第43話 ロザリーと大聖堂地下での攻防③
「ああ、そんな……。マギ司祭…………」
溢れ出す涙を拭うことも忘れ、アリーは絶望に顔を歪める。
自分を庇ったせいだ。そう考えずにいられないのだろう。
「フフハハハ!思った通り、なかなか鍛え込まれた肉体。さっきの虚弱女と違って、動かしやすくて堪りませんねぇ!」
マギの顔でフォグストが高らかに笑う。
握っては開く掌の感触を確かめるその仕草は、新しい玩具を与えられた子供のようにも見えた。
ロザリーは乱れた呼吸を整え、疲労を押し殺した声で問い掛ける。
「……その言い方だと、まるでそっちの体が本命みたいですわね。アリーさんを狙っていたんじゃないんですの?」
「勿論、いずれ聖女となるアリーの体は頂くつもりです。しかし、このマギという人間の体は一目見た時から惚れ込んでましてね」
フォグストはうっとりしたように乗っ取ったばかりの体を見回す。
「それに、アリーを狙えばこの男は必ず庇う。あの女の目を通して見てきた彼はそういう人物でしたから。……ええ、思った通りでした」
「……っ!」
アリーの肩がびくりと跳ねた。
「わ、私の、せいで……」
「アリーさんのせいじゃないよ!」
サピオは励ますかのように力強く言った。
フォグストはそれを鼻で笑い、再び自身の体へと視線を移す。
「口を開けば神だなんだと馬鹿の一つ覚えな辛気臭い連中と違った、戦と血の臭い……。隠していても、魔族である私には分かりましたよ。恐らく過去に何かあったんでしょうが、そんなことはどうでもいい。この体であれば、あの女の体では出せなかった本領が発揮出来ますから。地位もそれなりに高いようですしねぇ」
「……ところで、その慇懃無礼な喋り方、鼻につくんで止めて下さいませんかねー。私が言うのも何なんですけど」
キャスリーンはレイピアの切っ先をフォグストへ向けた。
「おおっと、これは申し訳ありませんね。乗っ取った人間の影響を少なからず受けてしまうものでしてね。この男が普段装ってる物腰の柔らかさに引きずられているのでしょう。尤も、それが本性で無いことは、この体を乗っ取った私には分かりますがね」
愉快そうに口の端を歪めていたフォグストは、ふと何かに思い至ったように目を細める。
「……思えば、あの女の体を乗っ取った時も、誰かに秘密を明かしたくて仕方のない衝動に見舞われましたねぇ。普段の私ならばそんなことは絶対にしないのですが。今考えれば、それがあのユリアンヌとかいう女の誰にも打ち明けられない癖か何かだったのでしょう。こんな堅苦しいところに何十年もいるんですから、そのくらい抱えてても不思議では無いですから」
フォグストは横目で床に伏すユリアンヌを見やった。
「まあ、もう用済みですがね」
「用済みって、まさか……」
アリーの顔から血の気が引いていく。
ミングは素早くユリアンヌの傍らに屈み込むと、口元に手を翳し、続いて首筋へ指を当てた。
「……大丈夫だ。ユリアンヌ司祭は生きている」
ミングは小さく息を吐き、続ける。
「呼吸も脈も安定している。乗っ取られていた間の消耗はあっても、命に別状は無さそうだ」
「よかった……」
アリーは膝から崩れ落ちそうになるのを、どうにか堪えた。
「その女の安否が確認出来たところで、お喋りはここまでにしましょうか」
フォグストはゆっくりと首を鳴らした。
「久し振りにうずうずしているんですよ……この体の具合を確かめたくてねぇ!」
そう言うと、まるで品定めのように各人を見回していたが、ある一点でピタリと止まる。
その視線の先にいたのは、ロザリーであった。
「!?」
「……厄介な力を持つ魔族擬きがぁ!!今の内に潰してやる!!」
次の瞬間、石床が爆ぜる。
弾丸の如く、その長身から想像もつかぬ程の速度でマギの体が一直線に迫る。
「お嬢様!」
誰よりも先に、小柄な影がロザリーの前へ滑り込んだ。
テスカであった。
「死ねぇっ!」
「ッ!!」
彼女の交差させた腕が、乱暴に振り下ろされた拳を受け止める。
鈍い衝撃音が地下室に響き、テスカの足が石床を削って後ろへ滑った。
「……っ、重い……!」
一見すると細身に見えるマギであったが、その一撃に鍛え込まれたものをテスカはその腕で感じ取っていた。
奇しくも、元暗殺者として無駄な筋力を削ぎ落とし、可能な限りまで肉体を軽量化した自身に通じるものを覚える。
(この人間離れした力と速さは、あのフォグストとかいう魔族に乗っ取られているから……?いや、先程のユリアンヌという方の体を乗っ取っていた時は、然程でも無かった。つまり、これはマギ司祭の本来の力ということ……)
脳裏に、大聖堂で初めてマギと顔を合わせた時の光景が蘇る。
あの時、テスカはマギから何も感じ取れなかった。
暗殺者は相手の力量をより正確に測ることが必須である。そこを見誤れば、相手に気付かれずその命を奪うなど出来る筈もない。
暗殺者ギルドの一員であったテスカもその眼力には自信があった。だが、そんな彼女ですら見抜けぬ程に力を隠し通すというのは余程である。
(ダガー……は使えませんですね。体自体は普通の人間のようだから、毒で死んでしまう。あれだけの実力者だからブラッドみたく毒に耐える訓練をしている可能性はあるけど、それに賭けるにはあまりに根拠が薄過ぎです。その上で相手をなるべく傷付けず……なんて、厳しいって話じゃないですね……。それでも、主がそれを望まないというのであれば、お嬢様の専属メイドとしてはやるしかない!)
テスカは腹を括ると、単身フォグストの懐へと潜り込む。
「ハァッ!」
息をつかせぬ殴打と蹴撃の連携。
だが、フォグストはそれら全てを防御で受け、直撃を悉く避けている。
「フンッ!」
放たれた裏拳を右肘で受け止めると、すかさず膝蹴りを返してきた。
「ッッ!!」
テスカは倒れ込むように仰け反って躱し、そのまま床に座り込む形で足払いを放つ。
「遅い!!」
フォグストは軽々と跳んでそれをやり過ごし、その勢いのまま空中から踵を落とした。
テスカは紙一重で身を引き、バックステップで距離を取る。
フォグストは追わず、ごきりと首を回した。
「ふむ。貴女、結構やりますねぇ。ただのメイドではありませんね?」
「ハァ、ハァ……」
ここまでの攻防、速さと手数ではテスカが勝っている。
「ですが、貴女の放つ攻撃は軽い。そして、この体を傷付けることを避けてますね?」
(……流石に狙いが読まれていますですね)
これまでのテスカの攻撃は相手に全て難なく防がれていた。急所を外さざるを得ない分、攻撃は読まれやすく、一つとして有効打にはなっていなかったのである。
対してフォグストの一撃は直撃こそせずとも力強く荒々しい。テスカが最初に受けた時の衝撃がまだ彼女の両腕の芯に残る程である。
一見すると細身の肉体の何処にそんな膂力を隠しているのか。
(恐らく、鍛え抜いていた上で削ぎ落とし、また鍛えては削ぎ落としを繰り返して凝縮させた力の結晶のような体にしているのですね……!)
それはテスカの理想とする肉体の在り方であり、ジュールもそのタイプであると彼女は確信している。
その上でフォグストが借り物の体だからと筋肉が悲鳴を上げようと、骨が軋もうと、構わずリミッターを外す程に酷使しているからこそ、あの力は生み出されたのだろう。
(まともに受けていては、いずれ腕や脚ごと持っていかれますですね……)
故に、テスカは放たれた打撃を受けることはせず、回避に専念していた。
相手の動きそのものは、不思議なほど単調だった。
これほど綿密に己を鍛えた者の技が、こんなに粗い筈がない。操っているフォグスト自身は、武の心得に乏しいのだろう。
だからこそ、テスカは避け続けることが出来た。
だが──。
「……良いのですか?このまま続けていたら、確実に私が勝ちますよ?この体は全然疲れを感じませんが、貴女の方はどうです?」
「ハァ、ハァ……」
「誰が見ても明らかに消耗していますねぇ。まあ、それだけ動き回れば当然と言えますがね。…………ん?」
フォグストの視線がテスカの背後へフォーカスされる。
テスカとの攻防の間、キャスリーンの姿がいつの間にか消えている。
次の瞬間、石柱の影から疾風のようにフォグストの死角へキャスリーンが飛んで来た。
声も無く、レイピアの鋭い切っ先がその背中を貫かんとばかりに。
「ちぃっ!!」
フォグストは振り向きざまに、刃を素手で掴み止める。
握り締めた掌から、鮮血が滴り落ちた。
「……そう言えば、貴女は容赦をしないんでしたね」
「マギ司祭には悪いと思いましたけどねー……まあ、結局殺せなかったので、ある意味では結果オーライなのかも知れませんが。それにしてもこの一撃を止められるとは思いませんでしたよ」
「いえ、完全に虚を突かれましたよ。それでも反応出来たこの体が凄いんですよ」
フォグストは、ヘラヘラと笑ってみせる。
その一部始終を、ジュールは身構えたまま静かに見つめていた。
(……何故、彼奴はキャスリーン嬢の一撃を受け止めたのか?)
敵は人の体を乗っ取る力を持つ。そして、マギの肉体を後先考えずに酷使しているのは見て明らかだ。
そこまで乱暴に扱うのなら、致命傷を負ったところで、別の誰かに乗り移ればいい。それこそがこの能力最大の利点の筈である。にも拘わらず、不可避の一撃をああまでして止めた。
不自然であった。
ジュールはいくつか仮説を立てる。
(もしかすると、彼奴は一度肉体を乗っ取ったら、暫くは他の肉体を乗っ取ることが出来ないのでは……?)
フォグストがユリアンヌに乗り移ったのは、これまでに聞いた情報から少なくとも一年以上は前であるが、ユリアンヌからマギへ乗り移ってからはまだ間もない。
(そして、乗っ取った状態で絶命した時にはフォグストという魔族もまた絶命に至るのでは?)
ユリアンヌに乗り移っていた時には、「加護」をロザリーのバニシングで消された際に、今までにない焦りの表情を見せていた。肉体の死と直結しないのであれば、あそこまで狼狽する必要はない。
「ふぅむ。試してみますか……」
ジュールは懐に手を差し入れ、マグミスを追い詰め、野盗共を屠った一振りの小太刀を引き抜いた。
「……参る!」
呟くようにそう言うと同時にジュールの姿が掻き消える。
テスカの目にさえ、その動きは捉えきれなかった。空気が僅かに揺れたと感じた時には、ジュールはフォグストの傍らに立ち、柄に手を掛けていた。
「はぁっっっ!!」
短い気合いと、鞘鳴りの音。
常人の目には、ジュールが小太刀を抜いた瞬間に火花が散り、すぐさま小太刀を鞘に戻したようにしか映らなかったろう。
「ギィヤアアアアアア!!」
だが、刃が鞘に収まった途端、フォグストの──マギの全身が斬り刻まれ、血飛沫が上がった。激痛に思わずフォグストはその場に蹲る。
「…………ッ!!」
アリーは思わず目の前の光景から目を逸らしていた。
自分を庇ったマギの体が傷付く様を見たくは無かったのだろう。
「くっ……!こ、この、老いぼれがぁ……!!」
取り繕っていた言葉遣いが、荒々しく崩れる。
ジュールは冷ややかな目で、それを見下ろした。
「本来のマギ殿であれば、こんなにあっさり斬られることは無かっただろうな。貴様のようなゴミクズに乗り移られたのが気の毒でならない」
「てめぇ、ぶっ殺してや……」
フォグストは反撃のため、立ち上がろうとするも、何故か立てないでいた。
「な、なんだぁ?た、立てな……」
「膝裏の腱を切った。いくら貴様が乗り移った体を好きに操れようとも、人間の構造上は立てない筈だ」
冷酷な宣告。
フォグストはギロリと殺気立った視線をジュールへ向ける。
「て、てめえええええ。この体がどうなってもいいのかぁ!?」
「テスカと貴様の戦いを見て、五体満足にマギ殿の体を取り戻すのは無駄に犠牲を払うだけと判断した。それに、先程も言ったが、ここは大聖堂。神の奇跡は切断された手や足をも繋ぎ直すと聞く。死にさえしなければ、奇跡も期待出来る。故に切った」
「ジュール様……」
躊躇のない手腕に息を呑んだテスカへ、ジュールは視線だけを寄越した。
「テスカ、お嬢様の意向に出来得る限り応えたいのは私も同じ。ですが、時には非情に思えてもその手段を決断せねばなりません。暗殺者ギルドの一員であった貴女ならば重々承知かも知れませんがね」
「……改めて、肝に銘じますです」
テスカは唇を引き結び、素直に頷いた。
「さて、これで貴様の生殺与奪は私に握られたわけだが……」
ジュールは小太刀の柄に手をかけたまま、一歩踏み出す。
「どうした?私に乗り移らないのか?」
挑発めいた言葉にも、フォグストは歯噛みするばかりだった。
「黒い霧と化し、相手を包み込み、その体を乗っ取る。恐ろしい力だ。この私とて、それを防ぐことは叶わぬだろうな。今が好機だぞ?」
「くっ…………」
「……どうやら、やはり貴様は乗り移ってすぐには別の誰かへ乗り移ることが出来ないのだな」
確信を得たジュールの指摘に、フォグストの顔が苦痛と焦燥でみるみる歪んでいく。
「この老いぼれがぁ……。俺の『パラサイト』の弱点を見抜きやがったか……」
「ほう、貴様のその力は『パラサイト』と言うのか。つまりは闇の力というわけだな」
「し、しまった!」
追い詰められると、言わなくていいことをつい口走ってしまう。誰しも覚えのあることだが、フォグストもその例に漏れなかったらしい。
「ロザリーお嬢様!」
「ええ、分かっていますわ!」
ジュールの呼び掛けに応じ、ロザリーは悲鳴を上げる体で残りの力を全て使うかのように、再び「バニシング」の 詠唱へ意識を集中させる。
乗り移りが闇の力に依るものであれば、「バニシング」によって、マギの肉体からフォグストを引き剥がせる筈であった。
「いや、待つんだロザリー・ローゼス・ロッソ!」
その時、鋭い声がロザリーの耳に入ってきた。
声の主はミングであった。




