第33話 ロザリーと初めての野宿
夕方、日が暮れ始めると周辺には闇の兆しが現れ始めていた。
太陽が沈み切るよりも前にと、ジュールはテスカと共に街道から少し外れた林の中へ入ると、四人で使っても狭さを感じない絶妙な広さのスペースを見つけ、手早く野営の準備を整え始める。近くに水場がある点も抜かりがない。
ロザリーとサピオもジュールに教えられた通りに簡易的なテントを張るなどして手伝い、すっかりと暗くなる頃には無事に野宿の備えが整っていた。
ロザリーの火の魔法による焚き火が辺りを温かく照らす中、ジュールがその上に鍋を置くと今宵の夕食となるシチューの香りが周囲を包み込む。
「さあ、皆様!温かいシチューが出来上がりました!」
「お嬢様とサピオくんには、ワタシからよそいますです!」
「有難う、テスカ」
ジュールが用意した石に布を掛けただけの簡易的な椅子。そこへと腰掛けたロザリーは、差し出された木製の椀を大事そうに受け取った。
ミルクと小麦粉を混ぜて煮込んだとろっとしたスープに、見たことのない肉が入っている。
「活きのいいウサギがいましたですから、ワタシが捕らえてジュール様が捌きましたです!」
「そ、そうですの……」
ロザリーは可愛らしいウサギを想像して一瞬口に入れるのを躊躇うも、空腹には抗えず木製のスプーンで掬ってはパクっと口に入れる。
「!お、美味しいですわ!」
「ホッホッホ。ウサギの肉は鶏に近いですからな。しっかりと血抜きもしましたので、臭味も少ない筈でございます」
「本当だ!凄く美味しいよ!」
ロザリーの隣に座るサピオも、シチューの味と温かさに破顔する。
昼間は暑いくらいであったが、夜は打って変わって涼しいというよりは肌寒さを感じるくらいに冷え始めたため、シチューが体に染み入るといった感じであった。
「ジュールは料理も得意なのですわね」
「執事たるもの、このくらいは出来て当然でございます。他に従者がいない時でも、主には温かく美味しい食事をして頂かねばなりませんからな。尤も、このシチューに関しましては、もっと野菜やキノコなどを入れて味を深めたいところでしたが……」
「ま、まあ、これでも十分過ぎるくらいに美味しいですわよ」
「そう言って頂けますと恐縮にございます」
ジュールの拘りに押され気味になりつつも、ロザリーたちは賑やかに食事の時間を過ごした。
「……色々と不安でしたけれども、いざやってみると野宿も悪くはありませんわね。外で頂くお食事も、なかなか風情があるというものですわ」
「いえいえ、お嬢様。野宿の真の厳しさはこれからでございます。それに、最初は物珍しさから楽しさが勝ちましょうが、これが日常となっていきますと、途端に辛い部分ばかりが目に付いてくるものですぞ」
「……うん。おうちの仕事も、たまにお手伝いする時は楽しかったけど……毎日となると、すごく大変なんだろうなって。野宿も、きっと同じなのかな?」
「その通りにございます、サピオ様。何事も続けることこそが最も難しく、骨の折れる作業なのです」
「なるほど……。ワタクシ、考えが甘かったですわね。身の回りのことを全てジュールとテスカに任せきりだから、尚更そう感じますわ」
「いえいえ。お嬢様の身の回りの世話は私とテスカの仕事でございます故、そこまで気になさらないで下さい。ですが、そうして自省なさる姿勢はとても素晴らしきものにございます」
「ふふ。有難うですわ、ジュール」
ひとしきり和んだところで、椀の中のシチューも皆空になっていた。
すると、テスカが勢いよく立ち上がる。
「それでは、ワタシは向こうの川で食器を洗って来ますです!」
食事を終えると、片付けを引き受けたテスカが、人数分の木製の椀とスプーンを放り込んだ鍋を両手に抱えて歩き出した。と、何も無いのにコケかける。
「……久し振りに見ましたわね、テスカのドジ」
「こ、転んでませんし、食器も落としてません!セーフでノーカウントでお願いしますです!」
「ハイハイ。それでいいですわ」
テスカは、薄闇の中でも分かるくらいに顔を赤らめながら、小走りに小川の方へと向かっていった。
致命的なやらかしこそ無いにせよ、曲がりなりにも暗殺者ギルドの一員であったテスカのたまにやるこのドジは何なのだろうかとロザリーは思った。だが、そんな真剣に考えることでもないかとすぐに思い直す。
「周辺の警戒と見回りを兼ねて、少し薪を拾って参ります。すぐに戻ります故、ご安心を」
ジュールもそう言って席を外した。
ロザリーとサピオの二人がその場に残される形となった。
耳に残るはパチパチと爆ぜる薪の音と、遠くで鳴く虫の声。
「……ロザリーお姉ちゃん」
揺らめく火の粉を見つめていたサピオが、ふと声を掛けてきた。
「?何かしら、サピオ?」
そう言って振り向いたロザリーに、サピオは少し迷うような素振りを見せた後、意を決したように静かな声を紡ぐ。
「ロザリーお姉ちゃんは……怖くなかった?」
「怖い?」
「うん。その……『闇の力』が使えるようになった時に」
「………………ええ、怖かったですわ。とても」
ロザリーは静かに目を伏せ、当時の記憶を手繰るように口を開いた。
「容易く命を奪いかねない……そんな力が自分の中から湧き出てきて、まるで自分が自分でなくなってしまうような、とにかく叫び出したくて堪りませんでしたわ。でも、出来なかった」
膝の上で重ねられたロザリーの手が、ほんの少しだけ強く握り締められる。
「使用人たちの……あの、怯えきった顔を見たら……。フフ、変ですわよね。その時、誰よりも一番怖がっていたのは、ワタクシの筈ですのに」
ロザリーが闇の力に目覚めたのは、彼女を疎ましく思う使用人たちの嫌がらせが切っ掛けであった。だが、そのことをサピオには伝えたくない、伝える必要もないとロザリーは言葉を濁す。
「ジュールさんとテスカさんは、その時にどうしてたの?」
いつもロザリーの側に控えている二人の姿を思い浮かべながら、サピオは素朴な疑問を投げかけた。
「その頃は、テスカもいなかったし、ジュールもとても忙しくて、ワタクシから声を掛けることなんか出来ませんでしたわ。ですから、屋敷ではいつもひとりぼっちでしたわね」
「そうなんだ……」
サピオは胸を締め付けられるような思いで、ロザリーの横顔を見つめる。
彼女の過去の一端を知り、それが決して幸福なものではないのだと幼い彼にも理解出来た。
誰にも頼れず一人で怯えていたロザリーの姿は、今の自分と痛い程に重なる。そう思ったサピオは胸の奥に閉じ込めていた弱音を、ゆっくりと解き放つ。
「……僕もね、怖かったんだ。ううん、今だって怖い。自分にこんな力があるなんて、思わなかったから」
サピオは自分の小さな手を見つめると、ギュッと拳を握りしめた。
「もっと早くこの力が目覚めてくれたら、お父さんもお母さんも、村の皆も助けられたんじゃないかって……そんなことまで考えちゃうんだ。光の力を使いこなせるわけでもないのに、それどころか怖がってるくせに……おかしいよね」
「サピオ……」
「でもね、ロザリーお姉ちゃんが闇の力を使ってる姿を見たとき……すごく綺麗で、かっこよくて……憧れたんだ。でも、ロザリーお姉ちゃんも僕と同じように怖かったんだって知って……なんか、凄くホッとしちゃったんだ。……ごめんね、僕も何を言いたいのか分かんないや」
「いいえ。ワタクシには伝わっていますわ、サピオ」
ロザリーは優しく目を細め、サピオの頭へそっと手を置いた。
「一人じゃなかったんだって分かって、安心しましたのね?」
サピオはこくりと頷く。
ロザリーの掌から伝わってくる優しい温もりに、胸の奥で固まっていた冷たい塊が、少しずつ解けていくような気がした。
「……一緒に、少しずつ前へ進んで行きましょうね」
「……うん」
サピオは照れくさそうに小さく笑ってみせた。
暫くの間、言葉もなく、ただ静かにパチパチと薪が弾ける音だけが夜の空気に溶けていく。
その静寂を破るように、木々の奥から落ち葉を踏みしめる足音が近づいてきた。
「只今、戻りました」
抱えてきた薪を焚き火の脇へ静かに下ろしながら、ジュールが姿を現す。
と、それと交代するように反対側の小川の方へと繋がる草むらがガサリと揺れた。
「食器、ピカピカに洗ってきましたですよ!」
鍋を大事そうに抱えたテスカが、胸を張って得意げに言う。
戻って来た二人の姿に、ロザリーとサピオは互いに顔を見合わせ、微笑み合う。
やがて夜も更け、就寝の時間となった。
今宵の見張りはジュールとテスカが交代で行うこととなり、ロザリーとサピオはテントの中へと入っていった。
濃密な闇に包まれた野営地で、小さな焚き火の火種だけがポツリと残り、しんと冷たい静寂が満ちていく。
テントの布越しに二人の穏やかな寝息が聞こえ始めた頃、見張りに立つジュールとテスカの空気が、一瞬で変わった。
「……テスカ、気付いてますね?」
「はい。八人、いや九人ですかね?」
「十人です」
二人が静かに言葉を交わした次の瞬間、ガサリと暗闇の木々が大きく揺れた。
「ヒヒヒヒッ……!運の悪い奴らだぜぇ」
耳障りな嘲笑とともに、影の中から湿った地面を蹴る無数の泥臭い足音が湧き出してきた。
現れたのは、下品な欲望で顔を歪ませ、錆びた斧や禍々しい刃物を手に握りしめた十人の男たち。
この街道を荒らす獰猛な野盗の群れであった。
「女とガキは逃すなよ!持ち物全部引ん剥いて奴隷商に売り飛ばすんだからな!」
頭目らしき男の下卑た号令。
ジュールとテスカの瞳に冷ややかな殺気が宿った。




