第21話 ロザリーと事件の余波、そして運命が動く予感の夜
ゴトリ、と重い音を立てて床に転がったケスの首。
先程まで生気に満ちていた緑色の顔は、驚愕に見開かれたまま急速にその光を失っていく。
「ふぅ……」
キャス──キャスリーンはそれを一瞥すると特に何の感慨もなく息を一つ吐く。
(やれやれ、ロザリーさんが戻って来ないから様子を見に来たらこれですか。二度あることは三度ある……でしたかねー?格言っていうのはどうしてこうその通りになるんでしょうかー?まあ、だからこそ、格言なんでしょうけどねー)
キャスリーンは視線をふっと遠くへ巡らせる。
(王子様にとっては不幸でしたねー。当事者でないとはいえ、これは『三度目』に他なりません。国王様に知られたら……というか、事態が事態なので知らせることは確定なんですが。そうしたら首に紐を付けてでも城に戻れと絶対におっしゃいます)
頭の中でその光景を思い浮かべ、キャスリーンは小さく首を振った。
(可哀想に……って、私らしくない。一ヶ月も側で見ていたので、少しは王子様に情が移っちゃいましたかねー?……と、先のことを考える前に今は目の前のことですかねー)
と、キャスリーンはこちらへ走って来る、漆黒の髪の少女へと視線を向けた。
(ロザリー・ローゼス・ロッソ……。恐らく、王子様と私の正体を何らかの形で見抜いている。そして、この世界で唯一、闇の力を使える人物。この魔族と無関係とも思えませんし、はてさて……)
漸く追い付いたロザリーは息を切らしたまま、その場に立ち尽くすことしか出来なかった。
目の前で起きたことは速過ぎて、ロザリーには全く分からない。
分かるのは、そこで首と胴体が離れた状態で地面に倒れるケスがいることと、それをやったのがキャスであるという事実だけだった。
「ふぅ……」
キャスは、まるで雑草でも払うかのような軽い調子で、自身のスカートの裾をパタパタとはたいた。
そして、ゆっくりとその視線をロザリーへ向けてくる。
「……今の、見ましたかー?ロザリー様?」
「あ、えっと、その……」
しどろもどろになるロザリーへキャスは一歩ずつ近づいて来る。
「動揺しているようですけどー。それ、今のを見たからだけじゃないですよねー?」
「ええと……」
「『コイツは只者じゃない。でも、実際に只者じゃないところを見たら流石に驚いた』……そんな感じですかねー。少なくとも、貴女は知っていたんじゃないですかー?私がこのくらいはやるってことを」
キャスがカッセル──カール王子の護衛であることは、ロザリーも「天啓」によって知ることとなった。だからこそ、彼女の指摘は完全に図星であると言える。
しかし、キャスが何故、今そんなことを尋ねてくるのか、ロザリーは意図が読めない。
至近距離まで来たところで、キャスはそっと耳打ちした。
「──貴女……私とカッセルさんの秘密を知っていますね?」
ロザリーの心臓が大きく高鳴った。
「な、何のことかしら?ひ、秘密があるんですの?」
「あくまで惚けますかー」
キャスは訝しげに目を細めると、ロザリーの顔をじっと見つめる。
数秒の沈黙。
と、キャスはふっと肩の力を抜いた。
「……まあ、いいです。誰彼構わず言いふらしているわけでも無いですし、この目で見た限りそのつもりも無さそうですしねー」
そう言ってキャスは微笑む。
「ただ……」
キャスはその笑みを一瞬で消し去り、底冷えするような声で再び耳元に囁く。
「誰かに言ったらその時は命の保証はしませんからね」
ヒッ、とロザリーの喉がひきつったように鳴った。
(これは……彼女からの警告ですわ)
先程の問い掛けからも、キャスはどうやら自分がカッセルの正体を知っていることに確信を持っているのだと、ロザリーは冷や汗を流しながら思い至った。
「……というわけで、今までのはお互いに見なかった、聞かなかったってことにしておいてくださいねー」
キャスはそれだけ言うと、満足したように小さく微笑み、何事もなかったかのように廊下の奥へと去って行く。
遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなるまで、ロザリーは指一本動かすことが出来なかった。
その後、学園内は文字通りひっくり返る程の大騒ぎとなる。
廊下に転がるソトス学園の制服を来た魔族の死体を発見した教師たちの悲鳴を皮切りに、最終試験は即座に中止。力の試験どころでは無くなった。
他国の生徒に化けて魔族が紛れ込んでいたという事実は、学園の上層部を震撼させるに十分過ぎた。
事態を重く見た王国は憲兵などを次々と学園に送り込み、物々しい厳戒態勢が敷かれる中、ソトス学園の生徒たちは翌朝を待たずに慌ただしく帰国させられることが決定した。
同時にガーデンドール学園もこの未曾有の混乱を収束させるため、一週間程の休校を余儀なくされたのである。
──平民寮 裏庭
「……これが私が見た全てですねー」
「そうか……」
生い茂る木々の隙間から差し込む夕日が、二人の影を長く地面に落としていた。
「あのケスってのが、魔族と気付けなかったのは私の落ち度ですねー。もっとよく観察していれば、不自然に単独行動を取っていたことには気付けた筈ですから」
「私たちが力の試験に挑んでる最中にそんなことが起きていたとはな。君がいてくれて本当に助かったよ」
「いえいえー。私が相対した時には這々の体って奴でしたから、貢献度的にはロザリーさんの方が上だと思いますよー。子細は分かりませんけど、恐らく騙し討ちしたんじゃないですかー?」
「ロザリー、か」
カッセル──カールが呟くようにその名を口にする。
「やはり彼女は私たちのことを?」
「惚けてましたけど、十中八九気付いてますねー。平民カッセルはカール王子であり、私がその護衛であることに。まあ、本当は気付いてない可能性も一応考慮して、こちらから秘密を明言するような真似はしませんでしたが」
「君のそういう機転、本当に助かるよ」
カールは苦笑を浮かべ、緊張で強張っていた肩の力を少しだけ抜いた。
しかし、キャスリーンの追及はそこで終わらず、彼女はジト目をジリジリと王子へ向ける。
「……で、どうするんですか、王子様?楽しい学園生活はここで強制終了の可能性が高いですよー」
「うーん。どうにかならないか?」
「……王子様。忘れてるみたいなので言わせて貰いますけどー。命を狙われてる自覚はおありですかー?」
「……………………」
「ダンジョンで魔族に襲われた件と今回は、偶然巻き込まれただけでしょうけど、最初のケイオスベアーの一件、あれは確実に王子様を狙って仕組まれたことです」
「……やっぱりそうだったのか」
薄々予感はしていたのだろう。
カールの真剣な眼差しがキャスへと向けられる。
「クリフヴァルツ学園長からの調査報告から考えても、まず間違いないでしょうねー」
「やはり、城へ戻る他に道は無いのか?」
「御言葉ですが、王子様」
キャスリーンはハァとため息を吐いた。
「この学園内に王子様の命を狙っている奴が……或いは、そいつに加担している内通者がいるんです。これ以上、我儘でその身を危険に晒すのは、果たしてこの国の未来を担う人のすることなんですかねー?」
「耳の痛いことを言うね、君は」
カールは苦笑混じりに息を漏らした。
「だけど……分かっている。父上との約束だからね」
寂しげに校舎を見つめるカール。
やがて、その瞳には確かな覚悟の光が宿った。
「……私は決心したよ。約束通り、城へ戻る」
──貴族寮、ロザリーの部屋。
ロザリーは手帳に記された「交流授業」の文字に、容赦なく大きなバッテンを書き込みながら尋ねた。
「ジュール。つかぬことを伺いますけれども……」
「はい。何なりと」
そう言うとジュールは、音もなく一歩前へ出る。
ロザリーは羽ペンを置き、背もたれに体を預けた。
「このまま順調に運んで、『処刑の日』を無事に生き延びられたとして……ワタクシは一体、どうなるのかしら?」
「と、仰いますと?」
「平民であれば、学園を卒業した後に自ら道を選ぶ自由がありますわ。でも、貴族は違う。大半が親の跡を継ぐか、或いは早い内に家同士の婚姻を結ぶ。現に特待クラスにも、将来の伴侶と同じ教室で机を並べている者も珍しくありませんもの」
幸いなのか、今のロザリーにはそういった相手はいない。本を正せば公爵家の令嬢なので、両親が急逝していなければ、今頃は然るべき相手との婚約が調っていたかも知れないが。
「学園を卒業した後、あの叔父夫婦の屋敷に戻ったとして、ワタクシに何が出来るのかしら?……いえ、そもそもの話、あの人たちがワタクシに何かをさせてくれるのかしら?……きっと、戻った瞬間に叔父上にとって都合の良い相手と勝手に婚姻を結ばされるのがオチですわね」
ロザリーの口元から、自嘲気味な笑みがこぼれる。
あの家はもしかしなくとも正統な娘であるアンネが継ぐだろう。そうなると、叔父夫婦にとってのロザリーは厄介払いの対象でしかない。
「……ワタクシ、このまま学園に通い続ける意味が果たしてあるのかしら、と。ふと考えてしまうのですわ」
この国の貴族子女は、十四歳になれば学園に通う。
それが当たり前だからと疑うことなく従ってきた。
しかし、その先に待つのが叔父たちの操り人形としての未来ならば、その義務に縛られる必要などあるのだろうか。と、ロザリーは考える。
「いっそのこと、折を見て学園を辞めてしまうという手だって、あるのではないかしら?」
未来のロザリーが処刑された原因は、学園での行動にある。だとするならば、そもそも学園に通わなければ良いのではないか。と、そう考えたことは一度ならずあった。
だが、それでは叔父夫婦の屋敷で無為の時間を過ごす羽目になる。それよりは、憧れも興味もある学園に行った方がいい。いや、行くべきだと思い直してその案を捨てたのだ。
今思えば、その感情の向き方も運命の矯正力の一端だったのかも知れない。
「勿論、学ぶことは好きですわ。闇の力のことだって、ここへ来なければ何もわからないままだったでしょうし……何より、こんなワタクシを『友人』と呼んでくれる皆のことは、何よりも大切な存在ですわ。けれども……」
楽しいからこそ、その先にある現実の暗さが際立つ。
処刑の日の回避というゴールを一先ずの目標としていたが、その先については「天啓」にも無い全くの未知なのだ。
疎ましく思う日もあれど、間違いなくロザリーの人生の指針でもあった「天啓」。その大きさをこういう時にひしひしと感じてしまう。
「……………………」
そんなロザリーの吐露を、ジュールはただ静かに見守っていた。暫しの沈黙の後、ジュールは冷めた紅茶を新しいものへと手際よく差し替えながら口を開いた。
「……お嬢様。少し、昔話をいたしましょうか」
「昔話?」
「ええ。『天啓』を受ける前のお嬢様は失礼ながら無力でした。闇の力に目覚めた後も、その力を持っているというだけで、何かが出来たというわけでも無く、ますます孤立を深めておりました。尤も、それには多忙にかまけ、お嬢様を見ることが叶わなかったこの爺にも責がございますが」
「いえ、決して貴方が悪いわけではありませんわ」
「そう言って頂けますと至極恐悦にございます。しかし、『天啓』を受けた後のお嬢様は違いました。アンネ様と打ち解け、テスカをお救いになられた」
「……テスカの時は、お前にかなり助けられましたわね」
「いえ、この爺は自分に出来ることをしたまでのこと……。そして、学園に入った後も、ケイオスベアーを退け、ザギと名乗る人狼の魔族を倒し、ケスと騙る魔族の企みを暴かれました。御自身のその『闇の力』で」
ジュールの言葉に、ロザリーは自分の手を見つめた。
忌むべきものとして隠してきた、規格外の闇の力。
学園の授業で学ぶ魔術を遥かに超越したその力は、実戦の極限状態でこそ、その真価を発揮した。
「お嬢様。今の貴女には、それらの脅威をねじ伏せるだけの力があるのです」
ジュールはそこで一度言葉を区切ると、真剣な眼差しをロザリーへと向けた。
「ブラン様の屋敷、ひいては貴族社会という狭い鳥籠の中にいれば、お嬢様のその力は恐らく『危険分子』として生涯縛られ、都合よく利用されるだけでしょう」
そう語るジュールの声に、ふっと微かな熱がこもる。
「ですが……ここから先は爺の独り言と思って聞いて下さい」
そう言うとジュールは一歩下がり、まるで未知の広大な世界を示すように、窓の外の夜空へと視線を向けた。
「……もし、この世界に一つだけ、家柄も、ブラン様の権力すらも一切通用しない、完全なる実力主義の世界があるとするならば、如何いたしますか?」
「それって……まさか?」
ロザリーの目が驚きに揺れる。
ジュールは謎多き執事であり、過去をあまり話さない。
しかし、ロザリーがまだ生きていた両親の元にいた頃、彼女にそっと教えてくれたことがあった。
それは、過去に「冒険者」であったこと。
──冒険者。
貴族の子女としては、本来なら選択肢にすら入らない泥臭い稼業。しかし、今のロザリーの胸には、不思議な高鳴りがあった。
(もしもワタクシたちが、冒険者だったなら……)
ロザリーは、ジュールとテスカを伴い、広い世界を旅する自分を想像した。
それはとても稚拙で具体性のないものであったが、今までにない高揚をロザリーに与えた。
「お嬢様が仰るならば、この老骨も、テスカも、喜んでお供しましょう。お嬢様をリーダーとしたパーティーの結成です。悪くないと思われませんか?」
ジュールは珍しく悪戯っぽく微笑んだ。
あまり見たことのないその顔に、ロザリーの口元からも、自然と笑みがこぼれる。
「ふふ……。学園を卒業して叔父上の操り人形になるよりもずっと素晴らしいですわね。何なら、今すぐ学園を辞めて冒険者になるのも悪くないですわ」
冗談めかして言った言葉だったが、ロザリーの胸の奥に灯った灯火はなかなか消えそうになかった。
ジュールが淹れ直してくれた温かい紅茶を口に含みながら、ロザリーは窓の外に広がる夜空を見つめる。
そのずっと向こうに自由の未来を夢見て。
その日の夜はとても穏やかで、静かに更けていく。
だが、ロザリーは知らない。
こうして過ぎてゆく日々が当たり前では無いことを。




