそも、この屋敷の中で桃色の髪を持つのは彼女しかいない。
しかし、一方でロザリーの知るテスカとは思えぬところも見受けられた。
普段はドタバタと忙しない印象であったが、今は打って変わって音一つ立てずに歩いている。
無論、真夜中なのでいくらドジっ子な彼女でもその辺は気遣うだろうということを考慮してもその一歩一歩が静か過ぎるのだ。
まるで幽霊のようである。
テスカはとある部屋の前で足を止めた。
(……あの部屋は)
テスカの灯す微かな光で薄っすら見える部屋前に置いてある花瓶と下品な程に派手派手しい花。
(叔父上の部屋ですわね)
ロザリーの叔父、ブランは花が好きであった。故に部屋の前にこうして置いている。
尤も、花の趣味はあまり良いとは言えず、世話も自分では一切しないのだが。
なお、彼の妻であるロザリーの叔母、デイジーとは寝室を別にしており、ここに一人で寝ている筈であった。
(叔父上の部屋の前で何を……え?)
テスカが躊躇なく部屋の扉を開けようとしたことにロザリーは驚く。一メイドがこんな真夜中に主人の部屋に入るなど、普通ならば有り得ないことである。
「テスカ!」
ロザリーは思わず彼女の名前を呼んだ。
夜中なのであまり大声は出せなかったものの、その声は耳に届いたようでテスカは瞬時に振り返る。
闇魔法と言えども、未熟且つ意識的に使ったわけじゃないものでは、声までも誤魔化せないようであった。
蝋燭の小さな灯りが双方を僅かに照らし、二人の視線が交差する。
「……お嬢様!?」
今までそこには誰もいなかったじゃないかと言いたげな表情で狼狽するテスカ。
「何故、ここに!?」
そう言うテスカの目は暗く冷たくまるで他人のようにも見える。
だが、一方でロザリーにはいつもの見知ったテスカのようにも見えていた。
まるで、こんな姿をロザリーには見られたくなかったと、そんな目をしているようにロザリーは感じる。
「……くっ!!」
テスカはいつもの鈍臭さとは打って変わり、無駄なく俊敏な動きでロザリーの元へ駆け出す。
例えるならば、豹のようであった。
目の前に一瞬で近付いてきたテスカにロザリーは思わず目を瞑ってしまう。
「……お嬢様、すみません!!」
そう言ってテスカが突き出した手が何者かに止められる。
直後、テスカは地面に組み伏せられた。
「!!?」
「……やれやれ、間に合いましたかな」
燭台の蝋燭が照らし出したのはジュールであった。
「ジュール!」
ロザリーは思わず大きな声を上げ、すぐにしまったと口を片方の手で覆う。
だが、部屋の中のブランは特に何も反応せず寝息を立てているようであった。
「ふぅむ。これは、睡眠薬か何かでも飲ませましたかな?」
ジュールがテスカに尋ねる。
「……お香よ。眠りのお香を焚いておいたから、ちょっとやそっとじゃ起きないわ」
テスカは観念したかのように答えた。
抵抗する素振りも見せないのは隙を伺っているからなのか、それとも武芸に長けたジュールには敵わないと悟ったからなのか。
「……さて、テスカ。貴女は今、お嬢様へ何をしようとしましたかな?」
穏やかな声音とは裏腹にジュールの表情は冷たかった。
返答次第では……と、そう語っているかのように。
「……安心して。眠りのお香を嗅がせて眠らせようとしただけよ。殺したり傷付けたりするつもりは無かったわ。ターゲットじゃないから」
テスカはいつもとは違う口調でそう答える。
「ふぅむ。その口振りからすると、もしや暗殺ギルドからの刺客か何かといったところですかな?」
ジュールの口から出て来た言葉にロザリーは驚愕する。
(『暗殺ギルドからの刺客』。ジュールは確かにそう言っていましたわ)
叔父ブランは決して品行方正な聖人君子ではない。寧ろ悪人と言われても否定は出来ぬ人間である。恨みを買っている人間も一人や二人ではないだろう。
故に、そういう人の依頼によって、こういった手合いが送られてくることには納得感はあった。
だが、それで送られてきたのが、よりにもよってテスカであるとは、ロザリーも未だに信じられないでいる。
「……………………」
ジュールは、静かな憐憫を湛えた目でロザリーのことを見つめた。
この屋敷でロザリーが心を許す数少ない相手がテスカであることを知っていたからである。
「テスカという名も本名では無いのでしょう?」
「……………………」
「その沈黙は肯定と捉えさせて頂きます。ブラン様の……貴族の命を狙う。その意味はお分かりですね?」
「……ええ。覚悟はしているわ」
貴族相手の暗殺は企てただけで投獄である。当然、実行犯であるテスカは死罪となるであろう。
ジュールはテスカを拘束したまま立たせた。
「待って!」
思わずロザリーはそう口に出していた。出さずにはいられなかった。
「……少し待って、ジュール」
「お嬢様?……はい」
ジュールはテスカへの拘束は解かずに、その場へ留まる。
「ジュール。有難う。テスカ……。テスカと呼ばせて頂きますけれども、よろしくて?」
「……………………」
テスカは無言で返した。
「否定はしていない。と、捉えますわね。テスカ、貴女の話を聞かせて下さらないかしら?」
「話?」
「ええ。貴女がこんなことをするのは、何か事情があるのではないかしら?」
「…………プッ、アハハハハハ!!」
突然、テスカは吹き出し、高らかに笑う。
「何を言い出すかと思えば、バカじゃないの?」
嘲笑混じりにテスカは言った。
その口調、その表情は今までにロザリーへ見せたことのないものであった。
だが、ロザリーにはそれが彼女の本当の姿とは思えない。寧ろ、今の姿こそ本当の姿を隠す偽悪的なものを感じていた。
故に、大きなショックはなく努めて落ち着いてテスカの次の言葉を待つことが出来ている。
「事情って、事情があれば許してくれるの?私はアンタの叔父を殺そうとしたのよ?」
「叔父上が仮に殺されたとて、それは自業自得ですわね」
叔父夫婦から受けた長年の仕打ちから、ロザリーの中にある親族としての情は大分消え失せていた。
「そんなことよりも、叔父上を殺したことで貴女が死ぬことになる方がよっぽど同情に値するとワタクシ思いましてよ」
「……アンタ、なかなかイカれてるのね」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
ロザリーは何故か、そんな風にすらすらと会話することが出来ていた。目の前にいるのは、叔父ブランを狙った暗殺者だというのに。
「それで、話しては下さらないのかしら?テスカ」
「うるさい!!」
テスカはキッとロザリーを睨みつけた。
「テスカテスカって、テスカなんて人間は存在しない!!全ては嘘!嘘に嘘を重ねた嘘の嘘!!メイドのテスカは私が演じた虚像に過ぎないし、アンタは私のご主人様なんかじゃない!!」
「本当にそうでして?」
凄い剣幕のテスカに対して、ロザリーは一歩も引いてはいない。
「ワタクシには貴女と過ごした日々の全てが嘘だったなんて到底信じられませんわ」
「ハァ?頭お花畑なのアンタ?」
「……では、どうして貴女、泣いているんですの?」
「え?」
テスカの目からはいつの間にか涙が流れていた。
「貴女がワタクシを見る目。いつもと同じ目をしていましてよ」
(だから、ワタクシはテスカが何を言っても怖さを感じなかった)
憎まれ口のようなことを言っていても、その目は常に悲しみを携えているようにロザリーは感じていた。
仕事とはいえ、本意ではないかのような。
少なくともロザリーにはテスカ曰く演じている筈のメイドとしての彼女の方が生き生きとしていたように思える。
「お願い、テスカ。本当のことを話して」
それはロザリーの切なる願い。
嘘偽りのない真なる気持ち。
テスカへ向けられた眼差しにも強く顕れている。
「……ワタシの負けです、お嬢様」
それを感じ取ったからだろうか。
テスカは先程までの激情が嘘のように静かにそう言った。
「そこの執事……ジュール様の言う通り、ワタシは暗殺者ギルドから送り込まれた刺客でございますです」
テスカはいつものように訛り混じりに語り始めた。
先程よりも自然に話せているようにロザリーには聞こえる。普段話している時の口調はどうやら演技でやっていたわけでは無いようであった。
「メイドとして潜入し、折を見て殺す。それがワタシの任務でした」
「……失礼。一つよろしいですかな?」
ジュールがわずかに眉をひそめながら言葉を差し挟む。
「貴族の暗殺。それを貴女のような少女にさせる。どう考えても捨て駒としか思えぬのですが」
企てただけで重罪の貴族暗殺。そんな危ない橋をまだ十五の少女に渡らせるのは、凡そまともではない。
「……ええ、実際にそうなんだと思いますです」
そう言うと、テスカは自嘲気味にフッと笑った。
「成功しても失敗してもワタシは生きてはいられない。それは決まっていたことだったんでしょう」
「そんな……」
自分の運命を、それも最悪の末路をまるで他人事のように言うテスカ。
「天啓」で知った悲惨な末路を回避しようと動くロザリーにとっては、とても他人事には思えなかった。
「そんなことって……」
「フフフ。お嬢様、そもそもワタシは生きていてはいけない存在なんですよ」
「?それってどういうことですの?」
「ワタシは既にもう貴族を殺していますから……」
ロザリーの問いにテスカはあっさりとそう答えた。




