第45話 ロザリーとテスカの長い夜
聖地サントの騒動、地下でのあの攻防から数時間。
停留所の移動馬車が翌日まで来ないということで、ロザリーたちは大聖堂の一室を借り、宿泊することとなった。
「空いているのが一部屋しか無くて誠に申し訳ございません。本来ならば宿舎の方を御用意するのですが、生憎と今は使っていましてね」
「ああ。ガーデンドール学園の巡礼研修でしたわね」
謝罪するマギに、ロザリーは事情を察した。
(……今日の話をしたら、ミシェルさんやダイルには除け者にしたことを怒られそうですわね)
グレアーに関しては心配された後に一言何か言われるだろうなとロザリーは想像した。
尤も、ロザリーとて地下室へ向かった際には、こんなことになるなど想像もしていなかったのだから、彼らを誘うも何も無かったのだが。
(それに、キャス……いえ、キャスリーンさんとミング先生のことは、あまり口外出来ないでしょうし……)
キャスリーンがキャスと名乗って特待クラスに編入してきたのは半年程前。そこから、カールの暗殺未遂事件があって、恐らくすぐに学園を去っている。
彼女は、カール──学園ではカッセルと名乗っていた彼の護衛騎士である以上、護衛対象のいない学園へ留まる理由が無いからだ。
また、ミングについても討伐クエストの対象となるくらいなので、事件の詳細こそ明かさずとも、何らかの罪を犯して投獄後、脱獄した旨は知っていてもおかしくない。
(皆には悪いですけれども、黙って去るのが一番ですわね……)
彼らはマグミスの真実を知らない。教師として学園へ忍び込み、カールを殺そうとし、その罪を着せてミングを嵌めた邪悪なる魔族のことを。
仮にそのことを知ったとマグミスに勘付かれれば、親愛なる友人たちの身に何が起こるか、ロザリーは想像すらしたくなかった。
「……お気を遣って下さり、有難うですわマギ司祭。野宿するよりは全然マシですので気になさらず」
「そう言って頂けますと……失礼ですが、正直申し上げて意外でした」
「意外?」
「ええ、見た目から察するに貴族の出身と思いますが、こんな手狭で質素な部屋でも全く気にされないのですね」
「まあ、色々ありましたから……」
マギは何か言いたげに口を開きかけたが、小さな苦笑を浮かべるに留めた。
「……お互い、色々ですね。では、ごゆっくりお休み下さい。何かあれば、いつでもお声掛け下さいませ」
一礼して去るマギを見送り、ロザリーは改めて室内を見回した。
寝台が二つと、小さな暖炉。他には簡素な卓と椅子があるだけの、飾り気のない部屋だった。
「ベッドはお嬢様とサピオ様がお使い下さい。私は立ったままでも眠れます故」
そう申し出たのはジュールであった。
サピオは「流石にそれは」と固辞しようとしたが、ジュールに半ば押し切られてしまう。
「テスカが宜しければ、ワタクシと一緒のベッドは如何かしら?」
「……………………」
そんなやり取りの傍らで、テスカは先程から黙したままであった。
「テスカ?」
「……え?あ、ああ。ワタシは床で大丈夫です!」
「そうですの?何だか、さっきからボンヤリとしているように見えますけれども、何かありまして?」
「つ、疲れているんだと思いますです!」
「それならば、尚更床じゃなくてベッドで寝た方がよろしいのではなくて?」
「わ、ワタシ、床でも熟睡出来ますから!!」
「そう……」
ロザリーはそれ以上問い詰めず、胸に残った引っ掛かりを飲み込んだ。
大聖堂が出してくれたパンとホットミルクの簡素な夕食を終え、暖炉の薪がパチっと爆ぜる頃。
寝台に腰掛けて足をぶらつかせるサピオを眺めていたロザリーは、ふと部屋に一人いないことに気付いた。
「あら?テスカは何処へ行ったのかしら?」
「テスカさんなら、少し夜風に当たって来るって言ってたよ」
寝台に腰掛けたまま、サピオが答える。
「夜風って、真冬の山中ですわよ!?凍えてしまいますわ!!」
ロザリーは、ここへ着いた時に防寒用に買ったマフラーを引っ掴み、慌ただしく部屋を飛び出して行った。
「あ、ロザリーお姉ちゃん!」
サピオが慌てて腰を浮かせるも、ジュールが片手で制した。
「ジュールさん……?」
「サピオ様。我々は、温かいお茶でも用意してお待ちするとしましょう」
「…………うん」
ジュールがそう言うのであればと、サピオは素直に従った。
(……これは、私の出る幕ではありませんね)
ジュールは小さく息をつくと、暖炉の薪を一本くべる。
再びパチっと爆ぜた音が部屋に響いた。
冬の空は、星がよく見える。
吐く息が白く染まる中、テスカはユリアンヌの言葉を思い返していた。
(命を奪うことは、重い……)
だからこそユリアンヌは当初、その命をもって償おうとした。
(そんな当たり前のことをワタシは今まで忘れていた。いや、忘れようとしていた。暗殺者として生きることになったあの日から……いや、そもそもワタシは暗殺者になる前に貴族を殺していましたですね)
それまで受けてきた非道な仕打ち、大好きだった両親の仇である……など、テスカがあの領主を殺した理由を挙げれば、正当性はあるのかも知れない。
(あの時、お嬢様は領主殺しのことを聞いても受け入れてくれて、その上でワタシには責は無いと仰って下さった。でも、それ以外については……)
暗殺者ギルドに属していて、誰も殺さずにいることなど不可能である。
テスカは、仕事として人を殺めたことは無い。初任務がロザリーの叔父ブランの暗殺で、それは未然に防がれたからだ。
だが、訓練では幾つもの命をその手で奪ってきた。練習で殺せぬ者に、本番で殺せる筈が無いという道理である。
相手は裏社会の掟を破り、いずれ死ぬしかなかった者たちだった。それでも、殺したことに変わりはない。
(そのことを償おうとしたことすら無かった……。仕方ないんだ。ワタシが殺らずとも、他の誰かに殺られてたじゃないかと、ずっと言い聞かせていた)
そうでなければ、やっていけなかった。
ある程度心を殺さねば、何れテスカの心が壊れていたであろう。
(何時からか、相手を殺すことを何とも思わなくなった。そんなワタシに、誰かを守ることなど出来るのだろうか?今日だって、マギ司祭を無傷で救うことは出来なかった。もし、その対象がお嬢様だったら……?)
傷付くロザリーの姿を想像し、動悸が激しくなる。
(ワタシが、お嬢様の側に居るのは赦されないのではないか……)
「こんなところに居たのですわね」
背後からの声に振り返ると、マフラーを握り締めたロザリーが立っていた。白い吐息が絶え間なく、走って来たことを窺わせる。
「お嬢様……」
「こんな寒い夜に外に居ては風邪をひいてしまいますわ。帰りますわよ、テスカ」
「……お嬢様、少しよろしいですか?」
テスカは思わずそう口に出していた。
これは胸の中にしまっておけばいいような自問自答。それを大好きな主に吐露しようとしている。
自己嫌悪を覚えながらも、これ以上一人で抱えれば押し潰されそうで、言わずにはいられなかったのだ。
マフラーを差し出そうとしたロザリーの手が止まる。
「……?ええ、いいですわよ」
テスカの真剣な眼差しに、彼女は小さく頷いた。
早く部屋へ戻りたい寒さではあったが、他に人が居ては話せないことなのだろうと、ロザリーは察する。
「ユリアンヌ司祭の言葉……ずっと考えていたんです。人の命を奪うこと。その罪の重さを」
言い淀んだ後、テスカは自らの両手へと視線を落とした。
「お嬢様は、ワタシが暗殺者ギルドの一員になってから何人殺したのか知っていますですか?」
「……具体的には知りませんわ。叔父上を暗殺しようとしたのが初任務だったというのは聞きましたけれども」
テスカの口振りから、任務以外での殺しを経験していることが窺えた。それも、一人や二人では無いのだろう。
ロザリーとて、そこまで甘く考えてはいなかった。
「ワタシも詳しくは覚えていませんです。途中から数えるのを止めたから。そうしなければ、とても正気を保てなかったです」
言葉にすることで、テスカはその異常性を改めて実感する。
体が小刻みに震えていたのは、凍てつくような寒さだけが原因では無かった。
「ワタシの手……お嬢様が思っている以上に穢れているんですよ。赤く、どす黒い血で」
だから、貴女の側には相応しくない。
そう言いたげな瞳をテスカはロザリーへと向ける。
「……ワタクシの手だって穢れていますわ」
少し間を置いてからロザリーはそう返すと、自らの掌をテスカと同じように見つめた。
「人狼のザギを闇の力で……いえ、この手で殺しましたもの」
「でも、そいつは魔族です。ワタシのように人間を殺したわけじゃありません」
「『命を奪う』という意味では同じですわよ、テスカ」
ロザリーは静かに言い切ると、少しだけ口調を和らげた。
「それにワタクシ自身、別に清廉潔白というわけでもありませんし、仲間にそれを求めたりもしませんわ。勿論、程度というのはありますけれども」
「それならば、ワタシはその程度を越えてますね、きっと。やはり、ワタシはお嬢様には……」
ロザリーは「うーん」と唸り、言葉を探すように首を傾げた。
「では、こう言えば伝わるかしら?ワタクシはテスカが好きなのですわ」
「え?」
「好きな方が過去に何をしていようと、ワタクシは気になりませんし、気にして欲しくもありませんわ。少なくとも、ワタクシの前ではいつも笑顔で、たまに信じられないくらいのドジをやらかすけれども、一緒に戦う時にはとても頼もしいテスカでいて欲しい。……それじゃあ、ダメかしら?」
そう告げるロザリーの瞳はとても純粋であった。
善悪を超越した思いが、絆があるのだと訴えかけるように。
「……やはり、お嬢様はどうかしていますよ」
呆れたような言葉とは裏腹に、テスカの口元は少し緩んでいる。
「……でも、その言葉が聞けて、何だか吹っ切れました!」
「そう……それは良かったですわ」
「これからも誠心誠意、お嬢様に尽くさせて頂きますです!」
「ええ、こちらこそですわ。勝手にいなくなったりしたら、それこそ許しませんわよ!」
ロザリーは安心したように笑うと、マフラーをテスカの首に巻き付けた。直後、くしゅんと小さなくしゃみが夜闇に響く。
「……ふふ、お嬢様の方が風邪をひきますですよ」
そう言うと、テスカは自分の首からマフラーを外し、ロザリーへ巻き返した。
頭上の星々の中で、ひときわ強く瞬く二つの光。
寄り添うように並んだそれらは、まるで二人の絆に呼応しているかのようであった。
──翌朝
昨日の騒動の名残か、大聖堂はまだ慌ただしい空気に包まれていた。
ロザリーたちは朝食も取らず、神官たちの目を避けるように礼拝堂の脇を抜け、地下室へと向かう。
まだ宿舎の方にいるのか、巡礼研修で訪れた学園の者たちの姿は見えない。
「お嬢様、移動馬車の時刻まではまだ余裕がございます。慌てずとも大丈夫でしょう」
「ええ。でも、長居は禁物ですわ」
ジュールの言葉に頷くと、ロザリーは足を速め、その後ろをサピオが眠い目を擦りながらついて来ている。
並んで歩くテスカは、昨夜とは打って変わって、すっきりとした顔をしていた。
地下室へ続く石段は、ひんやりと薄暗い。
昨日の今日だけにロザリーの頭の中に、フォグストとの戦いが蘇る。
最後の段を降りきる前に、奥から声が響いた。
「ロザリーさんたちですかー?思ったより早かったですねー」
(ワタクシたちの姿を見てもいないのに……耳が良いというのは本当のようですわね)
ロザリーは小さく苦笑して、地下室へと足を踏み入れる。
僅かな灯りが照らす石造りの部屋に、壁へ背を預けたキャスリーンと、書物を閉じたミングの姿があった。
「やあ、おはよう、ロザリー・ローゼス・ロッソ。それに皆も」
ミングはそう言って顔を上げる。
その様子は、ロザリーの知る好奇心旺盛な彼そのものであった。
「……さて、何から話そうか。ヒッヒッヒ」




