第34話 ロザリーと真夜中の惨劇
「おいおいおいおい、お前ら運が無かったなあ!」
焚き火の明かりも届ききらぬ暗闇の境目を蠢く複数の影。
その中で先頭に立っていたのが、ガラガラ声で馬鹿にしたように言った。
「へっへっへっ……見張りがジジイと小娘たあ、そんなの襲ってくれと言ってるようなもんだぜ?」
野盗の一人が、下品な舌なめずりをしながら獲物を舐め回すように見つめている。
「女の方はアレだな。色気も無ければ体も貧相だし、てんで楽しめそうにないな。まるで鳥のガラだ」
「そうかあ?俺ぁ、ああいうのもイケる口だぜ?それに、鳥のガラっていい出汁が出るんだぜ?」
「おめえ、マニアックだもんなあ!俺ぁゴメンだぜ?あんな垢抜けてねえ、野暮の塊みてえな女ァ!」
ゲラゲラと品のない笑い声が響く。
テスカは分厚い眼鏡の奥の瞳に、より一層冷ややかな殺意を宿した。
「見たところ、何処ぞの没落貴族か?お貴族様が、こんなところで野宿なんかしてねえもんなあ」
「ってこたあ、金目のものはあんま期待出来ねえか?」
「でも、着ているものは上物みてえだし、身ぐるみ剥げばそれなりの金にはなりそうだぜ?」
「……どちらにしろ奴隷として売るから柄は抑えとけよ!テントの中のガキも逃げねえように見張っとけ!」
頭目と思わしき男が周囲の連中へ告げる。
野盗たちは獲物を甚振るが如く、じわじわと間合いを詰めてきた。
「……どうしますか、ジュール様」
「ふぅむ。一人一人は大したことないでしょうが、この人数です。お嬢様とサピオ様に万が一のことがあってはなりません。一旦、私が護りに付きますので、貴女は打って出て頭数を減らしなさい。タイミングはこちらで指示します」
「任されましたです」
ジュールとテスカは、野盗には聞こえぬ程の囁き声で素早く互いの役割を告げる。
「……で、誰がどっちを殺るんだ?」
「俺ァ、女の方がいいなあ。ついでに味見もしておきたいしよお」
「またそれかオメー!」
「いくら鳥のガラだって、ジジイと女じゃ誰だって女の方やりてえに決まってんだろうが!」
「文句があんなら、今週どっちが多く殺したかで決めようじゃねえか!」
哀れな「獲物」を前にして、早くも揉め始める野盗たち。愚かにも、完全に油断しきっている。
パチッ
不意に周囲に響き渡る焚き火の爆ぜる音。野盗たちの視線と意識が一瞬そちらへと向かう。
それをジュールは見逃さなかった。
「今です!」
「はい!」
ジュールの合図と同時に、テスカは一瞬の内に距離を詰めると即座にスカートの隠しスリットへ手を入れ、太腿に仕込まれた一対のダガーを両手で抜き放ち、目にも留まらぬ速さで振り抜いた。
「ぐあぁ!?」
「ごふぅ!!」
野盗二人の首筋が真一文字に切り裂かれ、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
あまりに突然のことに、残りの野盗たちは何が起きたのか把握出来ず立ち尽くしていた。
「……お前ら、怯むなあ!囲んで殺せえ!!」
頭目の金切声のような叫びで、ハッと正気に戻った野盗たちが一斉に牙を剥く。
「うおああああああああっ!」
数人が同時に刃を振りかざして肉迫するも、テスカはまるで踊るかのように滑らかなステップでそれらを躱し、すれ違いざまにダガーを振るった。
だが、敵もまともに食らってたまるものかと、急所をガードしつつ身を捩り直撃は避けるも、その切っ先は野盗の体を掠る。
「嬢ちゃんよお!そんな小せえナイフじゃあ、犬一匹殺せねえぜえ!?」
「あ、そう」
「次は俺の……カハッ!な!?か、体が、動か……」
テスカの斬撃を受けた野盗たちは、急に動きを止めると、全身をガタガタと震わせた後に次々と倒れ、そのまま呼吸すらもしなくなり絶命した。
「ワンちゃんの方が、あなたたちよりも賢く強いと思いますですよ?」
軽やかに着地したテスカは、妖しく濡れたダガーの刀身を、残りの野盗たちへ見せつけるように向けた。
「……ふぅ。毒が効いてくれて助かりますですね。ここ最近は毒があまり効かない相手ばかりと戦ってたから、この感覚を忘れてたですよ」
平然とそう言ってのけるテスカに、野盗たちの顔が引きつる。
その裏で、瞬く間に倒れていく仲間を囮にするかのように、死に物狂いで大きく迂回していた野盗の一人が、テント目掛けて一気に走り抜けていた。
(ガキを人質に取りゃあ、あの女も大人しくするだろ!)
そんな下卑た確信を抱いてテントへと手を伸ばした次の瞬間。
抜刀と同時に旋風の如き速度で閃く刃。
手を伸ばした体勢のまま、野盗の首が胴体から静かに滑り落ちる。
「貴様らのようなゴミクズがその汚らわしい手でお嬢様に触れようなどと、許すわけがあるまい」
身を低くかがめ、闇の中に佇んでいたジュールは、何事もなかったかのように刀を素早く鞘へと納めた。
「……お嬢様。初めての野外での就寝に騒がしい故、眠れず起きていらっしゃるかと存じます」
「…………ええ、起きていますわ。サピオはスヤスヤですけれども」
「……フ、サピオ様は大物になられますな。流石は勇者でございます」
ジュールは目元を和らげ、微かに笑った。
「私とテスカで全てを片します。決して、テントから出ないで下さい」
「ワタクシに手伝えることはありませんの?」
「この爺の言うことに従って下さりますのが、一番の手助けにございます」
「……分かりました。ここでサピオを守ることにしますわ」
「感謝の極み」
ジュールは深く頷き、テントを背にして静かに佇む。
「……お嬢様が、その手を汚す必要はございません。同じ人間をその手に掛けるようなことは、私のような人間がすべきことですから」
「……おいおいおいおい!どうなってんだこりゃ?」
数の有利を活かす間もなく半数が屠られ、頭目の男は狼狽を隠せないでいた。
「お頭ぁ!こ、こいつらやべえですよ!」
「逃げましょう!勝ち目がねえ!」
「ば、馬鹿野郎!面目ってもんがあんだろうが!!ジジイと女如きにやられたなんて、そんな馬鹿げたことがあるわけねえ!!」
「……ふぅ。この状況で現実が見えないなんて相当頭悪いのですね。まあ、だから野盗なんてやってるんでしょうけれど」
テスカは呆れたように小さく息を吐き出した。
「んだとこのアマァ!?」
目を血走らせて叫ぶ頭目。
だが、その背後では、残された野盗たちが半ばパニックに陥っており、中には一目散に暗闇の奥へ逃げ出そうとする者もいた。
「逃がさない!」
テスカは上着の裏から滑り出させた数本の小振りのナイフを軽やかなスナップと共に放った。
闇を切り裂いて飛翔したナイフは、必死に逃走する野盗たちの首筋へと正確に突き刺さる。
「あ……があ……」
刀身にたっぷりと塗られた毒が体内を回る。
逃げ出そうとした野盗たちは数歩も進めぬ内に次々と倒れ、絶命した。
あっという間に、残されたのは頭目の男だけとなっていた。
「ひっ……ひいいぃっ!?」
部下を皆殺しにされ、頭目はなりふり構わず駆け出していた。
最早プライドも面目も捨て去り、暗闇へ逃れようと必死に手足をバタつかせる。
「!!」
「テスカ。お嬢様たちを頼みます」
「……あ、は、ハイです」
ナイフを投擲しようとしたテスカへそう短く指示を飛ばしたジュールは、逃げた頭目を追った。
「ハァ、ハァ、クソ!!」
頭目は歯を剥き出しにしながら、尚も必死に走った。
「お、俺様だけでも逃げ切れれば、またワル共を集めて別の村でもどこでも襲ってやる……!金も女も奪い放題奪って、また一から立ち上がってやるんだ……っ!」
「尚のこと生かしてはおけませぬな」
冷徹な宣告と同時に、闇を薙ぐ一閃。
「ぐあああああ」
次の瞬間、激痛と共に頭目は地面へと叩きつけられる。
ジュールの一閃が、逃走の術を完全に奪い去っていた。
「さて、足の腱を斬ったので、もう貴様は歩くどころか立つことすら出来ないわけですが……」
そう言い捨てながら、ジュールは流れるような動作で両の手の指を一つずつ切り落としていった。
「ぎぃやああああああああああ!!!!」
「万が一にも、刃物を握り直すなどという愚行に及ばれては困りますのでな」
「ハァ、ハァ、痛え……痛えよお……助けてくれよお……」
頭目は生きているのが不思議なくらいの肉体の損壊に心が完全に折られていた。
泥に顔をまみれさせ、惨めに命乞いをする姿を、ジュールは冷ややかな瞳で見下ろす。
「無辜の旅人を襲い、奪い、あまつさえ売り飛ばそうとまでした癖に、痛いと喚き、命まで乞いますか。見下げ果てたクズとは、まさに貴様のような人間を言うのでしょうな」
感情のこもらぬジュールのその静かな声には、冷たい殺気が満ちていた。
「一つ質問をいたします。それに嘘偽りなく答えるのであれば、考えなくもない」
「ひっ……な、なんだよっ!?」
「他に仲間はいますか?」
「い、いねえ!俺たちだけだっ!」
「では、額面通り貴様が頭目であり、それよりも上はおらず、仲間もあの連中のみであると、そう受け取って良いのですな?」
「あ、ああ!だ、だから、頼む!命だけは……っ!」
次の瞬間、頭目の首は綺麗に切り離された。
何が起きたのかすら理解出来ぬまま、頭部のない胴体は完全に静止する。
「……約束通り考えましたが、やはり貴様のような害虫を生かしておいても何れ報復を考えますでしょうし、無駄に禍根を残すのはよろしくありませんな。お嬢様の平穏のためにも死ぬべきと判断します。……ふぅ、いくら闇に生きてたとて、やはりこんなことをテスカにやらせるわけには行きませぬな」
ジュールは納刀しながら、ふと空を見上げる。
先程まで雲に隠れていた月が僅かに顔を見せていた。
「……お嬢様」
〘誰よりも一番怖がっていたのは、ワタクシの筈ですのに〙
(盗み聞きなどするつもりではありませんでしたが、お嬢様のその御気持ち、この爺にも理解出来ます。かつての私がそうでしたから……)
ジュールは、ゆっくりと目を閉じた。
(そう、私にもあるのだ。自分でも恐ろしくなる程の力……『異能』が。尤も、ここに来てからは誰にもこのことを話したことなどなく、話すことも恐らく無いだろうが)
静かに瞼を開くと、その目は穏やかなものに変わっていた。
(ただ一つ、これだけは約束します。貴女は必ず護ります。この命に代えても……)
「……さて、後片付けですな。テスカにも手伝って貰いましょうか」
やがて、東の空がゆっくりと白み始め、夜の静寂を塗り替えるように柔らかい光が林の中を照らし出した。
「ふあ〜〜あ……」
大きな欠伸と共にテントの布を押し開けて飛び出してきたのは、サピオであった。
昨夜のことなど露知らず、といった様子である。
「お早うございます、サピオ様。ロザリー様は夢の中でしょうか?」
「むにゃむにゃ……」
ロザリーは、まだ眠りから覚めてはいないようであった。
昨夜、ことが終わるまで起きていたのだから仕方ないが、だからといって何時までも寝かせるわけにはいかない。
「お嬢様。お起きになって下さいませ」
「…………んん、もう朝ですの?」
「はい、お早うございます」
ジュールの言葉で夢半ばに起きたロザリーは、テントから出ると辺りを見回すも、昨夜の一連がまるで無かったかの如く綺麗に整えられていた。遺体は何処にも無く、血の跡すらパッと見では分からない。それこそ夢であったかのように。
臭いすらしないのは、テスカが消臭用の香を炊いていたからであった。
(……そう言えば、テスカが叔父上を暗殺しようとした時にも眠らせる御香を使っていましたわね)
イムランの街で購入してきたパンを各々一つずつとジュールの淹れた紅茶の軽い朝食を済ませ、荷物をまとめた一行は、再び街道へと足を進める。
朝露に濡れる街道を進み、やがて緩やかな丘を登り切ると、視界が一気に開けた。
木漏れ日の先、陽光を浴びて雄大に聳え立つ巨大な石造りの城壁と、その奥に広がる壮大な都が、一行の眼下に圧倒的なスケールで姿を現した。
「見えてきましたな」
ジュールが足を止め、眼下に広がる壮大な都を見下ろす。
「あれがレオバード王国……こうして訪れるのは初めてですわ」
ロザリーが小さく息を呑む。
「さあ、もうひと踏ん張りですぞ!」
ジュールの言葉に全員が深く頷き、一行は力強く一歩を踏み出した。
もうすぐ王都である。




