第2話 従姉妹のアンネ
ロザリーがジュールに「天啓」のことを打ち明けてからひと月が経った。
あれからロザリーはジュールの暇を見つけては秘密裏に会って互いに情報交換の傍ら、他愛ない日常会話などを嗜むなどして交友を深めている。
本当はもっと会いたい気持ちが強かったものの、ジュールがそもそも多忙であること、また屋敷の中では半ば腫れ物扱いとなっているロザリーとの好意的な接触が周りに露見することは避けたかったので、そこはぐっと堪えていた。
「ふう……。色々とままなりませんわね」
それでも周りに敵しかいないと思い込んでた頃に比べれば、日々の幸福度に天と地程に差はあった。絶対的な味方が一人でもいる。そう思えることの何と大きいことか。
(なるほど……。あのままジュールと疎遠になってたら、そりゃ未来の私はああもなりますわね)
ある程度時間が経つと未来の記憶も少しは冷静に考えられるようになっていた。ロザリーは自分のことながら、誰も信頼出来なくなり堕ちていく未来の自分に同情する。
(少なくとも、今のワタクシは誰彼構わず癇癪をぶつけることも、無意味に傷付けることもいたしませんわ。そうしたことをしでかした末の恐ろしさを知ったから)
尤も、そういう風に考えることが出来る程にまだ傷の浅い時期に受けたというのも大きいだろう。もしも、「天啓」が来るのがあと一年遅ければ、その頃のロザリーは心を荒ませて、悲惨な末路を辿る未来の自分の姿も所詮は夢か何かと切り捨ててすぐに忘れ去っていたかも知れない。
(この機会を与えてくださったことに関してだけは神に感謝ですわね。まあ、それ以外は文句の一つや二つじゃまっっっったく足りませんがっ!)
今はまだ、未来を変えるための準備は初動も初動の段階。自分との交流が切っ掛けでジュールが不利益を被ることだけはあってはならない。
特に最近は叔父夫婦の実の娘であるアンネが何かと構ってくるので、ジュールと二人きりで楽しくしているところなど見られたら即彼女の両親へ通報ものだろう。
(あの子も決して根っからの悪い子というわけでは無いと思うのだけれども……)
アンネはロザリーより六歳年下で、「おねえさま」とロザリーのことを呼びはするものの、両親がロザリーに対してぞんざいな態度で接しているのを見ているせいか、アンネもそれに倣っているのが現状である。
尤も、アンネはまだ四歳であり、そのくらいの年頃であれば親の真似をするのも当然の行動故、ロザリーは叔父夫婦程の嫌悪感を彼女に抱いてはいなかったが、どちらかと言えば苦手ではあった。
「あらあら、おねえさま!」
そんな風にアンネのことを考えていると、偶然なのか必然なのか当人と出会す。
「きょうもきょうとて、さえないごようすですわね!おーほっほっほ!」
アンネは舌足らずな口調でそう言っては高笑いする。
だが、これはあくまで彼女の母親である叔母デイジーのモノマネ。
故に何処か棒読みチックであった。
(恐らくアンネは自分の言っていることの意味を分かってはいないのでしょうね……)
本来であれば、「そんなことを言ってはいけませんよ」と注意されて然るべきではあるが、悪い意味で娘を溺愛する叔父夫婦が斯様な躾などする筈もなく。
そもそもそれを率先して言っているのが叔父夫婦である以上、寧ろ「もっと言え」とアンネを煽りかねない。
「……………………ハァ、ですわ」
アンネに聞こえぬようにロザリーは小さくため息を吐いた。と、その時ロザリーはふと「天啓」のことを思い出す。
自分が悲惨な末路を辿る未来のアンネは、ロザリーのことを明確に見下し、使用人と協力してはありとあらゆる嫌がらせを行っていた。
そのことに未来のロザリーが激昂でもしたならば、叔父夫婦に助けを求めては悲劇のヒロインを気取る。
そして、叔父夫婦は当然のようにそんなアンネの味方となっては叱咤という名の誹謗中傷と厳しい罰をロザリーに与えてくるというのが日常のようになっていた。
(……実際に体験したわけではありませんけれども、見ているだけでも気分が悪くなりましたし、それが毎日のように続くなんて地獄でしかありませんわね)
「あらあら?おねえさま、だんまりかしら?」
言葉を何も返さないロザリーに対して、アンネがそう尋ねる。
(……これも叔母上の真似ですわね)
叔母デイジーはよくロザリーへ小言を言ってきた。
その大半は謂れのないことなのだが、いちいち反応すると相手を喜ばせるだけなので、ロザリーはそれを聞き流し、リアクションも殆ど取らないようにしている。
そうした際に叔母デイジーが言うのが件の言葉であった。
まだ小さいアンネはよく両親にくっついているため、そういった場面には同席しており、知らず知らずにそんな言葉を覚えてしまっているのだろう。
(『天啓』を受けていないワタクシでしたら、こんな小さい子の真似事も本気で苛ついてたんでしょうね)
ジュールという信頼出来る人間が味方についていない状態ならば、こういったことも人間不信の一助になったかも知れないとロザリーは思った。
(まあ、アンネも叔父上や叔母上のように本気で取り合わなければいいだけですわね。何なら関わり合いを可能な限り避けるのも手かしら?)
自分で考えておきながら、なんて寂しい提案だとロザリーは自嘲する。
(……いいえ、寧ろ今はチャンスかも知れませんわね)
見ての通りアンネはまだ幼い。
ロザリーとて四歳の時に物事の良い悪いをちゃんと理解していたかと言われれば怪しいというのが正直なところであった。
だからこそ、今の内にそれを教え、歩み寄れば関係性の改善が見込めるのでは無いか、とロザリーは考える。
それにアンネが何かとこうして構ってくるのは、見方を変えればロザリーに少なからずの関心を抱いているからであろう。
(アンネは親族ですし、仲良くなれるに越したことはないですものね……)
ロザリーはアンネに改めて向き合う。
「ふんふーん♪」
こうして見ると、アンネは黙っていればとても愛らしい顔つきをしている。叔母夫婦が蝶よ花よと可愛がるのも納得であった。
その時、ロザリーの頭の中に一つの考えが浮かぶ。
(……上手く行くかは分からないけれども、ダメで元々ですわね)
それは即座にアンネとの関係性が拗れてしまう可能性もあったが、このまま何もしなければ同じ結果になるだけだからとロザリーは自分を納得させた。
「ねえ、アンネ。一つよろしいかしら?」
「?なあに、おねえさま?」
アンネが先程までとは打って変わった純朴そうな顔と声音で答えた。
時折こういうところを見せる辺り、こっちの方が今のアンネの素に近いのだろう。
「立ち話もなんですから、ワタクシの部屋へ行きません?」
「おねえさまのへや?いってあげてもよろしくてよ」
再び言葉遣いを変えたアンネが了承する。
彼女にとって叔母デイジーの真似でロザリーに話し掛けるのはごっこ遊びの範疇なのかも知れない。
「では行きましょうか」
「よきにはからえ、ですわ!」
ロザリーはそう言ってニコニコ笑うアンネの手を優しく取ると、叔父夫婦の息の掛かった使用人たちには見つからぬよう細心の注意を払いながら自分の部屋へと連れて行った。
「あらあら、おねえさまのへやってひーそー?ですわね!」
部屋へ入るなりアンネはそう言う。
「貧相」と言いたいのだろうが、耳で聞いただけの言葉なので上手く言えない様子であった。
ロザリーはコホンと軽く咳払いする。
「アンネ、早速だけれどもいいかしら?」
「なにかしら?」
「貴女のそのドレスですけれども……」
ロザリーはアンネの着ているドレスを指差した。
ピンクのドレスなのだが、色がキツく、可愛らしいというよりもケバいという印象を与える色であった。
いくら貴族が派手なものを好むと言っても、限度というものがあり、このドレスの色はあまりに悪目立ちし、折角のアンネの可愛らしさを殺していると言っても過言ではない。
なお、ドレスは叔父夫婦が与えたものであった。
尤も、アンネのためにというよりも、彼女に着せてはそのリアクションなど一切見ずに自分たちのセンスは最高だなんだと自画自賛するためのものというのが、アンネの誕生日に当て付けかのように間近でそれを見せられたロザリーの率直な感想である。
故に同じようなドレスをアンネは何着も持っていた。
「ぶっちゃけ、全然似合ってませんことよ。止めた方がいいですわ」
「そんなことないもん!」
アンネは即座に反論する。
「おとうさまとおかあさまがえらんでくれたドレスなんだもん!そんなこというおねえさまなんか大きらい!」
これはロザリーの予想していた反応であった。
ロザリーにとって叔父夫婦が如何に最低最悪な人間であったとしても、アンネにとっては掛け替えのない両親であり、その二人からの贈り物なのだからそれを悪く言われれば怒るのも当然である。
同時にそれは幼いながらも両親のために怒れるアンネの心根の優しさも示していた。
(……やはり、アンネは悪い子では無かったのですわね)
だからこそ、ロザリーの胸は痛みを覚える。
「あらあらアンネ、貴女もまっっったくセンスがありませんのね!」
それでも、これが自分の選んだ選択であるとロザリーはなるべく心の内を表情に出さぬよう続けた。
「思えば、叔父上も叔母上も同じようにケバケバしくて、まるでセンスがありませんでしたわね。あの両親にしてこの子ありという奴かしら?オーッホッホッホ!」
「……どうしてそんなひどいこというの?」
アンネは本気でショックを受けたのか、叔母デイジーの真似をするのも忘れて言った。
目からはボロボロと大粒の涙が溢れている。
このくらいの年頃の子ならばもっと泣き喚いたりしそうなものだが、アンネはそうではないようだ。
(……思えば、ワタクシもそうでしたわ)
最愛の両親が亡くなり、叔父夫婦に引き取られてからの最悪な日々はロザリーから笑顔だけでなく、子供らしさを失わせた。
何時からか、素直に泣くことさえ出来なくなる程に。
ひと月前、ジュールの胸の中で久し振りに大泣きしたからこそ、それを実感している。
「……ごめんなさい!」
気が付くとロザリーはアンネのことを抱き締めていた。
彼女と同じように、ロザリーはいつの間にか目から涙を流している。
「おねえさま……?」
「本当にごめんなさい。アンネ!」
泣きながらそう言うロザリーにアンネはキョトンとしていた。
「酷いことをいっぱい言ってしまって、謝って済むことでは無いけれども、それでもごめんなさいアンネ。でもね、アンネ。貴女が常日頃言ってるのはこれと同じことなんですのよ?」
「え?」
「恐らく叔父上や叔母上の真似をしているだけでそれ以上の悪意は無いんでしょうけれども、そういう言葉がこうして人を傷付けるということは賢い貴女なら分かるでしょう?」
「……………………」
そうなの?といった顔をロザリーへ向けるアンネ。
ロザリーはそのことを伝えたいがために敢えてアンネに悪口をぶつけたのである。
実感を伴えばこそ、自分がしていることに気付いてくれると信じて。
だが、同時に自分もしてはいけないことをしたんだという罪悪感に耐え切れなくなり、自然と落涙していたのであった。
「……ごめんなさい、おねえさま」
アンネはそう謝罪の言葉を口にする。やはり、今の彼女は純心なのだ。
ロザリーはふと未来のロザリーを思い出す。
何もかもが信じられなくなり、自ら人を遠ざけ、悪意に塗れた末に人を傷付けるようになり、終いには破滅へと至った。
悪意とは確実に人の心を変容させるのである。
それはアンネも同じことだろう。
最初はごっこ遊びのつもりだったロザリーへの悪態も重ねることで、自分の中でもそれは真実であると錯覚してしまう。「天啓」で見たアンネはまさにそうであった。
だが、今こうして謝ってくれたアンネはその未来へは行かないかも知れない。
そんな希望をロザリーは感じていた。
「分かってくれて良かったですわ。もし、貴女がよろしければですけれども……これからこっそりと二人でこうして会って話をしてもよろしいかしら?」
アンネは少しの間、その大きな目をぱちぱちと瞬かせる。
少しして、こくりと小さく頷いた。
「……ええ。よろしくてよ。おねえさま」
それから、ロザリーとアンネはたまにロザリーの部屋で何気ない話をするようになった。
叔父夫婦や使用人たちの目があるところではなるべく親密なところを見せないようにしていたが、そのことが二人だけの秘密感を増したようで幼いアンネは殊の外喜んでいたようであった。
(破滅の未来の回避へ、一歩前進……出来たかしらね?)
ロザリーはそんな風に考えながらもアンネとの短い時間を楽しんでいる。
彼女もまだ十歳なのだ。
「アンネ。今日も楽しかったですわ」
ロザリーはそっと微笑み、幼い声で囁く。
十歳の少女は、こうして確かな一歩を踏み出したのであった。




