第43話 ロザリーと大聖堂地下での攻防①
「……ええ、あの禍々しく纏わりつく黒い靄のようなもの。間違いなく、『闇の力』ですわ」
ロザリーは額へ意識を集中させたまま、鋭い眼差しでユリアンヌを見据えて言った
「おや?闇の力を視ることが出来るのですか?」
ユリアンヌは意外そうに目を丸くする。
「その方法は魔族にしか伝わってないと思っていましたが……もしかして貴女も潜伏していた魔族なのですか?」
「いいえ、ワタクシはロザリー・ローゼス・ロッソ!それ以上でもそれ以下でもありませんわ!」
「ロザリー・ローゼス……ああ、先程そこの獣人が言っていましたね。闇の力を使える唯一の人間とか何とか」
毅然と言い放つロザリーを、ユリアンヌは関心なさそうに鼻で笑ってみせた。
「闇の力を使いし人間……。マグミスはあわよくば魔王様に献上したいと考えていたようですが、私にとってはどうでもいい存在ですね」
「それは良かったですわね。ワタクシも貴女に関心を持たれなくてホッとしていますわ」
「おやおや、言うではありませんか」
そう言うユリアンヌの視線が、一瞬だけアリーを捉える。とても冷たく、まるで路傍の石を這う蟻でも見るかのようであった。
「……っ!」
その一瞬だけで、アリーは思わず息を詰まらせる。
敬愛する師と過ごした日々が、彼女の頭の中で次々と浮かび上がり、その度に心臓は早鐘のように鳴り響いていた。
「アリーさん……」
隣に立つサピオが、ショックで身を震わせるアリーの顔を心配そうに覗き込む。だが、アリーの耳にはサピオのそんな声すら届いていないようだった。
「ユリアンヌ様……」
茫然とユリアンヌを見つめたまま、彼女は絞り出すように言の葉を紡ごうとする。
「四年前、私が初めて大聖堂へ来た時に優しく迎えて下さったのも、まともに祈りの言葉すら言えなかった私に付きっきりで教えて下さったのも、修行が辛くて抜け出した私を叱った後に優しく抱き締めて下さったことも、まるで本当の家族のように共に居て下さったことも……全てが演技だったと言うのですか?」
「……………………」
「私には……私にはとてもそうは思えません!!」
縋り付くようなアリーの心からの悲痛な叫び。
しかし、それを黙って聞いていたユリアンヌは冷酷な嘲笑を浮かべた。
「フフフ……。何だか、とても可哀想になってきました。ですから、いいことを教えて差し上げましょうか。冥土の土産という奴ですね。そして、それはあなたたちが私に勝てない理由でもあります」
一息置き、ユリアンヌは哀れむような目をアリーに、そしてロザリーたちに向けた。
「アリー。貴女が先程から語っていた思い出の中のユリアンヌ。それは私であって、私ではありません」
「え…………?」
ユリアンヌの発した言葉。
謎掛けめいたその内容に、虚を突かれたかのようにアリーは戸惑いを見せる。
「どういう……ことですか?」
「言葉の通りですよ、アリー。貴女が慕うユリアンヌという人間。それは確かに存在していました。いえ、今でも存在はしています。そう、ここにねえ!」
そう言ってユリアンヌは、自らを指すように胸へと手を当てた。
「……そういうことか!」
ミングが確信を込めて声を上げる。
「恐らくだけど、ユリアンヌという司祭は体を乗っ取られている」
「!?」
「奴の言っていることが事実とし、これまでの情報から導き出すとそうなる」
「成る程……。憑依、或いは寄生といったところでしょうか?」
ジュールがそう言うと、ミングはコクっと頷いた。
「そのどちらかである可能性が高いだろうね。尤も、それがその魔族の特性なのか、闇の力に依るものなのかはまだ分からないけどね」
「ご明察!」
ユリアンヌは、まるで拍手を送るかのように錫杖を軽く打ち鳴らす。
「ですから、お分かりでしょう?あなたたちに出来ますか?この何も知らぬ、哀れなユリアンヌの体を傷付け、その命を奪うことが!!」
故に、あなたたちは私を倒せない。
そう確信を得たが如く、ユリアンヌは笑う。
「ああ……本当にいいですねえ。与えた情報を基に真実を導き出そうとするその姿。弱き人間が知恵を振り絞り、抗おうとする様はとても愛おしくなります。ましてや……」
ユリアンヌは恍惚の表情を浮かべ、歪んだ悦楽に浸るように天を仰いだ。その口上も更に熱を帯びていく。
「そうして、折角全てを理解したのにそれを誰にも伝えられずに私に屠られ、絶望する表情など極上という他ありません!!」
「一人で盛り上がっているところ申し訳ありませんが、状況分かっていますかー?」
そんな彼女へキャスリーンがすぐさま冷や水を浴びせ掛ける。
「この人数ですよー?その気になれば、誰か一人を逃がすことは容易ですし、そこから全てが露呈するとは思わないんですか?」
「そこがあなたたち人間の愚かしくも愛しいところですよ。仮にここから無事逃げることが出来、私の言ったことを一言一句漏れなく誰かに伝えたとして……誰が信じると思います?」
勝ち誇ったようにほくそ笑むユリアンヌは、視線をマギへと向けた。
「マギ司祭。もしも貴方が何も知らない状態でそんな話を聞かされたら、その者の言葉を全面的に信じますか?」
「……心に留めはしても、大方は質の悪い冗談だと思ったでしょうね」
「でしょう?私は……というよりも、この体はそれだけの信頼を築いて来たようですからねえ」
満足のいく答えを得て、ユリアンヌはうんうんと頷く。
「まあ、そもそも誰も逃すつもりはありませんけどね。気付いていますか?こうして私がペラペラと喋ってるのに誰もその隙を突こうとしない。私が怖いのでしょう?」
「……そんなあからさまに隙だらけだと、逆に罠を張っていると言っているようなものですね」
テスカが冷ややかに言った。
「恐らく、アイツには何かしら迎撃か防御が備わってると思いますです」
「ご明察!……ですが、罠を警戒して動かないのは感心しませんねえ。慎重と臆病は紙一重ですよ?」
「……と、言ってますが、どうしますです?ジュール様?」
「そうやって挑発すること自体が、動いて貰わなければ困ると言っているようなもの。どうやら、彼奴は自ら打って出るのは苦手なようですな」
「でしたら、相手が嫌がることをやるのが鉄則ですね」
ジュールとテスカは、何時でも動けるように全身の神経を鋭く研ぎ澄ませながら、その場で足を止める
「アリーは私の後ろへ」
「は、はい!」
マギは庇うようにアリーの前へ一歩踏み出した。
ショックで固まる彼女を自らの長身の背に隠す。
「この道に入ったからにはこういった争い事とは縁を切れたと思ったのですけどね。……どうも、そうはさせてはくれないようだ」
「マギ……司祭?」
「いえ、こちらの話です。……心配いりませんよ、アリー」
マギは一度だけ振り返ると、アリーを安心させるように優しく微笑んで見せた。
そうして見にまわる一同に対し、ユリアンヌは分かりやすく表情が不機嫌に変わっていく。
「……やれやれ。その小賢しさ、中々に苛々させてくれますね。いいでしょう。お望み通り、私から行きましょう!」
禍々しい気配を纏わせた錫杖を強く握り締め、ユリアンヌが地面を強く蹴って向かって来た。
真っ先に迎え出たのはキャスリーンであった。
「また貴女ですか……!死になさい!」
ユリアンヌは錫杖を力任せに振り回す。
「聞けませんね」
対して、キャスリーンはその攻撃を抜刀したレイピアでいとも容易く受け止めると、滑らかな体捌きで相手の力を利用するかのように、錫杖の先を地面へと叩きつけた。
「ッ!?」
「……ハア!!」
流れるような動きでキャスリーンはレイピアを構え直す。まるで、舞の如く美しい動き。と、目にも止まらぬ速さでの突きを放った。
キィィィィン
刃と刃が力任せにぶつかったかのような音が響く。
ユリアンヌの周囲を覆う神々しいオーラがキャスリーンの必殺の一撃を跳ね返していた。
「チッ、またそれですか!」
「アハハハハ!無駄だと言ったでしょう!?」
ユリアンヌは嘲りの笑みを浮かべると、風を切るかのように錫杖を持っていない方の手を振った。
彼女を覆う光と真逆の黒く邪悪なオーラが刃の形でキャスリーンを襲う。
「!!」
至近距離でありながらも、キャスリーンは紙一重の見切りでそれを難なく躱してみせる。
「ガルルルルルル!!!」
直後、獣の唸り声と同時に黒い影が目にも止まらぬ速さでユリアンヌの死角から飛び掛かった。
だが、輝く光の壁がそれをも跳ね返す。
「……ッ!!」
キャスリーンはその隙に素早いバックステップでユリアンヌと距離を取った。
「……身体的接触も弾くのか」
ユリアンヌの障壁に飛ばされた黒い影が着地と同時にそう呟いた。
声の主は、何時の間にか獣の姿へと変貌したミングであった。
四つん這いとなり、爪は鋭利な刃の如く伸び、その口元からはギラリと光る獣の牙を覗かせている。
(ミング先生のあの姿は……!!)
以前に闇の力を試すためにと、ロザリーへ襲い掛かって来た時の姿はまだ人としての要素を残していた。
だが、今は完全に獣と化しており、小柄とは思えぬ程の威圧感を放っている。
(きっと、あれが本気になったミング先生なのですわね)
「捕らえて拘束してしまえば……と思ったのだけどもね。こうなると、あの障壁の前には物理的な攻撃だけでなく魔法の類も効果は無いのだろうねえ」
荒々しい外見とは裏腹なミングの冷静な分析。
勝気を崩さずニヤついた笑みを浮かべているユリアンヌだったが、その額には一筋の冷や汗が伝っていた。
「この体は人質であると教えたつもりなのですがね。まさか、少しも躊躇わないとは思いませんでしたよ。そういえば、貴女は先程も私の喉を貫こうとしましたね?」
「……躊躇して全員を危険に晒し、あまつさえ命を奪われることになってしまうくらいならば、躊躇せず殺して恨まれる悪者にでもなった方がマシですからね」
「なるほど。覚悟を決めているということですか。それも昨日今日のことではないと……」
キャスリーンの言葉にユリアンヌは浮かべていた薄笑いを止め、気を引き締めたのかのように真顔となる。
だが、すぐにまた口元を歪ませた。
「ですが、分かったでしょう?私には勝てないと。どんな優れた攻撃も届きすらしないのではどうしようもないのは道理です」
「……それはそっちもですけどねー。防御は完璧なのかも知れないですが、攻撃に関してはお粗末もいいところですよー?それじゃあ、私に傷一つ負わせることは出来ないでしょうねー」
「……本当に苛々させますねぇ」
キャスリーンの挑発に、そう吐き捨てるユリアンヌ。
分かりやすく頭に血を上らせている。
「ふぅむ。あれが奴の余裕の正体ですか」
一方、繰り広げられる両者の攻防を観察していたジュールは、顎に手を当てながら低く呟いた。
「『加護』……それも、かなり強力なもの。司祭ということですので、もしやと思っていましたが、こうしていざ目の当たりにすると厄介極まりない」
「ユリアンヌ司祭は、嘗ては聖女の筆頭候補と呼ばれる程の才能に弛まぬ努力を重ねていましたからね。大聖堂に彼女以上の『加護』を使える者はいないでしょうね」
補足するようにマギが付け加える。
この地で最高峰クラスの防御であると、同じ司祭からのお墨付きであった。
「彼奴の素振りから推測するに、あの『加護』は当人の意思ではなく、攻撃と判断されたものを自動で弾いているのでしょうな。隙を突いて……とはいかぬか」
「ねえ、ジュール……」
思案する老執事の横顔を見つめながら、ロザリーがおもむろに声を掛ける。
「……もしも、その『加護』が無くなれば、魔族に取り憑かれた彼女を大人しくすることは出来るのかしら?」
「勿論、可能でございます。あのキャスという少女が言ったように、その一挙手一投足に戦いが得意では無いのが見て取れます故、私とテスカであれば問題では無いでしょう」
「ならば、ワタクシに考えがありますわ」
ロザリーは静かな決意を秘めた瞳でジュールとテスカに目配せしながら手短に作戦を伝えた。
「ロザリーお姉ちゃん!僕に出来ることはある?」
サピオが力になりたい一心で、不安と期待の交じる声を上げる。
「サピオは、マギ司祭と一緒にアリーさんを守って欲しいですわ。二人もいれば、苦し紛れでも彼女を狙おうとも思わないでしょうし」
「うん!」
サピオは力強く頷くと、すぐさまアリーとマギの傍らへと駆け寄った。
ロザリーは前衛の二人へと向き直ると、凛とした声で念を押す。
「アリーさんのためにも、あのユリアンヌという方を絶対に殺してはいけませんわよ!」
「御意に!」「ハイです!」
「ロザリーさん……」
こんな切迫した状況の中でもユリアンヌの無事を案じてくれるロザリーに、アリーは感謝の祈りを捧げるように手を握りしめた。
「キャスさん!攻撃をお願いしますわ!」
かつての学園生活で机を並べた同級生に向け、声を張るロザリー。
「……その呼ばれ方、何だか随分と久し振りですねー」
キャスリーンはレイピアを構え直すと、チラッとロザリーの方へ顔を向ける。
「あと、何で貴女の言うことを聞かなきゃいけないんです?……と、思いましたが、そんな場合じゃないですねー。何かあるのでしたら、早めにお願いしますね、ロザリーさん!」
言い終えるや否や、瞬時にユリアンヌとの距離を詰めるキャスリーン。
間髪入れずに放たれる、閃光のような渾身の一刺し。
それに反応し、ユリアンヌの周囲に「加護」の聖なる壁がそびえ立つ。
「無駄だと言っているでしょう!」
「バニシング!」
ユリアンヌへ向けて手を翳したロザリーがそう唱えると、パリィン!!と、まるで巨大なガラスが粉々に砕け散るような高音が地下室全体に響き渡り、ユリアンヌを覆う障壁が跡形もなく消え去った。




