第35話 ロザリーとテスカのケジメ
ロザリーたちが大陸最大の都に着いた時には、すっかりと夜になっていた。
王都だけあって、夜でもその賑わいは衰えず、不夜城と化している。宿も一つや二つでなく、中には他の宿に客を取られぬようにと店員らしき者が客引きを行っているところもあった。
「お嬢様、どうぞこちらへ。ここの宿が、値段は控え目ながらも、サービスなどが良く、大通りに面しているので安全面も確かでございます」
ジュールの案内で、ロザリーたちは彼の薦める宿を取ることにした。
「しかし、ジュールは何でも知っているのですわね」
「お褒め頂き、至極恐悦。王都へは、冒険者だった頃はよく訪れましたし、こうして執事をやらせて頂くことになってからもサウロ様やリーナ様のお供をいたしましたから」
「そう……お父様、お母様と一緒に」
ジュールの口から出た両親の名前に、ロザリーは少し寂しげに目を伏せた。
だが、ロザリーは静かに言葉を切ると、柔らかく話題を変える。
「それで、明日の予定はどうしますの?」
「移動馬車の停留所までは、また暫く歩くことになります。朝一で食料などを補給した後、昼前には出発するのが最善かと」
「そっか。ここは目的地じゃないもんね」
サピオが少し残念そうに言った。森の中の小さな村で生まれ育った彼にとっては、王都などはよっぽどのことが無ければ行く機会は無かったであろう。
煌びやかな街並みに興味津々の様子であった。
「ふぅむ。買い出しはイムランの時と同様に私とテスカで行いますので、その間に御二人で街の中を少し見て回るのは如何でしょうか?」
「え?本当にいいの?」
「ええ。王都は見回りの騎士がそこらにおります故、安全面は非常に高いと言えます。白昼堂々と悪事を働く愚かな不届き者がいたとしても、すぐに対応するでしょう」
「じゃあ、ワタクシと二人で大通りの店を少し観に行きましょうか?勿論、サピオのことはワタクシが護りますわ」
「ぼ、僕もロザリーお姉ちゃんを護るよ!」
「あらあら、それは頼もしいですわね」
そんな微笑ましい会話を交わし、明日も早いからと一行はそれぞれの部屋へと向かい、早めの就寝についた。
翌朝、予定通りジュールとテスカは賑わう市場の方へと向かう。
活気溢れる露店が立ち並ぶ中、テスカはふと背後に鋭い視線を感じ取った。
自身を追う、嫌になるほど覚えのある殺気。
「……ジュール様」
「何ですか、テスカ?」
ジュールに視線を向けると、彼もそれに気付いているのか、テスカの判断を待っていた。
「申し訳ございません。少し、用事が出来ましたです。買ったものをお預けしてもよろしかったですか?」
「……ええ。お嬢様たちと宿で待っておりますので、あまり遅くならぬように」
テスカは頭を下げると、ジュールへ手荷物を渡した後、素早くその場を去って行った。
そのまま雑踏を抜け、人気のない薄暗い路地裏へと深く入っていくテスカ。
行き止まりの壁の前で足を止めると、テスカは分厚い眼鏡を外しながら振り返ることなく静かに口を開いた。
「……来ているのでしょう?暗殺者ギルドは王都にありますからね。避けて通れないとは思っていましたよ」
「ほう。メイドなんてやってても腕は落ちてないみたいだな」
陰から姿を現したのは、一人の男であった。
一見するとただの町人に見えるが、隙がなく、対峙するだけで死を感じさせる何かを纏わせていた。
「……いや、寧ろ腕上がってないか?見違えたようだぞ」
「鍛えて貰いましたから」
テスカはそう答えながら、スカートの上からダガーの柄の部分にそっと手をかける。
「そうか。そりゃ、その鍛えてくれた奴を我がギルドのコーチとしてスカウトしたいくらいだが……まあ、あの人は首を縦には振らねえだろうな」
男は可笑しそうに言った。
まるで、テスカを鍛えてくれた相手に心当たりがあるような口振りである。
「それで、一体何の用ですか、ブラッド?貴方程の人がわざわざ世間話をしに来たわけじゃないでしょ?」
「おいおい、暫く会わない内に立場忘れたか?俺はギルドのトップでお前の上司だぞ?」
「……何の御用ですか、ブラッド様?」
言葉を選び直すも、冷たい眼差しを向けるテスカに、ブラッドと呼ばれた男は肩を竦めた。
「まあ、いい。単刀直入に言うが、ギルドへ戻って来い。いや、正確には今もお前は暗殺者ギルドのメンバーだけどな」
「……旅を終えろ、と?」
「端的に言えばそうだ」
「断れば?」
「お前を殺す」
短いその言葉の裏に一切の容赦がないことを、テスカは骨の髄まで理解していた。
「戻るか、死ぬか……選択肢なんて、無いに等しいですね」
「当たり前だ。これは、『お願い』じゃなく『命令』だからな」
ブラッドは眼光を鋭くし、一歩踏み出す。
「お前みたいな下っ端を好きにさせ続けるのも限界でな。他の連中に示しがつかないんだよ。それに、今のお前を見ていたら、任せたい仕事が次から次へと浮かんでくるんでね」
「人を捨て駒にしておいて、随分と勝手なことを言いますね」
「捨てた駒が立派になってるのを見たら、誰だってまたその手の中に収めたいと思うぜ?」
「ワタシは戻りません」
「それ、本気で言ってるのか?」
ブラッドから笑みが完全に消えた。
「『暗殺者ギルドはメンバーの足抜けを決して許さない』。俺が先代からギルドのトップの座を引き継いだ後、色々と変えていった中で唯一変えていない鉄の掟だ。秘密の漏洩に繋がるからな」
「それでも、ワタシの心はもう暗殺者ギルドにはない……!ワタシの心は過去も現在も全て受け入れてくれたロザリーお嬢様のものです!」
一歩も引かずに言い放つテスカの言葉を、ブラッドは鼻で笑う。
「……あの人もそうだったが、たかだか小娘一人に何を心酔してんだかねえ?」
「その言葉、取り消して下さい。誰であろうとお嬢様を愚弄することは絶対に許しません」
「へえ、随分と飼い慣らされたもんだな。じゃあ、憂いが無いように、あのロザリーってガキを殺すか?」
「……本気で死にたいみたいですね」
テスカの瞳が凍てつくような殺意で満ちた。
「おお、いいねえ。いい顔になったじゃないか。ますます暗殺者ギルドへ戻って来て欲しくなったぜ」
テスカの言葉にブラッドは怯むどころか、すっと間合いを詰めてきた。
その瞬間、テスカの首筋に冷たい鉄の感覚が走る。いつ抜いたのかすら分からないナイフの刃が、すでに彼女の皮膚を捉えていた。
「なあ、お前さあ。分かってんだろ?」
逃げ場を塞いだ状態で、ブラッドはテスカの顔を覗き込んだ。
「確かに、以前よりもずっと強くなったよ。今のお前ならば上の役職に就けてもいいと思うくらいにな。だがな、そのお前が今俺を殺せてないのが、まんま答えだろ?」
「…………ッ!!」
「逆に、俺は楽しい会話中に何度お前を殺せたと思うよ?今だってそうだ。俺とお前じゃ、まだまだそれぐらい差があるんだよ。暗殺者としてな」
圧倒的な実力差。
絶対的な上下関係が、テスカの身体を縛り付ける。
「抵抗は無意味だと分かってんだろ?大人しくギルドへ戻れ。俺に面倒なことをさせるな」
「……嫌です!」
「拒否したら殺すと言ったよな?なら、今お前がやろうとしてるのは自殺行為だ。つまりは、俺に自殺幇助をさせようとしてるって理解してるな?」
ブラッドの手首が微かに動き、刃先がテスカの首筋にそっと触れた。
皮膚は裂かれず血はまだ流れていない。
だが、その刃に塗られた毒の凶悪さを、テスカは誰よりも知っていた。かつて他ならぬブラッド自身から、その調合と恐怖を教え込まれたからだ。掠り傷一つが致命傷である。
──三ヵ月前
「……ふぅ」
(????????)
テスカは自分に何が起きたのか理解出来なかった。
ただ一つ、自身は地面に倒され、激しい痛みを利き手に感じているということは分かった。
普段なら当てることすら困難なジュールが「ここから動かずに受け止める」と言ったので、遠慮なく攻撃を繰り出した直後の出来事であった
「今、何をしたのかを教えましょう。攻撃が僅かにでも私に触れた瞬間、無意識的に反撃を行なったのです。故に、貴女は私の動きが読めず、逆に直撃を食らった」
夕暮れの木立の中、訓練用の木剣を構えたジュールがテスカを見下ろしている。
「今日のところは知識として頭に入れておきなさい。貴女には、才がある。今は出来ずとも、そう遠くない内に出来るようになります」
──現在
(そうだ……ワタシは帰るんだ!お嬢様のところへ!!)
首筋に刃が触れたまさにその瞬間、極限の集中に加えてロザリーと共にいたいという願いと執念がテスカの限界を突破させた。
ブラッドの手首が動く、そのコンマ一秒前にテスカの体は思考より早く動いていた。
「なっ!?」
ブラッドの腹部へ強い痛みが走る。
見ると、いつの間にか抜いていたテスカのダガーが刺さっていた。
静寂。ブラッドの額から冷や汗が垂れ落ちると同時に、指から力が抜けてナイフが地面へ落ちた。
「……………………参った、降参だ」
ブラッドはゆっくりと手を挙げる。
「勝った……?」
「ああ。何されても対応出来るようにしてたつもりだったが、全く動きが読めなかった。まさか、ここまでやるとはな……。それに、俺が教えてやった通り、ちゃんと刃先に毒塗ってるな?普通の奴なら死んでるところだが、生憎と俺は毒に慣れる訓練を受けてるから、これくらいじゃ死なねえ。痺れは少し残るけどな」
ブラッドは苦笑いを浮かべた。
腹にダガーが突き刺さったままだが、下手に抜いて出血多量なんてことにならぬようにしているのだろう。
「ギルドの鉄の掟に一つ例外を加えておいてやるよ。『足抜けを希望する者がギルドのリーダーを打ち負かした場合はこれを認める』ってな」
ブラッドは、やれやれと首を振る。
「あーあ、負けちまった。俺から言うことはこれ以上何もねえ。文句を言う奴もいないだろ。仮にいても、お前なら返り討ちに出来るんじゃないか?ああ、あとお前の主様を殺すと言ったのは冗談だ。依頼も無いのに無駄に殺しをする程暇じゃないんでな」
そう言ってブラッドは不敵に笑ってみせた。
「最後に一つ聞いていいですか?」
「何だ?」
「あなたとジュール様は一体どういう関係なのですか?」
差し迫った危機を脱したテスカは、ずっと胸に引っかかっていた疑問を口にする。
「昔の知り合いさ。そんな大した関係じゃあない。お前よりも過去は知っているがな」
「ジュール様の過去……」
「おいおい、質問は一つじゃ無かったのかよ?如何にも興味津々って顔だぜ?」
ブラッドは呆れたように言いながら壁に背を預けた。
そして、特殊な配合の草を紙で巻いたタバコを取り出して火をつける。
「まあ、いい。三十年程前か?暗殺者ギルドに入る前の俺は、一端の冒険者だった。あの頃の俺は今よりも無鉄砲でな。多少は腕に覚えもあるって感じで、気に入らない奴に突っ掛かっては捻じ伏せてやるのが趣味みたいな、傍迷惑な若造でな」
ブラッドは、煙を味わいながら可笑しそうに笑う。
腹に刺さった刃の痛みすら忘れ、視線を遠くの過去へと向けていた。
「その頃に出会ったのがあの人でな。いつも通り突っ掛かってやったはいいが、ものの見事に返り討ちよ。そこから、会う度に挑んではやられを繰り返してな。時には、常に単独だったあの人に無理矢理付いていって、死にかけたところを助けられたこともある」
「そんなことが……」
「まあ、そんな付き合いも数ヶ月程度の話で、俺もあの人も別々の道を行くことになって、それ以来……って感じさ。な?大した関係じゃないだろ?」
そう言うとブラッドはタバコの煙が薄れていくのを、ただ無言で見送っている。
「しかしまあ、あの人の強さは今考えても不思議だったな。不意打ちや姑息な策は一切通じない。かといって、真正面からなんてとてもじゃないが敵う気がしない。ああいうのを『達人』って言うんだろうな」
「それは分かります」
テスカは静かに頷いた。
訓練の記憶が彼女の脳裏をよぎる。
「ジュール様の剣技が、弛まぬ鍛錬と実戦の賜物なのはワタシにも分かります。でも……それだけじゃない。上手く言えませんけど、何か異質なものを感じる。まるで、お嬢様と同じような……」
「本当に、何者なんだろうな、あの人は」
紫煙を吐き出し、吸い終わったタバコを地面に捨てた後、ブラッドは背を向けて歩き出す。
「……長話になっちまったな」
「……ブラッド!」
立ち去ろうとする元上司の背中へ向けて、テスカは声を張り上げた。
「あの時、拾ってくれたこと。そして色々と生きる術を教えてくれたこと。それは本当に感謝してますです!」
「はっ、その口調懐かしいな。俺の前では二度とするなと言った奴だ」
ブラッドは足を止め、振り返ることなくニッと口角を上げた。
「……じゃあ、達者でな。このダガーは餞別代わりに貰うぞ。今日を以て、お前はギルドから追放だ」
そのまま影に溶けるように、ブラッドは路地裏の闇へと消えて行った。
それを見送ると、テスカは分厚い眼鏡を掛け直した。
「……早く戻らないと、ジュール様に叱られてしまうですね」
路地裏の暗闇を抜け、陽光あふれる市場の大通りへと足を踏み出す。
昼前の通りは、大勢の人々が行き交い賑わっていた。
その喧騒の一部となっていることで、テスカは自分が闇を抜け出し、光の中へと帰って来たのだと実感する。
宿へ戻ると、ロザリーとサピオがお出迎えするかのように入り口で待っていた。
そのすぐ側に荷物を抱えて静かに佇んでいたジュールが、テスカの姿を認めるとゆっくりと目を細めた。
「お待たせしてゴメンなさいです。街が広くて少し迷ってしまって……」
「無事に戻って来れて良かったですわ」
ロザリーが晴れやかな笑顔で迎える。
その姿に、テスカは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
「お帰りなさい、テスカ」
ジュールは何を追及することもなく、穏やかにただそれだけをテスカへ向けて言った。
「ハイ!只今戻りましたです、ジュール様!……ご迷惑をおかけしましたです」
「いいえ、そんなことはありませんよ。……さて、行きましょうか」
「はい!」




