第43話 ロザリーと大聖堂地下での攻防④
「君が無理をしたとして、その『バニシング』が使えるのは、あと一度が限度だろう。その貴重な機会を消費する前に確かめたいことがある」
ミングは足早にロザリーの傍らへ歩み寄ると、彼女の肩を押さえて詠唱を制した。
その瞳は、蹲るフォグストを捉えたままである。
「他人の体へ乗り移るのは闇の力。奴はそう言った。だが、そうなると解せないことがある。ユリアンヌ司祭に『バニシング』を使用した時だ」
ミングは倒れたユリアンヌ、床に膝をつくフォグストへと交互に視線を向けた。
「『バニシング』で消えたのは、彼女の『加護』による障壁だった。だが、フォグストの奴は乗り移ったままだった。このことから導き出せるのは、『バニシング』で消せるのは一度に一つの力だけということだ」
「……確かに、言われるとそうですわね」
ロザリーは警戒を解かぬまま、ミングの言葉に耳を傾ける。
「バニシング」は、打ち消す相手の力の規模によって彼女自身の消耗が大きく変わる。下手に乱発すれば予期せぬピンチを招く恐れがあったため、彼女自身もこれまで細かな性質までは試しきれていなかったのだ。
ミングは顎に指を添え、思索を深めるように言葉を重ねる。
「つまりは、こういうことも考えられる。本命の『パラサイト』を守るために、何か別の魔法なりを自身に掛けておき、それで『バニシング』を防ぐ、と」
「あ!」
ロザリーは思わず声を上げた。
「無論、『パラサイト』の解除に比べれば、そのカムフラージュの魔法なりを消しても消耗は少ないだろうが、それでも消耗はする。そして、今の君にとって、これ以上の消耗は戦闘不能を意味する」
ミングの視線が、ロザリーの緊張した顔を一瞬だけなぞった。
言葉こそ冷静だが、その声には隠しきれない気遣いが滲んでいる。
「恐らく、奴は『バニシング』の特性に気付いている。受けた本人だからこそ『パラサイト』が解除されなかったことを疑問に思わない筈が無いからね」
「つまり、アイツは『バニシング』への対策を既に講じている。そう、ミング先生は仰りたいのですわね?」
ミングは頷いた。
「逆に言えば、『バニシング』で『パラサイト』の解除は行えるということでもある。でなきゃ、わざわざそんな回りくどいことをしてまで防ごうとする必要はないからね。それに、先程君を真っ先に狙ったのもそれに起因していると思うよ。脅威の排除は当然の選択だからね。ヒッヒッヒ」
あと一手でこの勝負を制する。
その状態で足踏みとなっているロザリーたちを見ながらフォグストは笑った。
「……クックック、どうしました?手詰まりですか?」
血に塗れ、地面に這いつくばった状態でありながらも余裕を取り戻しているようであった。
(……乗り移ったままの肉体を殺せば、此奴も死ぬ。その仮説に関しては、まだ確信が無い)
ジュールは、何時でもマギの体を絶命させ得る状態を保ちながらも実行には移さずにいる。
懸念していたのは、止むを得ずマギの命を奪うことになってしまったとして、それでフォグストが死なない場合であった。
人命を犠牲にしておきながら、敵を討てぬのでは敗北に等しい。
(……やはり、お嬢様の『バニシング』による『パラサイト』の解除が確実か)
仮にマギの肉体から無事フォグストを引き剥がせたとしても、それで終わりではない。
(先程のユリアンヌ殿の体から出た時の彼奴を間近で見たが、まさに霧そのものであった。あれが本体なのか、霧の状態に体を変化させているのかは分からぬが、どちらにせよこの小太刀だけで霧を斬ることは叶わないだろう)
尤も、霧の姿で戦わないということは、あの状態での戦闘手段が無いか、乏しいのだろう、とジュールは考える。
(霧と化した彼奴を仕留める術は、現状こちらには無いと言わざるを得ない。お嬢様の闇の力ですら彼奴を殺しきれるか分からないからな。……だが、それで構わぬ)
ジュールは小太刀の柄を握り直した。
(まずはマギ殿を取り戻すことが最優先。肉体から追い出された直後の彼奴は、暫く誰にも乗り移れぬ。ならば、討つ方法を見つけるのは、その後でも遅くはない。逃走を図られれば、それを指を咥えながら見ていることしか出来ないだろうが。何れにせよ、マギ殿の体から彼奴を引き剥がすのが最善手か)
ジュールは一つ深呼吸し、もしもフォグストが怪しい動きをしても、すぐに対処出来るようにと周囲の空気の揺らぎに神経を研ぎ澄ます。
アリーは胸の前で組んだ両手をぎゅっと握り締めた。
視線の先では、ロザリーが肩で息をしている。
アリーの知るロザリーは堂々としていた。その背中が、今は小さく見える。
(皆さん……)
誰もが戦っていた。
(本来ならば、ロザリーさんたちもマギ司祭が匿われていたお二方も大聖堂には関係無いのに、こうして立ち向かってくれています)
今、自分に出来ることは……。
アリーは何かを決心したようにロザリーの手を取った。
「え……?アリーさん、どうなさいましたの?」
(神様……今こそ、あなたのか弱き子羊たちに奇跡をお願いします……。今じゃなきゃダメなんです!)
すると、アリーの体が静かに光を帯びていった。
その淡い光はアリーの手を通し、ロザリーの体へと伝う。
「!!」
次の瞬間、ロザリーの鉛のようだった体が嘘のように軽くなっていた。枯渇していた体力が、泉が湧くように満ちていくのが分かる。
「アリーさん。これは……」
「私に出来ることは、何時もよりも強く神様に祈ること。祈りが届いてよかった……」
高位の神官が使えるという「奇跡」。それは、傷を癒やし、病を治すという。
聖女筆頭候補であるアリーの「奇跡」の効果は絶大で、ロザリーの体力を元の状態まで戻していた。
「これなら『バニシング』を使えますわ!アリーさん、貴女はワタクシにとって最高の聖女ですわよ!」
「チッ……余計な真似を」
フォグストの笑みが、僅かに引き攣った。
「パラサイト」の解除。それは、間違いなく彼にとっての完全敗北であった。故に、マギの体の内で霧の魔力を纏わせ、防壁のようにしてそれを防ごうとしている。「加護」程では無くとも、身を守ることも出来る一石二鳥の策であった。
(くっ、この体があの女のように『加護』が使えるなら、こんな苦労はしねえんだが……)
たった一度、ロザリーの「バニシング」を防げれば、それで良い。そうだった筈の状況が、アリーの「奇跡」によって変わった。
少なくとも二回は防ぐ必要が生じたのである。
(人間如きが……!『何時でもお前など殺せるぞ』とでも言いたげに、この俺を見下ろしやがって……!勝ったつもりかあ?)
全身から、熱い血が流れ続けている。
歯を食いしばりながら、フォグストは唇の端を吊り上げた。
(……へっへっへ。そうだ、この体を殺してみろ。俺は勝てないかも知れんが、貴様らはその時点で負けだ!それが、人間って奴なんだろぉ!?)
その視線が一瞬だけ、地上へ続く階段へと流れた。
サピオは、拳を握り締めていた。
自分よりも遥かに強い人たちが、傷付きながら戦っている。
なのに、自分はどうだ?一緒に戦っているようで、何も出来ていない。
あの日、冒険者ギルドの登録試験に落ち、どん底にいた自分に声を掛けてくれ、鍛えてもくれ、合格した後にはパーティに入れてくれたロザリーたち。
皆と共に並びたかったのでは無かったのか?
(僕に……僕に出来ることは!!)
《汝、力を求めますか?》
突如、サピオの頭の中に声が響いた。
それは荘厳でありながらも優しく、慈しみ深く、まるで母親を思わせる。
無条件で身を委ねてもいいと思わせるような声音であった。
(……それは、皆を助けられる力なの?)
《それは、汝次第です》
(僕は……求める!)
《では、唱えなさい。『プリフケイト』と》
その瞬間、空気が変わり、皆の視線がサピオへ吸い寄せられた。
彼を中心に、柔らかな光が静かに広がっていく。
「『プリフケイト』!」
そう唱えた瞬間、光がシャワーのように降り注いだ。
「な、なんだあ?……その光は……う、うあああああああ」
光を浴びたフォグストは、苦しみの声を上げる。
浄化作用があるのか、マギの体から少しずつ黒い霧が立ち上り始めた。
光は次第に強さを増し、やがて眩い輝きとなる。
「あの……光は」
アリーは息を呑む。
その温もりには、覚えがあった。
祈りの時に感じる神の気配。それによく似ていたが、もっと力強く、真っ直ぐな光だった。
「これは……」
ミングは思わず耳と尻尾をピンと立て、目を見開く。
「間違いない。『光の力』だ!!」
その言葉に、フォグストの顔から余裕が消えた。
光の力。魔族である彼が、その意味を知らぬはずがない。闇に属する者にとって、それは唯一にして絶対の天敵であるからだ。
(馬鹿な……!よりにもよって今、何故……!?)
脚が使えぬ体では、光のシャワーからは逃げ切れない。
乗り移った状態では消滅こそしないが、その苦痛は耐え難い。ましてこの上、ロザリーの闇の力まで通れば……。
防がねば、とフォグストは歯を食いしばった。
「こんなところで……クソッ、させるかぁ!」
纏っていた霧の防壁へ魔力を注ぎ込み、厚みを増す。ロザリーの「バニシング」に備え、仕込んでいた守りの魔法だった。
だが、それも降り注ぐ光に触れた瞬間、まるで朝霧が陽に晒されたかのように音もなく溶けていった。
「ば、馬鹿なああああ!?」
「これが……光の力……!」
サピオは自身の掌を見つめた。
全身を巡る温かな力が、胸の奥から湧き出てくるようであった。
「今ですわ!!……『バニシング』」
ロザリーが突き出した掌から、闇が奔った。
光に洗われ、守りを失ったマギの体へ、黒い波紋が染み込むように広がっていく。
「なぁ……!?や、やめろ、やめ…………」
フォグストの叫びが、途中で歪んだ。
マギの体がびくん、と跳ねる。見えない手で、内側から何かを引き摺り出されているかのように。
掌に確かな手応えがあった。それは悪あがきのように軋む。
(……ッ!!やはり、辛いですわね……。でも、まだ!!)
アリーに回復して貰った体力が見る間に底をついていく。
それでも、ロザリーは奥歯を噛み、倒れそうになる体を踏み止まらせた。
(これが最後じゃないかも知れない!あと一回、また使うと思って耐えるのですわ、ロザリー・ローゼス・ロッソ!)
「ぐ、が……あああああッ!」
マギの口から、傷口から、黒い霧が堰を切ったように噴き出す。
やがて、それは再び一塊となった。
「く、クソがあぁ!!!」
宿主を失った霧は、地上へ続く階段へと一直線に向かった。
キャスリーンが咄嗟に回り込もうとするも、実体のない霧は剣の間合いをすり抜けていく。
「させん!」
ジュールは着ていた燕尾服のジャケットを素早く脱ぐと、黒い霧の塊の前方へと投げた。
空中で広がった布が遮蔽物となる。
(彼奴は霧の時には常に固まって動いている。散らばった方が有利であるにも関わらずだ。それが出来ない理由があるのだろう。ならば、広い面積のもので遮ればいい。最低でも流れを乱す程度のことは出来る筈だ!)
ジュールの狙いが正しかったのか、フォグストが僅かに動きを緩めた。
ロザリーは、小さな勇者へ向けて叫ぶ。
「サピオ!!」
「うん!!」
その一瞬で十分であった。
辺りに満ちていた光が、その掌へと急速に集まっていく。拡散していた輝きが一点に束ねられ、白い槍のような密度を帯びた。
「『プリフケイト』!!」
サピオが叫ぶように唱え、掌を突き出すと、放たれた光は奔流となってフォグストを呑み込んだ。
「ぐ、ぎぃ……ぎゃああああああ!!」
断末魔が地下室に響き渡る。
光に灼かれ、黒い霧が端から引き千切られていった。
霧は必死に何かへ縋ろうと蠢いたが、ひとつ残らず白い光に浄められ、塵のように細く崩れて消えていく。
「ちくしょう……あのガキの体を使って……大聖堂を乗っ取って……支配して……魔王様に……」
最後に漏れた怨嗟の声さえも、光の中へ溶けて消えた。
やがて、光がゆっくりと収まっていく。
静けさを取り戻した地下室の床に、ひらりとジュールのジャケットが落ちた。




