第1話 天啓 前編
ロザリー・ローゼス・ロッソは十歳になったある日、「天啓」を受けた。
突如、頭の中に知らない記憶が流れてきたのだ。
「一体これは……?ワタクシ、おかしくなってしまったのかしら?」
周りには誰もいないのに思わずそう戸惑う言葉が口から出てしまう。
「あれがワタクシの未来……」
ロザリーには、何故だかそうだという確信があった。白昼夢か妄想の類だと断じるにはあまりに生々しかったし、何よりも見知らぬ記憶の中の自分の姿はあまりにもリアルであり、無碍にしていいものではないと内なる自分が警告する。
この世に生まれ落ちて十年というまだまだ人生の序盤でありながらもこんなことは初めてで、まさに「天啓」としか言いようが無く、今はただの幼きボブカットの少女であるロザリーでも、これが明らかに只事ではないことが理解出来た。
「……これが真実といたしまして、さて、ですわ」
ロザリーは自分でも驚くくらい冷静であった。
「天啓」で賜った記憶は決して良いものではない。自分がこれから行う悪行の数々とその末路。凄惨の一言である。
まだ子供であり、あどけないと言ってもいい彼女にとっては刺激的と呼ぶには言葉が足りない程であった。
だが、それらはまだ起きていない事象である。未来はこの先の自分の行動で如何様にも変えられるだろう。
(そうでなければ、わざわざ今こんなものを見せる筈がない……。神はそこまで残酷ではない……筈ですわ)
ロザリーのそれは確信というよりも願いに近い。気丈に振る舞っていても、やはりまだ根底では自身にそんな運命がやって来るということを受け入れるのに理性よりも恐怖が勝っているのだろう。
まだ十歳なのだから無理もない。
時間が経ってくると動悸も少しずつ激しくなっていくのが分かる。正体不明の吐き気に蹲りたい気持ちでいっぱいになってきていた。
「どうかされましたか、お嬢様?」
そんな彼女へ声を掛けてきたのは、白髪の老執事ジュールであった。ロザリーが叔父夫婦に引き取られる前からロッソ公爵家に仕えており、今は叔父夫婦に仕える執事であった。彼女にとってはこの屋敷で数少ない昔から見知った顔である。
廊下でボーっと突っ立っているロザリーを見て、心配そうな顔をしている。
「……ああ、ジュール。何でもありませんことよ」
ロザリーは努めて動揺を隠しながら微笑みを携えて言った。
「失礼ながら、何でもない……という顔には見えませぬが?」
しかし、ジュールのモノクル越しの目はそんな子供の小細工をすぐに見破る。そのことに何故だかロザリーは少し嬉しさを感じていた。
「……ジュール。お前に隠し事は出来ませんわね。ちょっといらっしゃい」
ロザリーはそう言うと、ジュールを自分の部屋へと招き入れた。
わざわざ場所を移したのは廊下で話すような話では無いと思ったのと頭の中で内容を整理したかったからである。
また、他の使用人たちに聞かれたくないという思惑もあった。
部屋に入った時にはロザリーはほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。
他の使用人がこれ見よがしに置いた枯れ腐った花やわざと汚した大事なぬいぐるみといったものをジュールに見られたくは無かったが、そんなことよりもと先程受けた「天啓」のことをジュールへ説明する。
「……それは一大事ですな」
ジュールは深刻そうな顔で開口一番にそう言った。
それを見てロザリーの方が不思議そうな顔で尋ねる。
「ジュール。自分で言うのも何ですが、こんな荒唐無稽な話、信じてくれますの?ワタクシとしましては、結構ダメ元でしたのに……」
「では、ご冗談ということでしょうか?」
「い、いえいえ!天国にいる両親に誓って本当でしてよ!!」
「ホッホッホ」
「本当……でしてよ」
「大丈夫です。ちゃんと信じておりますとも」
「本当に?」
「ロザリーお嬢様の顔を見れば、それが本当なのか……少なくとも嘘か冗談のつもりで言っているかどうかは、この爺には分かります」
ジュールは柔和な表情と声色でそう言ったが、その眼差しと発した言葉は真剣そのものである。誂い等の意思がないことはロザリーには伝わった。
「……ジュール。ワタクシはこれからどうしたら?」
ロザリーはついそう口に出していた。
「未来は変えられる」と意気込んでも、その方法について思案するには幼き彼女の経験と知識では足りなさ過ぎた。
また、両親が亡くなり、叔父夫婦やその息のかかった者たちから蔑ろにされ続けてもぐっと堪えていたプライド高き少女が零した初めての弱音でもある。
「失礼をば……」
そう言うとジュールはロザリーに目線を合わせるように膝をつき、無言で彼女のことを優しく包み込むが如く抱き締める。
「ジュール……?」
突然のことにロザリーは少し戸惑いを見せるも、まるで父親に抱き締められたかのような安心感にホッとしている自分がいることに気付いた。
人肌の温もりとはこんなにも温かいものであったか。
ジュールは子供をあやすようにロザリーの背中をトントンと優しく叩く。
「お嬢様……。大丈夫です。この爺めがおります。決して、貴女は独りではございません」
「本当に?本当に独りじゃありませんの?」
「はい。爺がずっとお嬢様の側におります故」
「本当にずっと?」
「はい。この爺。残りの人生全てをお嬢様のために捧げる覚悟でございます」
使用人とは名ばかりの叔父夫婦の代言者のような連中の嫌がらせで半ば人間不信に陥りかけていたロザリーであったが、何故だかジュールのその言葉をすんなりと信用することが出来た。
少なくともロザリーの知るジュールは彼女に対して嘘を吐いたことはなかったし、害をなすようなことは絶対にしてこなかった。その積み重ね故だろうか。
「無論、お嬢様が嫌だと仰るならば、その通りにいたしますが……」
「嫌なんてこと!!」
ロザリーは首をぶんぶんと振りながら全力で否定する。
「……ずっと。ずっとワタクシの側にいてくださらないかしら?」
「御意のままに」
ジュールは跪いたまま、深々と頭を下げた。子供に対して行うには仰々し過ぎる程に忠誠の意を示す。
「この先、お嬢様に何があろうと、この身に何が起ころうと、この老骨は命尽きるまで貴女と共に歩むことを誓います」
「ジュール……」
「そして共に考えましょう。お嬢様が健やかな未来を過ごせますように」
ジュールの発した言葉の数々。それはどれもが今のロザリーが一番欲しかったものであった。
両親が亡くなり、叔父夫婦に引き取られてからのロザリーの人生は過酷と言っていい程に辛いものであった。
一応、血の繋がっている彼女を叔父夫婦は決して愛そうとはしてくれなかったのである。物理的な暴力こそ無かったが、空き部屋の一つにロザリーを押し込めては完全に放置で、たまに顔を合わせれば心無い言葉を浴びせ掛けるか、実の娘と比較しては罵る有様であった。
それでも世間体は気になるのか、着飾る服や宝石の類は与え、表向きはロザリーがそんな目に遭ってるとは思えぬ体裁を保っていたのであった。
日に一度か二度、ロザリーの身の回りの世話をする使用人が寄越されたが、その使用人たちも決してロザリーには好意的ではなく、無視するのならばまだマシな方で、彼女に聞こえるように陰口を叩いたり、食事をわざと床に落とすなどの嫌がらせが行われていた。当然ながら叔父夫婦はそれらの蛮行を知りながらもわざと見逃している。
八歳のロザリーが闇の力に目覚めてからは、それらの行為はより顕著となった。幼い彼女の心は確実に傷付き、疲弊し、限界を超えようとしていた。
本来であればまだまだ大人の庇護が必要である彼女は、幼きその身で孤独の絶海へと投げ出されていたのである。
それでもロザリーがまだ正気を保っていられたのは、ジュールの存在が大きかった。ジュールは一応叔父夫婦付きの執事ではあるが、彼らの目の届かないところではロザリーに優しくしてくれる唯一の存在で、彼女が闇の力に目覚めても態度を変えることは一切しなかった。
自分にはちゃんと味方がいたんだ。改めてそう思える人物がこんな身近にいてくれたことに、世界の全てが敵に見えかけていたロザリーは安堵する。
気がつくとロザリーは目に多量の涙を溜めていた。止めようとしても止まらない。公爵家の令嬢がこんなこと泣くなど恥でしかない。
だが、ジュールはそのことを咎めるでも諌めるでもなく、ただ微笑んでいる。この場にはロザリーとジュールの二人しかいない。
今、この時だけは。
ロザリーは両親が亡くなって以来、久し振りに泣いた。
ジュールはただ黙ってそれを見守っている。優しげな瞳をそのままに。




