第22話 ロザリーと狙われたカール王子
交流授業、最終試験での事件から一週間が過ぎ、休校が開けた初日のことだった。
「本当に残念なことに、皆さんへ悲しいお知らせがあります。ミスター・カッセルが学園を去ることになりました」
マグミスの言葉に特待クラスは少しざわついた。
「ミスター・カッセル。こちらへ来てくれますか?」
「はい」
カッセルはそう言うと、席を立って教壇へと歩を進める。
「皆さん、急なことで驚かせてしまって申し訳ありません。……家庭の、どうしても外せない事情により、僕はこの学園を去ることになりました。短い間でしたが、特待クラスの素晴らしい仲間と共に学べた時間は、僕にとって生涯忘れることのない宝物です。本当に、ありがとうございました」
つらつらとそれっぽい理由を語り、深々と頭を下げるカッセル。その表情には、寂しげな、それでいて何かを覚悟したような陰りがあった。
休憩時間に入ると、ロザリーたちはカッセルの席に集まる。
「……なんかさ。本当に唐突過ぎて実感が湧かないよ」
ミシェルが机に突っ伏すようにして、開口一番に溢す。いつも元気な彼女のトーンは明らかに沈んでいた。
「まだ一年も経ってねえってのに……」
ダイルも腕を組み、苦虫を噛み潰したような顔でカッセルを見つめる。その視線には、ぶっきらぼうながらも確かな名残惜しさが滲んでいた。
「人には、他人に容易く明かせぬ事情というものがありますわ。それは重々承知しておりますけれど……」
グレアーも平静を装ってはいるものの、何処か動揺している様子であった。
そんな仲間たちの反応を、カッセルは一つ一つ胸に刻み込むように見つめ、それから困ったような、しかし酷く優しい笑みを浮かべる。
「僕も、もっと皆様と一緒に学びたかったんですけどね。でも、決めたことですから……」
(……殿下が、学園からいなくなる?)
一方で、ロザリーは皆とは違うベクトルで驚いていた。
カッセル──カールが起点となっている処刑の日は、二年も先のことである。少なくとも、「天啓」の中では、その時点で彼が学園に在籍していたのは間違いなかった。
(未来が変わった……?)
これまでも、「天啓」で見た内容とは別の道を進むことには成功していたが、「天啓」で起こる筈の事象の有無にまで影響を与えるということは無かった。
ロザリーは、まるで急に盤面そのものをひっくり返されたような気分を味わう。
(い、いえ。この先何やかんやあって殿下が学園に残る可能性もありますし、そう決め付けるにはまだ早いですわね。……って、その言い方は、まるでワタクシが処刑される日を待ち望んでるみたいですわ!)
自分で自分にツッコミを入れるロザリー。やはり、此度の事態に大きく動揺しているようであった。
(そう言えば、殿下がいなくなったらキャス……さんはどうするのかしら?)
彼女が学園に来たのは、カッセルの護衛のためである。
主が去るというのなら、彼女もまたここに留まる理由は無い。
ロザリーは隣で何を考えているか分からぬ程に無表情のキャスへと視線を向けた。
だが、彼女はこちらを見ようともしなかったので、声を掛けることも出来なかった。
それ以上は何も分からないまま、カッセルが学園を去るのが一週間後だということだけが告げられた。
その日の放課後、夕闇が学園の回廊を橙色に染める頃、ロザリーは一人、重い足取りで貴族寮への帰路──グレアーとミシェルは別の寮棟──を歩いていた。
その頭の中は、やはりカッセルが学園を去ることでいっぱいであった。
(……もし、本当に殿下がこのまま学園を去ってしまったら、処刑の件はどうなるのかしら?破滅が回避されたと喜ぶべき?それとも、形を変えてその日はやって来るのだと油断せず構えるべき?……何れにせよ、『天啓』の歴史がここまで変わってしまうことなんて、今までに無かったことですわ)
ロザリーは手帳を取り出し、自ら重要な局面と記したページを開く。
(……交流授業は、無事乗り切った──と言っていいかは、微妙でしたわね。経緯も違うし、正当性もありますけれども、結果として闇の力でソトス学園の生徒を傷つけた事実は変わりませんもの)
「天啓」で見た未来のロザリーが誰を傷付けたのか、それは分からない。もしかしたら、その相手が実はケスだったのかも知れないとロザリーはつい考えてしまう。
(考えれば考える程、ワタクシには『天啓』というものが分からなくなってしまいますわ。本当に未来を変えられるのか、それとも変えられないのか、それすらも……)
ロザリーはふとジュールとテスカの顔を思い浮かべる。
(……いえ、しっかりするのですわ、ロザリー・ローゼス・ロッソ!もしも未来が変えられないのであれば、ジュールもテスカもワタクシの側にはいない筈ですわ!あの二人こそが、何よりの証明!そこはブレてはいけませんわ!)
更には、特待クラスの仲間たち。
(学園に来て、初めて出来た友達と呼べる皆。グレアーさん。ミシェル。ダイル。それと……)
その時、ロザリーの視界にカッセルの姿が入った。
一人で歩いており、側にいるであろうキャスは見当たらない。
(殿下?それも一人でなんて……)
キャスが編入してからは、彼女が常にカッセルの側におり、こうして一人きりというのは珍しいことであった。
ケスの一件で彼女の本性のようなものを垣間見たロザリーとしては、あの彼女が護衛対象の単独行動を許すとは思えない。
カッセルがどうにかして煙に巻いたのか、煙に巻かれたふりをして、ロザリーにも気付かれない場所からキャスが監視しているんだろう。とロザリーは思った。
(声を掛けた方がよろしいのかしら?)
ロザリーが足を止めて躊躇していると、先に彼女の存在に気づいたのはカッセルの方であった。
ふと顔を上げた彼が、驚いたように目を瞬かせる。
「あれ?ロザリー様?」
いつもの、平民としての口調。
ロザリーは不自然にならないよう笑みを浮かべてカッセルに近付いた。
「こんなところで何をしてますの?平民寮とは道が違うと思うのですけれども」
「ええ。実はマグミス先生に呼び出されたんです。ここへ来てくれと」
そう言うとカッセルは困ったように眉を下げ、手にした古い羊皮紙のメモに視線を落とした。
「マグミス先生が?」
「でも、まだ来ていないみたいです」
ぽつりと言って、カッセルは周囲の静けさを確かめるように見回した。人気が無く、木々の葉が風に揺れる音だけが響いている。
暫しの沈黙が二人の間に流れた。
「……二人きりしかいないのであれば、丁度いい、か」
突如、カッセルが口調を変えた。
「ロザリー。正直に答えて欲しい。君は僕の……私の正体を知っているね?」
同じ質問をキャスにされたことをロザリーは思い出す。
しかし、その時と違い、カッセルからはピリピリとしたものは感じない。
志半ばの答え合わせ……そんな風に思える。
(……『天啓』のことは別にしても、真摯に答えるべきですわね)
ここで誤魔化したとしても、彼には失望を与えるだけだろう。学園を去ることを決めたのであろう当人に対して嘘を吐く理由もない。
ロザリーは覚悟を決め、真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。
「…………はい。知っております」
「やはりそうだったか。キャスリーンの言う通りだったね」
カッセル──カールは笑った。
その表情には、警戒よりも寧ろ、ずっと抱えていた疑問が氷解したかのようなスッキリとした色が浮かんでいる。
「……何が不味かったのかな?君以外には見抜かれていないだけに、そこが気になって夜も眠れないかも知れない」
「……夜更かしは御身体に障るのではございませんか?」
「そう思うのであれば、是非とも教えて欲しいな。君の口から」
ロザリーは「天啓」のことを話そうと一瞬思った。
だが、あまりに突拍子もなく、下手しなくとも質の悪い冗談だと思われかねない。
近しい存在のテスカですらその話には最初は懐疑的だったのだから。
(うーん。今思えば、やはりすぐに全面的に信じてくれたジュールが異例中の異例でしたわね……)
だからと言って、取って付けたような理由を話しても、彼は納得しないだろう。
「……秘密、ですわ」
真実を言っても嘘を言っても、カールを満足させられる回答にはならない。
ならばと、ロザリーは敢えて隠し通すことにした。
「ですので、殿下に夜更かしをさせてしまうのは忍びないのですけれども。それでも夜はしっかりお休みになって下さると幸いですわ」
明確な理由を告げず、はぐらかすようなロザリーの返答。
カールは一瞬だけ虚を突かれたように目を丸くした。
暫く呆然とした後、軽く吹き出す。
「ハハ、手厳しいな。まさか、そんな風に躱されるとは思わなかったよ」
「乙女の秘密は何よりも重いんですのよ、殿下?」
「そうか。じゃあ、これ以上詮索するのは野暮というものだね」
カールは降参とばかりに軽く両手を挙げてみせた。その表情は、ただ純粋に目の前の少女とのやり取りを楽しんでいるようだった。
その会話は間違いなく一人の人間と人間、友人同士のものであった。
と、その時、ロザリーは急に嫌な気配を察知する。
パシッ、と静寂を切り裂くような、小さな風切音が聞こえた気がした。
「……!?」
ロザリーは咄嗟にカールを突き飛ばした。
鉄製の小さな矢が樹の幹に突き刺さる。
「ロザリー!? 君、今、何を……」
尻餅をついたカールが驚愕に目を見開いたまま、ロザリーと、彼女のすぐ真横の樹木を交互に見やった。
もし彼女が突き飛ばさなければ、間違いなくカールの頭部を貫いていた軌道を示している。
(ワタクシはどうして……?)
ロザリーは矢が向かってくることに、何故自分が気付けたのか分からなかった。
ただ、ケスに教わった闇の力の制御を練習していたことで、そういった感覚が以前よりも鋭くなったのかも知れない。
顔を上げ、気配を感じた方角へと視線を走らせると、人影のようなものが見えた。
「逃がしません!」
と、キャスが何処からか語気を荒くして飛び出して来た。
やはり、彼女は何処かでカールのことを見守っていたようである。
「王子様を頼みます!!」
それだけ言うと、キャスは凄まじい脚力で人影を追いかけて行った。
(……くっ!あまりにも不覚!!ロザリーさんがいなければ、王子様がやられていたなんて!!)
キャスリーンは猛然と地を蹴りながら、心の中で激しく自分を叱咤した。
(このタイミングで、王子様を一人で呼び出すなんて怪しいと分かっていたというのに!!)
情報漏洩の観点から、カールとキャスリーンの事情については、教師全員へ共有されているわけではない。故に、事情を知らない教師の誰かが彼を単独で呼び出すこと自体は、起こり得る事態であり、それを表立って止める権限は彼女にはない。
今回はそこを突かれた形となる。
(だからこそ、私は警戒していた!怪しい奴がいれば行動に移す前にとっ捕まえるつもりで、神経の隅々まで尖らせていた。……それなのに、あの襲撃者からはまるで殺気を感じなかった!! 誰かを殺そうという瞬間に、そんなこと有り得るのか!?それどころか、矢が放たれるまでその存在にすら気付けなかった!!まるで、突然現れたかのように……)
ぎりりと歯噛みの音が脳内に響き渡る。
(この身を挺することすら出来ないなんて!!)
確かにキャスリーンは離れた場所から監視していた。
平民カッセル個人が受けた教師からの呼び出しに、表向きは全くの他人である彼女が付いていくのは不自然だからである。
ガーデンドール学園の教師は、戦闘にも秀でているのが多いため、あまり近付き過ぎて自分の隠密行動を察知されてはいけないと念には念を入れていた。
だが、その慎重さが完全に裏目に出てしまった。
それでも、「だから仕方無い」とは、決してならない。
「……これじゃあ、エリオット先輩のことを笑えませんねぇ」
ぽつりと自嘲を漏らす彼女の胸中には、もう一つの割り切れない疑問が浮かび上がっていた。
(私に気付けなかった一矢をロザリーさんは気付けた……一体どうして?)
どれ程考えても答えなど出る筈もなく、キャスリーンはそれを胸の奥に押し込めて人影を追うも、何故か追いつける気がしなかった。
「キャスリーン。どうだった?」
「……逃がしました」
キャス──キャスリーンは、それだけ言うと申し訳なさそうに俯いた。
彼女の足はとても速かった。そして、今も息一つ切らせていないのを見るにスタミナもかなりあるだろう。
そんな彼女の追跡を振り切った犯人とは何者なのだろうか。
その時、教師たちが、長いローブをなびかせて足早に現れた。
キャスリーンが本来の護衛騎士としての権限を使い、クリフヴァルツ学園長を通じて、此度の切っ掛けを作った張本人を呼び出したのである。
「……マグミスだけを呼んだつもりなんですけどねー」
「国の一大事ですから……。学園内で王族の命が狙われたとなれば、もはや秘匿などと言っていられる状況ではありません」
そう答えたのはクリフヴァルツであった。
直前まで、学園長室では交流授業および最終試験で起きた事件の善後策を話し合うため、主要な教師たちを集めた緊急会議が開かれていたのだ。
本来であれば、カッセルの正体や学園を去る事情は、彼の信頼する極めて限られた者たちのみが知る最高機密であったのだが、事態が事態だけに説明する間もなく会議の出席者全員を連れて来ることになった。
まだ、犯人が近くにいるかも知れないのだから。
「マグミス先生。貴女は彼をこの場所に呼び出した。それは間違い無いですか?」
クリフヴァルツ学園長が、カールの手にある古い羊皮紙をそっと指差す。
「なっ……!?」
マグミスは目に見えて狼狽を見せた。
「わ、私は知りません!!そんなメモ、私は書いていませんし、彼に渡してもいません!!本当です!!信じてください、学園長!!」
「ですが、そのメモにはあなたの魔力サインを模した署名と、あなたが管理している筈の古い羊皮紙が使われています。証拠としては十分と言えます」
クリフヴァルツは残念そうにそう指摘する。
マグミスはこの世の終わりのような顔でただ「信じてください」と容疑を否定した。
「……なるほど。学園を去る前の、最後の好機と踏んだわけですか」
そう言って現れたのは、副学園長のゴルガナであった。
集まった教師たちが彼女のために一斉に道を開ける。
「副学園長……私は違うんです。これは誤解なんです!」
「ええ。分かっていますよ」
ゴルガナはそう言ってマグミスの言葉を制した。
「犯人は貴女ではない」
「どういうことですかな、ゴルガナ副学園長?」
眉間に皺を寄せたクリフヴァルツが硬い声で尋ねる。
「これは偽装ですよ、学園長」
「偽装?」
「ええ、特殊な方法を使った極めて巧妙なものです。マグミス先生の肩を持つ貴方ですら、その発想を持たない程に」
「うぅむ……」
クリフヴァルツは言葉を詰まらせ、そう声を漏らす。
周囲の教師たちの間にも、張り詰めた沈黙が広がる中、ゴルガナは淡々と、それでいて確信に満ちた声で言葉を続けた。
「そして、その方法はある特別な種族にのみ伝わっているものです」
ゴルガナはその冷徹な両眸を、教師たちの中のある一人へと向けた。
「マグミス先生の名前を使って彼を誘い込み、その命を奪おうとした。その首謀者は貴方ですね?──ミング先生」




