プロローグ
神は困り果てていた。
というのも、このままだと全てが魔王の手に落ち、何処までもが久遠の闇に包まれ、争いの絶えぬ世界になってしまうからである。
世界の安寧を保つこと。それが神の唯一にして絶対の仕事であった。だからこそ魔王の存在は捨て置けない。
神はほとほと困り果てていた。
本来であれば魔王を倒すべき勇者がこのままでは勝てないことが確定したからである。
神には未来を予見する力がある。
その精度は百発百中。ただの一度も覆されたことのない確定事項。だからこそ、神を困らせてもいるのだが。
「う〜〜む……」
実はただ一つこの未来を変える方法はある。それは神自ら介入すること。神はそれだけの力を持っていた。
だが、世界への干渉は制限されている。それが世界の「理」であった。神の手で世界を好き勝手出来てしまえば、それはもう支配者が魔王か神かの違いでしかないディストピアのようなものであるから仕方がない。そこは神も納得していて、それ故に今日まで世界への介入は全く行わないでいた。
この「理」は神ですら逆らえない絶対的なもの。それが何者の手で行われているのか、それとも何者でもないのかすら分からない。あまりに世界へ干渉すればこの身に良からぬことが起きる。それだけは神が自身を神と認識したその瞬間から存在していたルールであった。
故に勇者が魔王を倒せないのであれば、自らの手で…とはいかないのである。そもそも、魔王の力は尋常ではない。一目見た神が「あれ、ワシより強くね…?」と思わず呟いた程であった。世界の「理」には逆らえぬように、神とて絶対的な存在ではないのだ。
(異世界よりの転生者を送り込むという手もあるのじゃが……)
如何なるチート能力を持たせたとて、結局のところ魔王を倒せるのは同じ世界にいる人間にしか出来ない。
それもまた覆すことの出来ない「理」であった。
(……どうしてこうなったんじゃろう?)
神は白い眉をへの字に曲げながら、その理由を紐解いていた。やがて、ある一つの事象に行き当たる。
「悪しき公爵令嬢!!ロザリー・ローゼス・ロッソを処刑する!!!」
そこはある王都の処刑台。
悲喜こもごもの民衆の視線の先にはギロチン台にかけられた一人の少女の姿があった。
漆黒の闇を連想させる程の黒い髪を乱した少女はその美しい顔を醜く歪めながら怨めしそうに歯軋りし、好奇の目を向ける群衆を睨み付けている。
「刑を執行せよ!!」
その言葉と共に冷たき刃は落ち、次の瞬間には少女の首と胴は分かたれていた。夥しく流れる血は辺り一面を真紅に濡らす。皮肉にも赤き薔薇を冠する彼女の名を象徴するかのように。
「「「わああああああああああ」」」
悲鳴、或いは歓声。
衆目の元行われる処刑はさながらショーの様で、野次馬の下衆な心を一時的に満たす。
「悪しき公爵令嬢!!ロザリー・ローゼス・ロッソの処刑は速やかに行われた!!なお、その死体は三日三晩晒すものとする!!」
その号令と共に、民衆はそれぞれ帰って行き、広場は静けさを取り戻す。祭りの後とは、まさにこの光景であろう。
彼女の遺体には早速その屍肉を喰らおうとカラスが集まっていた。
「…………」
神はその一部始終を痛ましそうに見ていた。だが、それは憐れみといった感情だけではない。
たった今、処刑された一人の公爵令嬢。
彼女こそが、魔王を打倒するのに必要なピースであったのだ。
言わば希望の灯火。それが、こうしてむざむざと消え去ってしまった。
(知らぬとはいえ、愚かなことを……)
もっとも、彼女は無実の罪で処刑へと至ったわけではない。処刑されるに足る理由──少なくとも、この世界においてはそれがあった。故に、彼女を処刑した執行人や処刑にまで持っていった者たちを批難するのは筋違いであろう。
だが、神にとってはこれが致命的な一手となっている。
ロザリー・ローゼス・ロッソは公爵家に生まれた。
厳しくも優しい両親の元、健やかに育っていったが、彼女が五歳の時に事態は急変。彼女の愛すべき両親が事故により亡くなったのである。
その後は叔父夫婦の元に預けられたが、この叔父夫婦は両親とは打って変わった存在で、欲まみれ俗まみれの差別主義者で典型的なお貴族様であった。
保護者を失ったロザリーを世間体を鑑みて引き取ったはいいものの、内心では疎ましく思っており、全てを使用人任せにして育児は放置、たまに顔を合わせてもお小言という名の罵詈雑言を浴びせかけるか、可愛がっている実娘と比べては彼女のことを蔑む有様であった。
使用人たちも叔父夫婦に目を付けられたくはないとロザリーのことをぞんざいに扱い、親身に接する者は少なかった。やがて彼女は孤立し、拗らせてしまう。
その後のロザリーは悲惨の一途であった。何も信じられなくなった彼女は、僅かながらも手を差し伸べてくれた使用人には辛く当たることで遠ざけ、自らを更に孤独にしていく。
数年後、学園に入る頃には平民出身の生徒を差別し、酷い時には直接危害を加えた。家名だけは立派だった叔父夫婦のお陰か、ロザリーには取り巻きが出来ており、その中から彼女に加担する者も少なくなかったのである。無論、友情や敬意などの全くない、名前だけに群がり媚びる連中であったが、彼女はそれでも良かった。
悪事を重ねたロザリーの運の尽きは、その迫害の対象が平民を装って入学した国の第一王子であったことだろう。そのことを知った時には、ロザリーの処刑はもう決まっていた。
こうして悪役令嬢ロザリーの生涯は幕を閉じる。
「ううむ……」
神は唸るような声を上げた。
ロザリー自身にもある程度の責任はあるだろうが、それにしても…である。本を正せば、彼女がここまで堕ちていったのは、両親死後の環境が劣悪であったことに尽きる。
その時、ロザリーはまだ五歳。自分自身の力でどうにか出来る状態にはないだろう。
運命…と一言で片付けるのは簡単であるし、神自身も数多の人間のそういった理不尽を見てきた。だが、ロザリーの生死は世界全体の存亡に関わっている。贔屓と言われようと神が手を差し伸べねばならぬ事態なのだ。
(じゃが、わしに出来ることは限られておる……)
ロザリーを救うには過去の改変しかない。
だが、両親の死を無かったことにするのは流石に過干渉である。それをしようとした時点で神は雲散消滅してしまう予感がある。それが神すら覆せぬ「理」であった。
(そもそも、両親が生き残ったからといってそれで万事上手く行くとは限らぬ)
ロザリーが何故魔王打倒に必要なのか。それは、彼女の内に眠る魔王と同じ闇の力であった。魔王を滅するには光の力だけでは足りない。光と闇、相反する力が一つになってこそ大きな力になるのだ。
この世界の人間で闇の力を持つ者はロザリーしかいない。つまり、替えの利かぬ存在ということである。そして、その闇の力の目覚めは奇しくも叔父夫婦に引き取られてからの劣悪な生活の中でのことであった。
尤も、その闇の力が更なる彼女への迫害の理由にもなるのだが、それはまた別の話。
もしも、両親の死を回避してロザリーが叔父夫婦の元へ行かなかった場合は闇の力に目覚めない可能性がある。闇の力は光溢れる優しい世界では決して生まれないからだ。
(変えるとするのならば、闇の力に目覚めてからしかないのじゃが……)
ロザリーが闇の力に目覚めるのは八歳の時。その時点で介入するにはやはりまだ幼い。しかし、だからといって成長を待とうにもあまり時間を掛け過ぎると今度は彼女の心が荒みきってしまい、元の木阿弥である。
(彼女が十歳になる時……それしかないかのう)
十歳も十分幼いが、心がどちらに傾いていてもまだ矯正の効く年齢でもある。それにロザリーはどちらかと言えば早熟な方であった。
介入の時期は凡そ決まった。あとはどのように介入するか。神は既にその方法については決めていた。
それは「天啓」。
要するに、このまま行ったらどうなるのか、その未来の顛末を神からの啓示という体でロザリーに見せるのだ。この形であれば、干渉すらする前に自らが消えてしまうような事態にはならないだろうと神は考えた。とはいえ、それでも「天啓」を行った時点で神としての力を殆ど失うことは避けられないだろうという確信もあった。
最悪、「天啓」を行った直後に自分自身が消えてしまうかも知れない。それ程までに世界への干渉とはリスクが高いのである。
ロザリーは本来は聡明な人間である。正常時であれば、天啓を受けた時にそれを白昼夢として捨て置くことはしない筈であると神は期待している。
しかし、いくら早熟で聡明と言っても僅か十歳の少女がその意味を理解し、これからの行動を正しき方へ定めるかは未知数であるし、そもそもまだまだ幼い彼女にとって未来の自分が処刑される光景はあまりに衝撃的であろう。寧ろ、それが理由で心を壊すことにもなりかねない。
「賭けじゃな……」
神は無意識に皺くちゃの指で長く白い髭を弄る。
(神として、自身の存在を認識した時からこれまで賭け事などしたことは無かった。それはそうじゃ。世界へ干渉すること自体、これが初めてなんじゃなからな。それに……)
世界の救済などと言い繕ったところでやってることは一人の人間を駒にしてるのと何も変わらない。少女の運命を弄んでいると言われたら否定する余地がない。
いっそのこと何もせず、傍観者に徹するという道もあった。
今までもこうして自らは介入せず、人々の運命を見守ってきたのだ。今回もそれまでと同じ傍観者として割り切ればいい。神とはそういう立場なのだから。
(しかし、それは出来ぬ……。ここまで事態が大事になってしまってはな)
だが、神は今回ばかりはそうすることを拒んだ。
それが神の仕事であり、使命でもあったが、それ以上に神はこの世界を愛していた。それが確実に不幸になる未来を見過ごすことはとても出来なかった。
(……わしも覚悟せねばな)
神がやろうとしていることは一か八かである。失敗は許されないが、失敗する可能性は決して低くはない。そして、失敗すれば神の力は失われ、それこそもう取り返しがつかなくなる。
だが、今から一人の少女に重き運命を背負わせるのだ。それに比べれば、これを行うことで仮に自身が消滅することになったとて、致し方のないこと。
神は目を閉じ、一呼吸置く。
そして、意を決したように目をカッと見開いた。
「はあああああああああああああああ!!」
神は「天啓」を行った。
特別な呪文などなく、魂の叫びと共に。
次の瞬間、神の姿は消えていた。
まるでそこには最初から誰もいなかったかのように。




