第25話 ロザリーと新たなる旅立ち
ガーデンドール学園を退学となり、屋敷へと戻ったロザリーを待っていたのは、予想と寸分違わぬ叔父夫婦による叱責と罵倒の雨あられであった。
自分がやったこと、各種判断に後悔など無いとはいえ、結果的に支払ってもらった高い学費を無駄にしたという意味では叔父夫婦に分があるということで、ロザリーは甘んじてそれを受け止めることにする。
漸く解放され、ロザリーが自分の部屋へ戻る頃にはすっかり夜となっていた。
(戻って……来てしまったんですのね)
最低限の掃除しかされていない、とても貴族の子女のものとは思えぬ埃臭い部屋。それが妙に懐かしく感じる。
ロザリーは、思わずベッドの上に突っ伏した。
(ミング先生……大丈夫かしら?)
一番に浮かんだのは、ミングのこと。
出会いこそ色々あったものの、ロザリーが学園で一番接していた教師は彼であった。練習することすらままならなかった闇の力を何とか自分の意思で使えるようにしてくれた、彼女にとって恩師と言える存在。
(殿下暗殺の首謀者として王国へ連れて行かれてから数日……。処刑されたという話は聞かないので、まだ無事だと信じたいですけれども……)
ロザリーは、ミングが真犯人でないことを知っている。それだけに、彼が投獄されたことに憤りを感じ、冤罪で処刑されるかも知れないことに胸を痛める。
(それに、ワタクシの親友たち……)
彼らは、何故ロザリーが退学になったのかを知らない。また、カッセルが何故学園を去ることになったのかも。
そんな何も知らない彼らを、マグミスが自らの正体がバレる危険を冒してまでどうこうするとは考え難いが、それでも絶対は無い。
(これからどうなるのかしら?いえ、ワタクシはこれから何をすべきなのかしら?)
そんな風に考えごとをしていると、長旅の疲労に加えて夕食を抜かれたことによる緩やかな空腹感が、重い睡魔となってロザリーの瞼を閉じさせていく。
湯浴みも着替えもせず、旅の荷物すら解かぬまま、吸い込まれるように深い眠りへと落ちていった彼女が、その答えを得るのはそう遠くはなかった。
「ロザリー、歓びなさい。貴女に縁談を持ってきましたよ」
翌朝、目覚めた彼女を迎えたのは、嘲笑を孕んだ叔母デイジーのその言葉であった。
朝も早くに、ロザリーの部屋を訪れたのである。
「えん……だん……?」
「ええ。相手は隣領の資産家、オディロス子爵よ。貴女には勿体ないくらいの相手だわ」
「そんな、いきなり言われましても……」
寝ぼけ眼で戸惑うロザリー。
恐らく、縁談自体は彼女が学園を何事もなく卒業したとしても持ち込まれたものであろう。
「……オディロス子爵は、国境付近のナカメ領を治める方で、御年七十五歳。現在はピースホース湖畔の別荘で持病の療養をしておられます」
ジュールがロザリーへそっと耳打ちする。
「ええ……?もしかして、ジュールよりも歳上の御仁ですの?」
「私はまだ七十を迎えておりません故、そうなりますかと」
「どう考えても考えなくても、明らかに遺産目当ての政略結婚ですわ!」
どうやって相手を丸め込んだのかは分からないが、老い先長くはないオディロス子爵とロザリーを婚姻させ、彼が亡くなった後の領地や実権等を握ろうという魂胆なのだろう。
「どうしたの、ロザリー?まさか、嫌なんて言いませんよね?尤も、貴女にそんなこと言う資格も権利もありませんけど」
叔母デイジーは追い討ちをかけるように言った。
その言い方から、ロザリーが退学になったことをこれ以上ない好機であると考えてる節もある。
「悪い話ではなかろう?」
叔父ブランも顔を出してくる。
「どうせ、お前はこの家を継げない。学園も退学になった今、無駄飯食いのお前を何時までも飼っておいてなどいられないしな。せめて、その身で私たちの役に立て」
(役に立て……と、来ましたわ)
ロザリーを引き取ってから、親族としての愛情の欠片さえも見せてこなかった叔父夫婦であったが、今度は人間としての尊厳すら踏み躙ろうとしている。
どうやら叔父夫婦にとって今のロザリーは、「世間体のための人形」から「使い捨ての駒」へと成り下がったようであった。
「ホーッホッホッホ」
その時、叔父夫婦の背後から可愛らしい高笑いが聞こえてきた。
二人を押しのけるように姿を現したのは、従姉妹のアンネであった。
学園に行っていた半年の間にまた少し背も伸び、八歳とは思えぬ程にその姿は堂に入っている。
「いけませんわね、ロザリーお姉様!」
アンネは見下すような視線をロザリーへ向けた。
「アンネ……」
「その御顔がハッキリと言ってますわよ?そんな婚姻、まっぴらだって!」
「まあ!何て恩知らずなのかしら!?」
「育ててやった恩も忘れ、せっかく行かせてやった学園も退学になった癖に、その態度はなんだ!」
叔母デイジーは眉を顰め、叔父ブランも苦々しい表情で不快感を隠さずに言う。
(ワタクシ、何も言っておりませんけれども……)
内心、ロザリーはそう思ったが、アンネの言ってることは凡そ間違っていなかったので黙っていた。
「お父様、お母様。こちらが何を言おうと御姉様は聞くつもりが無いようですわ。ならば、一日も早くこの屋敷から追い出す方が良くなくて?」
「アンネの言う通りだわ!貴女みたいな面汚し、この屋敷に置いておくことすら目障りよ!」
「ああ。私たちの言うことに従わないのであれば、とっとと荷物をまとめて私の屋敷から出て行け!!」
叔父夫婦が口々に吐き捨てる。
「……まあ、私も鬼ではありませんから。一日、出て行く準備をするくらいのお時間は差し上げますわ。いいですわよね、お父様にお母様?」
アンネはそう言うとチラッと叔父夫婦を見やる。
「あ、ああ。勿論だ。我が娘ながら慈悲深いな。父は感動したぞ」
「せっかくの縁談を断るような役立たずなど、本当ならば今すぐにでも出て行って欲しいですけど……アンネに感謝なさい!!」
叔母デイジーのその言葉と共にアンネはロザリーに向き直った。
「そうですわよ、お姉様!あと、お一人で出て行くのも不憫ですから、ジュールとテスカもお付けいたしますわ」
「あの役立たずのメイドはともかく……ジュールもかい、アンネ?」
思いがけない提案に、叔父ブランは拍子抜けしたように目を丸くした。
「だって、お父様とジュールはあまり折り合いが良くありませんでしょう?それに、ジュールのこなしてきた仕事くらいならば、私が代わりに引き受けて差し上げますわ」
「そ、そうか。まあ、何れはお前に引き継ぐわけだしな。いいだろう」
叔父ブランはあっさりと納得する。
「ということで、ジュールとテスカも本日限りでクビよ」
「小賢しい老いぼれ執事と何の役にも立たんメイドを連れて、精々足掻いてみるんだな!」
「ええ! 厄介者どもが一掃されて、明日からは清々するわ!二度と私たちの前に顔を見せないで頂戴!」
捨て台詞を残して去っていく叔父夫婦を見送ると、アンネは部屋の扉をそっと閉め、背中で鍵をかけた。
「……こんな感じでよろしかったかしら、ロザリーお姉様?」
先程までの高圧的な態度は何処へ行ったのか、打って変わってアンネは少し不安そうに上目遣いでロザリーを伺う。
「私なりに頑張ってみたんですけど……」
「やはり、先程のはアンネ様の演技でございましたですか」
ロザリーの後ろで控えていたテスカが、感心したように言った。
「テスカも変わりないようで……いえ、少し変わられました?」
「フフフ、秘密です」
「ジュールは変わらないですわね」
「ほっほっほ。この歳になりますとそうそう変わりはしないものでございます。アンネ様」
テスカ、ジュールと軽く言葉を交わしたアンネは、すぐにその視線をロザリーへと向けた。
「お姉様とは、もっとゆっくりお話ししたかったですけれど……。ぐずぐずしていたら、お父様たちは手段を選ばずにお姉様とオディロス子爵の結婚を進めてしまいますわ。嫌がるお姉様を力尽くで引き渡してでも……」
八歳とは思えぬ機転と洞察力にロザリーは舌を巻く。
凛とした態度のアンネだったが、ギュッとドレスの裾を掴む小さな手が微かに震えていた。
「ああ、でも、せめてあと三日……ううん、一日でも引き延ばせば良かったですわね。もう、二度と会えないかもしれないのに……」
そう吐露するアンネの目から、耐えかねたかのようにポタリと床へ雫が落ちる。それが切っ掛けとなり、彼女の感情が溢れ出した。
「あら……?私、どうしちゃったんだろ?涙が止まらない……」
「アンネ……!」
ロザリーは堪らず膝をつき、アンネをぎゅっと優しく抱き締めた。背が伸びたと思っても、まだその身体は幼さを残す程に小さい。
「お姉様……」
アンネはロザリーの服をぎゅっと掴むと、感情を抑えきれなくなる。
「ごめんなさい、私、あんな酷い言い方をして……お姉様を追い出すような真似をして……!それが、お姉様との最後になるかも……知れないのに……」
「……分かっていますわ、アンネ。ワタクシを守るためだったというのは」
ロザリーはアンネの背中に手を回し、トントンと優しくあやすように叩く。
「悲しまないで。ワタクシたちはこれで今生のお別れをするわけではありませんのよ?」
「でも……!」
「きっと……。きっと、また会えますわ。いいえ、絶対に何か理由をつけてでも会いに行きますわ!離れていても、ワタクシたちは血を分けた家族なのですもの」
「本当に……?本当にまた、私に会いに来てくれる……?」
「ええ、約束ですわ」
「お姉様……お姉様ぁ……!」
アンネは堰を切ったように泣きじゃくると、まるで甘える幼児のように、ロザリーの胸元へと深々と顔を埋める。
二人は暫くの間、言葉もなく、ただ互いの温もりを確かめ合うように深く抱き合い続けた。
やがて、ひとしきり涙を流して落ち着いたのか、アンネはぐずぐずと鼻を鳴らしながらゆっくりとロザリーから身体を離した。
ハンカチで赤くなった目元を拭うと、まだ名残惜しそうに裾を摘んでいた手をそっと放す。
「……それで、お姉様はこれからどうなさるのです?」
「うーん。そこですわね」
ロザリーは腕を組み、小さく息を吐いた。
何処へ行くのか、その当てもなく、具体的な考えがあるわけでもない。
すると、背後で控えていたジュールが、髭を撫でながら静かに口を開いた。
「お嬢様。それでしたら、一つ提案がございます」
「何かしら?ジュール」
「『冒険者ギルド』に行くのは如何でしょう?」
「冒険者ギルド……?」
ロザリーは思わず目を丸くする。
「た、確かに、前にワタクシとジュールとテスカで冒険者になったら……。みたいな話は、しましたけれども……」
「それもございますが、第一には身分の証明が必要だからでございます」
「身分の証明?」
「左様でございます」
ジュールは深々と頷いた。
「私たちは明日には屋敷を発たねばなりません。しかし、追い出された形ですから、お嬢様を貴族と証明するものも無くなるということになります」
「……確かに、あの叔父夫婦が今更ワタクシたちを家族や身内と証言することは無いでしょうね」
「アンネ様もまだ八歳でございますですからね」
横からテスカが静かに補足する。
「冒険者ギルドの登録証は、国境を越える際などの身分証明として公的に認められております。何処へ行くにしましても、まずはそちらを入手するのが先決かと存じます」
「そうですわね。流石はジュール、頼りになりますわ。先に繋がる手立ても考えねばなりませんでしたわね」
「冒険者になれば依頼でお金を稼ぐことも出来ます。依頼をこなしてランクを上げていけば、報酬が増えるだけじゃなく、上位ランクの冒険者だけが得られる情報などもございます」
「情報収集の場でもある……ということですわね」
「『情報とは宝なり』……これは、私がかつて冒険者だった頃に何度も聞かされた言葉です。様々な情報があれば、行動するにあたり、指針を立てるのにも役立ちましょう」
ロザリーは納得したようにこくこくと何度も頷き、ジュールとテスカの顔を交互に見た。
「……決めましたわ!冒険者ギルドへ行きましょう!」
「でしたら、ここから一番近いのは『イムラン』ですね」
「よし、目指すはイムランですわ!さっそく明日に向けて準備を──」
「あ、あの……お姉様」
ロザリーがテスカたちと荷造りの相談を始めようとしたその時、アンネがそっとドレスの裾を引っ張った。
「今夜だけ……今夜だけでいいので、お姉様ともっとお話したいの。明日からはもう、ずっと会えなくなってしまうから……私、お姉様とたくさんお話ししたい」
幼い従姉妹の健気なお願いに、ロザリーの目元がふっと和らぐ。
「ええ、勿論ですわ!ワタクシもアンネとたくさんお話ししたいと思っておりましたの。今夜は語り明かしましょうね」
「お姉様……!はいっ!」
ロザリーが快諾すると、アンネの顔にぱっと満面の笑みが咲いた。
夜になると、アンネはこっそりとまたロザリーの部屋を訪れた。
手早く出発の最低限の準備を整えたジュールとテスカは、気を利かせそっと部屋を後にする。
ロザリーとアンネはベッドに並んで腰かけ、二人きりの特別な時間を過ごした。
学園での出来事、幼い頃の思い出、これから行ってみたい場所、好きなお菓子やドレスのこと……他愛もない雑談から未来の夢まで、二人の会話は途切れることがなかった。
アンネは時折無邪気に声をあげて笑い、ロザリーの腕に抱きつきながら、まるで失われた時間を取り戻すかのように言葉を重ねる。
そんな二人の姿は紛れもない「家族」であった。
──翌朝
「……お姉様、行ってしまうのですのね」
アンネは寂しそうに、それでもロザリーたちを決して引き止めぬよう、心に決めたような表情で言った。
「お姉様、どうか……どうかお気をつけて。約束、忘れないでくださいましね!」
「ええ、勿論ですわ。アンネも元気でいてくださいね?」
「うん!」
ロザリーはアンネと最後にもう一度強く抱きしめ合った。
幼い従姉妹の温もりをその身にしっかりと焼き付けるように。やがて、そっと腕を解き、静かに振り返った。
「では、行ってきますわ!」
「行ってらっしゃい!お姉様!」
こうしてロザリーたちは屋敷を出発した。
目指すは、ここから一番近い冒険者ギルドのある街、イムラン。
かつて令嬢であった少女は、朝靄の立ち込める街道を見つめ、力強く一歩を踏み出した。




