第23話 ロザリーとカール王子暗殺の首謀者③
「フン。たかが人間の老いぼれが、一人増えたとて!」
マグミスは冷ややかに笑うと、再び不気味な黒い靄を発生させた。やがて、その影は膨らみ、恐ろしい精度でミングの姿を象っていく。
一方でジュールは表情一つ変えず、静かな動作でロザリーをマグミスから庇うように立ち塞がっていた。
「お嬢様。御無事でしたか?」
「ええ、ジュール。まさか、貴方が来てくれるなんて……」
「お嬢様が、この女に連れられて行くのを偶然お見かけ出来たのが幸いでした。念のために後をつけたのですが、何故か途中から気配を認識出来なくなっておりました故、こうして助けに入るのが遅れました。誠に申し訳ございません」
ジュールは深々と謝罪しながらも、その鋭い視線は片時も目の前の敵から外していない。
「……あの時のように私の人払いの魔法は完璧だったのですがね。まさか、魔法を打ち消す闇の力だなんて」
マグミスは忌々しそうにロザリーを睨み付けた。
「使えるのに敢えて黙っていたのか、それともこの土壇場で覚えたのか。まあ、貴女のその表情が王宮御用達の劇団級の芝居で無いとするならば、後者なのでしょうが……やってくれましたね」
「一か八かでしたけれども、その顔を見るに賭けは大成功!……というわけですわね?」
「フン。私に殺される時間が延びた……いえ、縮まっただけですよ」
吐き捨てるように言うと同時にマグミスは構えた。
それに呼応するように、闇の力「サーヴァント」によって生み出されたミングが殺気を放ちながら向かって来る。
(あのミング先生は、闇の力で造られたもの。ならば……!)
「バニシング!!」
ロザリーは再び、その闇の力を唱えた。
すると、まさに獣のような素早さで迫っていたミングの姿が一瞬で霧散し、消え去る。
(……ッ!?)
直後、ロザリーの全身を凄まじい脱力感と疲労が襲った。視界が激しく揺れ、彼女は立っていられずに思わずその場へ膝をつく。
「……ほう?」
それを見て、マグミスは口元を歪めた。
「どうやら、その『バニシング』とやら。打ち消す力の大きさの分だけ、使用者の魔力及び体力を奪うようですねえ。何度も繰り返し使うことは出来ないと見ました」
(ど、どうやら、そのようですわね……)
荒い息を吐き出しながら、ロザリーは冷や汗を流す。
(ミング先生の分身を消した時は、人払いの魔法を打ち消した時の何倍……いえ、何十倍も消費した感じがしましたわ。闇の力はそれだけ強大な力ということですわね)
もしもマグミスよりも強い闇の力の使い手を相手に「バニシング」を使ったらどうなってしまうのか。下手したら、命に関わるかも知れない。
(こ、この闇の力は無闇に使えるものじゃないですわね。相手の力を打ち消しても、それでこちらが動けなくなったらプラマイゼロどころかマイナスですわ)
「『サーヴァント』を消されたら、私もその分を消費しますが、もう一人くらいならば問題ありません!」
ロザリーの思考を読み取ったかのように、マグミスが再び闇の力を行使しようとした。
──その一瞬。
マグミスの視界から、ジュールの姿が唐突に消える。
次の瞬間には、彼は既にマグミスの真横、死角へと滑り込んでいた。
「なっ!?」
ジュールは懐に手を入れると、そこから何かを取り出し、
マグミスへと振るう。
それは、全長約六十センチ程の細身の剣。東方の国に伝わる「刀」を、隠し持てるサイズにしたものであった。
「くっ……!!」
間一髪、マグミスは背後へ飛び退くも、着用しているローブが切り裂かれていた。
(何という動き!!この私が見えなかった!?)
常人離れした魔族の反射神経で何とか直撃は躱せたものの、少しでも遅ければその刃は肉体を容赦なく切り刻んでいる。それ程の一太刀であった。
(ただの老いぼれではないということか。闇の力は、発動に少し時間が掛かる。ならば、無詠唱の魔法でこいつと距離を……)
「させません」
マグミスが何かを仕掛けようとするよりも圧倒的に早く、ジュールの斬撃がマグミスを襲う。それは、魔力を使うために必要な身体の起点、集中力を全て的確に潰していた。
(こ、こいつ!!魔法を使う者との戦い方を心得ている!!)
魔術師は強いが故に、戦いでは真っ先に狙われる立場でもある。
仲間や部下がいれば、そちらに注意を向けさせるのが定石であるが、今のマグミスは一人。
どんなに強力な力も、使われなければ恐れるに足らない。だが、それをこうして実践出来るのは、ジュールがまさに高い技量を持つ実力者である何よりの証左でもあった。
マグミスは、闇の力も魔法も発動出来ぬまま、ジュールの素早い連撃で一方的に追い詰められていく。
(ま、不味い!このままでは押し切られる……!!)
その時であった。
「おい!この部屋から何やら争うような音がしたぞ!」
「急げ、中を確認するんだ!」
廊下から、教師たちの声が響いてきた。
暗殺事件が起きたその日なので、見回りを強化していたのだろう。
その声にジュールの動きが一瞬止まったのを見たマグミスは、咄嗟に自分の肩口に向けて魔法を唱えた。鮮血が飛び散る。
(!?何故、自分を傷付けたんですの!?)
「……まさか!?」
その狙いに気付いたジュールの眉根が、わずかにピクリと跳ね上がる。
「私の魔法を打ち消したのが、今は仇となりましたね?」
そう言うとマグミスは先刻までの獰猛に歪んでいた悪魔のような表情を、一瞬にして怯える無力な女性教師のそれへと切り替えた。
すぐに勢いよく扉が開かれ、クリフヴァルツと数人の教師たちが飛び込んで来る。
「これは……マグミス先生!?一体、何が……!?」
「が、学園長……ミス・ロザリーが、私を襲って来たのです!執事と一緒に!!」
驚愕するクリフヴァルツに向かって、マグミスは痛みに耐える振りをしながら悲痛な叫びをあげた。
「何ですって!?」
疑念に満ちた教師たちの視線が一斉に自分たちへ注がれるのを感じ、ロザリーは嵌められたことに気付く。
「う、嘘ですわ!騙されないでください、学園長!!こ、こいつは……」
「……ロザリー・ローゼス・ロッソ。詳しく話を聞かせて貰いましょうか」
ロザリーの弁明を遮る冷ややかな声。
副学園長のゴルガナであった。
クリフヴァルツたちの後から部屋へ入って来ていた。
「私の目には、貴女たちがマグミス先生へ暴行を加えようとしているようにしか見えませんが?」
ゴルガナの言葉通り、見た目の惨状は火を見るより明らかだった。
ロザリーとジュールには掠り傷一つ無いのに対して、ジュールの猛攻を受けたマグミスは髪を振り乱し、衣類を破かれ、肩口からは今もなお、夥しい鮮血を滴らせている。
その上、マグミスの正体が魔族であることも、彼女が画策した悪行も、証明する術は何一つない。
突きつけられた客観的状況は、反論の余地すら与えないほど絶望的であった。
(こちらの動きすら利用して自分を被害者に仕立て上げるなんて……!)
マグミスの狡猾さに、ロザリーは悔しさと無力感で下を向き、固く唇を噛み締める。
「ロザリー・ローゼス・ロッソ。暴力行為は如何なる理由があれども厳罰の対象です。それが、教師相手ならば尚更。退学は免れませんよ?」
冷酷な通告が部屋に響き渡り、重苦しい静寂が場を支配した。
ロザリーは、俯いたまま視線だけを僅かにマグミスへ向ける。
痛みに震えて見せる満身創痍の表情。だが、わざわざ自らを傷つけてまで自分たちを遠ざけようとするその姿に、彼女は真意を悟った。
(ああ、そうか……。そういうことですのね!)
腑に落ちたと同時に、胸の奥から込み上げてくるものがあった。
窮地に立たされ、誰もが絶望するであろうその瞬間、ロザリーは伏せていた顔をゆっくりと上げた。
「アーハッハッハッハ!」
突然、ロザリーは気でも触れたかのように高らかに笑い声を響かせた。
その場にいる者たちは、微動だにしないジュールを除き、呆気に取られて彼女を見つめている。
「な、何が可笑しいのですか?」
戸惑うゴルガナを無視して、ロザリーはマグミスへと向き直った。
「無様ですわね、マグミス!!ミング先生を陥れ、ワタクシを追い詰め、ずっと優位に立っていらした貴女が、最後の最後でこんな手を使わざるを得ないだなんて!!貴女は恐れたんですのよ。ワタクシたちを!!」
「……………………!!」
「今は一時の勝利を喜んだらいいですわ!けれども、覚悟なさい!!貴女のその化けの皮、いつか引っ剥がしてやりますわ!!!」
「……二人を連れて行きなさい」
クリフヴァルツがそう指示すると、教師たちがロザリーとジュールを取り囲み、連れ出そうとする。
二人は抵抗せず、大人しく従った。
重々しい足取りの中で、ロザリーはただ前だけを見据える。これ以上、マグミスを喜ばせぬよう、溢れ出しそうな屈辱と悔しさを押し隠すことが、今の彼女にできる唯一の抵抗であった。
──マグミスの私室
あの一幕から数時間。
クリフヴァルツ学園長たちによる事情聴取は後日に持ち越され、自室へと戻ったマグミスは、人目を憚らず激昂の声を上げた。
「あのクソガキャあああああああああ!!」
叫びと共に、部屋中の家具に当たり散らす。
「たかが人間風情がぁ……!!」
怒号とともに飾られていた花瓶を壁へと叩きつけ、けたたましい音を部屋に響かせた。
「許さない……絶対に許さない……!!」
荒い息を吐きながら深く目を閉じ、感情を鎮めるようにゆっくりと息を整えていく。
次に目を開いた時には、冷静さを取り戻していた。
「……ふぅ。いけませんねえ。たかだか小娘の負け惜しみに取り乱すなど愚かなことです。勝ったのは私なのですから」
マグミスは難を逃れた水差しを引き寄せ、硝子のコップへと水を注ぐと静かに口をつけ、乾いた喉を潤す。
「王子の暗殺など、上手くいけば儲けものという程度のことです。私はこれまで通り、学園に潜入し、魔王様に有益な情報を渡せばそれでいい……」
〘貴女は恐れたんですのよ。ワタクシたちを!!〙
「……………!!!!」
マグミスはそのままコップを握り潰すと、手から血が流れるのも構わず砕けた硝子の破片を強く締め上げた。
──レオバード王国 牢獄
燭台の灯りすら消された、静寂と不気味な闇が支配する地下牢。
「……誰だい?」
重苦しい空気の中、僅かな気配を感じ取ったミングが呟いた。
「流石は獣人ですねー。五感も人間以上ってところですかー?」
暗闇から姿を現したのは、キャスリーンだった。
「その声……。確か、あの場にいた……」
「ええ。お喋りは後ですー」
キャスリーンは手際よく鍵を取り出すと、ガチャリと音を立てて牢獄の鉄扉を開けた。
「……?一体、何故君が?」
「ここで貴方を処刑してしまうことこそ国への反逆。そんな気がしてならないんですよー」
「恩に着るよ。ボクもこんな濡れ衣を着せられたままでは死ねないからね。ヒヒヒ」
「……その不気味な笑い方、止めて下さいねー。助ける気が失せますからー」
「おっと、こいつは失礼」
「いくら獣人の投獄者相手でも、流石に初日から拷問の類はしてないと思いますが……動けますか?足など使いものにならないようにされてませんよね?」
「ああ。二、三殴られはしたが、その辺は大丈夫だよ」
「……では、早く行きますよー」
「ちょっと待った」
暗闇の奥からかかった静かな制止の声に、二人の身体が緊張で強張る。
「!?その声は……」
「キャスリーンちゃん。いくら俺が部下に甘いからって、それはちょっと見逃せないなあ」
そう言いながら松明を持った男がゆっくりと歩み寄ってくる。炎の灯りが照らし出したのは護衛騎士隊長のヴォッツであった。
「ヴォッツ隊長……」
キャスリーンは苦々しい表情で呟く。
「……気配は感じなかったんですけどねー」
「ほら、これでも隊長だからさ。たまには部下より優れてるところを見せないとね」
手に持っていた松明を壁に掛け、ヴォッツは唯一の出口を塞ぐように立ち、静かに二人を見据えた。
「退いてもらっていいですか?」
「出来ない相談だね。そりゃ」
ヴォッツは困ったように肩を竦めてみせた。
キャスリーンはまっすぐ隊長を見つめ返して言葉を続ける。
「彼は王子様暗殺の首謀者じゃありません」
「根拠は?」
「……私の勘です」
「それじゃあ、ここは通せないな」
ヴォッツは心底哀しそうな目をキャスリーンに向けた。
「……キャスリーンちゃんさあ。傍から見たら、ろくな根拠もなく重罪人の逃亡を幇助してるようにしか見えないんだよ?君のやってることは」
「私はこの国の護衛騎士として、すべきことをしているまでです。冤罪で無実の者を死なせ、真の犯人をのうのうと生かす……それを許容することが、護衛騎士の仕事だと、隊長はそう言うんですか?」
「だからさあ。冤罪だの、真の犯人だの……それ、キャスリーンちゃんが言ってるだけだよね?物証はあるの?」
「ありません。ですが、確信はあります。ここは力ずくでも……」
キャスリーンが素早く剣の柄へと手を伸ばした、その瞬間であった。
「なっ!?」
ヴォッツは一瞬でキャスリーンの懐へと踏み込み、鞘に収まったままの柄を、上から凄まじい力で叩き潰していた。
「良かったねえ、キャスリーンちゃん。もし、これが抜き身だったら、今頃その綺麗なお手々が地面に転がってるよ?まあ、肩は外れてるかも知れないけどさあ。それは許してね?」
強烈に打たれた痺れと激痛で落とした剣を拾うどころではないキャスリーンは、自身の腕を抱え、膝をつかぬようにするのが精一杯であった。
「キャスリーンちゃんは天才だけどさあ。天才だから自分に自信があり過ぎなの。悪い癖だよ。自信があるから、自分の目で見たものも絶対視しちゃう。だから、相手の実力をこうだと一度決めたら、そこから修正が効きにくい」
ヴォッツは瞬時にキャスリーンの耳元へ顔を近付ける。
「……隊長が部下より弱いわけないでしょう?」
そう囁くように語りかけた。
「ちなみに、ジザイは俺よりも強いよ?少なくとも剣の腕はね。何でもアリなら俺に分があるかな?俺、実戦タイプなんだよねえ」
「…………ッ!」
「勉強になっただろ?キャスリーンちゃんはさあ、まだ若い……というよりも幼いんだから。もっと色々知らないとダメだよ?」
言い終えると同時に、ヴォッツはキャスリーンの首筋へ的確に手刀を振り下ろした。
すると、キャスリーンの視界が急速に暗転する。
意識を失い、崩れ落ちる彼女の体をヴォッツは静かに受け止めた。




