第1話 天啓 後編
ロザリーは暫しの慟哭の後、眠ってしまっていた。それだけ、肉体的にも精神的にも疲弊していたのだろう。
ハッと目を覚ますと、ロザリーはすぐにジュールの姿を探す。ジュールは優しげな表情を湛えたままそこにいてくれていた。どうやら、それ程長い眠りについてはいなかったようであった。
「……見苦しい姿を見せてしまったわね」
人前で大泣きし、そのまま寝入るなどプライドの高い彼女にとっては汚点と言ってもいい程のことであった。
「見苦しいなど、そんなことは決してございません。泣きたい時に泣けるのは子供の特権。今だけは許されるのでございます」
だが、臆面もなくそう言うジュールの顔を見るとそんな気持ちはすぐに何処かへ消える。ロザリーは自分の弱さを曝け出してもいいと思える相手が目の前にいるという幸福を噛み締めた。
少し落ち着くと、ロザリーはふと「天啓」で見た記憶の中にジュールの姿が無かったことを思い出していた。
(今しがたワタクシが独りではないと言ってくれたジュールが、あの忌まわしい記憶の中では影も形もなかった……)
「天啓」は場面場面を次々と頭の中に映していく形だったので、たまたまその中にジュールが入り込んでいなかっただけと考えることも出来るが、そうだとしてもこれだけ自分のことを思ってくれるジュールがあそこまで自分の側にいないというのは不自然であるとロザリーは考える。
(今からそう遠くない未来にジュールはいなくなってしまう)
考えたくはないが、そういう最悪な事態を想定しておく必要はあるだろう。あの末路を思うと楽観的な考えは基本的には捨てた方がいいと内なるロザリーが警告している。
ロザリーにとってジュールは、家族のように大切な人間だと今しがた自覚したばかりである。それが早くも失われてしまうかも知れないというのは、まるで崖から落下した際に掴んだ命綱があっさり引き千切れるようなもので、彼女の絶望をより深くしかけていた。
(それだけは絶対に何とかしなきゃですわ!!)
幼いロザリーに出来ることは限られているだろうが、幸いジュールは彼女の言うことを信じてくれている。一人では無理でも二人ならば何とかなるのではないか。ロザリーはその一縷の望みへかけることにした。
差し当たってロザリーは、ジュールが消え去ってしまう理由について起こり得る可能性をいくつか考えた。
①執事をクビになり屋敷を出て行く。
今でもロザリーの両親を主と定めた上で、何かと自分の味方をしてくれるジュールをあの意地の悪い叔父夫婦は煙たがっていた。ジュールが如何に有能な執事といえども、自分たちの意に沿わぬ人間を置いておける程、あの叔父夫婦が器の大きい人間だとはロザリーには思えなかった。
或いは、「天啓」を受けなかった自分が人間不信の末にジュールを遠ざけ、クビを言い渡したか。幼いロザリーに叔父夫婦付きの執事を解雇する力など無いだろうが、叔父夫婦が目障りなジュールをクビにするのに都合の良い理由として使われたという可能性は否定出来ない。
②何らかの理由で命を失う。
ジュールの年齢を詳しく聞いたことは無かったが、見た目からしても老齢である。若く見積もっても六十代後半、或いは七十代前半といったところか。そのくらいの年齢であれば持病の一つや二つ抱えててもおかしくはないだろう。また、特に疾患は無くとも突発的な心臓の発作で亡くなることもある。先々代の当主…つまりはロザリーの祖父はそれで亡くなったとまだ生きていた頃の両親から聞かされていた。
病気以外にこういうケースも考えられる。
ジュールは物腰の柔らかな老紳士という風体で意外にも武芸は達者であり、ロザリーの両親が外出する時には身の回りの世話兼ボディガードとして帯同していた。それは叔父夫婦の場合も同様で、ジュールが出掛けてしまうことは少なくない。その出先で凶悪な魔物に出会ってしまったとか野盗の卑劣な罠にかかり敢え無く命を落とす羽目になってしまうということも決して無くは無いだろう。
③ジュール自らの意思で屋敷を出て行ってしまう。
ロザリーの知っている限りでのジュールの性格を考えれば、先程ロザリーに掛けてくれた言葉からしてそのような掌返しをする人間とは思えないし思いたくもないが、人間の本心というものは他人からは分からないものだ。
それに、ジュールがいなくなったのはあくまで処刑される未来のロザリーのケースである。「天啓」を受けてないロザリーは当然未来のことなど分かる筈もなく、ジュールにそれを話すこともしないだろうし、今以上に人間不信を募らせた状態ならばジュールの言葉など耳に入らなくなる。何ならば、ジュールの言葉を疎ましく思い、邪険に扱うかも知れない。その結果、失望したジュールが屋敷を後にしたとしてもおかしくはない。
また、ジュールとて男性である。いい人が出来て、その人と残りの人生を一緒に添い遂げたい…といったポジティブな理由で屋敷を去るという可能性も大いにあるだろう。
もし仮にこの先そういったことになるのだとしたら、その場合に限っては快くジュールを送り出そうとロザリーは思っていた。いくら命尽きるまで共に、と誓ってくれたとはいえ目の前の幸福を捨ててまで自分のために尽くせなんて彼女にはとても言えない。
(悔しいですが、これ以上は思い浮かびませんわ)
十歳である彼女にとってはこれが限界であった。
頭の中でそれらを軽く纏めた後、ロザリーはジュールにそのことを伝える。
「……ふむ。この爺がお嬢様のお側を離れると」
「ええ。それがワタクシが見た未来ですの」
「なるほど。そして、今しがた挙げて下さったお嬢様の予想。何れも可能性は十分に有り得ますな。尤も、今の私めには想い人はおりませんし、今のお嬢様を見捨てて出て行くなど、それこそとても有り得ぬこと。そんなことをするくらいならば自ら命を断つ所存でございます」
「そ、そう。気持ちはとても嬉しいのですが、命を断たれるのは流石に止めて欲しいですわ」
「ホッホッホ。ものの例えでございますお嬢様。しかし、お嬢様が望まれるのでしたら……」
「だから望みませんですわ、そんなこと!!」
「ホッホッホ。それだけ仰って下さるならば、この爺がお嬢様に失望することは無いでしょうな」
「……貴方、なかなか食えないですわね」
ロザリーはジュールのその飄々とした物言いを新鮮に感じていた。思えば、彼とこれだけ長く懇意に話すのは、かなり久し振りかも知れない。物心がつく前後の記憶は曖昧だが、その頃はよく自らジュールへ話し掛けていた気がするとロザリーは思い返していた。
だが、執事である彼は多忙であり、特に叔父夫婦の元へ行ってからはより話し掛ける機会を逸してしまい、たまにすれ違っては挨拶と二、三言葉を交わすくらいになっていた。それすらもここ最近は頻度が減っており、廊下で声を掛けられたのも凡そ数ヶ月ぶりのジュールとの邂逅だったのだ。
こうして話してみると、ただ優しいだけと思っていたジュールの意外な一面が表情や言葉の端々から見えてくるような気がロザリーはしていた。
それは言い換えれば、今までジュールの人となりなどまるで考えずにただ漫然と接していたということでもある。幼い子供なのだからそれでも仕方ないのだが、ロザリーは生まれながらの貴族であり、何れは人の上に立たねばならぬ身であるという自覚をこの年齢から持っていた。
故に反省し、これからは相手を知るためにもなるべく襟を正して会話をするようにしようと密かに心掛ける。
「……ワタクシが思いつける理由は今のが全てですわ。悔しいことに」
「いえいえ。まだ十の齢でそこまで思いつけるのは流石でございます。この爺、感服いたしました」
「少しでもリスクは潰しておきたいのですわ。他に理由があるとしたら、どういった理由が考えられるかしら?ジュールの意見が聞きたいですわね」
「ふぅむ。そうですな。お嬢様が挙げられた理由以外で私めが、お嬢様の側を離れざるを得ないとするのならば……」
そう言うとジュールは思考しているのかそこで言葉を止めた。少しした後に再び口を開く。
「まず有り得ぬことでしょうが、国王に王命として召集されれば、それに従わぬわけには行かぬでしょうな」
国王からの召集。つまりは、より権力の強い者からの命令。それもこの国最大の権力者である。
叔父夫婦に逆らったとて、精々屋敷をクビになるのが関の山だろうが、王命に逆らってしまえば比喩ではなく首が飛んでしまいかねない。それも、表向きは正規の手段で。そこまで行かなくとも、ジュールにとって良くないことにしかならないのは間違いないだろう。
ロザリーはそこまで考えが及んではいなかった。というよりも、王家がわざわざこんな一公爵家の執事に手を出すなんて有り得ないと頭の中から真っ先に消していたと言った方が正しい。
だが、国王の元に仕えるのはとりわけ有能な者たちである。ロザリー的には身内を持ち上げるようで気恥ずかしいが、ジュールはこんな一公爵家に仕えるにしては出来過ぎた人物だと思っている。
また、王国はそういった人材を市井からすら見出すこともあると聞く。
つまりは国からジュールがヘッドハンティングされる可能性は例えごく僅かだとしても頭の片隅に入れておいた方がいいだろう。
「……その可能性は失念していましたわ。確かにまず有り得ないことですけれども、万が一にもそのようなことになったその時にどうすればいいかを考えるのと事前に何か考えておくのとでは考える時間も何もかも違う。流石ですわ、ジュール」
「お褒め頂き光栄にございます」
ジュールは胸に手を当て深々と頭を下げた。
自分一人では難しくとも、ジュールと二人であれば何とかなるかも知れないとロザリーは改めて思った。
「闇の力を持つワタクシが言うのも何ですが、僅かに希望の光が見えた気がしますわ。今後も何かあれば遠慮なく仰って頂けるかしら?貴方の忌憚のない意見こそ今は必要だとワタクシは思います」
「勿論でございます」
ジュールは即答した。
「……それでは、名残惜しいですが、爺はこの辺で。まだ片付けなければならない仕事もあります故。また御用があれば何時でもお呼び下さいませ。この爺、誰よりも早く駆けつけますぞ」
「ええ。頼りにしていますわ」
自室から出て行くジュールの背中を見送ったロザリーは、枯れ腐った花がいつの間にか新しい花に変わっており、汚された大事なぬいぐるみが綺麗になっていることに気付いた。
恐らくは、ロザリーが少しの眠りについていた間にジュールがやってくれたのだろうと感心する。
(本当に頼りになる執事ですわ。ワタクシには勿体ない程に……)
そんな風に思っていると、ふとある一つの可能性を思い付いてしまう。
だが、それは有り得ないことだとすぐに頭を振って脳内から消そうとする。
(……いえいえ、いくらなんでもそれは無いですわね。だとしたら先程までここにいたジュールは何だって言うんですの?)
ロザリーは優しく抱き締めてくれたジュールの感触を思い出す。
(ええ、有り得ませんわ!ジュールが『最初から存在していなかった』……などということは決して!!)




