第43話 ロザリーと大聖堂地下での攻防②
「…………なっ!?」
自身に何が起きたのか、ユリアンヌはすぐには理解出来なかった。
光り輝く聖なる障壁は跡形もなく消え去っている。
己が無防備に立ち尽くしていると気付いたのは、キャスリーンのレイピアの切っ先が、喉の皮膚に触れるか触れないかの位置でぴたりと止まっているのを目にした時であった。
間髪を入れず、ジュールとテスカがキャスリーンの左右から躍り出る。
「ハッ!」「やあ!」
ジュールが鋭い手刀で錫杖を叩き落とすと、テスカがすかさずそれを蹴り飛ばして遠ざけ、がら空きの腹部へ渾身の掌打を叩き込んだ。
「ごふっ!!」
膝から崩れ落ち、蹲るユリアンヌ。
ジュールが素早くその背後へ回り込んで床へ押し倒すと、そのまま背中に乗り上げ、細い腕を後ろ手に取って極め、身動きを封じた。
「……ふぅ」
レイピアをゆっくりと引き、キャスリーンが小さく息を吐いた。
「……こそこそと話していたので何かやろうとしているのだろうと思って寸止めしましたが、私がそれに気付かないでこの女の喉をそのまま貫いてたらどうしたんですー?」
「いえ、貴女なら必ず察して下さると思っていましたわ、キャスさん」
ロザリーは、学園で目の当たりにしたキャスリーンの姿を思い出す。
魔族であったケスの首を平然と斬り落とし、カッセルが襲われた直後に疾風のように現れて犯人を追い掛けて行った彼女は、間違いなく凄腕のプロフェッショナルである。
そんな彼女をロザリーは信じたのだ。
「ま、貴女は慧眼だった。……ということにしてあげましょうかねー」
「……凄い」
一連の攻防を見ていたサピオは、思わずそう呟いていた。
(ロザリーお姉ちゃんも、ジュールさんもテスカさんもやっぱり凄いや!)
息一つ乱さず敵を制圧するジュールとテスカ。そして、疲労の色を滲ませながらも毅然と立つロザリー。
パーティとして一緒にいた皆が、今の彼にはひどく遠い存在に思えた。
(それに比べて僕は……)
決して何もしていないわけではない。
ロザリーからアリーを守るように言われ、こうして剣を何時でも抜けるように柄へ手を掛けている。
だが、本心ではジュールやテスカのように戦いの要として、ロザリーの隣に並びたかったのだ。
サピオは静かに唇を噛んだ。
そんな少年の葛藤をよそに、戦況は既に決していた。
「ぐっ……。まさか、『加護』を消すなんて……!」
ジュールに押さえ込まれ、身動きの取れなくなったユリアンヌが、首だけを捩って憎悪に満ちた目をロザリーへと向けようとする。
だが、その視線が彼女に届くよりも早く、ジュールがその細腕を容赦なく捻り上げていた。
「動かぬことですな。お嬢様のご命令により、命を奪いはしませんが、妙な動きをするのならば骨の一本や二本は覚悟して頂きますぞ」
その言葉に嘘がないことを体に教え込むが如く、ジュールが更に絞り上げる。
「ぐあっ……!」
苦悶に顔を歪めながらも、ユリアンヌは言い返す。
「い、言った筈ですよ?この体は私のものではない、と。本来のユリアンヌを傷付けてもいいのですか?」
「心苦しいですが、事態が事態ですからな。それに、ここは大聖堂。ある程度怪我を負わせたとしても治癒出来ましょう。痛みについては、どうやら肉体を乗っ取っている側のあなたが引き受けて下さるようですので」
「ふ、ふざけるな……!!」
ユリアンヌの体を乗っ取った魔族の素なのか、取り繕う余裕を失ったのか、言葉遣いが荒々しく変わっていた。
本性を覗かせたその姿に、アリーは思わず目を伏せ、唇を噛み締める。敬愛する師の声で、あのような言葉を吐き捨てるのを聞かされたことが辛いのだろう。
「流石、と言うべきだね。これで終わってくれればいいのだけども」
人の姿に戻ったミングが、ふぅと息を吐きながらロザリーに歩み寄る。
「……いやあ、それにしてもいいものを見られたよ、ロザリー・ローゼス・ロッソ。『バニシング』だっけ?相手の力を打ち消すとは実に興味深い。ヒッヒッヒ」
「ミング先生、お久しぶりですわ」
「ヒッヒッヒ。あの日以来だね。こんな時で無ければ、久々に語らいたいところだけどね」
ミングは取り押さえられたユリアンヌをチラッと見やる。
「これでもう、彼女は何も出来ない。あとは、どうするかだが……。君のその『バニシング』で奴を消し去ることは出来ないのかい?」
ミングの問いに、ロザリーは自身の掌へ視線を落とした。
先程、障壁を消し去った際の手応えが、まだ痺れとなって指先に残っているように感じる。
「『バニシング』は、相手の使った魔法や能力を打ち消すもののようですわ。それに、打ち消した力が大きければ大きい程、消耗も激しいようでして。……実は今も、立っているのがやっとなんですの」
ロザリーは気丈に微笑んでみせるものの、その額にはじわりと汗が滲んでいた。
あれ程の力を持つ「加護」を消し去ったのだ。その代償は決して小さくないのだろう。
「そうか。体を乗っ取るのであれば、敵は恐らくエネルギー体のような存在と踏んでいたんだが、そう上手くは運ばないか……」
ミングは顎に手を当て、残念そうに言った。
何とか敵を拘束は出来たものの、ユリアンヌの体から追い出す手段については、誰も見当もつかないようである。
束の間、重い沈黙が地下室に落ちた。
その時であった。
「フ、フフ……ンフフフフ……」
何処からか押し殺したような笑い声が漏れ出す。
見ると、ユリアンヌが俯いたまま、肩を小刻みに震わせていた。
彼女の背に乗っているジュールにも、その震えは伝わっている。怯えでも、痛みによるものでもない。
ジュールは眉を僅かに顰めると、腕を捻る手に力を込め、低い声で問い質す。
「……何が可笑しい?」
「そりゃあ、可笑しいでしょう。これで勝ったと思ってるのですから!」
顔を上げたユリアンヌの口元は、不気味なほどに吊り上がっている。
「この体は色々と便利でしたが、こうなったら仕方がありませんねえ!」
その時、ロザリーの背筋に冷たいものが走った。
激しい疲労で倒れ込みそうな体に鞭を打って、額へと闇の力を集中させる。
「あ、あれは……?」
闇の力を視る瞳が捉えたのは、ユリアンヌの周囲に渦巻く、どす黒い奔流。
それは、彼女の体内から抜け出すように溢れ出し、やがて一塊に凝縮していく。
(先程、ミング先生が仰っていたこと……)
〘体を乗っ取るのであれば、敵は恐らくエネルギー体のような存在と踏んでいたんだが……〙
ロザリーは、敵が次の依代にジュールを選ぼうとしているのでは、と直感した。
「!!ジュール、すぐに離れなさい!!」
主の鋭い声が飛ぶ。
ジュールは即座に拘束を解き、ユリアンヌから飛び退いて距離を取った。
掴まれていたユリアンヌの腕が力なく床に落ち、ゼンマイの切れた人形の如く、そのまま動かなくなる。
「ファッハッハ!確かにその男の強さは魅力的だが、老いぼれに用はない!」
意思を持った黒い塊が、そう言葉を発した。
「我は霧の魔族、フォグスト!」
名乗りと共に、黒い塊が禍々しい気配を撒き散らしながら膨れ上がる。
「予定よりは大分早いが、その体頂かせて貰おうか!」
そう言い放つや否や、フォグストは一直線にアリーの元へと飛んで行く。
「!?」
あまりにも突然に目の前へと迫る闇。
アリーは声すら出せず、凍り付いたようにその場から動けなかった。
「アリー!!」
その視界を、突如として広い背中が覆った。
庇うように両腕を広げたマギであった。
黒い霧が、全身を這い上がる蟻の群れの如く彼の体を包み込んでいく。
「……ッ、が……ぁ……!」
やがて、耐えきれなくなったのか、マギはその場に膝をつくと、糸が切れたように崩れ落ちた。
「マギ司祭!!」
アリーは悲痛な声を上げるも、目の前の光景をただ見ていることしか出来なかった。
「アリーさん!」
茫然とする彼女の腕を強く引いたのはサピオであった。
アリーを自分の背に庇い、そのまま数歩後ずさる。
剣の柄を握る手が、じっとりと汗で濡れていた。
(マギ司祭……。アリーさんのために……)
マギと共にアリーの守りを任されていたのに、黒い霧が迫った時、サピオの足は床に縫い止められたように動かなかった。
魔族の放つ殺気に気圧された体の硬直と、目前の敵に臆してしまった心。その両方が、彼の足を絡め取っていたのだ。
(僕は……こんな時に……)
サピオの頭の中は恐怖や自分自身への失望など、負の感情で綯い交ぜになり、ぐちゃぐちゃになっていた。
この場から逃げ出したい衝動に身を任せたくなる。
「どうして……どうしてこんな……」
背中越しに聞こえる、震える声。
それがサピオの心を引き止める。
振り返ると、アリーは大粒の涙を零していた。
「ユリアンヌ様もマギ司祭も……どうして……」
敬愛する師であるユリアンヌ、そして自らの身を挺して守ってくれたマギ。
目の前で傷付く者たちを見て、彼女の心は悲鳴を上げていた。
(僕が……僕が、アリーさんを守らなきゃ……!)
先程までの負の感情はいつの間にか薄れ、その思いだけが沸々と湧き上がっている。
マギが身を挺して守ったこの人を今、すぐ側で守れるのは自分しかいない。
(僕は……僕は……!)
自身の未熟さを痛感してもなお、サピオは折れなかった。
柄を握る手に力を込め、震える足で床を踏み締めると、真っ直ぐに前を見据える。
一方、黒い霧は、すっかりマギの体内へと吸い込まれていた。すると、マギがゆっくりと立ち上がり、俯いていた顔をロザリーたちへと向ける。
「……ああ、これは良い。実に良い体だ」
聞き慣れた声で、聞き慣れない口調で、マギはそう言って口の端を吊り上げた。穏やかだったはずの瞳は、禍々しい黒に染まっている。
「マギ……司祭……?」
震える声で呼び掛けるアリー。
マギは優しく、そして残酷に微笑んでみせた。
「ええ、貴女の知るマギ司祭ですよ、アリー……。尤も、中身はもう違いますがねえ!」




