第36話 ロザリーと移動馬車
移動馬車の停留所は、レオバード王国から少し離れた場所にあった。
ロザリーたちは、日が真上に昇るよりも前に王都を出発したが、到着した頃には昼をやや過ぎて日が下り始めていた。
「まあ、人が沢山いますわね」
王都の最寄りだからだろうか。「停留所」という体でありながらも人の数は多く、移動馬車の利用者へ向けて商売を始める抜け目のない者などもおり、さながらバザーのように盛況であった。
「こんなにお店があるのでしたら、買い出しはここでやっても良かったですかね?」
「いえいえ。こういうところで商売する者は、大抵足元を見た上で市場価格よりも割高で売り付けて来るのが常套。無駄遣いを避けるという意味では、王都で買い出しするのが正解ですよ、テスカ」
「ほぇー、そうなんですか。勉強になりますです!」
ジュールの言葉に感心して、テスカは分厚い眼鏡を鈍く光らせた。
「それでジュール。一体、どの移動馬車へ乗れば聖地サントへ着くのかしら?」
「残念ながら、聖地サントへと直行する移動馬車はございません。まずは、パンテの停留所まで行き、そこから聖地サントへ向かう移動馬車へ乗り換えます」
「何も無ければ十日の距離でしたわよね?」
「はい。ここからパンテまでが約三日、パンテから聖地サントまでが約七日で到着する見込みとなっております」
「その間の寝泊まりは馬車の中でするんですか?」
サピオが尋ねると、ジュールは肯定するようにゆっくりと頷いた。
「移動馬車の座席は、通常の馬車よりも大きめとなっておりますので、それをベッド代わりにするといった感じになりますな」
「か、肩が凝りそうですわね」
「まあ、快適な寝心地でないことは確かでございます」
ジュールは苦笑交じりに嘘偽りなく答えた。
「ジュール様。食事の方はどうするですか?」
「目的地までの間にいくつか休憩地点があって、移動馬車は必ずそこで停車いたします。馬も御者も休む必要がありますからな。丁度、昼と夕方頃になりますので、食事などはその時に行う形となります」
「上手く出来ているのですわね」
「間もなくパンテ行きの移動馬車が出発しまーす!乗る人は急いでくださーい!」
雑多な人混みのざわめきに負けぬ威勢のいい呼び込みの声が響く中、乗車を告げる甲高いアナウンスが周囲に響き渡った。
「では、我々も参りましょうか」
ジュールは受付の者へ手際よく人数分の乗車賃を手渡すと、一行を促して移動馬車へと足を踏み入れた。
中はロザリーが乗っていた普通の馬車とは違い、広々としていた。馬車の片側に座席が二つ一組、それが五つ設置されており、もう片側も同様で計二十席となっている。
ロザリーたちは受付の者に案内された席へと座った。
「あ、お嬢様。この座席、回せますです!」
テスカが座席の脇にある金属のパーツをカチカチといじりながら声を上げた。
サピオも自分の席のレバーに手を伸ばす。
「本当だ!この留め金みたいなのを外すと回せるよ!」
「なるほど、そうすると向かい合わせにすることも可能なのですわね!」
「ホッホッホ。技術の結晶という奴ですな」
座席が滑らかに回転し、四人は自然と向き合う形になった。
「少し狭くはありますが、こうして顔を見て話せるのは良いことですわ」
「ハイ!お嬢様の顔もバッチリ見えますです!」
「これ、テスカ。他の乗客もいるのですから、あまり声を上げては迷惑になりますよ」
「す、すみません。こういうの、初めてで、つい舞い上がっちゃいましたです」
「アハハ、実は僕もワクワクしてるよ」
サピオが楽しそうに同意すると、和やかな空気が四人の間に流れる。
一行がひと心地ついたその時であった。
「おやあ?執事にメイドをお連れになっているとは、もしかしてお貴族様ですか?それもご姉弟の……」
突如、通路を挟んだ隣の席から、気安げな声が掛けられた。見ると、使い古された大きな荷鞄を肩にかけた中年の男が、品踏みするような視線をこちらに向けて身を乗り出している。
「……もしかして、ワケありで?」
貴族であれば自前の馬車を使うのが普通であり、移動馬車に乗ること自体が珍しい。
それに加え、一行の服装も何処かくたびれていて、ジュールとテスカの燕尾服やメイド服もすっかり地に馴染んでしまっており、ロザリーは屋敷から嵩張らない程度に持ち出した数着を着回し、サピオも元々着ていたものにイムランの街で買い足した衣服で凌いでいた。
宿で洗濯はしているものの、全員の衣服に滲む旅の疲れは隠しきれておらず、それをこの男は見逃さなかったようである。
「いやあ、私は行商を営んでいましてね。こうやって、各地を回っては商品を売っているのですが、以前に乗った移動馬車の中で貴方がたと年齢の近い感じの姉弟が二人だけで乗っているのを見掛けまして。あまりに偶然だなあと思って、つい声を掛けてしまいました」
「ほう。姉弟ですか」
ジュールが眉を顰めて問い返すと、男は待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。
「ええ。それも二人とも仮面を被っていて、如何にもワケありって感じでしてね」
探るような視線を向けたまま、男は懐から小瓶を取り出し、手の平の上で転がしてみせた。商人の本領発揮といったところか。
「へっへっへ……。世間話のついでと言っては何ですが、旅のお供に薬草やポーションはどうです?」
「ふぅむ。商魂たくましいですな。では、ポーションを一本貰いましょう」
ジュールはポケットから硬貨を取り出して男に手渡した。情報料と割り切ったのだろう。
男は受け取った硬貨の感触を確かめると、満足げに笑った。
「これはこれはお買い上げ有難うございます。ついでと言っては何ですが、その二人組、行き先的にはどうも聖地サントへ向かっていたようですよ」
「そうですか」
「もう一本買って頂ければ、また何か思い出すかも……」
「いえ、もう大丈夫です」
ジュールは静かに首を横に振った。
「おっと。それは残念。私はあちらにいますので気が変わりましたらお声がけくださいな」
行商人の男は軽く肩を竦めると、別の客を探して馬車の奥へと去っていった。
その背中を見送りながら、ロザリーは小さく息を吐く。
「……先程の方の話、少し気になりますわね」
ロザリーは胸の前で手を組み、行商人が去った方をじっと見つめた。
「聖地サントへ向かっている仮面を付けた二人組。ひょっとしてひょっとするかも知れませんわ」
「それって、その二人組のどちらかがミングって人ということ?」
「でも、お嬢様。仮に、その仮面を付けた片方がミングさんとして、もう一人は誰なんです?」
「僕とロザリーお姉ちゃんを見て、あの人が『同じ姉弟』って言ってたから、もう一人は女の人ってことだよね?」
サピオの言葉を受け、ロザリーは腕を組んで思案に暮れた。
「ミング先生と一緒にいる女性……皆目見当がつきませんわね」
「尤も、その二人組の一人がミング殿であるかも定かではございませんからな。決め付けてしまうのはいけませんよ、お嬢様」
「……そうですわね。ジュールの言う通り。ワタクシ、ついミング先生と結び付けてしまいましたわ。それに、そもそもその二人組が聖地サントに今もいるのか分からないですものね」
不安を払いのけるように小さく頭を振ると、ロザリーは窓の外へと目を向けた。馬の嘶きと共に景色がゆっくりと動き出し、移動馬車の出発を知らせる。
「何れにせよ、聖地サントへ行けば、全てが分かりますわ。きっと」
──パンテの停留所
約三日間の長旅を経て、移動馬車は無事にパンテの停留所へと辿り着いた。
パンテの停留所は、レオバード王国の停留所よりは大きくないものの、他国へ向かう旅人たちの中継地点となっており、多くの旅人たちの活気に満ちている。
「ん〜〜〜〜!!……ふぅ、やっと辿り着きましたわ。体がもうガチガチでしてよ」
ロザリーは移動馬車から降り立つと、ぐっと両腕を上に伸ばして軽くストレッチを行った。
「お嬢様、次は聖地サント行きの馬車へ乗り換えねばなりません。乗り継ぎの受付へ向かいましょう」
「そうでしたわね。まだ途中、それもこの先の方がずっと長いんでしたわ……」
そう言って項垂れそうになるロザリーを筆頭に、一行が停留所の構内へ足を踏み入れた時、周囲が何処となく浮足立っているような雰囲気に気付く。
「何かあったのかしら?」
見れば、少し離れた柱の付近に警備兵たちが集まっており、倒れた男を捕らえているところであった。
そのすぐ側では、老夫婦が大事そうに荷物を抱えている。
「ふぅむ。どうやら、何か事件があったようですな」
人だかりの様子を窺っていたジュールが、顎に手を当てて言った。
「今、着いたばかりかい?あそこの倒れている男が、あの老夫婦の荷物を盗もうとしたんだよ」
それを聞いてか、親切な通行人が事のあらましを教えてくれた。
「凄い速さで、恐らく名のある盗賊なんじゃないかと思ったんだけど、急に派手に転んでねえ。それでお縄についたってわけさ」
「それはまあ、お間抜けな泥棒ですわね」
「俺はここから見てたんだけど、それはもう見事な転倒だったよ。でも、足が縺れたとか何かに躓いたとかそういうんじゃないんだ。本当に急にステーンって転んだんだよ」
「へええ、不思議なこともあるんだね」
サピオは感心したかのように目を丸くして騒ぎを見つめている。
「これだけの衆目の中で盗みを働くのは、ド素人か若しくは相当なプロの仕業ですな」
人だかりの向こう、警備兵に取り押さえられる男を観察しながらジュールが言った。
「プロ?ド素人なのはワタクシにも何となく分かりますけれども、プロというのはそれに相反するというか、対極にありそうな気がしますわ」
「目撃者が沢山いる中で、堂々と強奪などしないだろう。という心理的な隙を突いておりますのと、素早く逃走するために現場の混乱を利用するのは、手練れのやり方にございます。人混みは追跡を妨げる防波堤の役割も果たします故」
「なるほど……盗人も考えますのね。その頭を、もっとまともな方向に使えば良いでしょうに」
「でも、逃げ足に絶対の自信があるプロが、急に転ぶのはどうにも妙に感じますです」
「天罰でも下ったのでしょうね。神だって、そのくらいの仕事はしてくれないと困りますわ!」
うーん、と唸るテスカをよそに、ロザリーはあっけらかんとした調子で言い放った。
「ハハハ……ロザリーお姉ちゃん、神様に厳しいね」
「ワタクシに『天啓』を見せるだけ見せておいて、その後のフォローも無しに放置なさるのですもの。そりゃ、辛辣にもなりますわ!」
「ホッホッホ。お嬢様、野次馬に巻き込まれる前に参りましょう。サント行きの馬車の出発時刻が迫っております」
「あら、そうですの?では、急がないと!」
ジュールの声にハッと我に返り、ロザリーは混み合う人ごみを押し分けて歩き出した。
その時、雑踏を逆方向へと静かに歩いてくる、鼠色のローブを纏った一人の人物とすれ違う。
手には古びた一本の木杖。顔立ちは目深にかぶったフードの影に隠れて窺い知れない。
(……?今、クスッと笑われたような?)
ロザリーは何故だか胸の奥がざわつき、思わず足を止めて振り返った。
だが、その人物は雑踏の中へと溶け込むように去っていった。
「……………………」
ロザリーは大勢の旅人が行き交う人ごみの中を見つめたものの、先程の人物の姿は影も形もない。
まるで、取り残されたかのように心が燻っている。その正体を確かめようと、思わず足が止まりそうになる。
その時、停留所の奥から乗車を促す呼び込みの声が甲高く響き渡った。
「間もなくサント行きの移動馬車が出発しまーす!乗り遅れのないよう、お急ぎくださーい!」
彼女の意識が、現実へと引き戻される。
「……大変!早く乗らなくちゃ!」
ロザリーは頭を小さく振り、胸の奥に渦巻いたものを振り払うように声を張り上げた。
まだ見ぬ聖地サントへ。そして、そこにいるかも知れないミングの元へと辿り着くために、一行は雑踏を押し分け、次なる長旅の足となる移動馬車へと再び歩みを進めた。




