第5話 テスカの過去とこれから
ロザリーたちは、一先ず叔父ブランの部屋からロザリーの部屋へと移動することにした。
お香の効果があるとはいえ、叔父ブランがいつ目を覚ますか分からないからというのもあるが、移動に使う時間で各々頭の中を整理するという意味合いもあったからだ。
(ワタシは既にもう貴族を殺していますから……)
先程のテスカの告白をロザリーは頭の中で反芻する。
貴族の殺害は極刑間違いなしという程のことで、まだ子供であるロザリーですら知っている。
そんな過去が彼女にあったなど、ロザリーにはとても信じられないでいた。
「……………………」
ロザリーの部屋へ入った後も、暫し沈黙が続いた。
誰もが次の言葉を探しているようである。
「……ワタシは山の向こうの田舎の村の出身でしてね」
その空気を作り出したテスカが、まるでその責任を取るかのように口を開いた。
「村はいつも貧しかったし、食べる物も満足にあるわけじゃなくて、とてもいい暮らしとは言えませんでした。それでも、大好きなお母さんとお父さんがいてくれました。だから、それだけで幸せでしたです」
「……………………」
ロザリーはふと父と母のことを思い出す。
躾やマナーには厳しかったが、それ以上に優しく、深い愛情を持って接してくれる掛け替えのない存在であった。
この先どんな贅を尽くしたところで最愛の両親と一緒にいた時の幸福を超えることは無いだろうと思える程に。
「とても良い御両親でしたのね」
「はい。でも、ある日、それは突然崩れましたです」
テスカの顔が見るからに曇り始めた。それだけのことが起きたということなのか。
「貧しい寒村にも領主がおりましてね。やりたい放題で領民のことなどまるで考えない、とても酷い人間だったです」
或いはそういった村だからこそ、そういう人間が幅を利かすというのもあるのだろう。
領主の横暴に対して、もっと上の貴族や国への申し立てが出来るような民のいる村や町であれば、そもそもそんな稚拙な運営がまかり通る筈が無い。
「貴族である自分が言うのも何ですけれども、所謂典型的なお貴族様って奴ですわね。それも相当たちが悪いタイプの」
「ええ。でも、それだけじゃなくて領主にはある趣味があったんです」
「趣味?真っ当な趣味な気が全くしないのですけれども」
「お嬢様の直感は正しいです。領主の趣味は、幼子を甚振ることでした」
ロザリーは顔をその領主への嫌悪感で歪ます。
「子供を甚振る……言葉にするだけで反吐が出そうな趣味ですわね」
叔父ブランですらそんな悪趣味を持ってはいない。
下には下がいるものだとロザリーは思った。
(!!そう言えば、あの時……)
ロザリーはテスカと初対面の時の会話を思い出す。
貴族に何かされたのか、とロザリーが問い掛けた時にテスカは明らかに口籠っていた。
「もしかして、貴女が貴族を畏れていたことに関係があるのではなくて?」
「……その通りです」
テスカは肯定する。
「……辛いことでしたら、無理に話さなくてもいいんですのよ?ワタクシも貴女を傷付けてまで知りたいとは思わないですわ」
ロザリーはテスカを慮るように言った。
だが、テスカは首を横に振る。
「大丈夫です。続けさせてくださいです」
「テスカ……。ええ、では続けてくださいまし」
ロザリーはテスカの意思を尊重した。
「……領主は村の子供を一人選び、屋敷に連れて行っては鞭で打ったり、刃物で傷を付けたりし、それを痛がるのを見ては悦に浸っていたんです。ワタシもその被害者の一人でした」
テスカはそう言うと長袖を捲った。
そこには何度も打ち据えられたかのような裂傷が痛々しく消えずに残っている。
「何でこんなことをするのか、ワタシは領主に尋ねました。すると、領主はこう答えました。『幼く純粋で、これから先も幸福が待っていることを信じて止まない子供が暴力に怯え、その眼が穢されていくのを見るのが最高に堪らない』と」
「下劣……としか言いようがありませんわね」
「ええ、全くです」
そう言いながらテスカは自分の腕を強く抱き締めるかのようにして身を震わしていた。
「二度が三度、三度が四度とワタシは領主に呼ばれ、甚振られました。傷が治る前に同じところを傷付けられ、その繰り返し。まともな薬もなく、ただ地獄の日々だったです」
テスカの声に微かに震えと掠れが混じり始める。
その言葉の端々から、当時テスカの受けた痛みと絶望が伝わってくるようであった。
「日に日に傷を増やし、衰弱していくワタシを見かねた両親は、とうとう領主の元へ行きました。ワタシを助けるため、その嘆願のために。……それがワタシが見た最後の二人の姿でした」
テスカの瞳が一瞬、虚ろになる。
「領主はその日の内にワタシの家に来ました。一人でお供も付けず、大きな袋を持って。そして、ワタシの目の前でニヤニヤと笑いながら袋の中身を見せたんです。そこにあったのはお母さんとお父さんの首でした」
テスカはそこで一度言葉を切り、その視線を虚空へと向けた。まるで、今もその光景を目の前で見ているかのように。
「領主は言いました。『これは私に逆らった罰だ。お前もこうなりたくはないだろ?』と。……そして、領主はまるで飽きたかのようにその首を捨てたんです。ワタシの目の前で!!」
最後の言葉は咆哮に近かった。
領主の非道を語るテスカの瞳が、ロザリーには激しい憎悪によってどんどん黒く塗りつぶされていくように見える。
「気が付いた時にはワタシは領主の……奴の首を果物ナイフで何度も突き刺していました。奴もまさか痛め付けて逆らえなくなった子供がこんな風に反撃してくるとは夢にも思わなかったんでしょうね。あっさりとやられてくれましたよ。奴が甚振るのが好きな幼い子供のその手で!!」
テスカは興奮のあまり最後の方は思わず声を張り上げていた。少しの間、息を整えると言葉を続ける。
「……どれだけ最低最悪な奴でも、貴族は貴族。その貴族を殺したワタシはもう人生の終わりを覚悟していました」
例え、どんなに相手に非があったとしても、貴族殺しは大罪であり、犯人が子供だったとて情状酌量の余地はない。
それがこの世界の法律であり「理」であった。
「その時です。あの人と出会ったのは……」
「あの人?」
「クズ領主も方々に恨みを買っていたみたいでしてね。暗殺の依頼があって、それを遂行しに暗殺者ギルドの人が来たんです。丁度、ワタシが奴を殺したそのタイミングで」
「それって、本当に偶然なんですの?」
ロザリーは覚えた違和感を口にした。
「ワタクシにはそいつがタイミングを見計らって出て来たようにしか思えないのですけれども」
本当にたまたまそのタイミングで……という可能性もあろうが、あまりにピンポイントなタイミング過ぎる。
「ええ。お嬢様の推察通り、偶然じゃ無いんでしょうね」
テスカもそこは肯定した。
「その人は傷跡の目立つ顔の男で、クズ領主の死体の前で呆然としてるワタシの前に現れ、ブラッドと名乗りました」
「傷跡の目立つ顔の男で、ブラッド……」
ジュールがその男の特徴と名乗った名前を繰り返すと、テスカはこくりと頷く。
「まあ、それも本名なのか分かりませんですけどね。……ブラッドはワタシにこう言いました。『お前には才能がある』と」
(やはり、作為的に感じますわね)
ロザリーは率直にそう思った。
それを言いたいがために幼いテスカが件の領主を殺すことまで計算に入れていた。と、そこまでは思わないが、そのブラッドという人物は少なからず一連の動向をそう遠くない場所から観察してたことは間違い無いだろう。
(興味本位だったのか、それともそうなる確信がそのブラッドとやらにあったのか……何れにせよ、いい趣味をしているとは、まっっったく思えませんわね!!)
プロの暗殺者であるならば、幼い子供がそんな凶行に走るのを止めるべきだし、そもそもその前に仕留めろという話である。
ロザリーは会ったこともないブラッドという人物への好感度を思い切り下げていた。
「ワタシは、そのまま暗殺者ギルドへ入ることになりました。まだ九歳だったワタシはその言葉に縋るしかありませんでしたから。過去の名前を捨て、『テスカ』という新しい名を得て。厳しい訓練の日々を乗り越え、今日が初任務だったんです」
「初任務が貴族の暗殺って、少々どころじゃないくらいにヘビーな任務でなくて?ジュールもさっきそんなことを言ってましたけれども」
「はい。貴族の死には王国の然るべき機関より厳しい捜査が入ります。田舎の一領主程度ならともかく、ブラン様程の地位があれば少なくとも死因とその経緯は必ず調べられるでしょう。そして、それが殺人だと分かった場合、その犯人は必ず挙げなければなりません。まして暗殺ともなれば、確実に暗殺者ギルドは疑われます。表向きは非公認の組織ですからな」
ジュールの説明が入る。
「しかし、暗殺者ギルドは王国からの依頼も受ける関係性故、ギルドごと潰すということにはなりません。ですが、体裁は必要。そのために暗殺者ギルドは貴族の暗殺の際には必ず犯人を一人献上する。と、大体はそういう流れになっております」
「そ、それって何かさらっと凄い闇を聞いちゃった気がしますけれども。そもそも、何でジュールがそんなことを知っているのでして?」
「長く生きていれば知ることもある。それだけですよお嬢様」
「そ、そうですの……」
穏やかなジュールの表情の裏にロザリーは色々なものが見えた気がした。
(……ジュールの説明を鑑みますと、その暗殺者ギルドが王国へ献上する犯人が、今回はテスカということになるのかしら?)
ロザリーはテスカをチラリと見やる。
ジュールの話を聞いても特に動揺していないところを見ると、当人が言うようにある程度は覚悟の上だったのだろう。
何処か悲しげな表情でテスカは話を続ける。
「ワタシはメイドとして潜入し、暗殺の機会を伺っていました。慣れない仕事ですし、元々器用な方でもありませんから、失敗も一度や二度じゃなかったですし、田舎出身でしたから諸先輩方からも沢山嫌がらせを受けましたです。それでも任務のためと言い聞かせていたのが、いつの間にかそんなメイドの仕事を楽しく感じているワタシがいたんです」
テスカはそう言うと改めてロザリーへ視線を向けた。
「それも、お嬢様がこんなワタシを一人の人間として見てくださったから……」
〘ワタクシは特に理由もなく貴女に危害を加えたりなどは絶対にいたしませんわ!〙
「その後もワタシの話を聞いて下さったり、他愛のない話をしたり……失礼ながらワタシはお嬢様のことをまるで妹のように感じていましたです。暗殺者が標的やその近辺の人物に情を抱くなど、未熟も未熟、暗殺者失格なんですけどね」
そう語るテスカの顔からは嬉しさが溢れ出していた。これが彼女の偽らざる本当の気持ちなのだろう。
ロザリーは思わず顔を真っ赤にしてしまう。
(それは……ワタクシもでしてよ)
兄弟もおらず周りは敵ばかりなロザリーにとって、親しく接してくれるジュールやテスカへの情は大きいものとなっていた。
親族で唯一仲良くなることの出来たアンネと同様、彼らも家族のように感じていたのであった。
「……でも、もうお終いですね。初仕事で失敗なんてギルドが許すわけありませんです」
再び悲しげな表情に戻るテスカ。
「そうでしょうな。仮に貴女がここから逃げ果せたとしても、暗殺任務の失敗は遠からずギルドへと伝わります。そうなれば、その責を取るためと刺客を放たれたとしてもおかしくはありません」
ジュールはつらつらと言った。
暗殺は一度失敗すると、以降は相手も警戒するため、難易度が跳ね上がってしまう。暗殺者ギルドにとって、仕事の失敗は死で償う程の重罪であった。
こうした厳しい現実を敢えて言うのは、覚悟しているテスカへの礼儀でもあるのだろう。
「ジュール。テスカを助けることは出来ないんですの?」
思わずロザリーはそう口にしていた。
結果として、テスカは叔父ブランを殺してはいない。過去の罪にしても責は九分九厘その領主にある。
(冷静に考えれば、テスカが嘘の過去を語った可能性もあるかも知れない。でも、そんなのクソ喰らえですわ!ワタクシはワタクシのこの目で見たテスカを信じる!それだけですわ!!)
ロザリーはそう腹を括った。
今のテスカはとても人を騙そうとしているようには思えず、ジュールも彼女の話を嘘とは思っていないようであった。
もし仮にそういった意図があるのならば、ジュールが気付きそれを口にするだろうという彼への信頼もある。
「ふぅむ……」
ジュールはロザリーの願いを請け、考え始める。
無理難題には違いない。ロザリーもダメ元で言っている側面はある。
だが、ジュールならばもしかしたら……と、ロザリーは一縷の望みを託したのであった。
「……でしたら、一つ考えがあります。この爺に任せて貰って良いですかな?」
そんなジュールはロザリーの願いに応える言葉を口にした。何時もと変わらぬ穏やかな表情でもって。
──それから一ヶ月後。
「……まさか、ジュールが叔父上暗殺の依頼者を見つけて、依頼を取り下げさせたなんて、今でも信じられませんわ」
ロザリーはテスカの淹れた紅茶を嗜みながら言った。
〘ブラン様の暗殺失敗が暗殺者ギルドの方へ伝わる前に依頼そのものを無くす。これならば、少なくとも彼女の殺処分は免れるでしょう〙
あの夜、ジュールから提案されたのはそういった内容であった。
依頼そのものが無くなればテスカを処分する理由は無くなる。道理ではあるものの、実現させるのは夢物語のようにも思えた。
だが、彼はそれをやると言い、そして成し遂げたのだ。
その証拠に、テスカはこうして今も無事であり、刺客が来る気配すらない。
「ワタシ、今でもこうしてお嬢様のお世話をさせて頂いてるのが不思議な気持ちです」
テスカはいつものように朗らかで柔和な表情でそう言った。
「依頼が無くなれば、この屋敷へメイドとして潜入する理由もありませんです。辞める覚悟もしていましたが、まさかこうして続けさせて貰えるだなんて」
「本当、どんな魔法を使ったのかしら?」
そんな風に言いつつも、ロザリーはジュールに対して言い知れぬ思いも抱いていた。
(ジュール、貴方は一体何者なの?)
ロザリーの知るジュールは彼女が物心ついてからの数年間でしかない。それより前に何をしていたか、ジュールの過去を何も知らないのが実際のところである。
(……いいえ、貴方が何者でも、ワタクシは貴方を信じますわ)
ロザリーはそんな小さな疑念を振り払うようにテスカの淹れた紅茶に口を付けると、何故だか先程よりも少し苦く感じられた。
──某所。
「……まさか、本当に依頼を取り下げさせるとはな」
男は低い声で唸るように言った。
傷跡の目立つその顔は驚きに満ちている。
「ええ。情報提供感謝いたします」
対面の執事服の男──ジュールは、穏やかに微笑んだ。
「お陰様で上手く行きましたよ。ブラッド」
「いくらアンタでも無理だろうと思ってたが……一体どうやったんだ?」
「誠心誠意話し合い、相手方に納得して貰っただけですとも」
ジュールは何食わぬ顔でそう答える。
「……言葉通りの意味に受け取っておくわ。それとテスカのあの屋敷への長期的待機も諜報活動ということにしておいてやった。貴族の情報は貴族からってな」
「流石です。やはり貴方は仕事がお出来になられる」
「へっ、アンタが言うと皮肉にしか聞こえねえな!」
ブラッドはそう言うと、僅かに眉を顰めた。
「……しかし、まさかアンタがあの屋敷で執事になってたなんてな」
「まあ、色々ありまして」
「俺が暗殺者ギルドにいるってよく分かったな?」
「テスカから『ブラッド』の名前を聞いた時に、それが貴方のことだとピンと来ましてな」
「依頼者の情報を漏らすなんて、本当なら殺されても文句は言えないことなんだぜ?しかも、ギルドのトップがそれをやったなんて、下の連中にバレたら組織自体が崩壊しかねねえ」
苦々しげにブラッドは言った。
「……だが、アンタには大恩がある。だから、今回だけだぜ?」
「いやはや、恩は売っておくものですな」
「……何でアンタ程の人があのガキのために?そりゃ、俺もあの当時はいい拾い物したと思ったし、あの領主の死体を山奥の誰にも見つからねえところに捨てて行方不明扱いになるよう工作もしてやったが、ここいらで切り捨て時かってくらいには伸びなかったと思ってるぜ?」
「テスカのためではございません。全てはお嬢様のためです」
「果報者だな。その『お嬢様』ってのは。アンタがそこまで言うとは」
ブラッドは腕を組みながら、思わず低く唸るような息を漏らす。
「……じゃあな。恐らくもうアンタとまともに会うことは無いだろうがな」
そう言うと瞬時にブラッドの気配が消えた。
まるで、初めからそこに誰もいなかったかのように。
「……ええ。一生涯掛けてお仕えする所存です」
ジュールは静かに、しかし確かな声でそう言い切った。
誰もいない闇へ向けて。




