第44話 ロザリーと大聖堂の騒動の始末
ユリアンヌとマギの体を乗っ取っていた魔族フォグストは、サピオの光の力「プリフケイト」により、その存在を消滅させた。
(凄い力だ……)
ミングは目の当たりにしたその力にただ感服する。
(闇のエネルギーを消す力……とでも言おうか?物理ダメージは通らないであろう霧状のフォグストを見事に消滅させてみせた。能力のみを消失させるロザリー・ローゼス・ロッソの『バニシング』とは似て非なるものだ。まさに『浄化』といったところか)
石床へうつ伏せに倒れているマギを横目で窺う。
(誰かに乗り移った状態では、流石に消滅までは至らないようだが……それでも、ダメージは与えていたようだったね。闇の眷属である魔族に対しての効力は絶大と言える。それこそ、闇の力をも凌駕するが如く、ね)
視線を移すと、その先ではサピオが肩で息をしていた。
(彼……サピオと言ったか?確か、ロザリー・ローゼス・ロッソがそう呼んでいた。見た目だけなら、ボクと同じくらいの子供だけども、それでアレとは末恐ろしいね……。光の力を有する者が『勇者』と呼ばれるのも納得と言うか、闇の力の魅力に取り憑かれたボクでもつい興味が移りそうな程だよ)
「マギ司祭!」
ミングの思考を断ち切るように、切迫した声が飛び込んできた。見ると、アリーが全身から血を流すマギの元へと駆け寄っている。
マギは荒いながらも呼吸はしており、命の灯火が消えていないことを示していた。
アリーはその傍らに跪くと、今にも溢れ出しそうな涙も拭わず、彼の手を両手で包み込み、祈りを捧げる。
救いたい。
そう願う彼女の祈りは強く、そして清らかであった。
姿勢はまるで一枚の宗教画のように美しい。
誰の目にも、彼女は紛れもなく聖女と映っているであろう。
「…………エイメス!」
長き祈りの最後を結ぶ言葉。
すると、地下室であるのに、何処からか光が降りてきた。
それはマギの体を優しく包む。
みるみる彼の体に刻まれた刀傷は塞がり、流れ出る血も止まっていく。
「…………んん」
眠りから覚めるが如く、マギはその重い瞼をゆっくりと持ち上げた。
「私は……」
マギは焦点の定まらぬ目で天井を見上げる。
「そう……でしたね。私は、あの魔族に……」
「……良かった、マギ司祭!」
アリーが笑顔を見せた拍子に、ぽつりと涙が石床へ落ちた。
「アリー、貴女が助けてくれたのですか?」
「はい。でも、私だけではありません。皆さんの力があったからです」
そう言って、アリーはロザリーたちへと顔を向ける。
「そうですか……。皆様には、ご迷惑をお掛けいたしましたね。無関係な方まで巻き込んでしまって、誠に申し訳ございません」
「いえ、首を突っ込んだのはワタクシたちの方ですし、それに魔族絡みでしたら、どの道放ってはおけませんでしたわ」
ロザリーは気にするなとばかりに首を振った。
「そう言って下さると、少しは救われます」
「それにしても、マギ司祭はとてもお強いのですわね。あのフォグストとかいうのに操られていたからというだけとは思えませんわ」
「私に『加護』が使えなくて幸いでしたね。私はユリアンヌ司祭程、神を信じ切れていませんでしたから。……フフ、脛に傷を持つ身だったことに感謝する日が来るとは」
「脛に……傷を?」
ロザリーが首を傾げる。
「……色々とあったのですよ。色々と、ね」
マギは遠くを見るように目を細めた。それ以上を語る気がないことは、その横顔が雄弁に物語っている。
ロザリーはそれを察し、口を噤んだ。
「一先ず、ここを出ましょう。ユリアンヌ司祭をベッドに運ばねば」
話を切り上げるように、マギはゆっくりと身を起こす。
ジュールが立てないように切った足の腱も修復されたようで自らの足でしっかりと立ち上がっていた。
そんなマギとは異なり、長い時間フォグストに取り憑かれていたユリアンヌはすぐには目覚めなかった。
一行は意識のない彼女を運び、階段を上って、地上の光の下へと出た。
その後は色々と慌ただしかった。
マギが地下室での一幕を手短に説明すると、大聖堂の神官たちは右往左往するばかりである。
ユリアンヌは、礼拝堂の奥にある静かな一室へと運ばれた。
「後は私どもにお任せ下さい」
年配の神官が恭しく頭を下げる。
しかしアリーは、寝台の傍らに椅子を引き寄せて座り込んだ。
「……私も、ここにいます」
神官は困ったようにマギを見る。だが、マギは小さく首を横に振った。
「好きにさせてあげましょう。彼女にとって、ユリアンヌ司祭は敬愛する師なのですから」
やがて、神官たちは一礼して部屋を後にした。
ロザリーたちも、少し離れた壁際で息を整える。誰も、無理に言葉を発しようとはしなかった。
静寂の中、どれほど時間が経っただろうか。
「……ん」
寝台の上で、ユリアンヌの指先がぴくりと動いた。
「ユリアンヌ司祭!」
アリーが身を乗り出す。
長い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
天井を映した瞳は、霧が晴れたように澄んでいる。そこに、先程までの冷たい光はなかった。
「…………ここは?」
「ここは大聖堂のお部屋です!」
「そう……ですか」
ユリアンヌは身を起こそうとしたが、力が入らない。アリーに支えられてようやく上体を起こした。
「長い……長い夢を見ていたようです。もう二度と覚めることがないのでは?と、思う程に長く……」
額を押さえ、室内を見回すユリアンヌ。
唇を噛み、シーツの上で拳を握り締める。
しばしの沈黙の後、彼女は絞り出すように口を開いた。
「……全てを覚えているわけではありません。ですが、この手に未だ残る感触、それは覚えています」
彼女は震える自らの両手へと目を落とした。
「尊い命を奪ってしまったこの感触……忘れられない。いえ、決して忘れてはいけません」
「ユリアンヌ司祭、それは貴女の意思では……」
マギがそう言いかけると、ユリアンヌは静かに首を振った。
「操られていた。正気で無かった。だから、赦される……などということは、決してあってはならないのです。無辜の命を奪う行為というのはそれ程に重い」
その言葉は、マギだけでなくアリーにも言い聞かせるようであった。
ユリアンヌは居住まいを正し、マギへと深く頭を垂れる。
「マギ司祭。私は司祭の座を退き、王国へ赴き、この罪を償いたく思います。どのような裁きでも、謹んでお受けいたします。この命をもってというのであれば、それも拒む権利は私にはありません」
「ユリアンヌ司祭……」
マギは何かを言いかけ、しかし言葉を飲み込んだ。
その横顔に、咎める色は無い。ただ、どこか痛みを分かち合うような、複雑な表情が浮かんでいた。
「嫌です!!」
今にも泣き出しそうな声を張り上げたのはアリーであった。
「何で……何でユリアンヌ様が罪を背負わねばならないのですか!?悪いのは、あの卑劣な魔族じゃないですか!!」
「アリー……」
「ユリアンヌ様は何も悪くありません!!もしも神がユリアンヌ様を裁くのであれば、私はそんな神はもう信じません!!信じたくもありません!!」
アリーの肩が震えている。
ユリアンヌは小さく息をつくと、母親のような手つきでその頭を優しく撫でた。
「……やれやれ、貴女はまだまだ未熟ですねえ」
そして、幼子を諭すように言葉を続ける。
「いいですか、アリー。命を失ってしまった子たちには家族が、その死を悲しむ人々がいます。その悲しみ、苦しみ、そして怒り。これらをぶつける相手がその方々には必要なのです。そうでなければ、心を壊しかねない。人の心というのはそこまで強くは無いからです」
アリーは唇を固く結んで俯いていた。
「手を下したのが私だと知れば、きっと私にそれらをぶつけます。そして、私が死んだ時に、漸く前へと進めるのです。取り返しのつかないことをした私が唯一出来る贖罪がそれなのですよ、アリー」
「でも……でも!!」
重い空気が部屋に満ちる。
ユリアンヌはそっとアリーの手を取った。
「……私のために泣き、私のために怒ってくれて有難う、アリー」
「ユリアンヌ様……」
「ですが、神に対しての不敬は頂けませんね。人を裁くのはあくまで人であり、神は私如きをお裁きになどならないのですから」
ユリアンヌは、やんわりと窘めるように言った。
「それでも……私はユリアンヌ様に死んで欲しくはありません。ましてや、罪を着せられたようなものなのに……」
ロザリーは、ふとミングの方を見る。
彼もまた、マグミスの策謀によりカール王子暗殺の首謀者に仕立て上げられていたのであった。
その時、キャスリーンが口を開いた。
「死して償う。聞こえはいいですけどー、それって逃げじゃないですかねー?」
一同の視線が彼女へと集まる。
「確かに、あなたが死んだら遺族は溜飲を下げるかもですけどー。でも、その機会は一度だけしか無いじゃないですか。そのたった一度で気持ちが完全に晴れるとは限らないのでは?あと、よく考えたら、あなたが受ける苦しみも一度きりですね」
「……………………」
ユリアンヌは何も答えない。
キャスリーンは構わずに続けた。
「それよりも生きて、遺族の憎しみを受け続ける方がよっぽど重い罰ですよねー?生きて贖う。その方が神様も推奨するのではと思いますよー」
そこまで言い切ると、キャスリーンはわざとらしく肩を竦める。
「……ああ、部外者がすみませんねー。小娘の戯言と思って聞き流して下さいー」
「……ユリアンヌ司祭。私も彼女の意見に同意です」
続いて静かに口を開いたのは、マギであった。
「私は生まれつきの信徒ではありません。だから貴女が長年信じてきた教えとは異なる思想を持っていると思うので、相容れないかも知れないですが……」
マギは、自らの掌へと視線を落とす。
「私も、かつては取り返しのつかないことをしてきました。……多くは語れませんが、これだけは言えます。たとえ、自分の大切な人を奪った相手が死んだとしても、それで救われるわけではないと」
「マギ司祭……」
「貴女の言う通り、遺族の怒りや悲しみには、受け皿が必要でしょう。ですが、それは一度きりの死ではなく、これから先、向き合い続ける生によってこそ果たせるのではないでしょうか。……少なくとも、私はそうでした」
その声は静かであったが、実感を伴った重みがあった。
言葉を失ったユリアンヌは、マギの顔をただじっと見つめている。
「……………………」
ユリアンヌは、しばし俯いたまま黙り込んだ。
「たった一度」。その言葉が、彼女の胸の奥で何度も反響する。
(……私は、ただ自分が楽になりたかったのでしょうか?)
命を差し出すことが最も重い償いだと、信じて疑わなかった。だが、それは同時に遺族の憎しみを一身に受け続けるという、より苦しい道から目を逸らすことでもあったのかも知れない。
(命は命でしか償えない……でも、命は手放すだけが選択肢ではない)
長い逡巡の末、ユリアンヌはゆっくりと顔を上げた。
「……そこの貴女。名前を教えて頂けないでしょうか?」
「……キャスリーンです」
「キャスリーンさん。先程の言葉、とても胸に来ました」
「……あ、そうですか」
素っ気ない返答ではあったものの、キャスリーンは何処か気恥ずかしそうに顔を逸らした。
ユリアンヌは再び自らの手を見つめ、噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「私は、一度の死で全てを終わらせようとしていました。それは贖罪というよりも、私がこれ以上苦しまないための……まさに『逃げ』だったのでしょう」
彼女の瞳には、もう迷いの色は無かった。
「ですが、この手の感触を……罪を抱えたまま、遺族の方々の前に立ち続け、憎しみも、涙も、全てを受け止める。……それが、私に課せられた本当の償いなのですね」
「ユリアンヌ様……!」
アリーの目が、大きく見開かれる。
ユリアンヌはマギへ向き直り、背筋を伸ばした。
「マギ司祭。先程の言葉を、一部撤回させて頂きます。私は命ではなく、生涯をもって罪を償いたく思います。どうか、手をお貸し願えますでしょうか?」
「……ええ。私で良ければ、証言をしましょう。処刑だけは回避出来るように」
マギは力強く頷いた。
「長い投獄は避けられないかも知れません。ですが命さえあれば、本当の贖罪の機会は必ず訪れます。その時には私も、貴女と共に、遺族の方々の元へ参りましょう」
「……感謝いたします。マギ司祭」
ユリアンヌはそう言うと深々と頭を下げた。
それを見たアリーは、堪えきれずにユリアンヌへ抱きつく。
「ユリアンヌ様!!良かった……!本当に、良かった……!!」
「アリー、力が強いですよ」
「だって、だって……!!」
アリーは子供のように泣きじゃくる。
ユリアンヌは苦笑しながらも、その背を優しく撫でた。
「……貴女に、また心配をかけてしまいましたね」
「いいんです!生きていて下さるなら、何度でも心配します!!」
「……ふふ。本当に、貴女は未熟で、そして……愛おしい子ですね」
その声は、とても温かく、包み込むようであった。
窓から差し込む光が、寄り添う二人を柔らかく照らしている。
「……良かったですわね、アリーさん」
その様子を見守っていたロザリーは、ほっと安堵の息をついた。
次の瞬間、ふいに膝から力が抜け、その場に座り込みそうになる。
「お嬢様!」
ジュールが即座に肩を支えた。
「……ご無理をなさいましたな」
「ええ、流石にクタクタですわ。アリーさんから力を貰っていなければ、とっくに倒れていたかも知れませんわね」
ロザリーは苦笑を浮かべ、ジュールに体を預けたまま、声を潜めて続ける。
「それと、キャスさんの本当の名前はキャスリーンというみたいですわね。あ、それも偽名かも知れませんけれども」
「いえ、本名ですー」
背後から返ってきた声に、ロザリーは思わずびくりと肩を跳ねさせた。
「わっ!き、聞こえていたんですの?」
「耳はいいんです」
振り向くと、キャスリーンが何食わぬ顔でこちらを見ている。
ふと、彼女の目が細まった。
「……ところで、貴女たちの目的は何なんです?呼ばれたわけでもないのに、こんな所まで?」
「ミング先生の無事を確かめたかったのですわ」
「本当に?討伐クエストの報酬が目当てでは?」
「誓ってそのようなことはございませんわ!」
「……………………」
キャスリーンはじっとロザリーの目を覗き込む。
その視線に、ロザリーは冷や汗を滲ませながらも、目を逸らさずに耐えた。
「……まあ、信じます」
ふっと視線を和らげ、キャスリーンは踵を返す。
「色々ありましたし、これからバタバタしますから長居はしませんけどー……。でも、まだ少しここに居ます。積もる話があるならば、あの地下室へ来てくださいねー。人目にもつきませんし」
間延びした口調でそう告げると、ひらひらと手を振って扉へ向かった。
「また、後で話そう。ロザリー・ローゼス・ロッソ」
その後を追うように、ミングも一言残して部屋を出て行く。
二人の背中を見送ったロザリーは、ふと、壁に背を預けているサピオに気づいた。
彼はぼんやりと自分の掌を見つめている。
「どうしましたの、サピオ?」
「あ……ロザリーお姉ちゃん」
顔を上げたサピオは、自分のしたことが今でも信じられない、といった風であった。
「僕が……僕があの魔族を倒したんだよね?」
「ええ。そうですわ」
ロザリーは柔らかな微笑みを見せる。
「紛れもない、貴方の光の力ですわ」
「……何か、夢を見ているみたいにフワフワなんだ」
サピオは熱に浮かされたような表情で、再び掌へ目を落とした。
「……そうですわね。ワタクシにも覚えがありますわ」
「ロザリーお姉ちゃんも?」
「ええ。ワタクシがこの闇の力で初めて魔族を倒した時は、現実味があまりなくてまさに夢見心地でしたわ」
「そう……なんだ」
サピオは照れ臭そうに、でも何処か嬉しそうに俯く。
その様子に、張り詰めていた空気が少しだけ緩むようであった。
その後、大聖堂では事後の対応が行われた。
修行者と思しき骨が、山の捜索の末に見つかるのは、まだ先のことである。
だが、大聖堂を覆っていた暗い影は確かに晴れた。
鐘が、澄んだ音を響かせる。
霧の魔族フォグストの犠牲になった者たちへの鎮魂であるかのように。




