幕間②
森の中にある小さな村。
十一歳の彼にとって、その村は世界の全てであった。
穏やかな近所の人々の笑顔、温かく見守ってくれる父と母の存在。そこには、波風一つ立たない穏やかで満ち足りた日常があった。
彼は、村の中の同年代の子供たちと比べても小さい。
気も弱く、中性的な容姿も相俟って、まるで女の子みたいだと揶揄われることもあったものの、それでも皆と笑い合いながら仲良く過ごしていた。
このまま、この大好きな村で大人になり、穏やかに人生を終えていくのだろう。
広がる青空を見上げながら、彼はそんな未来を、欠片程も疑ってはいなかった。
しかし、運命の日は唐突に訪れる。
彼が十二歳の誕生日を迎えた、まさにその日の朝のことであった。
「な、なんだあれは……!?」
「逃げろ、逃げろーッ!!」
村の誰かの叫び声。それと同時に、家を揺るがす凄まじい地響きが起こる。
「柵が破られたぞ!」
「ま、魔獣だあ!!魔獣が雪崩込んでくるぞおおおお!!」
平和だった村は、怒涛の勢いで雪崩込む魔獣たちによって、一瞬にして破壊の限りを尽くされ、黒煙と炎の中を悲鳴と絶望が満たしていく。
「こっちへ来なさい!」
彼の父と母は、そう言うと彼を床下の倉庫に誘った。
普段は、食糧などを貯蔵しておく場所。これからの越冬に備え、昨日も収穫した作物の収納を手伝ったところであった。
「いいか?ここから出ちゃダメだ!!」
父は彼に強く言った。
そして、その手に剣を握らせる。
「これ……お父さんの……」
憧れの父がいつも腰に下げていたもの。
何時かはあの剣を自分が振るうんだと定めていた目標。
「この剣は今からお前のものだ!自分を守るために使え!」
「でも、これが無いとお父さんは……!!」
父は心配するなとばかりに笑ってみせると、
代わるように母が顔を覗かせた。
「お願い……あなただけでも生き延びて!!」
そう言うと母は祈るように彼の手を固く握りしめた。
そして、決心したように倉庫の扉に手を掛ける。
「お父さん!おかあさ……」
彼の声を遮るように、隠し倉庫の重い扉は容赦なく閉ざされた。
直後に家屋が崩れ落ちる凄まじい音、両親の叫び声、そして魔獣の咆哮が響いた。
彼は抱え込んだ父の剣を強く抱き締め、暗黒の中で自分の無力さにただ震え、打ちひしがれることしかできなかった。
どれ程の時間が過ぎただろうか。
暗闇に目が慣れ、扉の位置が分かる頃には、周囲は不気味な程に静まり返っていた。
このまま、隠れ続ける?
いつまで?
──あなただけでも生き延びて!
母の言葉が、耳の奥でリフレインする。
「ここから……出なきゃ!」
彼は決意した。
生きるために、勇気を振り絞って、進むのだと。
だが、外へ出ようと扉を押し上げてもびくともしない。
倒壊した家屋の瓦礫が、扉の上に覆い被さり、塞いでしまっていたのだ。
「うっ……く……!開け……開いてよぉっ!!」
彼は父から託された剣を隙間にねじ込み、全身の力を込めて梃子のように押し上げた。
瓦礫が僅かに動く。すり減った指先から血を滲ませながら、死に物狂いで押し広げた隙間から這い出た彼を待っていたのは、変わり果てた村の姿であった。
「お父さん……お母さん……っ!」
黒煙が上がる村の中を駆け出し、崩壊した我が家を振り向く。だが、そこには押し潰された木材と無情な静寂があるだけだった。
悲しみに思わず膝を折りかける。だが、世界は彼に悲しむ暇さえ与えてくれなかった。
グルル……。
焦煙の向こうから、二つの凶悪な影が姿を現す。
まだ村に残っていた魔獣であった。
死が、すぐそこに迫っていた。
死にたくない。
こんな奴らに殺されたくない。
その時であった。
「うあああああああああっ!!」
彼が叫んだ瞬間、溢れ出したのは眩いばかりの「光」であった。
解き放たれた光の波動が魔獣の目を眩ませる。
その光はあまりに強烈で、魔獣たちは悲鳴を上げて後退した。
彼はその隙に無我夢中で村の外へと駆け出した。
一度も振り返ることなく、ただひたすら走り続けた。
どれほど走っただろうか。
深い森の奥、木漏れ日すら届かない場所で、彼はついに力尽きて前のめりに倒れ込む。
冷たい土に顔を押し付けたまま、ただ荒い呼吸を繰り返す。
「お父さん、お母さん……」
名前を呼んでも当然のように返事は無く、風の音だけが耳に入ってくる。
指一本動かせぬ体。それでも、抑え込んでいた涙だけは止めどなく溢れ出ていた。
もう、剣の稽古をつけてくれる父も、それをいつも笑顔で見守ってくれた母もいない。
「僕は……」
彼は、震える手で父の剣を支えにしながら、ゆっくりと立ち上がった。
涙を袖でゴシゴシと強引に拭うと、滅びた故郷の方角を振り返る。
「僕は!!」
残された剣を強く握りしめると、彼は過酷な未来へ向かって一歩を踏み出した。




